12



眠りに落ちた時と同じ体勢で瞳を伏せる三上の顔を眺めた。
朝日が射るのが鬱陶しいのか、時たま眉間に皺を寄せている。
なんて可愛い生き物なのだろう。ずっと腕の中で大事に温めていたい。
お腹が空いたと言えばご飯を口に運び、欲しい物を与え、望みはすべて叶えてあげたい。
最早恋人ではなく雛鳥のような扱いだが、そうやって腕の中に閉じ込められたらどんなに幸せかと思う。
三上は邪な願いに勘付いたように薄らと瞳を開けた。
まだ甘ったるい空気を纏いながらおはようと挨拶すると、べしゃりとベッドから追い出された挙句、もう少し寝るから帰れと言われた。
一線は超えていないが、昨晩確かに愛し合った恋人同士の翌朝がこれって酷くないだろうか。
流石三上、一寸もぶれないなと感心半分、寂しさ半分。
タオルケットを鼻先まで引き上げ、身体を丸くして再び眠りについた彼を暫く眺め、満足し自室に戻った。
いつもならなんと言われても動かないと我儘を言う場面だが、昨日の今日では流石にそれはできない。
情けない姿を散々晒したし、彼に我慢や面倒を押し付けてばかりだった。
自分の不甲斐なさに落ち込むし、どんな顔をしていいのかもわからない。
ぼんやりと昨晩のやりとりを思い出し、わー、と奇声を上げながら両腕を意味もなく大振りに動かす。
すごかった。三上の色気に頭も心も身体も揺さぶられ、かたん、と泉真琴という人間すべてが倒れそうになった。
とっぶりと沈みそうになる度、水面に顔を出すように現実を手繰り寄せ、ぎりぎりで踏ん張った。
面倒くさいが口癖だから、きっとセックスも淡泊で、ぱぱっと適当に終わらせるのだろうという予想を裏切り、三上の愛撫は丁寧で優しかった。
だから余計に居た堪れない。いっその事酷くされたかった。
こちらの気持ちは無視をして、彼の欲を吐き出すための人形でいたかった。
その方が嵐に呑まれたように何も考えずに済むし、彼の負担も少ないだろう。
なのに彼は身体を労わり、快感を最大に引き出そうとするものだから不慣れな自分はわけがわからず喘いでばかりで。
死ぬほど恥ずかしいし、これだから童貞はと項垂れたくなる。
もう少し自分に経験があれば、はい、どうぞと抱かれることができたのに。
男女でも恋愛経験は大切だろうが、それはゲイでも同じだ。
こんなことなら適当に出会い系でもやるべきだったかと思う。
誰でも初めてはあるんだぞと彼は励ましてくれたけれど、処女のような反応は女の子だから可愛いのであって、自分が同じようにしてもうわ、面倒くさ、と引かれて終わる。
だから自分でなんとかするしかないのだ。
寝室に入り、櫻井先輩にもらったグッズを一つずつ床に並べた。
潤滑剤と、コンドームと、後孔を開発するための黒いアネロスやピンク色のアナルビーズ…。
ずらりと並んだ不埒な欲望剥き出しのそれらから瞳を逸らし、でもここで逃げたら次はないと自分を追い込む。
説明書を端から端まで読み、何度も確認し、説明書通りなら案外早く開発できるかも?と淡い期待に胸が高鳴る。
両手で持っていたそれをぐしゃりと握り潰すほど気合を入れ、今晩から頑張ろうと自分を鼓舞した。
玩具を仕舞い、三上と喧嘩している間、まともに身体も頭も動かずすっかり埃が被った課題に手を伸ばす。遅れを取り戻さなければいけないし、できれば実家に帰る前に終わらせたい。
必死に机に向かい、はっと顔を上げたときには外はすっかり暗かった。
ご飯も食べずにぶっ続けで座り続けた身体は少し動かしただけでばきばきと音が鳴る。
両腕を天井に向けて伸ばし、凝った肩を回す。
課題を机の端に片付け、夕飯を食べ、風呂を済ませ、携帯を見たが三上からの連絡はない。
そりゃそうだよなと落ち込み、落ち込んだ分嫌な想像をしてしまう。
やっぱり男の自分では気持ち悪かっただろうか、面倒だっただろうか、せめて声を抑えられたらよかった。
精神的に不安定だと負の感情ばかりが目に入る。
真実は別にあったとしても上手に隠され、勝手に自己完結して黒い手に足を引っ張られる。
自分で身体を変えようと頑張っても、次がある保証はない。
手を振り払われたら頑張った分酷く落ち込むだろうし、ならばもうあれっきりでいいのではないかと思う。
だけど、万が一彼がもう一度手を伸ばしてくれた時、また一からやり直しでは申し訳ない。
可能性は僅かばかりなのにそちらを選んでしまうのは、彼のためにできることがこれしかないから。
魔法なんて使えないので、都合良く女性の身体に変えられない。
ああ、そういう魔法や薬があったらよかった。テクマクマヤコンとか、水を被ったら、とか。
古いと自分で突っ込み、現実逃避しても仕方がないので拳を作って気合いを入れた。
ベッドにバスタオルを敷き、説明書をもう一度読み、開発に適しているらしいアネロスを手にとる。
もっとこう、パステルピンクとか、ブルーとか、インテリアですと白を切れる色ならよかったのに。
自分で自分に触れるのは抵抗があるし、傍から見たらとんだ間抜けだ。
だけど逃げるな。何事も一歩一歩前進あるのみ。
小分けにされた潤滑剤の封を切り、手で温める。
ねちゃねちゃと音がし、うわあ、と引きながら泣きそうになる。
三上のため、三上のため、三上の……。
心の中で何度も唱え、身体を丸めるように横たえ、くの字にして後ろに触れた。
その瞬間ぞわりと鳥肌が立ち、勝手に腰が引ける。
三上に触れられたときはここまでの拒絶反応はなかった。
きっと導入部分がないのがだめなのだ。
三上は色んな場所にキスをしたり、他の部分に触れたりしながら徐々に熱を高め、身体を解し、そうやって丁寧にしてくれた。
乾ききった身体と心のまましようと思っても、嵌らないネジ穴にちぐはぐなネジを無理に押し込めるようなものだ。
あまり自慰は得意ではないが、仕方がないと前にも触れ、息を吐く毎に力が抜けるのを確認しながらアネロスを押し込んだ。
案外すんなり入り、行き止まりまで無理矢理押し込むと、緊張した身体から力が抜ける。
前立腺に当たる設計になっているので、このまま動かさずに慣らせばいいらしいが、じわじわとしたこそばゆさと尿意を感じる。
身体の中を小さい虫が這っているような気持ち悪さに目を見開く。
もうやめようと手を伸ばし、だけどもう少し慣らさないと、と伸ばした腕を引っ込める。
リラックスし、筋肉を硬くしないこと、全身から力を抜き、身を任せてくださいと書いてあったが、とてもそんな冷静に対処できる状態ではない。
だけどここでやらないと。怯えて引き返しては羞恥を殺した意味がない。
呼吸を繰り返し、水上に浮かぶように力を抜くよう努めた。
そうすると感じていた尿意も消え、後ろの感覚だけに集中できた。
でも特に気持ちいいとは思えないし、何か入ってるな、という異物感しかない。
本当にこれで合っているのか、もしかして使い方を間違えているのではないか。
説明書をもう一度読んだが、おかしなところは見当たらない。
そういう才能がないのだろうかと青ざめ、だとしても三上が気持ちよくなってくれるなら構わないとじっと堪えた。
どのくらいそうしていればいいのかわからず、きっと長い方がいいだろうと冷や汗を掻きそうになりながら身体を固定させた。
もう限界と引き抜こうとすると、昨晩感じたじくじくとした、腰を溶かすような快感を覚え、怖ろしくて一気に引き抜いた。
肩で息をし、これを毎晩続けなければいけないのかと思うと心が折れる。
ぽっきり折れた心を三上を思い出すことでテープで修復して、また折れての繰り返しになりそうだ。
長い溜め息を吐き、本当に大変だなあと枕に突っ伏す。
自分は奉仕する方が好きだからトップになった方が、と思っていたが、彼にそちらを譲ったのは間違いではなかった。
さもなくばこれを三上に強いる破目になっていた。
こんな苦しい想いは自分が一手に引き受けよう。三上はただ気持ちいいことだけを掻き集めてほしい。
壁に貼られた三上の写真に視線をやり、明日も頑張るからねと微笑んだ。


