14



三上が寮にいないなら自分がいる意味もない。
身の周りの僅かばかりの荷物を鞄に詰め、実家へ戻った。
少し大きくなった気がすると家族に口々に言われ、クーラーの下で伸び切ってアイスを頬張るだけの日々はまさに自堕落という言葉がぴったりだ。
誰の目も気にせず、誰の言葉も届かない。完璧に安全な箱の中は蓄積されたストレスを融解するにちょうどいい。
放り投げた手に掴んでいた携帯をちらっと眺めた。
三上には毎日おはようとおやすみを送っているが返事はない。
一度、いつ既読がつくのかじっと観察したところ、送ってから二日後なんてざらだった。
開かず放置されているのだろうとわかっても送るのを止められない。
なんでもいいから繋がっていたい。それが目に見えない電波や、ちっぽけな既読マークでも構わないから。
夏の午後、そんなことを考えながらぼんやり過ごしていると、手に持っていた携帯が小さく震えた。
画面には三上の名前が表示されており、慌てて身体を起こす。

「は、はい!」

電話くれるなんて珍しい。どんな用だろう。声が聴きたくなったなんて甘言は期待しないが心臓がうるさく飛び跳ねる。

『もしもーし』

しかし聞こえてきたのは三上の低音ではなく、女性のソプラノだった。

『私椿。覚えてる?』

「あ…は、はい!勿論覚えてます!」

『今なにしてんのー?』

「今は…家でアイス食べてます」

『お、いいねー。じゃあそれ食べ終わって予定なかたらこっち来ない?』

「こっちって、三上の家…?」

『そう。陽介全然起きなくて暇でさー』

「は、はい」

咄嗟に返事をした後にしまったと後悔した。
三上の承諾なく家に上がるのはマナー違反だと思う。親しい友人同士や恋人同士なら問題ないかもしれないが、自分たちには当てはまらない。

『じゃ、待ってるねー。駅まで迎えに行くから到着時間ラインしてねー』

ぶちっと切れた電話に向かってあの、と言ったがもう遅い。
どうしよう。一瞬考え、正しい答えはやはり行けないと椿さんに謝る一択なのに、会いたい気持ちが正しさの邪魔をする。
だってもう彼の顔を一週間以上見ていない。
部屋の中を無意味に歩き回りながら考える。
自分たちだって一応恋人なのだからふいの訪問くらい許されるのでは。
僕の百分の一くらいは三上も会いたいと思っているかも。
いや、でも、しかし。
うんうん唸り、結局着替えをし、勢いで電車に飛び乗った。
あちこちに跳ねる心臓をぎゅっと抑えながら三上の携帯に到着時間をラインする。
中途半端な時間の車内は移動中のサラリーマンや子供を連れた母親がぽつぽつといるだけだった。
椅子の端っこに腰を下ろす。
怒られるんだろうなあという恐怖より、今は一目だけでも会えるのだという高揚感が勝った。
思慮深くないから何度も怒られてきたのに、三上のことになるとだめだ。
恋は人を馬鹿にさせるというけれど、馬鹿なんて簡単な言葉では済まない。
どれだけ相手に溺れるかも人それぞれだろうが、三上は水面から顔を出しているのに対し、自分は自ら底へ、底へと潜っている。
その埋まらない隙間を寂しいなと思い、そんなのは贅沢だと思い直し、だけどもう少し興味を持ってくれたら嬉しいなに着地する。
突然姿を消してもすぐに気付かれない距離というのは恋人としては不合格だといわれるかもしれない。
お飯事だとか、欠けているとか、とにかく、世間一般ではとても理解できない関係だろうが、それでもいいのだ。
誰にわかってもらえずとも、彼がこの距離がベストだというなら従うまで。
どれだけ気持ちを押し殺しても構わない。隣にいられるならなんだってする。
いまだに付き合って"もらっている"感覚は抜けない。
よくないとわかっている。卑屈になる度、三上は言葉ではなく瞳で苛立ちを表すし、自分でも男らしくないと思う。
だけどどうしたって力関係は自然と成り立つものだ。
恋人や夫婦関係に上も下もないというのなら、なぜ惚れたほうが負けなんて言葉がある。
金銭という誰の目にもわかりやすい尺度を間に挟んでいるほうが楽だ。
お金をやり続ける限り関係は続く。
自分たちの間には不確かな気持ちしかなく、三上の気持ちが理解できないから繋ぎ止める術がわからず困惑する。
三上を繋ぎ止めたい。
自由でいてほしいとか、いつかは普通の恋愛を楽しんでほしいと思うのと同じくらい、決して切れない首輪をはめ、首輪から伸びた鎖を握っていたい。
耳障りのいい言葉をつらつら吐いても奥底ではこんなことを思っている。
なんて嫌な奴。自分勝手で我儘で、相手を慮る心を忘れてしまった醜い化け物だ。
はあ、と小さく吐息を零し、乗り換えのアナウンスに慌てて立ち上がった。
電車に乗ってから一時間ほどで最寄駅に到着し、改札を抜けると椿さんがおーい、と手を振った。
そちらに駆けると久しぶりと飾らない笑顔を見せてくれる。

