Episode4:ロジック



足早に自室へ向かった。
嫌な汗が額に滲み、舌打ちをする。
自分は何を言おうとしたのだろうか。何をしようとしたのだろうか。
泉の顔がぽんと浮かんで、打ち消すように首を左右に振った。
嫌だ嫌だ。何度考えても、何度試しても、こんな自分が本当に嫌いだ。
扉を開ける前、鍵をさしこむと中から数人の笑い声が聞こえた。
嫌な予感に眉根を寄せる。
ゆっくりと扉を開け、できた隙間から中を見渡すと同室者と友人の姿があった。
ソファに座り、三人で楽しそうに談笑している。
帰ろう。瞬時に思った。
帰る場所はここなのだが、今は入らない方が絶対にいい。
不本意だが、泉の部屋へ行くか、寮内の談話室へ行くか。
二つを天秤にかけ、談話室へ行くことに決めた。
回れ右をしてこっそりと扉を閉めようとした瞬間、潤の声が響いた。

「三上!待ってたぞ!」

一歩遅かったらしい。再び隙間からそちらへ視線を移すと、三人の瞳がきらきらと輝きながらこちらを見ている。
死にたい。

「三上、遠慮しないで入れよ」

「…俺の部屋だ」

よお、と皇矢と秀吉が右手を上げる。
それに応じる気力もない。とぼとぼと歩きながら自分の部屋へ行こうとすると潤に腕を掴まれた。

「まあ座れよ」

「だから俺の部屋だっつーの」

嫌な予感しかしない。こいつらが来た理由はわかっている。
逃げたい。消えたい。死にたい。
表情を見なくともわかる。皇矢がにやにやと笑っているのが。
秀吉の隣に腰を下ろし、テレビに視線を移した。
こうなったら一言も話すまい。耳をぱたりと閉じてしまえばいい。
気が済むまでからかわれれば、友人たちも飽きて帰るだろう。
それまでどのくらいの時間がかかるかわからないが、耐えるのみだ。

「見ーちゃった」

潤の言葉にどきりと鼓動が跳ねた。
自分は馬鹿だ。廊下なんて人目がある場所であんなことをするべきではなかった。
数分前に戻って、そんな自分をぶっ殺したい。

「俺も見ーちゃったー」

ぶりっこをした皇矢の声がとても気持ち悪い。

「ああそうですか」

棒読みをすると、テレビと自分の間に潤が顔を割り込ませ、にっこりと微笑んだ。

「なんだよ!近い!」

「照れんなって」

人差し指で頬をつんつんと突かれ、額に青筋が立つ。
皇矢に至っては秀吉との僅かな隙間に身体を捻じ込ませ、ぴったりと肩を組まれた。
鬱陶しい。飽きるまで我慢できるかわからない。

「俺も真琴みたいに優しくされたーい」

皇矢が耳元で囁き、本気で拳に力を入れた。
ぶっ飛ばそう。二人まとめてぶっ飛ばそう。
皇矢とは本気の喧嘩になるかもしれないが、知ったことではない。こちらは友情が壊れても一向に構わない。
そもそも、この二人を友人と呼んでいいものか疑問である。

「僕も。三上いっつも眉間に皺寄せてさ、僕の我儘あんまり聞いてくれないしさ」

「真琴には優しくするの?ねえ、優しくしちゃうの?」

「…うざい…」

「絆されたの?真琴の一途な想いについに絆されちゃったの?」

まずは皇矢から殴ろう。
潤はその後手加減をしてからだ。有馬先輩が怖い。
皇矢の胸倉を掴んで至近距離で睨んだが、彼は口の端を持ち上げたままだ。

「怖ーい。三上君怖ーい。すぐ暴力に走るー」

「お願いだから一発殴らせろ。それか口閉じろ」

「嫌だね」

「そんな照れなくてもいいじゃん。これでも僕たちお祝いしてるんだから」

「嫌がらせの間違いだろ」

「そんなことないよ。三上は性格がひん曲がってるなー」

「お前にだけは言われたくねえよ」

「お前のことはどうでもいいけど、真琴が嬉しそうにしてるから、これは俺たちも盛り上がらなきゃってなるだろ」

「なんねえよ。お願いだから帰れよもー」

皇矢の胸倉から手を放して項垂れた。

「ねえねえ、どこまでやったの」

「うるせえ!お前は黙って有馬先輩とSMプレイしてろ!」

「SMプレイなんてするか死ね!」

「あの人と一緒にいる時点である意味SMプレイだろうが!」

「うるさい!僕のことはほっとけ!」

「俺のこともほっとけよ!」

怖ろしいが有馬先輩に連絡して潤をお引き取り願おうか。

「まあまあ。潤、その話題はやめておけ。男の沽券に関わるだろ。三上童貞なんだから」

「あ…。ごめん…」

「なんだよ!童貞じゃねえよ!お前も申し訳なさそうな顔すんな!」

「え…。皇矢、三上が強がってるよ」

「な。別に恥ずかしいことじゃねえのにな」

「こそこそすんな!」

もう嫌だ。暫く行方をくらませたい。
こいつらが他のネタを玩具にするまでは。

「まあまあ、あんま三上いじるとほんまにキレるで」

「だからおもしろいんじゃん?」

「俺にも八つ当たりするんやから」

「秀吉の役目じゃん」

「くそ…」

いつの間にか向かいのソファに移った秀吉までダメージを喰らっている。
このままこの場所にいても碌なことはない。
本当に殴ってしまう前に一人になりたい。

「お前ら本当にもう帰れよ!」

立ち上がり、寝室へと大股で歩いた。

「なんだよ、もう行くのかよー」

背後から不満の声がいくつも聞こえたが、知らぬ振りをして扉の鍵を閉めた。
上着を放り投げ、ベッドの上に大の字になる。
無意味に天井を眺め、深く息を吐いて瞳を閉じた。
自分自身を見失っているというのに、あいつらのお遊びにつきあっている暇はない。
考えなければいけないことが山ほどある。
早く、早くすべての処理を終えなければ、とてもじゃないが泉と一緒にいられない。
どんな態度をとってしまうかわからないし、酷い言葉をぶつけるかもしれない。
ここ数日は、自分なりに気を遣い、とりあえず泉の傷を広げないようにするので精一杯だった。
あいつは何度も礼を述べ、救われたと言っていたが、本音だろうか。
とてもそんな風には思えない。
自分と一緒にいるだけで救われるような問題ではないし、天真爛漫の裏に本音を隠してばかりだ。
それに何度苛立ったかわからない。
面倒くさいと思った。
本音だけ話していればいいのに、何故そんなに自分を偽るのかと。
理解できずに気持ち悪くて遠ざけたかった。
面倒な恋愛ごっこに付き合わされるのもうんざりした。
茶番でしかないし、男の自分に好きだの、愛しているだの、勘弁してほしかった。
なのに、何故、どうしてだろう。
涙を流しながら助けて欲しいと言われた瞬間、やっと本音を引き出せたと思った。
本当の泉を見た気がした。それに心底ほっとした。
同時にそんな自分が許せなかった。冗談じゃないと思った。
正直今でも思っている。
こんなの何かの間違いだと。間違いであってくれと。
その気持ちをあいつは見透かしている。
一歩後ろに引いてこちらを窺うように見ている。
少しでも自分が離れた瞬間、あっさりと別れを告げる準備をしているようで。
そんな振る舞いをされれば、それはそれで苛立つ。
自分はなにがしたいのか。ゆらゆらと、あちらこちらに気持ちが揺れて、こんなに定まらないのは初めてで、手に余るのだ。
面倒だと投げ出したくなるのだ。
自分が揺れる度に一つ、また一つあいつを傷つけるのだろうと、わかっている。

一つ一つ問題を処理していきたいのに、考える前に別の疑問が浮かんでしまう。
だから面倒なのだ。だから嫌だったのだ。
もう暫くは何も考えたくない。
とてもじゃないがすべての感情を抱えきれない。


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