心が折れる度、張りぼてでも立て直し、毎晩毎晩涙を堪えて頑張った。
相変わらず三上からの連絡はなく、今彼がどこにいるかもわからない。
補習は終わったはずだし、実家には帰らないと言っていたので同じ建物内にいるかもしれないし、いないかもしれない。
たまにこちらからおはようとか、暑いねとか、簡素なラインを送ったが全て既読スルーだ。
返事は期待しないけど、あまりにも無視をされ続けると張りぼての心が今度こそ風でどこかに飛ばされそうになる。
三上から連絡が来たことなど片手で数える程度だし、今更こんなことで落ち込むなんて馬鹿馬鹿しい。
図太く、無神経なくらいじゃないと彼と一緒にいられない。
繊細なんて男にとっては誉め言葉じゃないし、一々傷ついたら心が何個あっても足りない。
そういう男に惚れてしまったのだから仕方がないのだ。
だから今やっていることも仕方がないことであって。決して自分が望んでいるわけではなく、三上のためであって。
誰かに言い訳しながら今日も身体を解す作業に精を出す。
初日よりは身体に馴染む時間が短くなったし、なんとなくコツも理解した。
快感を感じられない無能ではありませんように、と祈るようにしたが、感じればそれはそれで怖ろしくなる。
男としての矜持がパラパラと崩れ落ちるというか、一度知ったら二度とトップには戻れないのではないかとか、こんなところで感じるなんておかしいのではとか、十七年一緒に過ごしてきた身体が別の誰かにすり替えられたような違和感。
だから誰かに言い訳しながら、違う、違うと首を振り、けれど重く腰に響くような快楽は止められない。
もうやめようかと投げ出したくなる。
三上には適当に言って、大丈夫、気持ちいいから最後までしようと笑えば信じてくれるかもしれない。
けれど彼に嘘をつくことの後ろめたさと、嘘を簡単に見破る洞察力の前では意味がないこともわかっている。
こんなことをして感じる自分はきっとおかしいのだと泣きたい気持ちになり、惨めさに拍車がかかる。
あれから連絡の一つも寄越さない恋人を想い、自慰をして、次があるかもと浅ましい希望に縋って。
滑稽すぎて涙を通り越し、自分に指をさして大笑いしたくなる。