「お久しぶりです。元気そうで…」

「えー、なにその挨拶。おじいちゃんみたい」

「おじい、ちゃん…」

相変わらずずけずけと物を言う様は微妙に心を抉っていくが、椿さんのこの勢いと裏表のなさが好きだ。

「み、三上は起きました?」

「まだー。本当にあいつ起きないよね。学校の時は起きてる?」

「うーん、調子のいいときは自分で起きますけど、だいたい僕か、同室が起こしてますかね…」

「はー、高校生にもなって一人で起きれないなんてまったく」

陽介は昔からなんたら、かんたら…。
文句が止まらない様子は二人の深度を一層感じさせた。
話しているうちについた三上の家には誰もいなかった。
二階にある三上の部屋を開けると、彼は枕に顔半分を埋め、タオルケットを抱き枕のように身体に絡めてすやすや眠っていた。
相変わらず上半身は何も着ず、ずり下がったスウェットのズボンから下着が見えている。
これは目に毒だなと思いつつ、気付くと腰を折って至近距離で眺めていた。

「陽介の寝顔珍しい?」

「あ、いえ!」

椿さんが傍にいるのに余計なことをしたらだめだ。
今は学友の泉真琴を演じなければ。
だけど三上と友達だった時期なんてないし、どんな風に接すれば一般的なのかわからない。
あまり距離が近いと気持ち悪いと思われるだろうし、遠すぎるとよそよそしい。
程良い友人の例がないことに気づき、改めてぼっちを極めてるなと悲しくなる。
椿さんは冷たいお茶をテーブルに置き、聞いてよ、と自分の恋人の話しをし始めた。
今日はデートの予定で朝からせっせと準備したのに寸前でキャンセルされたのだとか。
暇を極め、三上の家に来たはいいものの、誰もいないし三上は寝てるし、むしゃくしゃして自分を呼んだらしい。

「な、なるほど。だから髪もお洋服も可愛いんですね」

「マジ?かわいい?」

ぱっと笑顔を見せたので、微笑んで頷いた。

「はい。とても。その爪とか…」

グラスを持つ椿さんの手を指さした。
細長い爪がピンクベージュに塗られ、先端だけ白で縁取られている。

「その化粧とか。いつも不思議だったんです。たくさん道具があるけれど、何をどう使えばそんな風に完璧なお化粧ができるんだろうって」

「えー、真琴君すごいいい奴じゃん。爪とか髪を褒める男はポイント高いよ」

うんうん、とうなずかれたが、残念ながら女性は恋愛対象外なのでポイントを加算しても意味はない。
椿さんは鞄から大きなポーチを取り出すと、テーブルの上に一つ一つ並べた。

「これがアイシャドウ、これがアイブロウ、こっちがマスカラで、これはビューラー」

「ビュ、ビューラー…」

「まつ毛を上向きにすんの」

こうやって、と実践してくれたのを見た瞬間、ひえ、と喉の奥で小さく悲鳴を上げた。

「痛くないんですか?」

「全然」

「瞼挟んだり」

「しないよ。まあ、私は化粧濃いからその分道具も多いんだけど、普通はこんなに必要ないかな」

「へえー…」

「カラコンとつけまがないと落ち着かないんだよね」

「はあ…」

椿さんは日本語を話しているのだろうか。
聞き慣れない言葉にぽかんとする。
共学なら、女子生徒の会話からある程度知識としてインプットできたかもしれないが、男子校では"カラコン"も"つけま"も話題にでることはない。

