13
まずい。早く抜いてしまわないと、こんな痴態を誰かに晒したら恥じにも程がある。
けれど時間がない。考え、掛け布団をばさっと被って隠した。
上を着ていてよかった。下半身は丸出しという情けない姿だけど。
「は、はい、どうぞ」
布団から鼻の上だけを出しながら言い、扉の方に視線をやると三上が顔を出した。
ひっ、と引きつった声を出しそうなのを堪え、なんて最悪なタイミングと神を恨む。
「なんだ、もう寝るのか」
「い、いやあ、あはは…」
三上はベッド端に座り、こちらを覗き込むようにした。すすす、と目を逸らすと頬を挟まれ、厳しい目線を向けられる。
「風邪ひいた?」
「全然!すごく元気!」
あれから初めて顔を合わせるし、どんな表情を作ればいいかとか、何を話せばいいかとか、散々悩んだ事柄は消え失せ、どうやってこの場を切り抜けるかで頭がぱんぱんになる。
「顔も声も変だ」
「か、顔が変なのは元からっていうか…」
後孔から意識を逸らそうと必死になるとますますそこに集中してしまう悪循環。
三上は挟んだ手の親指ですりっと頬を撫でるようにした。
その瞬間、ぱちんと身体の中で何かが弾けたような気がし、首を竦ませ必死に堪えた。
「本当に熱もないし、元気!」
「……今日は一段と様子がおかしいな」
「そんなことない!あれ以来初めて会うからちょっと緊張しているといいますか…!」
「…ああ、そうだったか?」
それすら覚えていないのかこの男は。こちらは散々頭を悩ませていたのに。
悔しくなると同時に三上らしいと気が抜ける。
「…あのー、僕もう寝ようと思って…」
「ああ、じゃあ帰る」
素直に立ち上がってくれたのでもう少しの辛抱と言い聞かせる。
「おやすみ」
背中に向かって言うと、三上はもう一度ベッドに腰を下ろした。
「やっぱり変だ」
「なにが!」
「いつもならもう少し一緒にいよう、行かないでって騒ぐくせに」
「え!?じゃあ一緒にいよう!」
もう上も下もわからないほど混乱し、いつもの自分を見失う。
冷静に、平常心、努めて涼しく。そんなのできるかこの状況で。
あうあう、と言葉にならない声を発すると、三上が小さく笑った。
「嘘。ちゃんと帰る」
片手でやんわりと頬を包まれ、彼がゆっくりと顔を寄せた。
おやすみのキスか、とぼんやり考え、唇が重なる瞬間に顔を背けた。
やばい。身体が勝手に。
だってこれ以上の接触は非常にまずい。回避しようとするといつもと逆の自分になってしまう。
「おい」
不機嫌な声が降ってきて、恐る恐るそちらに視線をやると青筋を立てた三上が片方の口端を上げている。
「避けるとはどういうことだ」
「ど、どういう、ことでしょう…」
はは、ははは、と笑って誤魔化そうと思ったが、そんな手段が通用するはずもなく。
三上はすっと表情を消し、ぽつりと言った。
「……嫌になったか」
言葉の意味がわからず首を傾けた。
「…嫌に、なる?」
「セックスしてみて嫌になったかって聞いてんだよ」
とんでもない勘違いにあんぐりと口を開けた。
何を言っているのだろう。どうすればそういう答えに辿り着けるんだ。
まったく意味がわからない。わからなすぎて頭が考えることを拒否する。
僕が、三上とセックスして、嫌になる…?
そんなこと、一%だってあり得ない。むしろ嫌になる可能性が高いのは三上の方だ。
これだけ三上を追い掛け回してきたこの僕が、三上に触れて幸福を覚えないはずがない。
希望に縋り、恥じを忍んで自己開発までしているというのに。
「……意味が、わからない…僕が三上を嫌になるなんて、そんな、口に出すのも悍ましい」
「なら何で避ける」
「それはー……」
もじもじと脚を擦り合わせるようにしたのがいけなかった。
三上がそこにいて、声を直接聞いて、小さく触れてくれる。積み重なった幸福がダイレクトに後孔に直結するように、今まで耐えていた快感がぶわりと溢れた。
「っ、あ――!」
身体を横臥し小さくした。
「おい、どうした」
肩に触れられ、その度小さく痙攣する。
「やっぱり風邪でもひいたか?」
「違う!」
「じゃあ、どこか痛いか?」
「そうじゃ、なくて……大丈夫だから…」
やんわりと彼の腕を自分から引き剥がすようにすると、三上はむっとしたように眉を寄せた。
「大丈夫じゃねえだろ」
三上は前髪を払い、額に掌を当てた。少し熱いか?と確認するように言い、何がほしいと優しく聞いた。
「なにも、ほしくない…」
「お前なあ、具合悪いときくらい素直になれよ」
「そうじゃない。そうじゃないから…」
一刻も早くこの場を離れてほしい。でも理由は言えない。
八方塞な状況に神様、といもしない存在に縋る。
かたかたと小さく震える度優しく背中を撫でられ、それが今は辛すぎた。
身体中の熱が後ろに集中し、何かが溢れそうで怖い。
もうだめだ。涙がぐんぐんせり上がり、情けなさで顔が歪む。
三上のスウェットをぎゅっと掴んだ。
「…どうした」
「っ、三上、ごめん、僕…」
恥ずかしいとか、引かれるとか、考えるより恐怖が勝る。
知らない快感、知らない感触、身体を女のように震わせる自分を引き戻してほしい。
「……嫌いにならないで」
「嫌われるようなことしたのか」
こくりと頷くと三上は目を眇め、上から見下ろすようにした。
氷点下の眼差しに身体が竦み、やっぱり言わないでおこうと思う。
「…なにをした」
「や、やっぱりなんでもない」
「さっさと言え」
片手で首を絞めるようにされ、押し出された唾液を呑み込む。
混乱が酷くなり、行っても地獄、戻っても地獄な状況に眩暈がする。
「おい、俺がキレる前に言えよ」
「っ、ふ、布団…」
「あ?」
「お布団、捲って…」
捻じるような声を上げると、三上はぱっと手を離し一気に布団を捲り言葉を失くした。
そうだよね、引くよね、ごめんなさい。
これが決定打になりきもいとか、信じられないと呆れられたらどうしよう。
なるべく身体を丸め、三上から隠すようにする。けど、そうするとアネロスがよく見えるわけで。
「…これが、嫌われることか?」
ごめんなさいと小さく謝りながら頷いた。
次にどんな言葉で罵られるか、待ち構えていると余計な心配させんなと怒られた。
「最初から正直に言えばいいものを。遠回しに言いやがって」
「…こんなこと言えない…」
羞恥と恐怖と焦燥と、色んな感情がない交ぜになりきつく瞳を閉じた。
「……そういうことなので、帰ってくれると嬉しい、です…」
「なんで」
「なんで、って」
「一人でしたいの?」
「そうじゃ、ないけど…」
三上は横臥した背後から抱き締めるようにし、項に小さく口付けた。
なんで、やめてと言う前に手が腹に回り、下腹部を圧迫される。
三上の手と器具で挟まれるような形になり息が押し出された。
「う、やめ…」
「やめてほしい?」
こくこくと頷くと鼻で嗤われますます力が込められる。
耳の縁を食まれ、もう一方の手を首の下から回され口を塞がれた。
「ん、んー!」
射精する時のように一瞬で身体が高みに昇らず、じわじわ、じくじくと細く、緩く、広範囲を浸食するような快感が怖い。
こんなのはいけないという罪悪感と、自分の身体が制御できず誰かに乗っ取られたような焦燥感、恐怖に苛まれると余計に快感が大きくなる。
「苦しい…」
三上の手から逃げ出しぷはっと息をする。
小さく喘ぎそうになり、枕を噛んで奥歯を食い縛った。
「後ろ、気持ちよくなってきた?」
嘲笑うような口調に耳の先端が熱を持つ。
隠してもしょうがないと正直に頷き、だけど自尊心はぺしゃんこになる。
「……ごめん」
「なにが」
「男なのに、こんな…」
言うと、三上が回した腕で身体を反転させるようにし、目元を指で擦った。
「お前に負担を強いて悪いと思ってる」
「そ、そんなことない!僕が望んだんだ。僕が……別にどちらだって構わない」
「でも辛いんだろ?」
とんとん、と指でお腹を叩かれ喉を詰まらせる。
「つ、辛いとか痛いとかじゃなくて……早くどうにかしないと三上とちゃんとできないし、ちゃんとできないと三上は気持ちよくなれないし、だけど気持ち良くなると罪悪感が…」
自分でも何を言っているのかわからず、頭の中がぐるぐる回る。
三上は額にキスをし、いい子、と囁いた。
「…本当?」
「本当」
「変態って引かない?」
「お前が変態なんて最初から知ってる」
「でも…」
「別に焦らなくていい。元々繋がるようにできた身体じゃない。快感だけなら自分でするか、女で十分。それでもお前を抱こうとする意味、わかるだろ」
ぽかんと口を開け、間抜けな顔を晒した。
わかると胸を張って言いきれないのは自分に自信がないからだ。
三上は心の内側を吐露するのがとても苦手で、それでも伝えようとしてくれる。だからわからずとも頷かなければと慌てて首肯した。
「…おかしくないかな。その……う、後ろで感じるのは」
「おかしくない」
「…じゃあ、これからも頑張ります…」
何を宣言しているのか。自分に呆れると三上もくっと笑った。
「じゃあ続きするか」
「え!?いや、自分でするから…」
「自分でするより俺がやった方が効率いいと思うけど」
「悪いよ!」
「させろ」
有無を言わせぬ迫力に身体を小さくしてはい、と頷いた。
「もう避けんなよ」
言いながら顔を寄せられ、今度はきちんと彼の唇を受け止めた。
腹這いになり、ぜえぜえと全身で呼吸をする。
少し先にある自分の指先を眺め、末端に力が行きわたらない虚脱感にぐったりした。
今日は何回出したっけ。考えても意味はないが、毎回こんな調子じゃ体力が持たないと怖ろしくなる。
三上に触れられるとどこもかしこも気持ちいい。
だけど、自分一人だけ乱れ、よくしてもらうのは何か違う。
共同作業なのにこれでは金を払って奉仕してもらっているようだ。
半狂乱で何度も挿入れてほしいと懇願したが、まだ無理だろうと聞いてくれなかった。
ぐぬぬ、と唇を噛み締め、傍にある三上の背中を睨め付けた。
その瞬間彼がこちらを振り返ったので、慌てて笑顔に変える。
「…風呂入れるか?」
「入れる入れる」
「立ってみろ」
「今?」
「今」
しょうがないなあと腕に力を込めたがかくんと肘で折れ、ベッドに顔面からべしゃりと転がった。
「お前…」
声を殺して笑われ、これ以上情けない姿を見られたくなく、ふんばって上半身を起こした。
「起きれますし!」
「はいはい、風呂行くぞ」
「一人で行けますし!」
「じゃあ立てよ」
「それはもう少ししたら…」
ごにょごにょと言い訳をすると俵のように肩に担がれ、またこの運び方かーと四肢をぷらぷらさせた。
「折角だから大浴場行くか」
「シャワーでいいよ」
「人少ない時に入らないと損だろ」
「損とかある?」
文句を言ったが三上は聞かず、ぱぱっと服を着せられまた肩に担がれた。
誰とも擦れ違いませんようにと心の中で手を合わせ、願いは通じ、大浴場までしんと静まり返った廊下を歩いた。
広い大浴場にも人影はなく、ざっと身体をシャワーで流され、浴槽に放り投げられるようにされた。
「も、もう少し入れ方あると思う!僕泳げないのに!」
「足付く場所で泳ぐもクソもねえだろ」
「そう、だけど…」
文句を言いつつも、四肢を伸ばせる大きなお風呂の浮遊感は疲労が蓄積した身体に心地よかった。
「やっぱ夏でもお風呂に浸からないとだめだね」
浴槽の縁に後頭部を預け、あー、と心地良い声を上げながら天井を仰ぐ。
一度風呂から上がり、身体を洗ってもう一度浸かった。
三上が濡れた髪を後ろできゅっと縛ったのを見て、筆のような先端を指でつついた。
「三上が髪結んでるの大好き」
「そうですか」
「うん。僕だけが知ってるという優越感?」
「誰に対してだよ。誰も羨ましがらねえよ」
「そんなことないよ!もしかしたらいるかもしれないじゃん!僕みたいに奇特な女の子や男の子が!」
「お前みたいなのが何人もいてたまるか」
吐き捨てられ、しゅんと肩を落とし、すぐにぱっと笑顔になる。
「僕だけで十分なんだよね?」
「そうだな」
「え…」
「双子の妹を面倒見てきたし、複数の人間を同時に見るの得意だと思ってたけど、お前は一人で手一杯。二人になったら手に負えない」
「え、嬉し……くない。危ない。騙されるところだった…」
ふるふると首を振ると、三上はちっと舌打ちをした。
「三上明日帰るの?」
「ああ」
「じゃあ今日は沢山見ておかないと。次はいつ会える?」
「さあ」
つれない返事に俯く。
いつものことと気を持ち直し、けれどさっきまでの彼との落差は少し寂しい。
三上はセックスの最中は優しく、沢山誉めてくれるけど、普段はつっけんどんのままだ。
甘い空気は持ち越さず、終了と共に顔も思考も一瞬で切り替える。
ピロートークと無縁の男だなあと思い、寂しさを紛らわせるため彼の肩に頭をこてんと乗せた。
「じゃあ、次会うときはちゃんとできるようにするからね」
「だから焦らなくていいって」
「僕が嫌なんだよ!三上も言ってたじゃん。片方が我慢するのはよくない、お互いが気持ちよくないと意味ないって」
「まあ…」
「だから、僕は早くちゃんとしたいんです」
「それだけ?」
「それだけって?」
「他に焦る理由は?」
「ないよ」
「…ならいい」
意味深な言葉に不安になり、追及しようと身体を離し、あの、と口を開いた瞬間それを許さぬように塞がれた。
なんだかはぐらかされた気がする。
でもまあ、いいや。
のぼせて冷静な判断ができないまま、目先の幸福に跳びつくから犬だと言われる。
だけど三上の口付けを拒絶するほどの余裕が自分にはない。
与えられる限りすべてを受け取らないと。釣る前の魚にも、釣った魚にも餌は与えない主義の男。
そんな彼からのご褒美を拒む理由は一つもない。
[ 45/55 ]
[*prev] [next#]