三
【逆トリ斎藤さんシリーズその3】
突然私のアパートにタイムスリップしてきた斎藤さんと過ごす様になって久しいが、未だに沈黙の占める時間が多い。
今は夕飯の買い出しの為に、彼と二人で近所のスーパーへの道を黙々と歩いている最中だ。
慣れない内はこの空気を気まずく思ったものだけど、今となっては却って心地良いくらい。
言葉を交わさずとも心が通い合っている、というと言い過ぎかもしれないが、そんな感じなのだ。
斎藤さんはお喋りで無い分、気配りが細かい。
しかしそれを相手に悟らせない様にしている節があり、ぼーっとしていると彼に気遣われた事に気付かない。
例えば今は、車道側を斎藤さんが歩き、私を民家の塀側に歩かせている。
こんなのはまだ分かりやすい方で、他にも沢山、挙げていくとキリがないくらいだ。
私は彼の半歩後ろを着いていく形で歩きながら、上目遣いにそっと横顔を盗み見た。
前を見据える涼やかな顔つきに、纏っている静かな雰囲気。
平和な時代で安穏と育ってきた私にも、彼が只者では無い事が察せられる。
そのオーラに気圧されて、私は彼より年上だが、彼に対して敬語を使っている。
実際接していると、斎藤さんは私よりずっと年上の様に感じた。
無駄という無駄を一切削ぎ落とした様な彼の普段の立ち振る舞いを思いながら、一体どんな人生を送ってきたらこうなるのかな、なんて事を考えていると、
『…如何かしたのか』
私の視線に気付き、斎藤さんが横目で見ながら声を掛けてきた。
『!』
目が合った事で急に恥ずかしさが募り、私は不自然に視線を逸らした。
『あ、いや、…何でもない、です』
『そうか』
吃(ども)りながらはぐらかす私の様子を特に気に掛けず、斎藤さんは柔らかく笑ってそう言った。
彼程のイケメンと目が合い、恥ずかしく感じる、という心がまだ私にもあったらしい。
もうすっかり、そういう色事関係の事象には反応しなくなったと思っていたのだが。
今みたいに微笑まれたりすると、もれなく動悸がついて来る。
この間、彼は私を“魅力的だ”と評してくれた。
私はそれに対し“嬉しい”と答えたら、彼はぎこちないキスをくれた。
意外な手の早さに少し面食らい、もしかしたら一気にこの先まで、と思いもした。
けど、斎藤さんはそれどころか私に触れる事すらしなかった。
あの日以来ずっとそう。
ただ、前より表情が豊かになり、雰囲気の角が取れたと感じる。
ある時洗濯物を干す私を眺めている事があった。
何か用事かと斎藤さんの方を向くと、彼は耳まで真っ赤にして明後日の方を向いてしまった。
またある時は、彼が好物だと言っていた高野豆腐の煮物を出した。
すると彼は目を大きく見開いて高野豆腐を見つめ、それから私の顔を見て、物凄く慇懃な礼を述べた。
少し解りにくいけど、斎藤さんは感情表現が乏しいのではなく、単に押し殺しているだけだと私は思う。
そんなこんなしている内に目的地がすぐそばに迫った。
車道を挟んで向かいのスーパーへ、信号機の無い横断歩道を渡ろうとした時、斎藤さんの腕が私の胸前を制した。
瞬間呆けていた私はその腕に思いきり体当たりをしてしまったのだが、彼の腕は微動だにしなかった。
直後、目の前を車が猛スピードで駆け抜けて行き、私は彼に守られた事に気付いた。
私が礼を言おうと思ったのと、斎藤さんが、む、と声を上げたのが同時で、何事かと私は彼の顔を見た。
『…すまない。わざとでは無かったのだが』
先程まで出されていた腕を小さくひっこめ、彼は顔を赤くして酷く狼狽していた。
礼を言おうとしたのに謝られてしまい、私は一瞬呆気にとられた。
が、自分の胸が物理的に少し痛むのと彼が自分の腕を擦る様子が頭の中ですぐに結び付いた。
不可抗力とはいえ、斎藤さんは私の胸を触ってしまった事に謝ったのだ。
普段沈着冷静な彼が、この程度でこんなにあたふたするなんて。
思春期か、って内心でツッコミを入れたら何だかおかしくなってしまい、私は吹き出す様に笑った。
『いえ。…有り難うございました、助けて下さって』
彼が気にしている点には敢えて触れずに、私はそれだけを口にした。
斎藤さんは何かを言おうとしたが、楽しそうに笑う私の表情を見て、ほっとした様な顔をした。
突然訳も分からず未来に飛ばされて、慣れない生活を強いられて、しんどくない訳が無いと思う。
彼がいつか元の時代に帰れるその時まで、せめて少しでも居心地良く過ごして欲しい。
この時代での斎藤さんの“安心”が、私に在るといいな。
スーパーに入ってカートを押しながら、私は彼の好きそうな献立の食材を探した。
(斎藤さんって薄味が好きなんですか?)
(…そうだな。屯所に居た頃はよく、塩辛い味付けをする者と言い争った位だ)
(へえ…)終
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