「薄化粧のほうが男ウケはいいっていうけどさ、がっつりフルメイクのほうがやってて楽しいんだ」

「いいと思いますよ。椿さんその化粧似合ってるし、彼氏さんもかわいいなって思ってますよきっと」

「それがさ聞いてよー!」

今度は彼氏さんの不満が始まり、スカートが短いと注意されるとか、露出をもう少し控えろと言われるとか、はたから聞いていると彼氏さんのかわいい嫉妬をむすっとした表情で話した。

「でも一番うるさく言われるのは陽介との関係かな」

首を捻ると椿さんは苦笑しながら視線を落とした。

「ただの幼馴染だって何度も言ってるけど陽介の話しするたび嫌な顔されるんだよね。他の幼馴染は同じ高校だし、彼氏とも普通に同級生として仲良くしてるから信じてくれるけど、陽介とは会ったこともないしさ…」

「…なるほど…」

「まあ、こんな風に部屋に上がり込んだりするのが悪いのかもしれないけど。陽介は男だから距離置かなきゃとか変に意識するの嫌なんだよね。私が我儘なんだろうけどさ」

「…椿さん…」

椿さんの活発な笑顔はしおしお萎れ、苦い笑みを浮かべた。
こういうときまともなアドバイスができない恋愛経験のなさが憎たらしい。
元気になってほしいけど、第三者が解決できる問題でもないし、話し合いが必要だなんて当前のアドバイスなど欲してないだろう。

「げ、元気だしてください。そうだ、何か甘い物でも食べますか?僕買ってきます」

「うわ、いい人」

うわ、とはなんだ。おかしくて笑うと、椿さんも歯を見せて笑ってくれた。

「お菓子より私を元気にさせるものがあるんだけど」

「はい、なんですか」

緩慢に首肯すると両頬を掌で包まれた。

「ちょっといじらせてくんね」

「いじ、る…?」

頬に置かれた掌はそのままゆっくり上下左右に動き、椿さんはあー、とか、悔しいとか口にした。

「男なのになんで肌きれいなの?化粧で負荷かけてないから?こっちは必死に手入れしてんのにさー」

「す、すいません」

「悪いと思うならメイクさせて。私人に化粧するの大好きなんだよね」

「は、はい」

椿さんの勢いに乗せられるのは本日二回目だ。
だけど、やった、と笑う顔は明るく、彼女の気が済むならまあいいかと思ったのが間違いだった。
前髪を留められ、ぺたぺたと彼女の指が顔を滑る。
大きさが様々な筆や、色とりどりのパレットを広げながら顔を好き勝手いじられ、できた、と鏡を見せられたときには気を失うかと思った。

「き、気持ち悪いです」

「そんなことないでしょー!たまに彼氏にも化粧するんだけど、真琴君のほうがかわいいよ。もともとの造りを殺さないよう、控えめにしたし」

「嬉しくないなあ…」

「私の腕は確かだから自信もって!」

「化粧されて男として自信持つほうがやばいと思うんですけど…」

「真琴君、化粧は女のものなんて考えは古いよ。男だって自由に化粧していいんだから」

「は、はあ…じゃあ男性用の化粧をしてくれてもよかったのでは…?」

「それだと私が楽しくないからさ!」

あっけらかんと言われ、もう一度鏡を見てう、と喉を詰まらせた。
これはどうやって落とせばいいのだろう。
その時、うるせえと唸るような声と同時に三上が上半身を起こした。
視線が合い、自分が今どんな状態かも忘れ、呑気におはようと言った。

「……は?」

三上は辺りを見渡してから混乱した様子でもう一度こちらを見た。

「なんでお前がいんだよ。しかもなんだその面」

「私が呼んで、私が化粧したの。かわいいでしょー」

「かわいくねえよ」

ですよね。わかってます。
寝起きでこんな汚物を見せてしまい、大変申し訳ありません。土下座で謝罪したいくらいだ。
三上はあくびをしながらベッドからのそのそ下り、暫くして戻ってきたときには先ほどよりは目が開いていた。
Tシャツを着てベッドに腰掛けるとペットボトルの水を半分まで飲み、それをテーブルに乱暴に置いた。

