小説 | ナノ


10.But dreams live on

それから天気の良い夜は羽根屋の踊りを見ることがある種の日課になっていた。


夜な夜な羽根屋が甲板で儀式めいた、奇妙な事をやっているという噂の事の次第をペンギンに伝えた所、その場に居合わせたシャチ、ベポたちがその様子を是非見てみたいと騒ぎ出し、その勢いのまま羽根屋の元に押し掛けた。

そんな一悶着があった後、いつしか夜の甲板は羽根屋の小さな舞台になった。


最初は、恥ずかしいから1人にしてくれと言う羽根屋も、ベポとシャチ、ペンギンによる3人掛かりの必死の説得には根負けしたのか、視界に入らないなら良いと承諾していた。

だがそれが二回三回と続いた今となっては別に気にしていない様子だ。諦めたのかもしれない。



今日の踊りは「青い鳥を待つ王女の役」だそうだ。青い鳥じゃねェのか、と尋ねるとそれは男性ダンサーなのだと言う。
何かしらの物語があるようだが生憎そこまでの興味は無かった。

白鳥の時とは違い、青いスカートを履いて鳥のさえずりのような音楽に軽やかでメリハリのある明るい踊りだった。



「凄ぇ…」
「綺麗だなー」
「ショウト、カッコいい」


シャチ、ペンギン、ベポがおれの隣で踊りに見惚れながら呟く。
些か語彙力に乏しい賞賛だが、確かに羽根屋の踊りは惹きつける何かを持っていて、見るに値する。



踊り終わった羽根屋がおれたちに向かって膝をゆっくり曲げて、手を優雅に上から下ろしながら礼をした。
観客に踊りが終わった後に見せるお辞儀だそうだ。彼女の簡単な解説を思い出す。


パチパチパチと拍手の音が聞こえると、羽根屋は表情を一変させ照れたように笑いながら手をひらひらと振った。



上着を着てトコトコと照れ笑いをしながら此方に向かって歩いてくる羽根屋にカップに入った紅茶を差し出す。コーヒーより紅茶の方が好きだと気づいたのは最近だ。

それを礼と共に嬉しそうに受け取ると、大して熱くもないのにフーと息を吐きかけている。
おれもぬるくなったコーヒーに口をつけた。



「ショウトの踊りは、誰かに教わったの?」
「育ての親が昔、旅の一座のダンサーだったの。
育った町も、踊りと音楽が有名な町で」


育ての親とは教会のシスターでもあり、孤児院の親代わりでもあったと言う。
そうなんだと感心するベポの横でシャチが懐にしまっていた時計を確認した。


「やべ、不寝番の交代の時間だ」
「俺たち行くな。良いものを見せてくれてありがとう、ショウト」
「俺も眠くなってきたから、もう寝るね。おやすみキャプテン、ショウト」


シャチとペンギンは不寝番の交代へ足早に立ち去り、ベポは眠くなってきたと欠伸をしながら船の中へ戻っていった。



「おやすみー」

手を振りながら3人を見送る羽根屋は、まだ船内に戻るつもりは無いらしい。

そのまま羽根屋と甲板の壁に2人で背中を預けて静かな海を望んでいると、幼い頃に見た、ある一座の舞台がふと思い浮かんだ。


白い町に来た、華やかなダンサーたちの様々な踊りが、芸術など分からなかった幼い自分にも美しく眩しく見えたことを覚えている。


「過去に、一度。同じような踊りを見た事がある」
「何かの舞台ですか」
「幼い頃に一度見ただけで、演目は忘れちまったが」



あれは何という題名の舞台だったか。
特徴的な音楽は何となく覚えているような気もするが、それを伝える術もない。




羽根屋はしばし両手にもつカップの中身をジッと見ていたが、ややあって徐に口を開いた。


「舞台を見た季節を、覚えていますか?」

確か……良く雪が降る季節だった。

フレバンスの白い街並みに、柔らかい灯と深々と降り積もる白い雪を思い出す。
ラミと手を繋いで歩く母様が素敵なプレゼントだと、隣を歩く父様に嬉しそうに言っていた。



確かあれは…

「クリスマスの頃だったか…」



それだけでピンと来た顔をした羽根屋が、ごそごそと自分の鞄の中を探し始める。
そうして一つのトーンダイアルを手に、此方を振り向いた。



「きっと、これです」



カチリとトーンダイアルを押した後、俺の手にダイアルを手渡してくる。


聞こえてきたのは神秘的で静かに煌めく曲だった。


鉄琴が奏でる冷たさと儚さを感じさせる特徴的な音が、幼心に耳に残るとぼんやりと感じていたことを思い出した。


手元で音を奏でるトーンダイアルをじっと見つめ、音楽に聞き入っていると、
あの幸せな家族の笑顔と、手を取って歩く掌に伝わる温もりと踏みしめた雪の感覚が蘇り胸のあたりを擽る。



「お話自体がクリスマスのお話なんです。
踊りも可愛らしいものが多いから子どもも一緒に楽しめる物語です」


舞台の光景はもはや断片的にしか覚えていない。
だが、たしかに色とりどりの飾りに彩られた煌びやかな世界に、ラミも母様も目を輝かせて魅入っていた横顔は、よく覚えている。父様もそんなおれたちを優しく見守ってくれていた。



「踊れるのか」
「はい」


短くハッキリと答えた羽根屋がカップを床に置く。上着を脱いで欄干にかけると前と同じ様にスカートを羽根で彩った。


今度は白ではなく薄いピンクの羽根だった。
トゥシューズのつま先を片足ずつギュッと床に押し付ける動作は靴に足を慣らすためのものらしい。


もう一度トーンダイアルを押すと上半身は柔らかく、細やかな足さばきで羽根屋が踊り出す。

繊細で甘い菓子のようなその踊りは、音と相まって腕の動き1つ1つが、金粉を撒き散らしているかのごとくキラキラした印象を受けた。



人は忘れゆく生き物だ。
忘れがたい過去の日々は、あまりにも断片的でとめどない。

幼い頃の切ない程に痺れを抱く、さまざまな日常の思い出の中には、胸にしまっているうちに川底の泥に埋もれる様に形がわからなくなってしまった記憶もある事は理解している。
それらが微かな気配を残しているのに、もはや自分の手が届かないところにあることも。


それに気づいても救い上げる術がないことを諦めているうちに日常の喧騒にさらわれて遠のいて、薄れ、消えていってしまう。

時間が経てば経つほど、そう言った記憶たちが気配さえも分からなくなるほど霞んでいってしまうことは、ある意味仕方のないことだとも思っている。


過去は過去だ。

そう割り切る自分もいれば、同時にそれを寂しく思う自分もいた。


彼女の踊りを通して、忘れていた一つの思い出が揺り動かされて蘇り、胸が熱くなる。
家族で過ごした幸せな時間は、こんな場所にもあったのだと目蓋の裏に蘇る遠い記憶に想いを馳せた。



羽根屋が膝を曲げて挨拶をする。
先程とは形が違う。それぞれの曲にあった挨拶があるのだろう。



「もし音楽が気に入ったのでしたら差し上げます」
「いや、いい。また踊ってくれ」


トーンダイアルを返しながら言うと、嬉しそうな顔で頷いていた。



「色々な踊りがあるもんだな」
「シスターからはたくさんの踊りを教えてもらいました。お姫様の踊り、村娘の踊り、妖精の踊り…それから、踊ってはいけない踊りも」


また先程と同じように壁に寄りかかり、月を見ながら話し出す。
床に置いたカップに手を伸ばしながら話す彼女の過去形の言葉から、羽根屋にも戻らない過去があるのだろう。

詳しくは語られないながらも彼女の経歴から察するに、もうそのシスターとやらはこの世には居ないのかもしれない。



「教えてもらった踊りを自分のものにする為には、もっと世界を見て回って、色んな景色や感情に触れる必要があると気づきました。
まだまだ私の知らないものが沢山あります」
「…そうか」


握り拳を作りながら夜空を見上げる羽根屋の目には、期待と希望が輝いていた。
羽根屋の純粋な願いにこちらも口角が上がる。
カップに残ったコーヒーをぐいと飲み干すと、羽根屋の頭に手を乗せる。




「お前の安全が確認できる島に責任持って下ろしてやるよ」



身体の怪我が完治した羽根屋をどこかの島に着いたから降りろと闇雲に言うつもりは無かった。
しかし、それを約束するつもりも毛頭なかった。
この海での航海に絶対はなかったからだ。


願わくば彼女が自由に飛び続けられる場所へ解き放ってやりたい。
そして誰にも捕まることなく彼女の人生を歩んで欲しい。

それは殆ど願いのような気持ちだった。




参考
眠れる森の美女より フロリナ姫のヴァリエーション
くるみ割り人形より 金平糖の精のヴァリエーション


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