小説 | ナノ


7.次とその次と線を引く 01

「…新聞とコーヒーを持って来させろ。あァ?…、そうだな」


食堂に繋げている電伝虫の受話器を置くと、ガチャと言う音とともに電伝虫が目を閉じる。
さて…。自然と漏れた小さな呟きの後、電伝虫の隣に置いてある茶色の紙袋に手を伸ばし、昨日上陸した街で買った本を数冊取り出す。



巷では死の外科医と言われているが、何も外科にのみ専門を絞っている訳では無い。
あらゆる医術に触れていたいと思えば、船長室に置いてある本棚も、すぐに本で一杯になってしまうことがままあった。

読む頻度の少なくなってきた本と入れ替えながら、新たに買った本を分野ごとに本棚にしまう。



2冊、紙袋から取り出した本を丁度、おれの胸の高さあたりの本棚に差し入れる。

殆どが医学書を占める本棚に、今新しく加えられた2冊の本は分野が全く異なるが故、異色さに目を引いた。


これなら、目につくだろう。

罠を仕掛けたときの様な、どことない高揚感に口の端があがる。それらを僅かの間眺めた後、引き続き他の医学書の整理を続けた。




購入した数冊を本棚にしまい終えた時、船長室のドアを3度ノックする音が聞こえた。
短く入室の許可を告げると、遠慮がちに扉が開かれる。


「失礼しまー…す。新聞とコーヒーをお持ちしました」
「そこに置いておけ」


新聞を片手に、コーヒーと茶請けのクッキーを乗せたトレイを能力で浮かせながら羽根屋が入室して来た。

杖をついている為、トレイを浮かせたのだろう。
恐る恐るといった具合にドアを開けた羽根屋に、正面にある執務机にトレイを置けと顎で指示する。


独特の舞う様な指先を羽根屋が振るうと、卓上にトレイがカタリと静かな音を立てて着地した。

少し遅れて仄かなコーヒーの穏やかな香りが目の前を掠める。


うまいもんだな。と内心頷く。




朝一でニュース・クーが船へと落としていく新聞は、本来ならばこの船の船長が一番先に目を通すべきなのかもしれない。

しかし自他共に自覚していることだが…自分の起床がかなり不規則なため、
新聞は食堂に一度届けられ、朝食を食堂で食べるクルー達が読み終わった後、船長室に届ける事になっていた。



「読み終わったら貸してやる。そこに座って待ってろ」


本棚から離れて執務机の上の新聞を手に取り、未だ所なさげに扉の前に立ち尽くしている羽根屋にソファを指差す。




羽根屋は瞠目してソファと俺を見比べていたが、俺が机に腰掛けて新聞を読み出したところで怖々席についた。
さっきから何をビクビクしているんだと、思わずため息が出る。


しかもチラチラとこちらを伺う様な視線がまどろっこしい。



何かいいだけな癖に様子を伺うばかりの羽根屋に、主な治療を買って出ているおれに対して、何故そこまで怯えるのかと、幾ばくかの違和感が胸をざらりと撫でてて行った。



「…なんだ」
「あの、私、一人で出歩いてしまったんです。ごめんなさい」


新聞の記事から目を離さずに問うと申し訳なさそうに船内を一人で出歩いたことを謝罪して来た。



先程の予感を端に追いやり、何を言いたいのか真意を逡巡してみるがさっぱり見当が付かない。早々に諦めとともに思考は打ち切った。



新聞から目線を外し羽根屋を視界に入れる。
視線が合うと、居心地悪そうな居住まいの彼女がさらに緊張して身を固くした。



「何の話だ」
「一人で船内を歩いては、いけないんですよね…?」
「……意味がわからねェな」
「……あの、食事やお風呂に行くときに、誰か一緒なのは…私が一人で船内を歩いて、この船に不利益をもたらさない為ですよね?」


まさか、それで食事と風呂以外はずっと医務室に居たのか。

急に合点の言ったその考えが頭をよぎった瞬間に、軽い眩暈がした。


通りでリハビリの為に歩けと何度も言い聞かせても、必要最低限にしか歩かない訳だ。

軟禁の様なことをするために、クルーを側に居させたつもりは微塵もない。



「人をつけるのは、杖で歩き慣れないお前が転倒した時の為だ。歩行に不安が無いなら、1人で船内を歩いても構わねェ。
何度も言うが、お前が情報を渡す限り治療には責任を持つ。怪我の予後を考えても多少は身体を動かした方が良い」

「…でも、沢山の大切な情報がある船内を私がふらふらと歩いていたらマズいと思います」

「…追われていて、絡まれ易い、賞金首のお前が、一体どこに一々この船の情報を売り込むと言うんだ」



誤解を解く為に丁寧に説明してやるも、本人が気にしている事はある意味、真っ当だった。


航海の進路、構成員、船内のルール…重要な情報に成り得るものは枚挙に暇が無い。
ベポの件もあり羽根屋については助けてしまったが、安易に部外者を船が受け付けないには理由がある。





