小説 | ナノ


03

※暴力的な表現があります。







それがいつから始まったかなんて覚えていない。

ただただ、恐怖と不快感とどこまでも底が無く落ちていく感覚はよく覚えている。



「雷の日は飛べないだろう?」


そう言って、鎖に繋がれた足をベッドの上に乱暴に引き寄せられる。
嫌だとどれだけ叫んでもニヤニヤと下劣に笑う顔は私の身体を触る手を止めてはくれなかった。


ジャラジャラと冷たい鎖が素肌に触れる度に、自分の身体がどんどん冷たくなっていく。




反対に、雷の日にあの男の機嫌が悪いと、ひたすら殴られたし蹴られた。


顔は傷が残ると商談に響くからと言っていたけど、最終的にそれも関係なくなっていた。


逃げようと思っても、足の鎖を力任せに引っ張られて男の元に引き摺り戻されては、倍以上の力を叩きつけられるから、身体を丸くして耐えるしかない。
早く意識を失ってしまえと自分の身体に何度も願った。





雷鳴が鳴る日に与えられるのは苦痛と憎悪と、異物感と吐き気。



ドロドロとした黒いものに全身を覆われながら頭を過ぎるのは、

これがシスターや皆じゃなくて良かった。
こんな思いをしないで済むから、彼女たちは殺されて良かったんだ。と、


そんな途方も無い絶望だけ。




穢されてしまった身体がどうしようもなく汚く思えて仕様がなかった。自分の身体が憎らしくて仕方なくて、自分がどんどん大嫌いになる。


殴られた方がまだマシだと思ったけれど、
殴られれば、天気なんか無くなってしまえ、どこも照らすこと無く闇一色で染まってしまえば良い。神様なんてどこにもいないんだから。と天に向かって唾を吐いた。



入れ墨を足に掘られた時は一晩中涙が止まらなくて、そんな私を嘲笑うように、ワザと足の入れ墨を見せる様な服を着させれるようにもなった。

もうどこにも逃げられないと、
お前は俺のものだ、と所有の証を身体に纏わせることで残酷なまでの事実を、あの男は突きつける。




早く終われと願う行為。



与えられるの数々の痛みに、
泣いても、叫んでも、声が枯れても、血が出ても、何処にも逃げ場なんて無かった。





だから、雷の日は嫌い。







*******





「落ち着いて眠っています」
「そうか」


ペンギンが予め指定した時間にやってきて、医務室に居る羽根屋の様子を伝えた。
ソファーで仮眠を取っていたおれは起き上がりながらそれに応える。




昨夜は羽根屋を落ちつける為に医務室を離れられなくなってしまい、已む無く子電伝虫で就寝中のペンギンを叩き起こした。


慌てて駆けつけたペンギンに開口一番、落雷による潜水艦の動力にトラブルが無いかの確認をおれの代わりにしろと伝え、不寝番のクルーと共に何かしらのトラブルが発生していないかの確認させた。



落雷によるトラブルは特に無かったものの、
半ば朦朧とした状態で暴れる羽根屋の様子を一目見たペンギンは、それがただ事ではないことをいち早く察知し、おれをサポートする形で適切な対処をとりはじめた。


付き合いが長いと説明しなくても伝わる事は多く、無用なやり取りをしないで済むことは助かる。


ただ、それと合わせてペンギンはある種余計な事にも気づいていた。
先日寄った島で買った本に読み耽るなどしてここ最近、おれがまともに寝ていないことだ。


そして自分が羽根屋の様子を見ているから仮眠を取るようにと、進言……と言う名の強制をおれに提言してきた。

有無を言わさないペンギンの無言の圧力に、
まったくタイミングの悪い…と、最近航海が安定していた事もあり徹夜続きだった己の船内での生活と、羽根屋の突然の異変との間の悪さに内心、誰に向かうでもない舌打ちを禁じ得なかった。



鎮静剤が徐々に効いてきたのか落ち着いた羽根屋が微睡に落ちている内に早く寝てくれ。今がチャンスだ。とばかりに文字通り医務室から叩き出されそうになり、
俺の背中を押す手に慌てて指定の時間に起こしに来ることを伝えると、はいはい、と至極気軽な返答が返ってくる。


