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暫くすると睡魔がやってきた。
最近の睡眠不足は深刻で、浅い眠りを繰り返しては内容も覚えていない悪夢で起きる。
起きる瞬間は心臓がぎゅっと握り潰されたような感覚で、暫くは鼓動が煩い。
三上の臭いを嗅いで落ち着いて、そしてまた再び眠ろうと努力する。
三上に頼ったのは一度きりで、あれは本当にタイミングが悪かったと後悔している。
ぼんやりする頭で、何度も何度も悔いた。
瞳を開けると窓の向こうは薄らと夕焼けの気配があった。
春だけどまだ陽が落ちるのが早い。
今日は魘されずに眠れたようだ。きっと三上の気配を近く感じていたから。
ふと人の気配を感じて窓と反対側に視線を移した。
三上がベッドを背凭れにして座っていた。
まだはっきりとしない頭で、何故彼がここにいるのか考えた。
考えても意味はないけど。
それよりも、気配だけではなく、物理的に彼が近くにいてくれたことが嬉しくて、嬉しくて。
なにかを考えるよりも前に、背中に手を伸ばした。
そっと触れると、彼は驚いたようにこちらを振り返った。
ただでさえ自分は見栄えが悪く、寝起きは更に不細工なので、あまり見られたくないけど。
とろんとする瞼を一生懸命押し上げた。
「起こしたか」
「いや、普通に起きた…」
「そうか」
背中に触れた手が迷子になり、ベッドに頬杖をついた彼の肘あたりを軽く握った。
どうして、寝起きは不安になるのだろう。
ようやく親を見つけた子どものような心境になる。
これでは三上が言うように、保護者とその子どもだ。
重くなる瞼に逆らう。
顔に無造作にかかる前髪を彼が優しく払った。
「…怒ってない?」
「…ああ」
「そっか」
安心して笑いそうになり、急いで顔を引き締めた。
泣き笑いのような顔はやめろと言われていたのだ。
「なんだよ、変な顔して」
「…いや、三上が嫌いな顔をしそうになったから」
「嫌いな顔?」
「泣き笑い、やめろって」
「…ああ。そうか」
さっきとは打って変わって穏やかな空気がこそばゆい。
これはこれで、どうしていいのかわからずに戸惑う。
でも、とても安心できる。欠けている部分がないし、すべてが満たされた感覚に陶酔しそうになる。
「悪かったな」
「…なにが。大丈夫だよ。怒りたいときは怒ってよ。無理しないでほしい」
「お前に八つ当たりしたからだよ」
「平気だよそんなの」
「平気じゃねえだろ」
「僕が悪かったんだからいいんだ。僕、考えなしに行動するし」
「そうじゃねえよ…。お前がいなくて、俺が一人で焦ってただけ。悪いこと、考えちまって。すぐ潤に電話したのにあいつ出ねえし」
そういえば、話している最中に潤の携帯が鳴っていた。
出なくていいのかと聞いても、いいんだと言うから、てっきり有馬先輩だと思っていた。
「あいつ、わざとだろ。わざと出なかったんだろ」
「…たぶん」
「くそ…。後でしめとく。だから、お前に八つ当たりしただけ」
「僕が悪いじゃん。置手紙とかしていけばよかったんだから」
「まあ、それはそうだけど…。なんっつーか。自分でもびっくりするくらい焦って、お前を連れ戻して、自分すげーうぜえじゃんって思って…。だから、自分に苛々してただけ。わかったか?」
こくりと頷いた。
けど、言葉の意味を理解するには少し時間がかかった。
三上はほんの一つまみ程度しか僕を好きじゃないと思っていた。
でも、こうして気に掛けてくれている。
それが好きという気持ちから生まれるものではないとしても、どんな形でも想ってくれているのが嬉しくて。
じわじわと波紋が広がって、すべてを理解した頃には心臓が潰れそうになった。