「ていうか椿、なんでお前もいんだよ」

「暇だから」

「ああ、ついに捨てられたか」

「うっせー!捨てられてねえわ!」

また始まった。この二人は小学生のようにお互いの髪の毛を引っ張り合いながら些細な言い争いをする。
微笑ましいのだが、落ち着いてと間に入ると保父になった気がする。
どうどう、と二人を引き剥がすと椿さんはちっと舌打ちしながら真琴くーん、と甘えるように腕を引いた。

「陽介にも真琴君の優しさの半分でもあればね」

「あればなんだってんだよ」

「モテたのに」

「間に合ってます」

「こういうところ、くっそむかつくよね?」

同意を求められ微苦笑しながら曖昧に頷いた。

「椿、あれ出せ。化粧落とすシート」

「なんでー!すごくかわいいのにもう終わり?」

「終わり」

「じゃあかわりに陽介に化粧させてよ」

「やってみろよ」

じりじりと椿さんが近づくと、三上は容赦なく彼女の両腕を掴んで捻じった。

「いだだだだ!」

ぱっと離れた部分をさするようにし、女相手にひどいと椿さんは涙目で訴えた。

「ああ、お前女だったな」

「これだよ!」

二人の様子に声を出して笑った。
自分と学もはたからはこんな風に見えるのだろうか。
気を遣わず、軽口を叩ける信頼感や、まるで自分の半身のように感じる融合性。
すべて覚えがあるが、客観視することは少ないので新鮮だった。
心地良い空間に満足すると、椿さんの携帯が鳴り、電話に出た彼女は甘い声を出した。
うん、うんと短く話し、電話を切ると今日一番の笑顔を見せた。

「彼氏さんですか?」

「うん!夕方から会う!」

「よかったですね」

「サンキュー。真琴君が励ましてくれたからドタキャンの説教もほどほどにできるわ」

「それはよかったです」

「おい、どうでもいいけど早くそれ落とせ」

三上がそれ、とこちらを指さしたので、椿さんがかわいいのに、とぶつぶつ言いながらシートで優しく顔をぬぐってくれた。

「うーん、やっぱ完璧には落ちないな。真琴君、悪いんだけどクレンジングで洗ってくれる?」

「は、はい」

椿さんに手を引かれ洗面所で落とし方をレクチャーされ、顔に乳白色の液体を塗り込んだ。
男として生まれ、これからもそうやって生きていく。
化粧を落とす経験は最初で最後だろう。知らなくていい知識ではあるが、女性はこうやって毎日手間を積み重ねているのかと思うと、男に生まれて正解かもと思う。
タオルで顔を拭き、鏡できちんと落ちたことを確認する。
よかったと安堵し、階段を登りきると僅かに開いた扉から二人の会話が聞こえた。
盗み聞きはよくないと思ったが、自分の名前が出た瞬間つい足を止めてしまった。

「真琴君かわいかったな。派手な目を引くかわいさはないけど、こう、ちょっと田舎くさい純朴な感じが男うけよさそう。陽介も思ったでしょ?」

「思わない」

「はー、あんた本当に愛想ない。友達なんだからかわいいねの一言くらい言えばいいのに」

「化粧しないほうがかわいいんだよ」

「……まあ、わかるけど」

「二度とあいつを女みたいにすんじゃねえぞ」

「…なんか引っかかる言い方だなー」

「うるせえな。詮索するから女は嫌いだ」

「そこ性別関係なくない!?」

再び二人の間でゴングが鳴ったらしく、きーきー鳴き声が聞こえたので慌てて室内に入り、再び仲裁に苦心した。
椿さんは我に返り、時間を確認するとじゃあ、と扉に手を掛けた。

「真琴君、夏休み暇だったらまた遊ぼー。今度はどっか行こうよ」

「はい」

「またねー」

椿さんが軽やかに去ったあともしばらく扉をぼんやり眺めた。
相変わらず嵐のような人だ。
疲労は感じるが悪いものじゃない。
あれこれ考える前に次々口にものを放り込まれる感覚は驚くが、だからこそ女性相手でも普通に話せるのだと思う。



[ 46/55 ]

[*prev] [next#]



×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -