6
月曜日の朝、おはようと村上に言った。無視をされた。
昼食時、一緒に食べようと言った。無視をされた。
下校中、バイバイと言った。無視をされた。
それを金曜日まで続け、今日も声を聞けずに終わった。
「めげねえなお前」
寮とは逆のコンビニへ向かいながら三上が呆れたように言う。
「しつこいのは三上が一番知ってるでしょ」
「まあな。もうほっときゃいいのに」
「…うん。でも今僕が放っておいたらもっとだめなところに行く気がする」
なんの確信もない、驕った考えかもしれない。
それでも、やらない後悔よりやった後悔。これが僕の座右の銘。
「抱え込むの好きだね」
「好きじゃないよ」
「あれもこれも、たくさんは持てないんだぞ。考えて捨てないとお前が潰れる」
「そんなに持ってないよ。それに、持てるって嬉しいじゃん。今まで誰も持たせてくれなかったし、それくらい近い関係が築けてるってことだし」
「わからん。俺は身軽でいたいね」
くあっと欠伸をした横顔を眺め、ふふ、と笑った。
「なんだよその面。むかつく」
「そう言いつつ、持っちゃうのが三上なんだなー」
「知った口きくな。鬱陶しい」
眉間に皺を寄せ、思い切り嫌そうな顔をされたがにやけた面は止められなかった。
素直じゃないなあ。本当は優しいのに。そんな風に続けると両頬を限界まで引っ張られた。
「ういででで」
ぱっと離され頬を摩りながらコンビニに入る。
食料やお菓子を購入し、寮へ戻る道すがら三上はぴたりと脚を止めた。
振り返ると遠くの景色を眺めるようにした視線をこちらに戻した。
「引き際は見極めろよ」
「……引き際?」
「もうだめだって思ったらすっぱりやめろ。あいつがどうなろうとお前の責任じゃない。あいつの問題と自分を一緒にするなよ」
「……うん」
大きく頷くと、三上は真意を確かめるように数秒見つめたあと歩き出した。
蓮には真琴がそこまでする必要があるのかとか、世の中元々性根が腐ったどうしようもない人間がいるとか、砂掛けられて終わったら村上を締めてやるとか言われる。
心配してくれているのだと思う。
でも三上は呆れはしても僕がそうしたいならと尊重する。
まあ、疲れたときは栄養補給くらいはしてやるとでも言わんばかりに端っこのほうで見守ってくれる。
相手の意思を自分の意見で捻じ曲げようとしない。そういうところが大好きだ。
そこまで興味がないともいえるが、だめだったとき受け止めてくれる人や場所があるだけで人間がんばれるというもの。
以前の自分ならびくびく身体を小さくし、もう村上に関わるのはごめんだと見ぬふりをしていた。
三上はただそこにいるだけで僕を少し変えてくれる。
嬉しい、大好き、感情の水位がぐんとせり上り、三上の腕に抱きついた。
「あー!鬱陶しい!」
ぺっと放り投げられ、その拍子に転ぶとすたすた先を行かれる。
僕が転んでも躓いても自分で起き上がれるよな、さっさと来いよ、そんな調子だ。
いつだって、どんなことでも三上はそうやって僕が這い上がるのを少し先で待っている。
泉なら大丈夫、どん底まで落ちたって絶対起き上がる。そういう信頼を感じるので、もたもたしていられなと思うのだ。
がばっと起き上がり、少し先の三上目掛けて走り出す。
途中脚が縺れ、また転びそうになって、慌てて三上のシャツを掴んだ。
ぐんと後ろに引っ張ってしまい、二人揃って転んでしまった。
「お前なあ!」
「すみません!」
砂埃を払うように立ち上がると、ネクタイを捕まれ三上はそのまま引っ張るように歩き出した。
「あ、あのー。これは…」
「犬の散歩だよ。リード掴んどかねえとまた噛み付かれるからな」
「わん!」
「返事だけはいいよな。返事だけは」
だけ、を強調され、一瞬落ち込み、すぐに立ち直りご主人様の周りをくるくる回る犬のようにした。
「……うざい…」
げんなりした表情で言われ、もう一度わん、と小さく鳴いた。
次の月曜日も村上におはようと声を掛けた。一瞬だけ視線が合い、ふいと逸らされた。
これは大きな進歩では。
先週は存在を無視するようにこちらを見ようともしなかった。
お昼一緒に食べよう。もう一度視線が交じり、また無視をされる。
バイバイ、また明日。今度は視線も合わなくなった。
一歩進んで二歩下がり、そんな風に一週間が終わり、また月曜日、懲りずにおはようと声を掛ける。
今日も返事はない。
まあいいさ。無視されるのは慣れている。
いじめられっ子体質がこんなところで役立つとは思わなかったが、人生なんでも経験しとくもんだなあなんて呑気に考えた。
四限が終わり、教科書や筆箱をさっさとしまい、財布を持って村上の席の前に急いだ。
「お、お昼一緒に食べよう」
頬杖をつき、窓の外を見ていた村上はゆっくりこちらに顔を向け、僅かに眉間を寄せた。
「学食でも、購買でも、どっちでもいいよ」
前のめりになると、村上は机を蹴飛ばすようにしながら立ち上がった。
教室内が水を打ったようになる。
そのまま教室を出ていってしまった背中を眺めていると、蓮に腕を引かれた。
「もうやめな真琴」
「でも……」
「あのままじゃまた真琴を殴るようになる」
「そうかな」
「そうなったら僕は今度こそ村上を許さないよ。真琴が止めてもしかるべき方法で対応するよ」
冷えた目で言われ、苦笑しながら頷いた。
これが三上が言う引き際なのかもしれない。
自己満足と村上が望んでいるものと友人の気持ち、すべてが合致することはなく、どれかを選べば誰かが傷つく。
世界はそういう風にできているのだと思う。
「とりあえずご飯食べようか。今日は真琴の大好きなプリンの日だよ」
「あ、忘れてた!早く行かなきゃ!」
ぱたぱたと廊下を走ると途中で先生にこら、と叱られた。
すみませーんとへらへら謝罪し、姿が見えなくなるとまた走り出す。
自分でも不思議なんだ。
優しさを与えてくれる、大事な友人がいるのになぜ村上を放っておけないのか。
蓮や潤、輪の中に入ってくれる人たちを大切にすればいいのに。
でも僕はあちらから輪に入ってくれる人だけじゃなく、自分から招待したいのだと思う。
蓮たちはそうしてくれた。
絶対楽しいからこっちにおいでよと手をとってくれた。
三上は村上に言った。僕と彼は似ていると。似ているなら尚更彼の痛みを理解できると思った。
思い上がるなと怒られるかもしれいないけど。
学校を終え、寮に戻り一人で夕飯を食べた。
蓮は帰ってくるなり月島君に連行され、だから毎日少しずつ勉強しろって言ってるのに、とぷりぷり怒りながら出ていったきり戻ってこない。
お風呂に入ろうかなと読んでいた本をぱたりと閉じたとき、ノックの音がし扉を開けた。
扉の先には俯くようにした村上が立っていた。
一瞬言葉を忘れ、笑いながらご飯食べた?と聞く。
「……食べた」
「そっか。散らかってるけどどうぞ」
扉を開け放ったが彼は動こうとせず、だけど急かさず彼から動くのを待った。
「…部屋に入るのは悪いから、ちょっとつきあえ」
「う、うん!」
慌てて鍵を取りに戻り、村上の背中を追う。
学食近くの談話室の中に入ったので、腰高のスツールに並んで座った。
「何か飲む?あ、ココアあるよ」
売り切れのランプが光っていないのを確認し、彼の分と自分の分を購入し、一つを村上の手にそっと置いた。
村上はそれを握りつぶす勢いでぎゅうっとし、床の一点を見たまま固まってしまった。
村上から訪ねてきたということは、きっとなにか話しがあるのだろう。
ゆっくり、彼の気持ちが整理されるのを待ちながら、呑気にココアをちゅうちゅう吸った。
やっぱり少し甘すぎないか?
顎に手を添え、成分表をじっくり眺める。
「……三上に、聞いたんだろ」
村上がぽつりと言いった。
「聞いてないよ」
彼は目を丸くしながらやっと視線を合わせてくれた。
「三上言わなかったのか」
「うん。自分の知らないところで自分の話されたくないだろって」
「は、同情?」
「うーん、ちょっと違うと思う。三上は他人様にかける情が薄っぺらいからね。自分が気に入らない人間なら尚更」
「じゃあなに」
「単純に自分がされて嫌なことをしないだけじゃないかな。相手が誰でも」
「……三上も大概お人好しだ」
村上はくしゃりと前髪を掴むようにし、がっくり項垂れた。
「……今日、昼間、悪かった」
「昼間?なんかあったっけ?」
知らぬふりをすると、彼は一度開けた口を閉じた。
下唇を噛み締めるようにし、苦悶に満ちた表情でますます背中を丸くした。
「…もう俺に構わないでほしい」
「……どうして」
「多分、このままじゃまた泉にひどいこと言ったり、したりする」
「……そうかな」
「絶対そう。泉に八つ当たりして……前と同じ」
うーん、と唸りながら腕を胸の前で組んだ。
「僕はそうは思わないんだけどな」
「馬鹿じゃねえの」
「うん。僕自分で思ってるより馬鹿だし、でもやっぱり期待するんだよね。村上にひどいことされた。痛かったし、苦しかったし、地獄に堕ちろと思ったこともある。でもさ、だからって仲良くしてた頃を忘れられないんだよ」
「…だから俺みたいなのに目つけられんだよ」
「あ、それ三上にも言われた」
くすくす笑い、僕よりずっと大きな背中を小さくする姿に悲しくなる。
「村上は最初なにか意図があって僕と仲良くしてた?違うよね。一人でぽつーんとしてるのが気になって声かけてくれたじゃん」
ぽんと背中に触れると彼はびくりと震えた。
「僕幼稚園の頃からよくいじめられてたんだ。友達なんて学以外いなくて、ずっとそうやって生きるのかなって思ってた。でも村上が友達になってくれた。嬉しくて、嬉しくて、距離感とかもわからなくて、根拠がないのに友達だからゲイでも絶対受け入れてくれると思ってた。まあ、今思うと馬鹿だったんだけど……」
言葉を重ねるたび、村上は少しずつ頭を垂らしていった。
「村上にたくさん傷つけられたけど、僕を救ってくれたのも村上なんだよ。そんなことって思うかもしれないけど、声をかけてくれたとき本当に嬉しかったんだ。だから僕は村上を信じてしまう。多分、たくさん嘘をつかれても、裏切られても、ごめんって謝られたらいいよって言うと思う」
村上はなにも言葉を返さず、内側で戦うように小さく震え続けた。
大丈夫、大丈夫、君は嫌な人間じゃない。
ぽんぽんと背中を叩き続けると、村上は深く息を吐き出した。
「……ケリつけてくる。区切って、終わらせて、そしたら……」
「……うん。全部終わって整理できたらお昼誘ってよ。そうしたらもう過去は蒸し返さないで元に戻ろう。それまでは僕からは声かけないよ」
しんみり、重苦しい空気が嫌でぱっと表情を明るくした。
「村上にはしっかりしてもらわないと困る。僕ぼんやりしてるんだからさ」
「自分で言うか」
ばしっと背中を叩き、それじゃあねと立ち上がった。
「……泉」
扉に手を掛けながら振り返る。
「……ありがとう」
「……うん」
表情は見えなかったが今はそれでいい。
きっと村上は自分がいうケリをしっかりつけ、いつか僕に声を掛けてくれる。
その日が来るまで遠くのほうでがんばれーと小さく声援を送る。
ちっぽけな支えでもないよりはましだろう。
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