時たま過剰になるクルーに溜息を吐きつつ、彼の厚意に預かる事とし、船長室で仮眠を取る事にした。




そして今も今のところ羽根屋は落ち着いて眠っているそうだ。




「一体何があったんですか?」


心配そうにペンギンが問うてくるのも無理もない。

急に呼びつけられた上に、動力の確認後、
医務室で雷が鳴る度に錯乱状態に陥る羽根屋を何とか2人がかりで宥め賺し、押さえつけ、鎮静剤を打った。

そうして落ち着きを取り戻したところでペンギンの申し出を受け、休めと言う彼の勢いもあり、おれが仮眠をとる為に船長室に戻ったことから、彼は詳しい内容を知らない。
状況を鑑みて聞くタイミングを伺っていたのだろう。




「雷が引き金になってパニックを起こしたみてェだな」
「トラウマ…、か」


ペンギンが息を飲んだ音が聞こえた。
パニックに陥る中、おれやペンギンが身体に触れることを強固に拒んだ事や叫んでいた内容から何に怯えていたのか、想像する事は難くない。



恐怖に染まった瞳で、自分の身体を守るように縮め、放っておけば雷の音から逃げるように自分の身体を痛めつけようとする。


それをやめさせようとすれば、大袈裟なくらいに身体を震わせて、腕で頭を庇う仕草をしたり、
服を脱がされないよう自分の襟首を必死に押さえる羽根屋が一体何をされたかは本人に問うよりも明らかで、痛々しかった。




そして彼女が自分で深々と刺していた左足の刺し傷は、牛を模したツノを生やす仮面を丁度割っていた。


一切の加減の無い真新しい自傷の跡。
ボロボロの状態の羽根屋をこの船に連れて来た当初から不可解に感じていた、太腿の傷跡の理由に腹落ちするも、
左の外腿にある刺青を意図的に狙い、今まで何度も自分で自分を刺し続けたという事実は変わらない。



バカな事を…と苦々しく思うも、
仮にその刺青が本人の本意では無く彫られたものであるなら、その気持ちは推し量れない。



「想定してなかったわけではありませんが……」


運び屋として働かされていたという場所が裏社会である事を含め、録でもないところだったと言う事は確認するまでも無い。

そこで半ば奴隷のような、能力者であることを良い事に道具として扱われてきたであろう事は、本人の口から語られる事は無いにしても薄々勘付いていた。



しかしいくら想定出来る事だといえど、錯乱する彼女を目の当たりにすれば、あまりにも酷い状態だと言いたいのだろう。
肩を落として悲嘆さを滲ませながらペンギンが低い声で唸った。


普段天真爛漫に笑う羽根屋が涙を流して暴れる姿はまさに異様だった。
大抵のことはいつも冷静に対応できるペンギンであってもショックを隠し切ることは出来なかったのだろう。
悔しそうに床を見つめる自船のクルーの顔に深く影を落とす帽子のツバを見つめた。



ーーローさん!
太陽の光と、それを受けてキラキラと輝く海のしぶきを背に笑う羽根屋が脳裏をチラつく。



船長室に重苦しい沈黙の時間が流れたが、先に静寂を割ったのは握り拳を解いたペンギンの方だった。


「……、船は1時間前に島に到着しました。上陸の準備は出来ています」
「物資の調達の手筈はシャチとベポに任せる。お前も少し休め」
「わかりました」
「ログは何日必要だ?」
「2日です」


2日か……。
それまでこの島特有の気圧の急激な変化によって何度も雷鳴は鳴り響く事になる。
つまり、羽根屋にはその期間、酷な状態が続く。



「本来ならこの島で下船させてあげたかったですね。次の島は確か……」
「あんな状態じゃ、そういう訳にもいかねェだろ」


水分を摂ることもままならず、飲んだ先から吐いてしまう羽根屋の状態を考えるとこの島での下船は叶わないだろう。

安全が確認できる島に下ろしてやると約束した手前、この島で羽根屋を下船させるわけにはいかなかった。



「みんなには伝えますか?」
「…隠しようもねェな」


何かと羽根屋を気にかけるクルーは多い。
上陸しないとなると彼女の様子を確かめに医務室を訪れる事になるだろう。


そこで水分補給もままならない為に点滴を打ちながらぐったりとベッドに横になる羽根屋を見れば誰もが本人や周りのクルー達に問い糾し、結局その都度、事情を知るおれやペンギンが説明することになる。


クルー達に変な勘ぐりや心配をかけるぐらいであれば、こちらから簡潔に羽根屋の状態を伝えてやる方が得策に思えた。


「触れられたくない過去のはずだ。トラウマの背景には触れてやるなよ」
「勿論です」


前の島での2日はあっという間に感じたが、今回の島の2日は長くなりそうだと、遠雷の気配を漂わせた黒い雲が広がる空を窓から見上げた。


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