7






部屋に入れてよ、嫌だ、お願いだよ、鬱陶しい、三上とのそういうやり取りは日常の一部と化していて、甲斐田くんには恒例の夫婦漫才と揶揄されながら笑われる。
こちらは毎回真剣で、必死で、一世一代の大勝負とばかりに挑み続けている。望みを聞いてくれる日もあれば全力で拒否されることもある。勝算は二割ほどだが過去を振り返れば充分といえるだろう。
今日の三上は少しだけ機嫌がよかったのか、渋々といった様子でリビングに通してくれた。

「あっちいなー。残暑っていつまでだよ。毎日毎日うんざりする」

早急にエアコンのスイッチを入れ、シャツのボタンを三つ開けた。
ちらりと覗く鎖骨や胸板に心臓がうるさく鳴る。三上は顔も身体も声も一級品だ。もちろん僕にとっては、だけど。
だからそんな安易に素肌を晒さないでほしい。暑さも相まって頭が沸騰しそうになるだろう。
それなら見なければいいのに無意識に視線が胸元へいってしまう。スケベなおじさんみたいで自分にがっかりする。
邪念を払拭するため、ラグに座って鞄から課題を取り出した。
こういうときは勉強が一番だ。

「帰って来てすぐ勉強とか頭おかしいんじゃねえの」

「でも明日提出だからやらないと」

「真面目な優等生の考えることはわかんねえわ」

「もっと褒めて」

「皮肉だアホが」

皮肉かあ……と頭を垂らしたが、すぐに気を持ち直す。僕はもっと勉強しなければいけない。
良い大学に入り、良い職に就き、お給料をたくさんもらって三上を養うのだ。
将来彼がどんな仕事に就くのかわからないが、好きな物を食べ、欲しい物を買い、何不自由ない生活を与えるのが人生の目標。
途中で別れる確率のほうが高いが現実的な問題はどうでもいい。
理想だとしても三上に関する目標があれば一層がんばれるし、別れたからといって金銭の援助をしてはいけない決まりはない。
毎月勝手に口座に振り込み続けたっていいだろう。
鈍くさい自分が大金を稼げるとは思えないが、目標は高くもちたい。
来年は受験で、進路相談も始まっている。具体的なことは何一つ決めていないが勉強するに越したことはないだろう。
一つ目の課題を終えた頃、休憩がてら顔を上げた。

「……三上のクラスは進路相談始まった?」

「さあ。始まったんじゃねえの」

「三上はなんて言うの?進学か就職か聞かれるよ」

「俺らみたいな馬鹿なクラスは担任も適当なんだよ。一生懸命なるだけ無駄だしな」

「そんなことないと思うけど……」

三上の担任は厳しいけど悪い先生ではないと思う。

「同じ大学に行けたらいいのになあ……」

ぽつりと言うと、三上はさっと顔を顰めた。

「冗談じゃねえよ」

「なんで?きっと楽しいよ。でも学力に差がありすぎるかあ……」

「楽しいのはお前だけだろ。こっちはストーカーから解放されるのを待ってんだよ」

「ふ、ふ、ふ、甘いな三上。学校が違くたってストーカーを続けるに決まってる。むしろ違うからこそひどくなるかも」

「警察に相談だな。ていうかお前の兄ちゃん警察じゃねえか。身内から犯罪者出してんじゃねえよ」

「犯罪じゃないもーん。三上が許してくれるから」

「調子乗りやがって」

盛大な舌打ちを寄越されたがなんだかんだ言って三上が許してくれるのは事実だ。
もちろん別れたらそうはいかないとわかっているが、警察に突き出すような真似はしない男だ。
自分の手できっちりケジメをつけるだろう。そうなったら僕を殺すしか止める方法がない。三上に殺されるなら本望だ。嘱託殺人なら刑も軽く済むらしいのでそうしよう。
ふふふ、と笑うとまたろくでもないこと考えてると指摘された。
課題をすべて終わらせ、夕飯を一緒に食べ三上の部屋の前で別れの挨拶をしていると櫻井先輩が必死の形相でこちらに走って来た。

「泉」

がっしり肩を掴まれ狼狽しながら応える。

「電話、通じなくて……。泉の部屋行ったら三上のとこって言われて……。邪魔して悪いんだけど……」

「大丈夫ですよ。なにかありました?」

櫻井先輩は息を整えながら僕と三上の順に視線をやった。

「……村上のところに行ってやってほしい」

「村上……?」

櫻井先輩から彼の名前が出たことに驚いた。
二人に接点はあっただろうか。今までそんな話し聞いたことはなかったけれど。

「廊下でする話しじゃなさそうだし部屋入ります?」

三上が扉を開けると、櫻井先輩は悪いと呟きながら後に続いた。
ソファに座り、とりあえず先輩にお茶を渡す。彼は一気に半分飲みクーラーの下でも止まらない汗を拭った。
相当急いでここまで来たのだろう。

「……その、俺の知り合いと村上が……なんていうか……」

言葉を選ぶあまり歯切れの悪い様子だが、急かさず先輩の言葉を待った。
掻い摘んで話そうとするには難しく、詳細を話せば村上の事情に踏み込んでしまう。先輩は誰も傷つけぬ方法を探しているが、ちらっと三上に視線をやった。
助けてと訴えるそれを見て、三上が村上になにがあったか知ってるのは櫻井先輩からだとわかった。
三上は溜め息を吐いてから口を開いた。

「村上と先輩の知り合いがごたごたしたんだよ。多分それがきっかけで泉をいじめるようになった」

「それで村上が俺の知り合いに会うのを助けたんだ。そしたら取っ組み合いが始まって……」

「え!怪我とかしたんですか!?」

「いや、それは大丈夫だけど……。その、村上すごく傷ついたと思う……。俺がお節介したせいなんだけど」

「そんなことないですよ」

村上が言っていたケリをつけるというのは先輩のお友達とのことだったのだろう。
関係性とは何があったかはわからないが、村上は僕との約束を守るために戦ったんだ。
傷つくとわかっていても一歩踏み出してくれた。
どうにかしなきゃと思うと同時、無意識に立ち上がっていた。

「僕村上のところ行ってくる!」

慌てて鞄を拾い上げると、背後から三上に腕を引かれた。

「なにかあったらちゃんと連絡しろよ」

気が急ぐばかりに何度も首肯すると三上は苦笑しながらとんとんと二度背中を叩いた。

「お前がそんな風だと村上がまた気持ち隠すだろ。もっとどっしり構えてろ」

「あ……そうだよね。うん。ちゃんと話し聞いて今度こそ仲直りできたらいいな」

「……行ってこい」

「あ、ありがとう。先輩も知らせてくれてありがとうございました」

深々と頭を下げると右手を挙げて応えてくれた。
村上の部屋への道中、深呼吸をしながら僕がしっかりしなければと言い聞かせる。
決着がついたらお昼休みに誘ってよと言った手前、こんな風に首を突っ込んでいいかはわからない。今は一人になりたいかもしれないし、村上自身にも気持ちを整理する時間が必要だろう。
なのに急かすように顔を見せては余計な負担になるかも。
だからといって無視をすることはできない。邪険にされてもいいから顔を見たい。お節介は僕のほうだ。こういうところが鬱陶しいのだろう。
だからなんだってんだ。お節介で鬱陶しいのは今に始まったことではない。僕は僕のまま、僕の意志に従って村上と接する。その結果嫌気が差して村上が離れていったとしてもそれは仕方がないことなんだ。
開き直りながら彼の部屋をノックしたが返事はない。
まだ帰っていないのか、無視されているのか。
スマホをとりだし、もう少しだけ待ってだめなら連絡しようと決めた。
そわそわ落ち着かない心を抱えながら廊下の壁に背中を預けていると、少し先に村上の姿を見つけた。
だらりと頭を垂らしながら重い足取りでこちらに近付いて来る。
ぼろぼろに怪我を負った動物のような姿に胸が苦しくなる。
お節介かな、嫌がられるかな、そんな心配は霧散し、ただただ今すぐ彼を抱き締めてやらなければと思った。
靴先ばかり眺める村上は僕の存在に気付かず、自室の前に来て漸く視線が交じった。

「……おかえり」

薄く笑いながらおいでと手招きする。
村上は何かに吸い寄せられるようにこちらに近付くともう限界と言わんばかりに肩に額を預けてきた。

「おかえり」

がんばったね、えらかったよ、そういう気持ちを込めてもう一度言った。
彼の背中を優しく叩くと、小さく村上が震えた。
何かを堪えるように、必死に自分の中で戦っているのがわかる。
一瞬だけ見えた目は真っ赤で、瞼も腫れぼったい。きっとたくさん泣いたのだろう。あの村上がこんな風になるなんてどれだけ傷ついたことか想像し胸が痛む。

「……部屋入るか。変なことはしないから」

「馬鹿だなあ。そんなの心配するわけない」

適当に座れと言われたが、その前に風呂掃除していいかと聞いた。
彼はきょとんとしたあとわけもわからず頷いてくれたので、勝手に掃除をしてから村上の背中をバスルームの方へ押した。

