【トリップしてきた斎藤さん】







朝。自室にて。
私はパジャマ代わりのTシャツと短パンを脱ぎ捨て、下着姿でクローゼットの中身と睨めっこをしていた。

『何着よう…』

朝の服選びはいつも真剣。
会社勤めの乙女にとって、出勤に着て行く服は一日の気分を左右するものだから真剣に選ばないと後悔する。
びしっとした服装をすれば気も引き締まるし、緩い服装をすれば何となくダレる。

うーんうーんと唸っていると引き戸が開く音がした。

『おい、そろそろ…』

腰だけ捻って後ろを向くと、私の姿を見てすっかり赤くなって固まった彼がいた。

彼の名前は斎藤一さんといった。

俄かには信じがたいが、幕末からタイムスリップしてきてしまったのだ。
タイムスリップ先がどういう訳か私の住むアパートのリビングで、昔の貴族が着る軍服のようなものを着て倒れている所を、会社から帰ってきた私が発見した。

全身血だらけの割に無傷、という不思議な状態の彼はすぐに目を覚まし、私を見ると“何者だ”と言って刀を突き付けた。
聞きたいのは私の方なのにね。
しかし、あの時は本当に殺されると思った。

斎藤さんは私の説明を静かに聞いて、腑に落ちないながら一応は納得してくれた。

此処は自分がいるべき場所では無い、元の時代に戻らねば、という彼に、
行く宛が無いのなら、戻る方法が見つかるまで此処にいたら?と提案した所、躊躇いながらも、宜しく頼む、と言われて、現在に至る。





あれから二週間程経つ。
“私の部屋に用がある時は、戸を叩いて声を掛けて下さいね”って、何回か言ってるんだけど、向こうじゃそういう習慣がなかったらしく、他に気をとられていると忘れちゃうみたいで、こういう偶発的な事件がよく起こる。

『…何かご用ですか?』

生娘じゃあるまいし、今更年下男性に下着姿を見られたくらいじゃ驚かない。
腰を捻った姿勢のまま、私は斎藤さんに話しかけた。

彼の方は肌を露出した女性の姿は見慣れていないらしく、毎度新鮮な反応をしてくれるので、最近じゃちょっと楽しくなってきた。
Tシャツ短パンでも駄目みたい。
昔の女性はいかに慎ましやかだったかって事だ。

『いやっ…その、そろそろ食事の用意が整うと伝えに来たのだが…』

俯きながらも用件を伝える斎藤さんは何だか可愛いと思う。

『解りました。有り難うございます。
支度が済んだらそっち行きますから、待ってて貰えますか?』

『解った。
…それと、済まなかった』

短くそう言うと引き戸が静かに閉められた。
自分に非があって、きちんと謝らなきゃって思う辺りが律儀だなあと思う。

身支度を整えて斎藤さんの待つ食卓につく。
朝はあまり食べられない、という私に配慮された小さめの塩むすびと一杯の味噌汁が、寝起きの身体に優しく染み入る。

『今日の帰りは遅くなるのか?』

『いえ、恐らくは普段どおりです。
どうしてですか?』

斎藤さんに貸してある私の黒いエプロンを外しながら、彼は私の向かいに座った。
斎藤さんには間に合わせで買って来た黒ポロシャツと緩めのジーンズを着て貰っている。
これがまた似合うんだな。
あの血だらけの服はクリーニングに出す訳にはいかず、私が頑張って手洗いした。

『先程、天気予報で夜の内に俄雨があるやもしれぬ、と言っていた。
あまり遅くなる様なら、傘を持って行った方が良い』

テレビにも今じゃすっかり慣れたものだが、最初は仕組みについて説明するのが一苦労だった。

『うーん。まあ、降られたとしてもうちは駅から近いし、多分大丈夫です。
…ご馳走様でした』

食器を流しにおいて、洗面台で歯磨き。
それじゃあ行ってきます、という私を、斎藤さんが呼び止めた。

『忘れ物だ』

突き出されたのは可愛いお弁当袋。
斎藤さんは私のお昼ご飯まで用意してくれている。
私は顔を綻ばせ、有り難うございます、と言った。
彼の方が年下なのだが、雰囲気に気圧されて何となく敬語になってしまう。
何かその方がしっくりくるから別に良いけどね。

『気をつけてな』

玄関先で仏頂面した斎藤さんが見送ってくれる。
笑顔なんて欲してないけど、やっぱり此処は笑って欲しいなあなんて。
…そういえば、まだ彼の笑った顔、見てないな。



日を追う毎にお弁当の具がレベルアップしている気がする。

彼は向上心が高い。
あらゆる面で、この時代の事なんか知らない、で済ませる事をしない。
暇潰しになればいい、と先日プレゼントしたお弁当の料理本に載っていたのだろうか、今日なんかタコさんウインナーが入っている。
キャラじゃないなあ、と思いながらもしっかり美味しく頂いたのだった。





定時にタイムカードを打って会社を出る。
やれやれ、と帰りの電車に乗り込んだまでは良かったが、その車内にいる時に雨が降り始めた。

いわゆるゲリラ豪雨。
私は斎藤さんの忠告を聞いておけばよかったと後悔した。
幾らうちが駅から近いとはいえ、この雨量じゃ下着までずぶ濡れになるに違いない。
テンションだだ下がりで駅の改札を出ると、足止めを食ってる人達でごった返していた。

『あれ』

これだけたくさんの人であふれているのに、私の目はある一点を捉えた。
まるでカメラマンがそこだけ抜きで映したかのようだ。

斎藤さんがいる。

彼はまだ私に気付いていない様で、右から左まで探す様に顔が動いている。
私は急いで斎藤さんのもとへ向かった。

直前で気付いてくれて、私が駆け寄りながら小さく手を振ると彼は初めて笑ってくれた。
穏やかなその表情にちょっとキュンとしたのは内緒。
彼は傘を二本持っている。

『あんたは雨に打たれても構わぬと言っていたが、この雨では流石に堪えるだろうと思って、迎えに来た』

そう言って私に傘を一つ手渡してくれる。

『お気遣い痛み入ります。
これは流石にまずいなあって思ってたんです』

『そうか。
…風呂は沸かし方がまだよく解らぬ故入れてはおらぬが、夕食は用意が出来ている』

並んで歩く彼の横顔は果てしなく無表情。
その顔を見ながら、いつもは私がお風呂を入れるから、斎藤さんにボタン操作を教えていなかったことを思い出した。

『至れり尽くせりですね。助かります』

『居候として、家人の役に立つのは当然の事だ。
あんたがその様に感じる必要はない』

斎藤さんは不器用に優しいと思う。
優しいですね、というと、頬を真っ赤にして、俺は優しくなどない、と言われてしまった。
はは、照れてる照れてる。



ひょんなことから始まった妙な同棲生活は、渇いてセピアになった私の世界に色を取り戻してくれる。
色を与えてくれるのはみんな斎藤さんだ。
得体の知れない事象は少し怖いけど、彼が元の時代に戻るその時まで、この小さな幸せが続いて欲しいと私は願った。








(今日の夕飯なんですか?)
(カレーだ。あんたが前に作った物が忘れられなくてな)
(…わーお)



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