小説 | ナノ


03

それを見た時、羽化だと疑わなかった。



羽根屋が月光の下で白い羽根を伸ばし自らの身に纏い始めた時、御伽噺に出てくるような美しい妖精のようだと柄にも無く息を飲んだ。



心臓を抜いて欲しいだのと、およそ正気の沙汰では無い事を言い出した羽根屋が一体何をしようとしているのか。
今夜もポーラータング号のマストの上から甲板の様子を見下ろす。やりたい事というのが踊りに関係するものだと想定していたからだ。





−−ー"アグリーダック"の元々の意味は、美しい羽根をいつまでも形成しない私への侮蔑と揶揄だったのですが…。


以前賞金首に襲われた時に自嘲気味に言っていた言葉が船にぶつかって音を立てる波の合間に蘇る。

自分の異名について話す彼女のとても寂しそうな笑顔が、嫌に目に焼き付いて離れなかった。



しかし月の光を受けた白い花が深く息を吐くように、ゆっくり蕾を綻ばせる様を想起させる彼女の姿を目の当たりして、

美しい羽根が形成出来なかったのではなく、その存在を自分の内にひた隠しにしていたのだと胸の裏側がザワリと疼く。



美しい姿を隠して、誰にも見せずに生きる。
それは自分の尊厳を守る為のせめてもの抵抗だったのだろうか。


その抵抗により羽根屋は自分を保ち、皮肉にも同時にアグリーダックと呼ばれるようになったのだろう。





なんて不器用な生き方だと思う。
同時にそれは彼女の気丈さでもある。





月の明かりを落とす甲板で羽根屋が踊っているのは、先日も見た死に瀕した白鳥の舞のようだ。



だが、あの時と格好が違う事も相まって、手足をしなやかに扱い踊る彼女の様相は全く違って見えた。  



体型で言えば平均。
均整の取れた細くしなやかな筋肉を持っていることには治療の折に気づいていが、良くダンサーに見る痩せさらばえた体型でもなければ、ふくよかな体型でもない。


それでも、踊り手の持つ表現力ゆえなのか。
伸ばされた手足が夜の闇に白い軌道を描き、仄かな余韻を薄く残して消えていく様は見るに値する程、美しかった。



以前はどことなく当惑の雰囲気を感じさせたが、今は吹っ切れているのか凛とした空気をその身に纏っている。





羽根屋がこのまま本物の一羽の白鳥になって、羽ばたいて遠い夜空へ消えてしまうのではないか。



そんな錯覚に陥り、雑感を振り払うように首を軽く左右に振った。
それでも頭に過った無意識の空想は、インクの滴を水の張ったコップに落としたように思考の隙間にこびりつく。




この手から飛び立ってしまうなら、繋ぎ止めておきたい。
衝動的な考えが体の中を駆け巡り一瞬目が眩む。



それ程まで気高く美しく、それでいて儚い。





羽根屋のしなやかに伸ばされる足首を見て、タイツの下に隠れた傷跡の記憶が浮かぶ。

無数に残る傷跡から察するに、恐らく羽根屋は長い間足首に鎖か何か、足枷を課せられていた。




空を飛べる羽根屋の能力故の足枷だと思っていたが……恐らく心まで飼い殺すための足枷だ。



唐突な閃きの如く、彼女の足首の傷跡の意味を理解して、居心地の悪い感情の渦が心を浸した。



羽根屋がどこにも飛び立っていかないように、手の内に留めておくように。


彼女を物理的にも、心理的にも縛り付けて離さないための、所有者としての欲。
戻ってくる場所を決して間違えるなと教え込む、躾という名の束縛。







心臓を抜取らなければ良かった。


バカな考えが頭を掠める。

おれの手元に彼女の心臓がある事で、羽根屋がどこかに飛び去ってしまったとしても必ずここへ戻ってくると、安堵する自分がいることが腹立たしい。



目の前に耽美なものがあれば手の内に入れたいと考える事は海賊として当然なのかもしれない。

だが彼女を縛り付けていた顔も知らねェ奴と同じ、固執を纏った思考を辿った事への自己嫌悪に思わず顔が歪む。




こんな考えに至るのだったら、心臓なんか取らなければ良かった。


この羽根屋の命をかけたような舞は、そもそも心臓を抜き取ったからこそ、実現している。

それなのに一瞬でも、らしくない執着心とも呼べる気持ちに駆り立てられた事が眉の間を曇らせる。




それにしても。
死を望むように踊る羽根屋は気づいているのだろうか。



死を纏い踊っているその身には、
死への希求だけではなく、生への敬虔さをも感じさせるということを。


その敬虔さ故に命が一層の光を持って輝いていることを。



ついに白鳥は最後の力を使い切り、生き絶える。
地に伏した羽根屋は暫くピクリとも動かなかった。


呼吸をしていないようにも見え、駆け寄るべきかどうかと考えあぐねていると一陣の風が頬を撫で行き、咄嗟に帽子を片手で押さえた。



その瞬間、
ヒュッと羽根屋が息を吸った音が耳に届き、同時に青白い肌が色味を帯びていく。




ゆっくり近づくと、羽根屋がひたすらに呆然とした顔で此方を見続けた。



おれを視界に捉えた時、羽根屋の瞳の奥に鮮やかな色彩を含んだ光が宿った気がした。


そうかと思えば大きな目が見開かれ、透明な滴がまぶたに溢れ、月の光をキラキラと反射し始める。

堰を切ったように幾つもの大粒の涙が溢れ、薄く色づいた頬を伝い甲板の板を叩き、木材の色を変え消えていく。



その様子はまるで月影に輝く透き通った宝石が散っていくようだと、遠い昔にどこかで読んだ絵本の記述を思い起こさせた。



顔を覆い膝を抱えながら、声を上げて泣く羽根屋を労わりたいような気にもなる。


だが、同時に泣いている彼女が心の内に感じたものは、誰にも触れることのできない尊いものであるような気もして、ただただその小さな身体を見守るしかなかった。


prev / next

[ back ]



×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -