小説 | ナノ


02

気づいたのは、ふとした瞬間だった。


朝目が覚めた時に、眠る前の自分とは全く異なっている自分になったような、そんな突然の違和感だった。


今までずっと心の中に宿り続けていた死への願望が薄らいでいる。



あんなに、いつも一緒だったのに。




いつどんな時だってついて回った何処と無い死への憧れが、心の奥底まで沈んで、一体どこに行ってしまったのか分からない。





マフィアに連れ攫われてから、鳥籠の中で、自分の命をまるで便利な道具のように扱われた。



もう死んでしまいたいと思った事なんて数え切れない程あった。



死んでしまった方が、きっと楽だと、何度も何度も死を請い願った。




マフィアから逃げ果せた後も、
組織の陰に、海軍からの追跡に、
怯えながら人との関わりをなるべく断ち、逃げ回るように生活していた時も、
心の中には常に死への憧憬がそっと寄り添っていた。




−−あなたは必ず生きて!!!ショウト!!!!!



私が死を選ばずに生きているのは、
燃える教会で、死の間際にシスターが私に叫んだ約束があるからだ。



私に生きる事を願い、悪魔の実に一縷の望みをかけてくれた彼女の切なる願いは、
今も私の中に息づいている。




それでも胸を掻きむしって、
強く、強く、
死んでしまいたい!
私は生きていたくなんか無い!
シスターに会いたい!
と、叫びたくなることは往々にしてあった。





そんな時、この踊りを踊っていた。



死に瀕した白鳥が遂に力尽きていく様を描いた踊り。


私もいつか、この白鳥のように死んでいきたい。


曲が終わったら、そのまま生き絶えたい。


そう思いながら死をなぞるように、
何度も何度も踊った。



私はこの踊りの中で、死にゆく白鳥に自分を重ねて何度も死んでは、仕方なく生きる事を繰り返してきた。





こんな死にたがりの為の踊りじゃ無い。


シスターは私にこんな、ただ息をするためだけの生を望んでいたんじゃ無い。


そんなことは分かり切っている。




死を選ばない代わりに、ただ生に縋るこの生き方しか出来なかった。

死を強く願えば願うほど、シスターとの約束が私を支えてくれた。







そうして14年生き長らえてきた。







それなのに。



それなのに、この船に乗ってから、
まるで変わってしまった。


私が負った怪我を、まるで自分も痛みを感じるかのように丁寧に治療をしてくれて、
温かい食事が食べられて、
楽しそうに笑う人たちに囲まれている内に、


周りに見えている景色が急に輝きだして、何もかもが鮮やかに見えた。




そして、常に耳元にあった希死念慮の思いがいつの間にか遠のいている事に、ふとした拍子に気付いてしまった。





どうしていいか、ちっとも分からなかった。



ずっと耳元にあった、死の縁からの囁きが聞こえなくなりつつあるなんて。




急に足場が無くなったような不安に喉がジリジリとする。


死を願うことで、なんとか生きながらえるような、脆弱な綱渡りで命を存えるように生きてきてしまった私には、


綱渡りをする為のロープの片側をしっかり支えていた「死」がぷっつりと切れてしまったような感覚さえ感じた。




ロープの片側が切れてしまえば、後は真っ逆さまに落ちていくしかない。
絶望感、焦燥感、不安。



死にたくなくなったからと言って、生きたいと思った訳ではない。

生きる意味は未だ分からない。



何とも気持ち悪い、答えのない気持ちに私は目眩がした。



自分の立っている位置がわからない感覚に、気が狂ってしまうのでは無いかという恐怖が足先からジワジワと競り上がってきた。




居ても立っても居られなくて、
夜中の潜水艦の甲板に躍り出て、死に臨む白鳥の踊りの一部分だけを、何度か踊ってみたけれど、何も心に響かない気がして途方に暮れた。


一曲全てを踊ってみる気には到底なれなかった。


それでも柔軟体操や準備運動をすれば少し気がまぎれる。

だから、潜水していない天気の良い夜は甲板で、少しの踊りと準備運動だけはやっていた。


 

ふと、全部踊ってみようと思いに至ったのは、
ただ何となく、とても月が美しかったから。


 
踊り切ったところで何も感じなかったら、
このまま何の手立てもなくジワジワと気がおかしくなってしまう気がした。
だから、なかなか踊りに至る迄、踏ん切りが付かなかったけれど……


ただ、ただ、見上げた月が綺麗だったことに何故か背中を押された。




荷物からトゥシューズを取り出し、
甲板から転がり落ちないようにトーンダイアルを欄干に結びつける。



ダイアルをカチリと押せば、耳によく馴染んだ音楽が流れる。


いつものように手足を動かすが、やっぱり踊れば踊るほど違和感を感じて戸惑うばかり。




ああ、やっぱり。
私はこのままダメになるかも知れない。






そんな気持ちで踊っていたからだろうか、足に重心が上手くのらずに情け無くも転倒してしまった。



強かに打ち付けた腰や足が痛むことよりも、心が空っぽで何も感じていないことの方がショックだった。




死にたくなくなれば、

生きたいと自然と思うようになって、

この踊りもすんなりと意味が変わって踊れるとばかり思ってた。




浅はかだったなぁ、と思うと乾いた笑いが意図せず零れ落ちる。



今の状態を一言で言うならば、


「しっくり来なくなっちゃった…」



真っ暗闇の中で、足場の頼りない場所に立っているみたいだ。


前も後ろも分からないし、どちらに進むにも道はない。





わたしは生きたいのか、死にたいのか。




死を願っていた時の方がまだエネルギーがあった。



こんな状態こそ、死んでいると同じじゃないのか。






涙なんて、出てこなかった。









*******




それから数日は散々だった。



何も手につかず、歩けば転ぶし、料理の手伝いをすれば指を切り、洗い終わった洗濯物もぶちまけた。


楽しみにしていた図鑑も読み進められなかった。



どこかボンヤリした気分が抜けずに、
毎日、食堂のカウンター席の壁側の一番端っこに座り、ボーッと海面を眺める日々が続いていた。



疲れているのかと心配してコックさんが紅茶を淹れてくれたけど、
それもいつの間にか冷めてしまっている。




どうしちゃったんだろう。



あれだけキラキラ輝いて見えていた海も、今では何も感じない。
あんなに美味しかった紅茶もなんだか味気ない。



ずっと心の拠り所だった踊りに何も感じないなんて、有り体に言えば、心の中にポッカリと穴が空いたみたいだった。




「あ、いたいた」



明るい声が聞こえてきたと思うと、そこにはベポちゃんがやってきた。
白いふわふわした毛並みがとても素敵と、ボーッとした頭の片隅でふわふわと考える。



「ショウト、どうしちゃったの?最近様子がおかしいって、みんな心配してるよ」
「ごめんなさい…」



私の謝罪を聞いたベポちゃんは、そうじゃないんだよ、と、私の手に優しく自分のふかふかな手を重ねて、心配そうな目でこちらを見つめながら眉を下げた。



「辛いことがあるなら、話して欲しいよ…ショウト、何があったの?」


言い含めるように穏やかな声で話しかけてきてくれるベポちゃんに、
温かいスープを飲んだ時のような、内側からじんと心が絆されていくようなぬくもりに包まれた心地になる。


裏表や悪意の全く感じない、優しい心遣いにポツリ、ポツリと言葉が勝手に零れ落ちた。



「……生きている事を実感するのは、どんな時?」


私の質問を聞いた時、ベポちゃんは目を丸くして面食らって驚いていた。



無理もない、こんな素っ頓狂な質問をされるとはまさか思わなかっただろう。


それでも何故そんなことを聞くのかと私に問いただす事もせずに、腕を組んでうんうん悩み始めた。
本当にこの子は優しくて、素直だと思う。


「うーんと、おれ難しい事は分かんないんだけど、ショウトと話したりご飯食べたりしてると嬉しいよ。これって生きている実感かなって思うんだけど……分かりにくい?」
「うーん」


なんだか漠然としない回答に首を捻った。
そもそもなんと答えたら良いか分かりにくい質問をしたのはこっちなのに、申し訳ない気持ちになる。


すると、ベポちゃんは閃いた様に手を叩いた。


「あのね、キャプテンが敵の心臓を抜き取った時、そいつは死にそうな顔をするの!でも、交渉が終わったり必要なくなったら心臓を返してあげるんだけどね、その時そいつが言ってたよ。
"生きてて良かった"って」
「……!」


無邪気にとんでもなく残酷な事を話し始めたベポちゃんに驚いたが、そう言えばこの子も海賊だったのだと気を取り直した。
この愛らしい姿を見ていると、海賊という世間一般的に野蛮とされる集まりに所属している子だとはつい忘れてしまう。



でも、それ以上に驚いたのが"心臓を抜き取る"という話題だった。



「それは、…凄いね」
「うん!キャプテンは凄いんだよ!なんたって死の外科医だからねー」


話の内容はさて置き、明るく話すベポちゃんにつられて私も自然と笑顔になった。




心臓が身体から抜き取られると言うのは、一種の死を経験することだと思う。


今も耳を澄ませば、胸に手をやれば、ドクンドクンと聞こえる、感じる命の音。
これが身体から抜き取られてしまうなんて。



心臓を、抜き取る。


このフレーズが魅惑的に耳に残って、いつまでも離れなかった。


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