小説 | ナノ


04

暗く濁った水の中に深く深く沈んでいくような感覚の中、何度も酷い夢を見る度に「怖くないよ」と手を握ってくれる人たちがいた。


力強く握りしめてくれる掌の感覚だけはやけにはっきりして、私の意識を正常に繋ぎ止める。





ゴツゴツしたマメばかりの手は、体温が高くて少し痛いくらいに手を握ってくれた


フワフワとした毛むくじゃらの手は、両手で爪を立てないように優しく握りしめてくれた


細くて長い女の人の手は、柔らかいのに力強くしっかりと手を繋ぎとめてくれた


少しカサついた手は節榑立った指で、丁寧に私の手を包んでくれた


筋張った指を持つ、少し冷たい掌は、一番長く手を繋いでいてくれた



体温の低いしなやかな指が、時折私の髪を撫でてくれるから、
トロトロと不安な気持ちが溶かされて微睡みへと誘われる。



そうして眠りに落ちた時に怖い夢は見なかった。






髪を撫でてもらえるのは孤児院の頃以来だと思う。
微睡む私の髪をゆっくりと撫でてくれるシスターの優しい手が心地良くてとても好きだった。


年に一度、私の誕生日の頃に会いに来てくれる海軍のお兄さんの大きい掌も、私の頭をワシワシと撫でてくれた。

最初は力強くて驚いたけど、ぐしゃぐしゃにされた髪の隙間から見えた、優しい笑顔がとても印象的で、彼につられて良く笑った記憶が懐かしい。



優しい掌が勇気づけてくれる間は、雷の音も、不協和音と共にやってくるあの男の声も気にならなかった。






*******





「あと1時間くらいで島の気候海域を抜けるよ」

医務室で眠る羽根屋の容態を確認しながら、ベポが海図から計算した結果に頷く。




この海域は遠浅で潜水に適さない。
岩場もそれなりに多いため慎重に船を進める必要があるが、ログが溜まり次第すぐに船は出航させた。


甲板にはいつもより見張り番を増やし、ソナーと合わせて暗闇に見えない岩礁や障害物を、数名掛りの目視で確認することにした。


島の気候海域を抜けたら帆を畳む予定をベポには伝えてある。
浅い海で岩礁が多い海域を無理に夜間走らせるのは必要最低限にしたい。




本来であれば避けるべき、明かりの少ない夜の出航になってしまったが、クルーの誰からも反対する声は上がらない。



島での用事が済んだら早く出航してやりたい、それはクルー全員の気持ちだったようだ。



むしろ、ログが溜まるまでに待ちきれないイッカクとシャチが、まだかまだかと操舵室に何度も押しかけては追い返されている姿を何度か見かけた。




お前らお人好しが過ぎるんじゃねェのか。と世話焼きのクルーにため息を吐くも、可能な限り迅速に船を出航させたあたり、おれも人の事を言えない。



「取引相手兼患者の容体の回復を最優先にする」という、医者であり船長であるおれが下した判断。
それをクルーたちは素直に受け止め、早く羽根屋に元気になって欲しいと言う気持ちから喜び勇んで船を出航させた。



だが、容体を優先する。などと言うのは、羽根屋を放って置けない自分への紛れもない言い訳であることは、おれ自身が良く知っている。

何故こんな気持ちになるのか。理由の分からない感情にどこか居た堪れない。




医者として患者が心配なだけ。
船長として取引相手を失わない為。


それ以上でも以下でもないと自分に言い聞かせるように何度も心の内で反芻するも、モヤモヤとした胸中で引っかかる何かは取れない。




所在の分からぬ気持ちに答えを出せないおれに「船長も素直にショウトが心配だって言えばいいのに!」と能天気に笑うシャチに痛いくらいに肩を叩かれ、殊の外むかついた。



そんなんじゃねェと嘯くも、
患者と医者、取引相手同士、おれ達の関係にそれ以上の名前など思いつきもしない。




ただ。

弱いくせに、微笑みを絶やさない羽根屋の姿が目に焼き付いて離れないだけだ。











医務室の椅子に腰掛けながら、眠る羽根屋を見下ろした。

布団から出ている白い右手はおれの左手を弱々しく握りしめ、それに応えるかの様に殆ど無意識に自分も彼女の掌を握り返していた。



まるで幼い子どもの縋り付く手だ。
不安げで弱々しくて、非力。
それでも内包する恐怖心と戦うかのように時折、苦しそうに呻きながら強くおれの掌を握る。



彼女の非力さを物語る白い腕に言い知れぬ苛立ちを感じた事もあった。
言いつけを守らないと酷い目にあっていたと言うことも、本人の様子から知っている。



しかし、彼女の手足が力強く生命の躍動を描くことを知っている。



点滴に繋がれた左手はずっと、彼女の首にかかるネックレスを握ってしめて離さない。
小瓶に入っている黒い羽根は余程大切なものなのだろう。



「俺も見張り手伝ってくるね!」
「ああ……」


パタパタと医務室を出て行くベポを視線で見送った後、もう一度視線を羽根屋に戻す。


島から遠ざかれば遠ざかるほど雷鳴も小さくなり、今は遠雷が微かに聞こえる程度になった。


だからか、幾分羽根屋の表情も柔らかくなったような気がする。
島にいた時は苦悶の表情に魘され続けていたが、今は割合穏やかに眠り続けている。




空いていた右手で頭を撫で付けてやる。

すると眉間の皺が緩み、どことなく安心したように表情を緩めた為、気まぐれにその手を頬まで撫で下ろす。


おおよそ3日ほど何も食べることが出来ていないからか、少し頬の肉が痩けてしまった。
そのまま頬を親指で撫でていると羽根屋の睫毛が僅かに揺れ、薄っすらと瞼がゆっくりとあがる。



起きたか。そう思って頬にやっていた手を離そうとしたが、微睡んだ表情で羽根屋はネックレスを握りしめていた手を離し、頬に置いた俺の手を上から包んだ。



「この…手、すき」

ふふ、と気の抜けた譫言のように呟き、目を閉じて俺の手に猫のように頬ずりすると、へにゃりと幸せそうに笑いそのまま眠りに戻ってしまった。



「………、っ」


思いもよらない不意打ちに、足の爪先のあたりからゾワゾワと掻き経つのは庇護欲。


思わず彼女の頬に当てた手とは反対の自分の手を離し、おれは顔を覆って思わず大きく溜息をついた。


お前はきっと目が覚めて、このことなんか覚えてなんかいないだろう。
ほとんど無意識に近い中、蕩けた顔でした頬ずりに、かえって胸が騒がしくなる。



もう一度、深く大きなため息で気持ちを落ち着け、顔を覆っていた手を離す。
チラと羽根屋を見るも、未だ俺の右手を頬に当てたまま気の抜けた顔で眠り続けている顔が、今度は恨めしい。むかつく。



あんなに泣き喚いていた癖にと、その安心しきった顔が癪に触るも、まあ……、悪い気はしない。



だと言うのに。
それから半日後に目を覚ました羽根屋が開口一番、ボサボサ頭で「お腹空いた…」と盛大な腹の音を鳴らして放った一言に、
全てが台無しになった気分になった。

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