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心臓あたりの服をぎゅうっと握って、握り過ぎて手が白くなってきた頃三上が立ち上がった。
離れてくれて嬉しいような、悲しいような。
自分の心がわからない。どちらにもふらふらと揺れる天秤のように定まらない。

「飯、買いに行くか?それとも食いに行くか?」

「…う、うん。あ、でも…」

暫くは村上と接することがないよう、ここ数日はコンビニ食ばかりだった。
それも、あまり出歩かないようにとの言いつけがあったので、自分はこの部屋から出ていない。
僕は別に平気だと言ったのだが、三上が譲らなかった。
またタイミング悪く村上に遭遇し、悪夢に魘されてはいけないと判断してくれたのかもしれない。

「…まだ怖いか?」

見下ろされ、瞳を見つめ返しながらぶんぶんと首を左右に振った。

「大丈夫」

「お前の大丈夫はあてになんねえからな」

「本当に大丈夫だよ。僕も男だしさ、こんなことで怖がってちゃさ…」

苦笑しながら言うと、三上は再び目線を同じ高さにするようにベッド脇にしゃがんだ。
小さく溜息をはかれ、自然と身体が強張る。
また機嫌を損ねる発言をしてしまっただろうか。

「お前は本当に馬鹿だな」

「う…」

言い返せない。先ほど忠告を聞かずに怒られたばかりだ。

「別に、男でも女でもな、あんな状況になったら怖いんだよ。俺でも怖いわ」

「…三上でも?」

「ああ。だって無理矢理だろ。相手が女でも怖い」

「そ、っか…」

それならば、無理をしなくてもいいのだろうか。
自分は平気なのだと、あんなことは笑い話にしなければいけないのだと気負わずともいいのだろうか。
けれど。

「でも、明日から学校は行くし、三上がいてくれたからもう大丈夫だよ。ご飯食べたら自分の部屋に戻るし」

「戻るのか?」

「うん。蓮からメールが来たんだ。須藤先輩の部屋もう大丈夫だからって」

「ふうん」

「あの、ありがとうね。泊めてくれたり、世話焼いてくれたり」

「別になにもしてねえよ」

「うん…でも、三上が近くにいてくれたからすごく元気になった」

もう一度ありがとう、と言ったけれど、彼から返事はない。
言葉が少ない上に表情も読めないので、なにを考えているのかさっぱりわからない。
迷惑なのに無理をしてくれていたのでは、とまたマイナス思考が発動してしまう。

本当は部屋に戻りたくない。ずっと三上と四六時中一緒にいたい。
そんな我儘は通らないとわかっているけど。
やっと捕まえたのに、一度手を放したらもう二度と捕まえられない気がする。
一度部屋へ戻って、物理的に彼と距離が離れたら心まで離れるような。
この部屋から出たら、すべてが夢に変わりそうで怖い。

「み、三上携帯教えて!」

そうなってたまるかと、彼との繋がりがほしくて言った。

「携帯?お前知らねえの?」

「知らないよ。教えてくれなかったじゃん」

「とっくに潤から聞き出してんのかと思った」

言いながら彼は携帯をこちらに投げた。
ぽすんと布団の上へ落ちた携帯を握る。これは、勝手に見ろということなのだろうか。

「登録とか面倒だからお前のも入れとけ」

「は、はい…」

三上が携帯に自分の痕跡を残していいと言う。
それは友人や恋人なら当然の行いで、こんなことで舞い上がる自分は余程の馬鹿だ。
三上といるとささやかな出来事すべてが特別に想える。
それくらい、彼は僕を全身で拒否し続けたのだ。

「三上、スマートフォンじゃないんだね。今時珍しいね…」

自分の番号とメールアドレスを登録しながら言う。

「お前もだろ?」

「僕はあまりお金ないし、今のままで困ってないから」

「俺も別に困ってねえから。電話できればなんでもいい」

「そっか」

何事にも淡泊な彼らしい答えに笑みが浮かぶ。
今度は自分の携帯に彼の連絡先を登録した。
アドレスも初期のままで、ここまでくると面倒くさがり以上の何かなのではないかと思う。

「言っとくけど俺メールとかしねえからな」

「だと思ったよ」

呆れた溜息が出そうになるのを堪える。
三上は今時の若者らしくない。おじいちゃんのようだ。
無気力な若者が増えているとニュースで見たので、そこは当てはまるかもしれないが。
これを草食系男子というのだろうか。いや、もはや絶食系男子に近い。

「けど、僕から送ったりするのはいいかな…」

登録し終えて、携帯を三上に返しながら聞いた。
だめだと言われてもたぶん送るけど。

「別に、俺の許可はいらねえだろ。お前の好きにしろ」

「う、うん」

好きにしていいんだ。
自分勝手に行動しては怒られ、嫌がられていたあの頃とは違うんだ。
三上の言葉や行動で、自分たちはつきあっているのだとじわじわと実感する。
夢みたいだ。夢ならどうか覚めないでほしい。一生眠り続けて、ずっと三上と共にいられる夢を見続けたい。
邪険にされない。それどころか、自分を受け入れてもらえる。
こんなに幸福だとは思わなかった。
三上は難しいところがあるけれど、どんなに傷ついても彼の隣にいたい。一秒でも長く。
そのための努力は怠らないようにしたい。

「で、聞きたいんだけどよ、男同士でつきあうってなにすんの?」

片膝を立て、そこに頬杖をついた彼は唐突に言った。

「は!?な、なにって…そんな、そんなこと!」

「そんなことってどんなことだよ。俺女ともつきあったことねえし、ましてや男なんてどうすればいいかわかんねえし」

「わ、わかんないってそんな!口で説明しなきゃだめなのそれ」

「口じゃなかったらなにで説明すんだよ」

「だって恥ずかしいじゃん普通に!」

「なんで?なにが恥ずかしいんだよ」

折角顔の赤みがおさまったのに、またじわじわと熱を持ち始めた。
三上にデリカシーなんて繊細なものが備わっているてとは思っていないが、これはさすがに軽々と口にできるようなことではない。

「じゅ、潤に聞きなよ」

「潤に聞いてももしょうがねえだろ。別にあいつとどうこうなるわけじゃねえし」

「どうこう!?三上が、潤と…!?」

「だからならねえから」

だめだ。頭が色々と混乱してきた。

「いや、でも僕が三上に説明するのはちょっと…」

「お前以外に誰に聞けっていうんだよ」

「は、破廉恥でしょうが!」

布団をぎゅうっと握り、瞳も同じ位強く閉じた。
数拍置いて、三上の溜息が聞こえた。



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