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ぽかんと後ろ姿を見送り、ゆっくり三上を振り返った。

「なにが、どういうことで…?」

説明を求めると、三上は小さく溜め息を吐き、その前に手当と言った。
氷が入ったビニール袋を頬に押し付けられ痛い、痛いと抗議する。

「庇わなくてもかわせたのに。馬鹿かよ」

「すみません、身体が勝手に…」

自分で氷袋を持ち、歯が折れなくてよかったと安堵した。
三上は僕の手首についた赤い輪をゆっくり摩るようにし、呆れ交じりに吐息をついた。

「お前の不幸体質はよっぽどだな」

「そうなんだよ。昔からいじめっことか怖い人に目をつけられやすくてさ」

「そういう奴は嗅覚が鋭い。丁度いい標的を見つけるのが得意なんだよ」

「そっか。じゃあ一生このままかな」

「呑気に言ってんなよ」

三上は頭痛がすると呟きながら額に手を添えた。

「本当に首突っ込むつもりはなかった。あの馬鹿が大人しくしてるうちは。お前のお友達らしいし?」

「随分こだわるね……」

「俺もあいつと同意見。お人好しにも限度があるぞ」

「言いたいことはわかる。でも村上が本気で僕をどうこうするつもりがないのはわかってたし。なんていうか、村上はいつも試すみたいだった」

「試すね……」

「なにをって聞かれてもわからないけど、なんとなく」

宙を見ながら言い、三上に視線を戻すと彼は難しい顔でなにか考えているようだった。
一人で抱え込んでほしくないのでごめんねと謝罪し、けれど自分は間違ってないとも思った。

「それで、村上に過去なにがあったのか説明してくれるとありがたいんだけど」

「言わない」

「なんで!」

「言えばお前は同情する。理由があればなにやってもいいわけじゃねえぞ」

「でも理由を知ってれば納得できることもある」

「納得なんてしなくていい。あいつはお前をいじめて、お前はそれに耐えて、そっから先はあいつの問題。お前が介入する必要はない」

「そうだけどー……もやもやするなあ!」

「村上だって自分の話他所でぺらぺらされたくねえだろ」

「……確かに」

いいように丸め込まれた感は拭えないが、自分の傷や痛い場所を人におもしろおかしく突かれるのがどんなに辛いかわかる。
対象がどんな人間だろうと関係ない。分け隔てなく尊重するのは三上の長所だ。
いくら僕が当事者であっても村上の傷を目の前に引き延ばしたりしない。
しょうがないと諦めたように息を吐き出し、わかったよと頷いた。

「もう聞かない」

三上は二、三度頭を撫でるようにし、小さく笑った。

「で、お前は明日からどうすんの」

「なにが?」

「あいつのこと」

「どうもしないよ。朝おはようって言って、たまにお昼誘ってみて、帰りはバイバイって言う」

三上はこちらをじっと眺め、片方の口端を持ち上げた。

「村上に同情する」

「え、なんで……」

「お前のそういうとこ、俺らみたいな人間には怖いんだよ」

「べ、別に村上をストーカーしないよ!?」

「そうじゃない。鬱陶しい、もう嫌だって思うのに間が空くとほしくなるんだよ。お前はほしがればその分与えるから短期間で中毒になる」

「それはいいこと?悪いこと?」

「さあな。嫌だと思う奴もいればいいと思うやつもいる。お前の周りの人間はそういうとこが気に入ってんじゃねえの」

「み、三上は……?」

「すげー嫌」

横っ面を殴られたような衝撃に一瞬呼吸が止まった。
自失しそうになり慌てて意識を現実に引き戻す。
直したくてもどこをどう直せばいいのかもわからない袋小路。
僕はみんなに普通に接しているつもりだし、別段いい人間でなく、悪い人間でもない。秀でておらず、特別劣ってもいない。
平凡で、凡庸で、誰の目にも止まらない野草のようなもの。
三上に対してはストーカーを止められなかったり、好きを振りまいたり、後ろめたいことをさんざんしたけど、それ以外は人畜無害であったと自負していたのに。

「ど、どこを直せばいいのでしょうか。嫌ならやめる」

懇願するように眉を寄せると、じっとりした視線を向けられ、くっと笑われた。

「嘘だよ」

「嘘はついちゃいけないんだよ!」

「そうだな。嘘はついちゃいけないな」

頬に当てていた氷袋を奪われ、あ、と口を開くとすっぽり三上の胸に収まるように抱き締められた。

「……もっと嫌な人間になってほしいけど、それはもうお前じゃないもんな」

「僕そんないい子じゃないと思うけど……」

「まあな。盗撮写真を堂々と貼るくらいには悪い子だな」

「う……」

「悪い商売に引っかかりそうで目が離せない。壺とか絵とか買うなよ?」

「さすがにそこまでは…」

「これを買うと恋人があなたに夢中になるんです、とか言われたら買うだろお前」

「それは買う」

くすくす笑うと、抱き締めたままゆっくり左右に揺らされた。

「これでも結構お前に参ってんだ。あまり心配させんなよ」

嬉しいよりも驚きすぎて言葉が出ない。
何か言わなきゃと思うのにまとまる前に霧散して、無様に口をぱくぱくさせた。

「ぼ、僕はもっと参ってる!」

「そうかよ」

「うん!」

秀でたところなんて一つもない。
道端で簡単に踏み潰される雑草。
だけど三上への気持ちだけは誰にも負けない。
気持ちが大きければ選ばれるわけじゃない。気持ち悪いし、重たいし、自分自身に引くこともある。
この先、誰かと三上をとりあうことになるかもしれない。
それでも僕はへこたれない。踏まれても踏まれても這い上がってほしいものへ全力で手を伸ばす。
どうせ手に入らないから、それなら最初から捨ててしまおうなんて諦めない。
粘り勝ちなんて言葉もあるだろう。
凡庸な自分は粘るくらいしかできないから。

「……口開けろ」

「え、キスしてくれるの?」

「アホか。切れたとこ見せろって言ってんの」

ちっと舌打ちすると頭に手刀が下りてきた。
三上はぷっくり膨れているかもしれない頬を指の背で撫で、男前になったじゃんと笑った。

「男の勲章ってやつですね」

「無駄な勲章な」

「無駄じゃない。万が一三上に当たってたかもしれない」

「万が一にも億が一にもない」

「わかんないじゃん!」

「はいはい。守っていただきありがとうございました」

「まったく感情こもってないけど、まあ、いいや。僕が守りたかっただけだから。自己満足」

「じゃあ痛いのも我慢できるな」

「痛みには強いからね。これくらいなんてことないよ。でも今日はご褒美としてお泊りしてよ」

「自己満にご褒美なんてねえんだよ」

「手厳しいなー」

「ご褒美はないけど、看病として泊まってやる」

「本当!?怪我の功名ー!」

「お前は本当に……」

どうしようもない。
あとに続くであろう言葉を脳内で再生し、そうなんです、どうしようもないんですと笑った。
眠る支度を整え、狭いベッドに身体をぎゅうぎゅうに押し込む。
三上の腕が腰に回りきゅっと引き寄せるようにした。
三上は口数が少ない。大事なことほど言葉にしない。
その分目でお話ししてくれる。
だから僕はじっと三上の目を見つめてしまう。
今どんな気持ち?僕をどう思ってる?
探るように、一瞬の色の変化も見逃さぬように。
今日は少しの落胆と、それから後悔。そして小匙一杯程度の愛おしさ。
それだけで僕には充分。
三上の鎖骨に額をぐりぐり擦り付ける。
顔を上げると呆れた表情と目が合い、前髪を上に捲るようにし、額に触れるだけのキスをくれた。

「早く寝ろ」

「はい」

すうっと息を吸い込み、三上の香水の香りで肺を一杯にする。
三上に触れた手で体温を感じる。
ゼロ距離でいられるこの瞬間を思い出の箱の中に閉じ込める。
辞書に載ってる言葉では言い表せない幸福と愛情。
三上は僕がほしがるだけ与えるから中毒になると言ったけれど、それは三上も同じだ。
心の奥のほう、いつもからからに乾燥している場所に、三上はそっと形ないものを置いてくれる。
ぐんぐん吸い込み一気に体内を巡り、彼なしでは生きていけなくなってしまう。
慢性中毒状態で、いつでも腹ペコ。
彼を想う限り満腹になることはなくて、好きが枯れることもなくて、それはとても苦しいことで。なのにどうしてだろう。もっと苦しくしてほしいと思う。

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