3
午前中の授業を終え、パンを抱え校舎の壁に寄り掛かるように地べたに座った。
封を開けながら陰とはいえ少し暑いなと思う。
三上はどこかへ行ってしまったし、蓮は甲斐田君と学食。潤は有馬先輩のところへ行き、皇矢の姿は見当たらず、学はクラスメイトと一緒。
そうなるともう友達はいないので必然的に一人きりでの昼食になる。
小さく吐息を零し、まだ夏の強さが残る太陽に目を細めた。そろそろ九月も終わるのに。
衣替えにはまだ早く、ブレザーを着なければいけないのが嫌だ。
制服に関して教師からうるさく言われるわけではないし、パーカーを羽織ったりカーディガンを着たり個々それぞれ気温に合わせて調整するが、制服以外の衣服をあまり持っていない自分はブレザーを着るしかない。
一つ目のパンを食べ終え、ネクタイを指で挟んだ。
三上と交換したネクタイ。
そろそろクリーニングに出すべきだろう。夏の間でだいぶ汗を吸わせてしまったし、汚したくない。
けれど彼の匂いが消えるのが惜しい。
クリーニング後もう一度一週間ほどつけてもらって回収しようか。
変態と罵られ却下されるに決まってる。それならこっそり今三上がつけている自分のネクタイと交換して……。
算段を整えていると顔を斜めにするようにして村上が視界に入ってきた。
「わ……」
「なにぼんやりしてんの」
「いや、なんでもない…」
ネクタイからぱっと手を離しぎこちない笑みを浮かべた。
「一人で飯食ってんの?」
「う、うん」
村上はふーんと少し考えるようにしたあと、一緒にいた友人に先に戻っててと手を振った。
「パン二個だけ?」
「これしか買えなかった」
「まあ、購買は戦争だからな」
「人気な商品はすぐなくなるからね」
コロッケパンとか、焼きそばパンとか、炭水化物に炭水化物を添えた商品が大人気。
カツサンドなんて一度も買えたことがない。
村上は隣にしゃがみ、暑いと言いながら開いた胸元をぱたぱたとした。
「泉は一年中きっちりネクタイしてんな。暑くない?」
「暑いけどなんとなく制服はちゃんと着なきゃと思って。おしゃれな気崩しとかできないしね」
「真面目か」
「真面目です」
きっぱり断言する。
うちのクラスや学のクラスは成績優秀な生徒で構成されている。
蓮や村上もそうだし、甲斐田君もそう。
だけど成績がいいイコール真面目ではなく、甲斐田君も学も村上も結構適当な人間で。
特に村上は見た目だけで判断すると頭が悪く見えるかもしれない。実際は自分より優秀なのだけど。
耳に並んだピアス穴をじっと見て、痛そう、と呟いた。
「これ?痛くないよ。泉もあける?」
「あ、あけない」
「なんで?親にもらった身体は大事にしろとか言うタイプ?」
「単純に怖いから。耳たぶって結構厚いじゃん。身体に針が貫通するなんて考えただけで…」
「大丈夫だよ耳たぶなら。軟骨のほうはちょっと痛いけど」
「あー、聞いてるだけでぞわぞわする。村上は相良君といい勝負だねえ」
「ああ、相良の耳もすごいもんな」
「相良君知ってる?」
「まあ、目立つから」
「そっか。学と同室でね、すごくいい人なんだよ」
「だろうな。相良の悪口言ってる奴見たことない。俺的には怖いけど」
「…怖い?」
「そんだけいい奴って言われると裏があるんじゃねえのって」
「裏……」
多分相良君にはないと思う。
そこまで仲がいいわけではないが、あの笑顔が作り物なら俳優になれる。
屈託なく、分け隔てなく、そばにいる人間を明るい気持ちにさせてくれる。
落ち込むことがあっても、相良君の陽気に当てられると浄化されるような。
学もそういうところが気に入ってると言っていた。
「どう思う?」
答えを求められたので首を横に振った。
「ないと思う」
村上は数秒こちらを眺め、口を笑みの形にした。
「泉ならそう言うと思った」
「馬鹿だから?」
「すぐ人を信じるから」
「ああ、うん。三上にもよく怒られるよ」
苦笑しながら無意識にネクタイに触れる。
三上を思い出すとき、彼のことを話すとき、こうしてそっと触れるのが癖になってしまった。
「……それって、三上の?」
「え!?」
なぜバレたんだろうと挙動不審に両手をわたわた動かした。
「す、すみません…」
「なんで謝んの。責めてないよ」
「そう。そうだよね…」
今仲良くしてくれる友人たちは僕や三上が誰とつきあおうが、別れようが法に触れない限り尊重してくれるだろう。
けど村上は違う。同性愛を毛嫌いしているし、なんとなく気後れしてしまう。
悪いことをしているわけではないけれど、起訴状朗読される被告人のような気持ちになる。
「三上もそういうことしてくれんだな」
「…まあ、半ば無理矢理ね」
「あんまり泉のこと大事にしてるようには見えないからさ」
ぐさ、ぐさ、と矢が胸に刺さる。
わかっているが第三者目線でもそう見えるのかと思うと少し落ち込むではないか。
「休み前三上が一緒にいた女はなんだったの?」
「ああ、村上が見せてくれた写真の女の子は三上の妹さん」
「妹?妹とあんなべたべたするか?」
「三上は重度のシスコンだし、妹さんも三上によく懐いてるからね」
「本当に妹か」
真摯な瞳で問われ、何度も首肯した。
正直、後ろ姿で確信は持てないが三上がそう言うならそうなのだ。
三上はつまらない嘘をつく男ではない。
嘘をつくとその嘘を覚えておく必要がある。そんな面倒なこといちいちしてらんねえなといつか言っていた。
「み、三上が妹って言ってたから…」
「それをそのまま信じたの?」
「う、うん。だって、三上が……」
「三上が言うことならなんでも信じる?」
「うん」
なにかおかしいのだろうか。
不安になりながら頷くと、村上は長い溜め息を吐いた。
「もし、万が一それが嘘だったら余計傷つくぞ」
「え、そ、そうかな」
「裏切られる辛さはお前もよくわかってんじゃねえの」
「……どうだろう。僕は人に裏切られるほど親しくなったこともないし」
「俺は?裏切っただろ」
「それは、それなりの理由があったからで……。傷つかなかったわけじゃないけど、まあ、普通に気持ち悪いよなって自分でも思うから」
「お前は……」
呆れたような声色に恐る恐る視線を向けた。
村上は手で口を覆うようにしながら真っ直ぐ前を見て、なにか考えているようだった。
どうしよう。
困惑すると、ポケットの中で携帯が震えた。
相手は三上で、慌てて電話に出た。
『昼飯買って来い』
「いいけど、購買まともなの残ってないよ?」
『なんでもいい。教室にいる』
ぶちっと切れたそれをポケットに戻し、購買行ってくるねと告げる。
それじゃあ、また教室で。言いながら前を通り過ぎようとすると、腕を握られ振り返った。
「三上は本当にお前が好きなんだよな。パシリとかいいように扱ってるわけじゃないんだよな」
「た、多分……?三上は遊びで誰かとつきあう人じゃないと思う。ましてや男となんて」
「…そうか」
ぱっと腕を離され、心配してくれたのかと驕ったが、村上の表情は真っ白だった。
なにも見えない、真っ白。
ただ何かを回顧するように遠くを見ている。
「早く行かないとなにも残ってないかもよ」
「だね。じゃあ」
少し先に行ったところで振り返ると、村上は同じ姿勢のまま、まだ遠くの景色を眺めていた。
彼にはなにが見えて、なにが見えていないのだろう。
不安な子どものようで、だけど親を探すのをとっくに諦めたような寂しさ。
そういうものを彼から感じる。
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