「まずはさっぱりして来て」

わけがわからないといった様子だったが、あんなぐちゃぐちゃの顔を晒し続けるのはプライドの高い村上には耐え難い屈辱だろうと思ったのだ。
あとから鏡を見て頭を抱えてほしくないし、シャワーを浴びると頭もすっきりする。
村上のために何かできることはないだろうかと考え、コンビニへ走った。
村上は大の甘党で、甘い飲み物が大好きだ。とはいえ、何を買えばいいのかわからないのでコンビニコーヒーを二つ買い、村上のほうにはスティックシュガーを三本入れた。
村上の寿命を縮めている気がして後ろめたいが、これくらい甘くしないと彼は満足しない。
ペーパーカップに入ったコーヒーを両手に持ちながら部屋へ戻り、暫くすると多少さっぱりした村上が風呂から戻り、隣に座った。
コーヒーを差し出すと、村上はそれを片手で持ったままテーブルの天板を眺めた。
途方に暮れたような横顔を見ながら、村上も人の子なんだと当たり前のことを思った。
いじめられていたときは悪魔のようで、僕にとっては絶対的な恐怖の対象だった村上が、傷つきながら自分の罪と向き合ってやり直そうとしている。
あんなに怖くて大きな存在だったのに、今は同じ人間として対等に向き合える気がする。

「……なんの決着もつけられなかった」

絞り出したような声が掠れている。

「……そう」

「ケリつけたらもう少しまともな人間になって泉と向き合えると思った。だけどなにもできなかった。だから……俺のことは放っておいて、許さないでほしい」

「……それが村上の望みなんだね」

小さく頷く彼を見て、しょうがない子、と吐息を零した。

「なら僕は村上を許す。加害者が望む通りにしたら意味ないだろ?罰として僕の友だちを続けること。いいね」

なるべく暗い雰囲気にならぬよう気丈に振る舞った。
僕は村上じゃないし、村上も僕じゃない。
違う人間の考えていることはわからないし、そもそも性格がまったく違う。
だけど三上は僕たちが似ているといった。
自罰的な振る舞いや、変なところは素直で、だけど全体的には不器用なところ、思い当たる節はある。
だからこそここで村上を拒絶したらいけないと思った。
村上にとっては僕との関係を断ち切ったほうが楽だろう。僕を瞳に移すたび、自分の罪を思い知らされるから。
だけど放っておいたらどんな方法で自分を罰するかわかったものじゃない。
極端で不器用な人間が選ぶ最悪の選択肢のすべてを断ち切らなければいけない。ならば僕の傍でちくちく胸を痛めるくらいのほうがいいと思ったのだ。

「……お前と友だちでいることが罰になんのか?」

「なるよ。自分で言うのもなんだけど、僕人を苛立たせる天才だし、うざいし、隙を見せると三上語りが始まるし、そんな人間と友だちでいるってかなりの忍耐力が必要だと思うんだよね。それに僕のそばにいる限り、村上は過去を悔やみ続ける。なら十分罰になるんじゃないかな」

「一生苦しめってか」

「あ、一生友だちでいてくれるの?ありがとう」

茶化しながら言質とったと笑う。きっと村上も笑ってくれると思ったのに、彼は真摯な瞳で頷いた。

「一生友だちでいる」

断腸の思いで決断したような声色と内容があまりにもミスマッチで何度か瞬きをしたあと噴き出した。
そんな思いつめなくていいし、義務ととらなくていいのだけど。
嫌になったらいつでも辞めていいと言おうとしたけどやめた。
これは彼にとって贖罪で、歪な友人関係はどこかで綻んでしまうだろう。最初に音を上げるのがどちらかはわからないが、村上が抱える罪悪感が少しずつ薄まるならそれでもいいかと思う。

「実は未だに村上になにがあったか知らないんだ。でも過去の話しも今日なにがあったかも言いたくないなら聞かない」

だからそんなに身構えないで。
ぽんと太腿を叩くと、村上はぐっと歯を食い縛って瞳を伏せた。
誰だってカッコ悪い過去や醜態は隠しておきたいものだ。
当事者なのだから洗いざらい吐けなんて言わない。
そんなものなくたって僕との関係を守るために村上が勇気を振り絞って行動に移したのは事実なのだから。それさえあれば彼を信じられる。
また裏切られたとしても今日の気持ちに嘘はないだろう。

「月曜日一緒にお昼食べようね」

顔を覗き込みながら言うと、村上は苦笑しながら頷いた。
仲直りの合図。そうしたらすべてを水に流す。そう約束したことを覚えていてくれたようだ。

「それじゃあ」

ソファから立ち上がると腕を握られた。

「泉……」

なにかを口にしようとして、閉じてを繰り返す様子を見て、生まれつきだという小麦肌の頬を包んだ。

「言いたくないことは無理に言わなくていいんだよ。僕たちは対等な友だちなんだから。ね」

「……わかった」

するっと手が離され扉を開けようとすると、あとを着いて来た村上が後ろから洋服をきゅっと掴んだ。

「……悪かった」

「うん」

「あと、来てくれて嬉しかった」

「うん」

「……それだけ」

「うん……。また月曜日ね」

おやすみと言いながら扉を閉める。廊下に出てからも暫く扉に寄りかかりながら天井を見上げた。
考えなくてはいけないことが散らばっている気がするけど、一つ一つ拾う作業をする余裕がない。
今日は戻って休もうと思ったのに、着いた先は三上の部屋だった。
無意識で彼に甘えようとしている自分に気付き、こんなんじゃ愛想尽かされるのも時間の問題だなと思う。
だけど、少しだけなら。
淡い期待を抱き、一度ノックしても無反応ならしつこくせず帰ろうと決めた。
賭けにでる気持ちで控えめにノックをすると、間髪入れずに扉が開いた。
驚いて見上げると、三上の冷たい瞳に見下ろされた。

「……おかえり」

心が疲弊しているとき、誰かにおかえりと言ってもらうだけで重荷を下ろした気になる。
戦場から帰ったような気持ちでそのまま三上の胸に体重を預けた。
彼は何も言わず僕の肩を包み、髪に鼻先を埋めた。
村上には偉そうなことを言ったが、気持ちの整理をしなければいけないのは自分のほうだ。
過去を水に流そうと言ったのは嘘じゃない。かといってあれもいい経験だったなんて笑えない。だけどそのおかげで三上と恋人になれたのも事実。
関係のない出来事が一つ一つ積み重なり連鎖していくのが人生というものらしい。

「三上ごめん、僕ちょっと疲れて」

「わかってる」

「来るつもりはなかったんだけど……」

「いいから」

村上とは良い友だちになれると信じている。
友だちがいなかった僕に話しかけてくれた彼に感謝していると言ったのも嘘じゃない。
だけど村上を憎いと思っていた過去が綺麗に消えてくれるか少し心配だ。
ちょっとしたきっかけで、底に沈んでいた感情がぶわりと散らばったら村上を傷つけてしまうかも。
自分も村上も不安定で、相手の顔色を一々確認しながらバランスをとり友だちの顔をする。
それってまったく健全じゃない。
なのにいつかは自然体でつきあえるばずと希望にしがみ付きたくなる。
自分がこんな風じゃ村上も心を開かないだろう。
無理に友だちごっこにつき合わせる破目になり、彼にとっては苦痛で無駄な結果に終わる。だけど僕は……。
混乱が深くなるたび、三上の服をぎゅうっと握った。

「泉」

はっと現実に戻り三上を見上げる。なにがあった、と問う視線とぶつかり力なく息をついた。

「……偉そうに過去は水に流して友だちになろうって村上に言ったんだ。だけどちゃんと水に流せるのか、村上を傷つけるような行動をとるんじゃないかって不安になる。村上のこと憎んでないよ。本当はいい人間だと思うし、昔みたいに仲良くしたい。だけど……」

言い淀むと頭上から溜め息が聞こえた。

「お前の長所はとりあえずやることだ」

急になんの話しだろう。ぽかんと口を開けると間抜け面と悪口が返ってきた。

「とりあえずやってみるって簡単なことじゃない。ごちゃごちゃ余計なこと考えて悪い想像で結論付けて足踏みする人間ばっかだ」

まさに今の自分を指摘されている。どうして三上は隠したい部分ばかり見透かすのだろう。

「だけどお前はそうじゃねえだろ。だめならその時考えようっていつも笑うだろ」

「そう、だったはずなんだけどな」

「傷つけたら謝れ。許せないことがあったら喧嘩しろ。何回もぶつかってればそのうちお前の思う友だちになれるだろ。俺とお前もそうしてる。なにも変わんねえよ」

「……そうだね。うん。そうだった」

「泉」

もう一度呼ばれ顔を上げるとゆっくりと三上が近付いてきた。
片頬を包まれゆったりと唇が重なる。
驚きながら受け入れ、一度離れた彼の首裏を引き寄せ今度は自分からキスをした。

「キスしてくれたら元気でた」

「安い男」

「それだけ三上が大好きってことだよ」

「あっそ」

素っ気ない返事にはへこたれず、へらへら笑うと今度は頬に口付けられた。
今日の三上は大サービスをしてくれる。珍しくへこんでいる僕に同情してくれたのだろうか。
理由はなんだっていい。彼が触れてくれるなら。
三上が傍にいてくれるだけでなんだってできる。
余計な思考は彼のおかげで心の奥底にしまうことができた。
やってみなくちゃわからない。最初はぎこちなく手探りでも自分たちの丁度いい関係というものがいつか見つかるはず。
きっと村上は自分の言葉を反故にしない。どんなに辛くとも、間違ってるとわかっても僕がやめようと言わない限り友だちでいてくれる。
だから僕もありったけの気持ちでそれに応えようと思うのだ。

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