02
ドアがガチャリと開かれると、トラファルガー・ローがそこには立っていた。
「トラファルガー船長。助けてくれて、ありがとうございます」
身体を動かすと激しい痛みが走るので顔だけを彼の方向に向けて精一杯のお礼を伝える。
「礼はいい。
こっちが求めるのは、海軍、海賊、政府間の取引の航路とその情報だ。それを提供すれば、お前の治療は全面的に俺が面倒を見る。お前が裏取引に通じているのは知っている」
取引だ、そうローは続けた。
それはショウトにとって特に問題のない提案だった。組織の人間だとしたら、それこそ死んでも渡してはいけない情報。
でもショウトは好きで裏取引の情報を知っている訳ではなかった。忌々しい記憶と情報に他ならない。
あんな地獄へはもう二度とごめんだと、自分の過去の生業を苦々しく思い出していた。
−−俺たちの為にお前は生きて、死ぬんだ
そう、籠の中の鳥のようにな−−−
永遠にここからは出られない、言い聞かせるように言う不愉快な男の声が脳裏に蘇り、ギリリと奥歯を自然に噛み締めていた。
何度も死を願ったあの場所になんて、戻りたくない。
「おい、羽根屋」
聞いているのかと鬼哭の鯉口を切った音に我に返る。
自分の立場を整理して考えてみる。
悠長に悩む時間は与えるつもりはないと急かすこの男に、仮に情報を伝えたとして現在私の置かれた状態に何か不利益をもたらすようなことは思いつかなかった。
今はあの場所に連れ戻されない為にも、
自分の身の安全と、治療が一番大切。
情報を教えれば治療を請け負ってくれると申して出てくれるのだ、有難い取引だとショウトは思った。
「私がマフィアに所属していたのは、もう4年近く前なのですが…。それでもよろしいのでしょうか」
慎重に言葉を選びながら伝える。
もし万が一、裏取引の航路が変わっていたとして、嘘の情報提供をしたと勘ぐられて自分の身を危険に晒してしまうのではないか。そんな不安があった。
「構わねェ。昔の取引の跡でも十分な情報を得る事もある。それに拠点をうつさない限りそうそう航路については変わる事はねェだろ」
大きな組織になればなるほど、拠点を移す事も難しくなる。ましてこの天候の読めないグランドラインで突然取引の航路を変更すると言う事はリスクが大きいことを彼は良く分かっているようだ。
流石この海に名を馳せる海賊団の船長は頭の回転も早い。
「取引成立だな」
「…どうぞ、よろしくお願いします。トラファルガー船長」
鞘に納めた鬼哭を肩に預けながらニヤリ、と片方の口角を上げて悪い顔で笑うローに、目つきは悪いが随分綺麗な顔をした人だと場違いな感想を抱いたショウトは挨拶のフリをして目を伏せた。
「…えっと、航路といってもたくさんありましたし、あの、私説明が下手なのでこの近くの海図はありますか」
場違いな感想を抱いてしまったことが何故だか気恥ずかしくて、話題をそらそうと提案したところで自分の利き手が骨折してペンを握れない状態だと言うことに気付いた。
こんなことにも気づかないほど慌てるなんてと情けなくも思う。
ローはそんなしどろもどろの様子に溜息をつき、その手が治ったらで良いとこの話は終わりになった。
*******
ローとの取引が終わり、彼が部屋を出て行ったことを確認した後ショウトは静かに白い天井を見上げていた。
先程思い出した忌々しい声をキッカケに、様々な記憶が頭をぐるぐると過っていく。
自分の事をまるで道具だと言わんばかりにボロボロになるまで使い倒されて、あの場所には尊厳なんてものは無かった。
仕事を言いつけられるまでは、
鉄製の格子のついた質素な部屋と、決まった時間にのみ使える地下室だけが彼女の部屋だった。
そこに一日中足枷をつけられて閉じ込められて、時には彼女の能力を嘲笑うかのように大きな鉄製の鳥籠に閉じ込められたこともあった。
能力を使って仕事をさせられていた時でさえ、奴隷のような首輪を付けられ自由も与えられなかった。
道具として便利に扱われ、ペットの様にも飼い殺されて尊厳を奪われたあの最悪の場所。
「シスター…」
目を閉じると、温かくて柔らかな眼差しの女性が思い浮かぶ。
ー−−神に仕える立場で、悪魔と名のつくものに、
あなたを託すことは許されないのかもしれません。
でも!!!
あなたは必ず生きて!!!ショウト!!!!!−−−
ショウトと子どもたちが住んでいた教会の孤児院がマフィアに襲撃された時、瀕死のシスターは力を振り絞って、泣き喚きながらしがみ付いて離れないショウトを励まし、一縷の望みをかけて彼女に悪魔の実を食べさせた。
ハネハネの実の能力を使って、なんとかこの場から逃げて欲しいと。
でも、能力を上手く使おうにも使えなくて、早く逃げろと急かすシスターを背に走り出したものの、結局マフィアには捕まってしまった。
縛られ、押さえつけられたショウトの目の前で炎に包まれた教会が、パチパチと乾いた爆ぜる音。
嫌な耳に残るその乾いた音の中で、教会から何発か銃声が鳴り響いた音を聞いて、絶叫したことは記憶に鮮明に焼き付いて離れない。
「シスター…」
もう一度、小さく呟いて瞬きすると目尻に溜まった涙が頬を伝って枕に染み込んだ。
*******
それからしばらくして、
医務室にシャチが食事を運んできてくれた。
シャチは食事がのったトレーを近くのテーブルに置いた後、身体が動かせないショウトを気遣い背中に手を差し入れてゆっくりと上体を起こしてくれた。
「ゆっくり食べろよ」
そう言いながら、動けないショウトに代わって持ってきてくれたお粥を蓮華で掬いショウトの口元へ運んでくれる。
人に食べさせてもらうなんて、とても恥ずかしいやら情けないやらだが、
自分の怪我を心配してくれたベポの様に、
こんなに自分に優しくしてくれる人は先程思い出していた遠い記憶の中にしか存在しなかった。
お粥を一口食べると、優しい味と温かさが身体に沁み渡る。久しぶりの人の温かさに触れた気がしてショウトの頬にまた一粒の涙がこぼれ落ちた。
蓮華を持ったままシャチがギョッとしたことに気づいたが、一度こぼれ落ち出した涙を止めることは今のショウトにはできなかった。
「そ、そんなに美味かった?」
突然涙を流し始めたショウトに目に見えて焦り出したシャチにショウトは何度もありがとう、ありがとうと感謝の言葉を繰り返した。
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