「う……」

小さく嗚咽が零れた。
思った以上に張りぼての心はダメージを喰らっていたらしい。
日が経つごとに不安はむくむく育ち、嫌われたのではないか、もしかして別れようとしているのではなんて想像する。
三上はなんだかんだ誠実な人だから大丈夫。不安に蓋をして笑い、そうだ、そうだと納得するふりをした。
だけど裏では本当に?と嫌な自分がじっとりとこちらを見詰め続ける。
僕たちは大丈夫。
ならなんで連絡がないんだろう。
三上はそういう人だから。
気持ち悪いと思って避けられてるんじゃ。
そうだとしてもはっきり言葉にするはず。
一応気を遣っているだけかも。
自分自身で会話をし、だけどこんなことをやめられない。
やめてしまったら三上との繋がりが、鋏で切ったようにパチンとなくなる気がした。
自分が努力し続ける限り大丈夫なのだと、根拠のない理屈に縋って。
大きな溜め息を吐きながら心の奥深くに沈みそうになった時、枕元に置いていた携帯が震えた。
びくりと身体を揺らし、画面も見ず咄嗟に電話に出た。

「は、はい!」

『俺』

「…み、かみ…」

なんというタイミングだと嘆き、だけど彼から連絡がきたことに有頂天になる。
一週間ぶりの声。電話だといつもより低く、掠れて感じるそれが大好きだ。

「ど、どうしたの?」

『ああ、あのさ…』

「うん」

『……お前、声変だぞ』

「え、声…?」

言われて初めて自分が今どういう状況か思い出した。
なぜ電話に出てしまったのか。馬鹿め。

「い、いつもと同じだと思うけど」

上擦った声を出しながら必死に言い訳をする。
三上はふうん、と流し、ほっと安堵しそれで、どうしたのと気を持ち直した。
早く抜いてしまいたいが今はできない。

『お前まだ寮?』

「う、うん」

『いつ帰る』

「えーっと…」

なるべく話さぬよう、慎重に言葉を選ぶ。
三上の声を聞いていると、なんだかおかしな方向に身体が流れてしまいそうだ。

「……まだ決めてないけど、お盆には戻るよ」

『随分のんびりだな』

「…そう、かな」

必死に後ろから意識を逸らし、頭の中で素数を数えた。
彼の声だけで奥まった場所がじくじくする。浅ましい、不潔、はしたない。知りうる限りの言葉で罵り、そろそろ電話を切ってくれないだろうかと冷や汗を掻いた。
息が上がりそうになるのを耐え、きつく口を引き結ぶ。
三上は無言のままで、だけど電話の向こうで扉が閉まる音や、足音が聞こえる。

「…三上は、お家戻らないんだっけ…?」

『その予定だったけど、一回戻る』

ああ、一応帰る前にお知らせしてくれるんだ。
それだけでも大きな進歩に感じ、改めて恋人という関係に感謝した。
今までなら三上に関すること一切合財、お前には関係ないと切り捨てられてきた。
笑みが浮かび、暴風雨で荒みまくった心がぴたりと風を止め、一条の光が差した。
わざわざこうして電話をくれたのだ。別れたいわけではないはずだ。

『帰る前にお前に会っとこうと思って』

「本当?嬉しい!」

興奮し、叫んだ瞬間身体にも力が入りきