小説 | ナノ


8.I'm still breathing 01

「見たか?夜中甲板にいたショウト」
「見た、見た!」

思わず見とれた、と話すクルーの話が丁度昼食を食べていた俺の耳に届いた。

「……?」


目の前で食事を共にしているキャプテンも、不意に箸を止めたことが俺の視界の端に入った。


クルーが噂をする、アグリーダックの異名を持つ賞金首の彼女は、今彼女の持つ情報と引き換えにキャプテンの治療を受けている。





賞金首という割に、性格はなんというか…物凄くお人好しだと思う。


普通、海賊船に怪我した熊をわざわざ届けるか?
考え無しだとショウトのことを脅かしたキャプテンを揶揄はしたが、俺の感覚からしても随分と世慣れない出来事だとは感じていた。


それにお互いの契約の上だと言うのに、治療をされる事に、あんなに申し訳なさそうに礼を言うものか?


いや…もしかしたらお人好しと言うよりも、自分の存在に価値をあまり見出してないのかもしれない。
俺は昼食に並んだ、根菜の煮物の碗を手にとり見つめながら、なんとなくそう思った。


そんな朗らかだけれどもどこか影を落とす彼女を、意外にもキャプテンは気にかけている。


俺たちに気付かれていないと思っているのか、はたまた本人に自覚がないのかは分からないが、そんなことは、少し見てれば十数年の付き合いがある俺たちにはすぐ分かる。



死の外科医なんて、なんとも物騒な2つ名を世の中からご拝命頂いているが、優秀な医者の性質は変らない。
一度患者と看做した者を蔑ろにしない姿勢は、むしろ、世間様の医者より随分と真摯だとすら俺は思う。


そんなキャプテンだからこそ今まで俺たちはこの、困難がひしめく荒波を乗り越え、信じ、付いてきた。


そこまで思いを巡らせながら、咀嚼していた料理を飲み込んだ。



「不寝番をしていた奴らの話ですが…
夜に二階の甲板でショウトの姿を見たそうです。なんでも、鳥に見紛う様子だったとか」

「あいつが何か能力を使っていたと言うことか…?」


"人知れず夜な夜な何かをしている"、とは、なんとも不審な言い方になってしまった。


これでは、ようやく杖をつく頻度が減って、自由に歩ける様になったショウトが不審な動きをし始めた。という報告に聞こえても仕方ない。


頭の隅でそう思うも、俺にも他にどう言って伝えたら良いか分からなかった。

なんせ俺自身も、彼女が何をしているのか直接見たこともなければ本人に聞いたこともなかったからだ。



目の前に座る船長がわずかに目を細めた。
話の訝しさに彼の警戒心が沸き起こったことを俺は肌で感じ取る。



「いえ…不審なものではない、と思うんですが…」
「締まらねェなァ。どういう事だ」


今度は呆れと怪訝さを隠さずにキャプテンはため息をついた。


しかし、どう説明しようと具体的な話はできない。
話を曖昧に終わらせることも出来たが、ショウトにあらぬ疑いをかけてしまいそうになっている状況を鑑みて、俺がクルーに聞いた情報をなんとか絞り出した。


「俺も直接見た訳じゃ無いので、説明が難しくて。手を動かしながら横にスーッと移動する動きを10秒ほどするだけみたいです」
「…あァ?」



耳に届いていた断片的な噂話を伝えると、どうも正確な情報ではないので言い澱んでしまう。
俺も話しながら、自分の話している内容が要領を得ないことに困ってしまった。


結果、俺の口から出てきたのは、まるで何かの可笑しな儀式の様相だった。



「場所がこの船の一番高い場所にある甲板での事で、どうにも全容を覗き見る事が難しいようですね」


不思議なショウトの動きを見たという場所ではポーラータング号の後方、二階建て部分の甲板らしい。



あの場所は見晴らしは良いが、夜闇の中で様子を外から覗き見ることは確かに難しい。


何をしているかの確証たる話が出てこないのも頷ける。
誰か本人に直接聞いておけよ、と今となってはどうしようもないことを意味もなく心の中でゴチった。



俺の話を聞いて暫し考え込むようにしていたキャプテンだが、今晩自分の目で確かめると伝えてきた。


要領を得ない話を聞いて判断するよりも、自分の目で確かめた方が幾分も良い。
百聞は一見にしかずとはよく言ったもので、俺も同じ考えだ。



きっと、もし何か不審な事をしていたら、その場で捕縛するかバラしてしまえば良い。とも、内心考えているんだろう。


仮に泣いて嫌がったとしても許しを乞うたとしても海に沈めてしまえば幾ら飛べると言えども能力者だ。




彼女の屈託のない笑顔に嘘はなかったように思っている。
だから、万が一にもそんな事にはならないことを、心の何処かで俺は願う。


……なんだかんだで、俺も彼女のことを気にかけているらしい。

自分でもふと気づいた事実に、帽子の鍔が作る深い影の奥で自分自身に笑った。



「そうえば」


魚介で出汁を取ったスープをスプーンで掬った時に、夜中にショウトを見たというクルー達が口を揃えて言っていたことを思い出した。



「みんな綺麗だったって言うんですよね」





*******




夜更け。おれは帆を張るためのマストが伸びる、ポーラータング号の屋根に座っていた。


ペンギンから聞いた羽根屋の話は、どうにも的を得なかった。


本人も見たことがない噂話だから仕方ないと思いつつも、おかしな儀式の様子を伝えられたときは内心ギョッとした。



情報と引き換えにこの船に乗せているが、厄介なものを呼び込まれる訳にはいかない。


内容がはっきりしないのなら、自分の目で見極めた方が幾分も判断も早いし確実だろう。
真上に登った月が静かに、潜水艦の甲板やその先の波間を照らす光を見ながら息を潜めた。



今は波が高く無いとは言え、時折波に軽く揺られる足場のないこの場所は普段誰も登る事の無い場所だった。


しかし、ここからなら二階部分の甲板を上から見下ろす事ができる。



見聞色の片鱗を見せた彼女だが、注意して使わねば発揮できない未熟な見聞色に、気配を殺したおれをとらえられる訳もない。


油断なく鬼哭を肩に担ぎながら夜な夜な不審な動きをするという羽根屋を待ち伏せていると、キィ…と静かに潜水艦特有の分厚い扉が開かれる音がした。



来たか、と思い視線だけを下に向けるとそこには黒髪を団子状に一つにまとめた羽根屋が立っていた。


服装もいつもと違い、インナーに着たピッタリとした黒いノースリーブの上に白い薄い柔らかな素材の長袖を着ている。

下は白くて生地の薄い巻きスカートに、薄桃色のタイツを履いていた。



全体的に白い出立ちは、彼女の黒い髪と青白い月明かりを淡く受けた肌を、より印象的にした。


羽根屋は欄干に片手を乗せて膝を曲げたり伸ばしたり、前や横、後ろに脚を伸ばしたりする動きを暫くした後に、軽くストレッチの動作をして息を整えると、

月に向かったまま、姿勢良く両腕を頭上に伸ばした。


そして、まるで鳥が羽ばたくように、ゆっくりと、しなやかに腕を下ろした。





その羽ばたき一つに、目を奪われた。




まるで、月光をあびた一羽の美しい白い鳥が湖畔に凛と存在する姿が、瞬時に脳裏に浮かんだ。


羽根屋の黒髪が月明かりに青く濡れ、白い四肢が夜闇に透き通って、優雅に描いた軌道が目に焼きついて離れない。



月明かりに向かって、両腕を広げて羽ばたくように動かした。
たったそれだけの動作だったと言うのに。






「…今日はやってみようかな」


誰に言うでもない小さな呟きが夜に響いておれはハッとした。


羽根屋が片足をついて、しゃがんだのが気配から伝わる。
何か紐のようなもので自分の足元を固定するとコツコツと固い音が甲板に響いた。




もう片足も同じ動作をして、立ち上がった羽根屋の足元を見て、見覚えのあるそれが確認できた。


コツコツと甲板に音を鳴らす正体は羽根屋の荷物にあった、爪先が硬くて平たい靴だ。



ややあって羽根屋はゴゾゴゾと欄干にトーンダイアルを結びつける。
そのままカチリ、と言う音と共に静かなハープとチェロの音楽が流れてきた。



音楽に合わせて羽根屋が手を羽ばたかせ、細かく脚を交差させながら横に移動する。


爪先で立つ脚で、しなやかに床を滑るように移動する姿に、湖を漂う一羽の白鳥が夜に浮かび上がる。





ーー手を動かしながら横にスーッと移動する動きを……



今日ペンギンから聞いた羽根屋が行う妙な儀式の説明を思い出した。
言葉にするとこんな妙な説明になってしまうものなのかとうんざりする。





羽根屋の踊る姿を見ていると、目蓋の裏に幼少期の美しい白に彩られた記憶がチラと蘇った。



幼い頃父様と母様に連れられて行った一座の舞台。
フレバンスへ興業に来ていた公演で一度だけ、似た踊りを見たことがある。
特に妹のラミがバレリーナの美しさに甚く感動していた。




優雅に気品と静寂を纏いながら羽根屋が踊る姿に、知らず知らずの内に息を飲む。


死にゆく白鳥が懸命に羽を羽ばたかせている、静かで穏やかだが、力強い踊りだった。



だが、どこか踊っている本人に微かな戸惑いが見える。



羽根屋が音楽に合わせて、右足の爪先に体重を乗せて左足を後ろに伸ばすポーズを取ろうとした時、

右の足首を外側に捻り、横にバランスを崩して強かに腰をぶつけて倒れてしまった。



甲板に倒れた羽根屋は立ち上がる事なく、そのまま破れかぶれに手足を放り出してゴロンと仰向けになった。


足を捻って立ち上がれないのかと懸念が頭をよぎった。
しかし、羽根屋は足を痛む様子を見せる事なく、むしろ真っ直ぐな視線で、真上にのぞむ月を静かに見つめていた。


そしてそのままじっと何かを考えるようにじっと瞬きを繰り返す内に、残りの曲は流れ、そして夜の海に溶けていった。


暫しの静寂の後に、押し殺した笑い声が聞こえ、その後、細い嘆息が続いた。


「しっくり来なくなっちゃった…」


困ったなぁ、と手の甲で目元を隠しながら呟く羽根屋の表情は見えないが、聞こえてきた声色にははっきりと戸惑いと憂いを含んでいることだけは確かだった。




参考 動物の謝肉祭より 「白鳥」

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