しかし羽根屋の場合、少々事情が異なる。


海軍に情報を売ろうにも元々、自分が賞金首だ。

賞金稼ぎや他の海賊船におれ達を売り込もうにもその二つ名と容姿から確実に自分の首まで狙われる事になるだろう。

おまけにマフィアからも追われている。


本人が自分の追われる立場という事はよく分かっているだろう。

 
得られるメリットよりも、デメリットの大きな行為をわざわざするような人間にも見えない。



自分から闇雲に目立つ行動は避けたいのは、
あの森の小屋でひっそりと暮らしていたことからも容易に伺えた。





「じゃあ…皆さんのお仕事のお手伝いなども、させて頂いても良いんですか?」
「怪我に無理のない範囲ならな」


おずおずと聞いてくる内容は何とも羽根屋らしいような気がした。
ずっと治療に係る世話をして貰っているのが心苦しかったのだろう。

俺の返事にパァと表情を明るくした。
表情豊かな奴だ。



俺が新聞を読んでいる間、手持ち無沙汰な様子で部屋をぐるりと見渡すと、羽根屋はソッと立ち上がり静かに本棚へ向かい歩き出した。


本棚のある一点を見た時に、「あ!」と、思わず声を上げた後、声を立ててしまった事を気遣ったのか咄嗟に口元を手で覆った。



「気になる本があるなら貸してやる」


口元を押さえたままの羽根屋を横目で見ながら応えてやる。


自分の目線の高さに仕掛けられた本を目敏く見つけた羽根屋に自然と口角が上がった。


こちらを見た羽根屋は驚きと嬉しさでいっぱいなのか間抜けにも、軽く口が開いている。



もう一度嬉しそうに本棚を見た羽根屋が取り出したのは、昨日上陸した本屋で買った鳥類と海の生物の図鑑の2冊だった。


欲しけりゃやると言った所で遠慮して手を伸ばさないだろうと思ったおれは、態と"貸してやる"と言葉を選んだ。




「どちらにしましょう…!」

「両方持ってきゃいいだろ」



本気で悩み始めた羽根屋に、そのあまりの無邪気な様子に湧き上がる僅かな笑いを噛み殺して、新聞の記事をめくりながら伝えた。


すると図鑑2冊を抱きしめながらありがとうございます!と嬉しそうな笑顔で礼をしてきた。
まるで純粋な子どもの様だ。


そのまま図鑑を羽で飛ばしながら、杖をついてソファーに腰掛けると羽根屋は鳥類の図鑑を嬉々とした双眸で1ページ目から読み始めた。



そんな羽根屋の図鑑の読み方に多少驚く。


調べたい鳥類や生物がいるのかと思い、先の島の本屋で欲しそうに眺めていた図鑑を気まぐれに買ってみたが、まさか最初の項から読破していくつもりで図鑑を読み始めるとは思わなかった。



目をキラキラさせながら周りが見えない程集中して読んでいる姿に、不意に幼い頃の自分の事を思い出す。


父様と一緒に医学書を見ながら手術の術式について教えてもらった…あの時の様な、新しい知識に触れる高揚感を、羽根屋も感じているのだろうか。


コトリと茶請けにあったクッキーを羽根屋の前の机に置いてやる。



羽根屋が船長室で時間を潰すために持たせると、先程の電話でコックから聞いた。



視線を上げた羽根屋がテーブルの上の菓子に気づき首をかしげる。


「コックがお前にだとよ」


短く彼女の疑問に答えると、数回瞬きした羽根屋が嬉しそうに顔を綻ばせた。
きっとこの顔を見たらコックはとても喜ぶだろう。気前が良くて気の利く、自分の船に乗る調理担当のクルーの喜ぶ姿が容易に浮かんだ。




羽根屋の無邪気な様子を見ると、先程の思考の隅に追いやった違和感がより鮮明になる。

その違和感から導き出される可能性は、そう多くはなかった。





「………言いつけを破ると、罰があったか…?」








本を読む羽根屋の動きがピタリと止まった。







さらりと垂れる黒髪が横顔を隠して、羽根屋の表情までは伺えなかった。


ただ、先程の花が舞っているような先程の雰囲気は急に凍りついた。




一切の動きを止めてYESともNOとも答えない羽根屋の沈黙は、結局肯定だ。
ページを掴む指が僅かに震えているようにも見えた。




動きを止めた羽根屋の頭を2度、軽く叩く。

おそる、おそる。
視線をおれに向かって上がる羽根屋の瞳をおれも見下ろす。


その瞳には不安と、手配書と同じ暗い光の影があった。


「少なくとも…ここには、いない」



お前の安全を脅かすような存在は。


安心しろと言外に伝えると、伝わったのか羽根屋は緊張の糸を解くように、肩の力を抜いて息を吐いて微笑んだ。







結局、羽根屋はペンギンが昼前に航路についての報告をしに船長室を訪れるまですっかり読み耽ってしまっていた。



「ごめんなさい、いつまでもお邪魔してしました」
「いや…気に入ったのなら持って行って良い」



本を本棚に戻そうと慌てて立ち上がる羽根屋を制止する。

しばらく読んでいて良いと伝えると、ニコニコしながらお礼を言いつつ、海の生物の図鑑は本棚に戻した。


鳥の図鑑を小脇に抱えて空になった俺のマグカップと茶請けが入っていた皿をトレイに乗せて翼を生やす。

ここに来た時と同じようにトレイを浮かせると、ペコリとお辞儀をして部屋を出ていった。



パタンと静かな音を立てて閉まったドアを見て、
ふとテーブルにまだ新聞があった事を思い出した。



あいつ、何のためにこの部屋に来たんだ…。



図鑑を借りたのがそんなに嬉しかったのかと思う反面、かなり間の抜けた羽根屋の行動に今度は深く嘆息する。


「後で届けてやってくれ…」


新聞をバサリと執務机の上に置いてペンギンに伝えると、なんとなく察したのだろうペンギンが苦笑して了解の意を唱えた。

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