小説 | ナノ


02

手の内で鼓動する命の象徴



それを手に取った時、
胸が熱くなる喜びと、
底知れぬ恐怖が身体の芯から沸き起こった。




この心臓が私を生かしてきた。




そう思うとなんとも感慨深い気持ちに包まれる。



そして、
月光に照らされる甲板に立つ私の胸には、今、ポッカリと四角い空洞がある。



目を閉じて自分の身体に耳をすませてみても、あの鼓動はどこにも感じられない。





私は今までで一番死に近い状態にいる。








白いノースリーブのレオタードに身を包んだ私は、能力で白鳥のチュチュを作り出す。




ハリのある硬めのチュールでできた、
水平に広がる、丈の短いクラシックなスカートをイメージして、白い羽根を腰から幾重にも広げる。




最後に額の上から左右それぞれに分かれて耳元を通り、髪の後ろまで白い羽根で彩る頭羽を作り出した。





今まで白い羽根は作ってこなかったけど、
それは能力で生成出来なかった訳じゃない。






あんな下卑た場所で、
美しいものになんてなりたく無かった。





力で対抗できない私ができた精一杯の抵抗。




それが、美しいとされる為に能力を使わない事だった。





この能力は生きる為に必要な能力だけど、
貴方達の目を楽しませる為のものなんかじゃない。




そんな私の意地のような抵抗を知ってか知らずか、彼らは私をアグリーダックと呼んだ。




いつまでも未熟で不格好な鳥だと揶揄したその異名は、酷い皮肉でありながら、


私に出来た数少ない、自分を守った証でもある。





胸元にチラリと見える空洞を見下ろして、胸に手を当てた。




心臓のない身体には大きな負荷がかかるみたいで、息苦しさと気怠さが全身に纏わり付いて重い。




それでも何故か、
身体がいつもより熱を持っている感覚に包まれ、頭は妙に冴えわたっていた。







もう難しい事を考えるのはやめよう。




自分の感覚や感情に身を任せてみよう。




最後に何も残らないなら 、

そのまま死んでしまおう。








目を閉じて息を細く静かに吐き出して、トーンダイアルをカチリと押した。





ーー中指長く 親指は根元から折り込んで…



 

無心で踊ると、不意にシスターから良く注意された声が聞こえた。




その厳しくも優しくて、懐かしい声に引っ張られるかの如く思い出すのは、シスター達と一緒に暮らしていたあの幸せな生活。



子どもたちの高らかな笑い声が響くあの柔らかな温もりに包まれた場所。





もう二度と、取り戻せない幸せな空間。





私はみんなと一緒に居たかった。
今だってその想いは変わらない。






白鳥は遂に力尽き、曲の最後は地面に伏せて終わる。





このまま息が止まって、海の底へゆっくりと沈むように静かに消えてしまえたら良いのに。




そしたら、みんなに会えるかもしれない。




そう思いながら、目を閉じてソッと息を止めた。







一段高い波の音が大きく響く。





その大きな音と同時に通り過ぎていった風が、
まるであの人の手みたいに2度、頭を優しく叩いた。







その瞬間、






瞼の裏に、


海の中から見上げた、
キラキラと七色に鱗を輝かせる魚群が通ったかと思うと、

色とりどりの鳥たちが、ザァと視界を埋め尽くすほどに羽ばたく光景が広がり、




色彩豊かな羽根が視界を覆った後には、

青く、何にも阻まれない広大な空が見えた気がした。





ーーもっと、この世界を自分の目で見てみたい

ーー自分の意思で誰かの為に生きたい







激しく胸を打った叫び声に、ハッと覚醒する。





視界が急にひらけて、
今の今まで目に見えない重りを全身に身に纏っていたかと疑う程に、身体から何かが剥がれ落ちた様な、


爽やかで軽やかな、まるで、
羽根になったのかと思うほど身体や意識がスゥッと軽くなった。



その浮上するような感覚に思わず、
ヒュッと僅かな音を当てて、呼吸を止めていた唇が酸素を吸い込む。




感極まる体験に打ち震えて、
地面に伏せたまま立ち上がれないでいると、

コツコツとゆっくりヒールが甲板の板を鳴らす音が聴こえて、


バサリと身体に温かい何かが掛けられた。




「やりてェことは出来たみたいだな」




それは、
今しがた死を受け入れようとしていた私を引き上げてくれた人に、他ならない。






「はい……、はい!」



何故、
ローさんが良くしてくれた仕草が世界を彩るきっかけになったのだろう。


自分でもよくわからない。


けれど、重傷を負った私を治療をしてくれたローさんにとても深く恩を感じているし、
頭を優しく叩いてくれる行為は毎回好きだった。


その仕草は不思議と、自分の胸の奥に眠る勇気や優しさに触れて、心をじんわりと暖かくしてくれるから。





訳もなく涙が溢れてきたけれど、それよりも嬉しかった。




生きていたいと、初めて思えた。


生を享受した胸に宿った熱く燃える熱に、快哉を叫びたい。




姿勢を直し座ったまま、ローさんがかけてくれたコートに身を包むと、
爽やかでほのかに甘く香る彼の匂いと微かな薬品の匂いが心地良くて、なんだか安心する。




「ありがとうございます、ローさん……!」
「礼ならもう良いと言ったはずだ」



どれだけ手で拭っても次から次へとポロポロと溢れては零れ落ちる涙。

ついには涙を拭くのは諦めて、手で顔を覆った。



この船に乗ってから、嬉しくて泣いてばかりいる。




膝に顔を埋めて子どもみたいにわんわん泣く私を、ローさんは何も言わずにそばに立ったまま見守ってくれた。





*******





「死にたいと思う時は、いつもこの踊りを踊っていたんです」



欄干の前に立ちながら、先程投げ渡されたラム酒の瓶を弄ぶ。


大泣きした後で頬や目蓋がひりひり痛むけれど、
心は信じられないくらいスッキリしている。



隣ではローさんが欄干に背を預けながら酒瓶を傾けた。




「生きる約束をしたから、生きなきゃいけない。
その為に、精神的に何度も死んだんです」



矛盾していると言い草だと思う。


生きていくためには、何度も自分を殺さなければ精神を保てなかった。




「でもこの船に乗せてもらってから、死にたい気持ちも無くなってしまって」



夜の波が船縁にぶつかって弾ける。


1人で越えた夜の海は深くて、どこまでも真っ暗で、
深海の奥底から、はたまた海面の近くから、大きくて無数の何かに見られているような気持ち悪さが怖くて、とても嫌いだった。


その引き込まれる様な不気味さに逃げ出したくなっても、
助けてくれる人も逃げ出す場所もどこにも無いことを、この暗い海は冷酷に私の目の前に突きつけて、

自分が一人ぼっちなんだと言う事実を、嫌と言う程思い知らされ続けた。



けれど何故だろう。
今は、波の音さえも優しく聞こえる。




「これからを生きる気力も無いのに、今まで縋っていた踊りもできなくなってしまった。
だから、一度本当に死んでみたら何か分かるのかと思ってローさんに、お願いしたんです」


「……とんでもねェ理屈だな。理解できねェ」




確かに、とんでもない。


怪訝さを隠しもしないローさんの声色と、自分の発想の突拍子も無さに、思わずクスクスと笑いが溢れる。


でも、こうするしか思いつかなかったのだから、相当追い詰められていたと我ながら思う。



「何も感じなかったら、いっそ、そのまま死んでしまおうと思っていたのですが…お陰様で今はそんな事思っていません」

「そうか」


ローさんの短い返答に、
せっかく治療してくださったお医者様を前に言うことじゃ無かったな。と言った後になって反省が頭を掠める。



「あの……ごめんなさい」



欄干に背中を預けたローさんが、少しだけ身を起こして、視線をこちらに投げた。


脈絡のない謝罪を受けた彼の瞳に、困惑の色はない。
ただ、続きを話してみろ、と促していた。



普段クールで感情の読み取りにくい人かと思っていたけれど、彼はこうして所作や身に纏う空気から言外に語りかけてくれる。





「せっかく、ローさんが救ってくれた命なのに。勝手な事を…」



いっときでも本気で命を手放そうと考えたこと。

自分のことに精一杯過ぎて、この命を誰に救ってもらったのか失念してしまっていた。


シスターとの約束を除けば自分の命の価値になんら興味は無いのだけれど、
この船の人たちへの恩は決して軽く見て良いものじゃない。




「……元は契約だ」



細く息を吐き出した後に続いた、ローさんが言葉少なく呟いた意味は多分わかる。



武器の情報を得るために提案した契約に則って行った治療であって、命の所在は私自身にあるということだろう。




それでも、命を救う医者として看過できる事態では無いだろうに。


ローさんは私のやりたい様にやらせてくれた。




ちゃぷちゃぷと瓶の中で揺れるお酒を月光をに反射させてみる。
  

キラキラと揺れる様が綺麗だと思いながら、まるで夜の海が閉じ込められているみたいだとふと思った。




あんなに怖かった暗い海が、この瓶の中では美しく輝いている。




透明に纏っていた重りが剥がれたからなのか、
生きることを美しいと思えた今だからなのか、


それとも、ローさんが隣にいてくれるからなのか。



波の音は船に当たって優しく弾けて、瓶の中で揺れる海は怖くなかった。




しばらくなんの気は無しに、揺れては光る瓶の中の世界を見ていたら、ローさんが静かに口を開いた。




「外傷は治してやれる」



上を見上げたローさんがどんな瞳でいるのか。
彼のトレードマークとも言える帽子の濃い影に隠れて私からは見えない。


それでも低く呟く様に言った言葉は、殊の外柔らかく降ってきた。




「命を繋ぎとめる事はできる。
だが……命の在り方を決めるのは、おれじゃねェ」





ローさんが足元に置いてあった小さな宝箱を屈みながら開けると、そこには心臓が一つ入っていた。



それを宝箱から取り出すと、ローさんの長い指が心臓を掴んで私の掌の上に静かに置いてくれる。



どくどくと一定のリズムを打つ鼓動が掌に伝わる。



これが、私の心臓。



ローさんに取り出してもらった時は実感がわかなくて、
握り締めた時に走った、鋭く突き刺さる雷のような痛みに、漸く自分のものなのだと理解した。




今はどうだろう。




これが自分の心臓と言われても、まだ確固たる実感が実は、ない。



初めて手に取った時はその脈打つ鼓動に気を取られていたけれど、


大小様々な血管が皺の様に通っていて、それが脈打つ様子は少し……いや、かなりグロテスクだなあと、なんだか見てはいけない物を見ているような、不気味で、神秘的な気持ちになった。



わたしの体内にあって本来であれば見ることの無い内臓を改めて、まじまじと見つめる。



こんなグロテスクな物が命の源で、
命に向き合うということは、
ともすれば目を背けたくなる様なこの不安で不思議な感覚から、目を背けずに向き合うという事なのかもしれない。


そう考えると、知りもしない医療行為の尊さの一端に触れた様な気がした。




それにしても心臓をピンポイントで摘出するローさんの技術は、人体の構造を知り尽くしているからこそできる妙技なのだろう。


やっぱり素晴らしい技術を持ったお医者様なんだなとしみじみとした思いに浸りながら、くるくると上や下、上下にキューブ状に取り出されている心臓を観察してみる。



すると、頭の上から手が伸びて来て最初に手渡された時と同じ方向に、心臓の向きを直して離れた。



「向きはこのままで良い」




心臓を両手に持ちながらローさんを見上げると、彼は温かく見守る様な柔らかい眼で私を見下ろしながら、軽く目を細めた。


蜂蜜色の瞳が綺麗で見入っていると、
心臓を元ある場所へ戻す事を促したのか、私の背中を軽く彼の掌で叩く。



心臓を元の場所に嵌め込む事に恐怖は感じていなかったのだけれど、なんだかその仕草に強く後押しされ、もう一度自分の心臓を見据える。





勝手に心臓を預けられたローさんは大変困ったことだろう。

それでも丁寧に、宝箱に保管してくれていたことが嬉しい。



ソッと心臓を自分の身体に嵌め込むと、今まで静かだった身体に血が通い出して、温かい血流が全身を駆け巡った気がした。




耳をすませると鼓動が聞こえる。





これから沢山の景色を見に行こう。
そしていつか、誰かの為に生きてみたいと思う。




「生まれ変わった私の新たな旅路を祝して」




明るく輝く月に向かって手に持っていた瓶を掲げる。


隣では欄干に背を預けて月に背中を向けていたローさんも、その姿勢のまま何も言わずに瓶を掲げてくれた。

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