意味もなく泣きたくなって、眉間に皺を寄せて我慢した。
「…こうしてると言えるのにな。なんでちゃんと向かい合って話してるとなにも言えなくなるんだろうな…」
独り言のように呟いた言葉に、水位が急激に上がっていく。
お願いだからこれ以上は与えないでほしいのに、嬉しくて、恋しくて、どうしようもなく好きで。
ぐちゃぐちゃにぶちまけられた心が溢れそうになる。
抱き締めたいけど、きっと拒否されるから、掴んでいた腕に力を込めた。
「僕もだよ。ちゃんと向かい合って話すとなにも言葉が出てこないよ」
「…俺も、お前もどうしようもねえな」
三上は薄らと微笑み、つられて自分も笑った。
次の瞬間、握っていた手をとられ、三上は自分の唇に僕の手の甲を数秒押し当てて放した。
あまりにも突拍子もない出来事すぎて、慌てて手を引っ込めた。
眠気なんて一気に覚めるくらいの衝撃だ。
「なんだよ」
「ご、ごめん。びっくりして…」
「お前からいつもひっついて来るだろ」
「でも逆はびっくりするっていうか…。三上から僕に触るとか、なんか想像もできないことすぎて…」
大いに動揺してしまい、目の前がぐるぐると廻る。
「じゃあもう触んねえよ」
「それはだめ!」
「どっちだよ…」
「嫌なんじゃなくて。むしろすごく嬉しい。びっくりしただけで」
慌てて言い訳をして、なんで自分はこんなフォローをしているのかと我に返る。
でも信じられなくて。
三上が、自分に触れてくれた。
暫く手を洗えない。
迫ることには慣れているが、迫られると腰が引けてしまう。
自分から気持ちを垂れ流しにするのは得意なのに、受け取る作業は初心者すぎて。
こんなに焦がれている三上相手ならば尚更だ。
知恵熱が出そうだ。
たかが手にキスをされただけでこんな具合だ。
その先を考えると爆発するかもしれない。
「お前口に出てんぞ」
「え!ど、どっから?」
「知恵熱うんぬんから」
「ごめん!いや、なんで謝ってんだろ。ちょっと、今パニックだから、気にしないで!」
上半身を起こして、膝を三角に折り、その上に額を乗せた。
恥ずかしい。穴があったら入りたい。
付き合う前はあんなに積極的に迫ることができたのに、どうして今は同じようにできないのだろう。
好きになってほしい、触れてほしいと戸惑いもなく言えたのに。
気持ち悪い。自分が乙女すぎて気持ち悪い。
変態になったり、初心な乙女になったり、忙しいものだ。
どちらに転んでも気持ち悪いので、普通を目指したい。
とにかく今は、うるさい心臓を治めたい。
ぎゅっと瞳を閉じて、数学の公式を並べた。
「その先、やってやろうか。今」
「わあ!」
耳元で囁かれ、顔を弾くように上げた。
口の端を持ち上げた三上と目があい、からかわれているのだと理解した。
「そういうこと言わないでよ。心臓に悪いな…」
「なんだよ。前はやりてえ、やりてえってうるさかったのに。極端な奴だな」
「あーあー!もうなにも言うな!」
羞恥が爆発して逆ギレだ。
「へえ。お前の気持ちがわかったわ。拒否されるともっと迫りたくなんのな。好きな子は虐めたいとか、そういうやつ?」
「お願いだからもうやめよう!マジで、心臓爆発したら三上を呪うから」
心臓あたりを鷲掴みにしてじろりと睨んだ。
三上は意地悪そうにけらけらと笑い、僕は憮然としながら赤面する顔を隠した。
どこの生娘だ。気持ち悪い。自分で突っ込む。
自分がこんな風になるとは、予想していなかった。
本当に気持ち悪い。初心とはかけ離れた言動や行動をしていたくせに、今更。
とりあえず、しばらく三上の目が見れそうにない。困った。
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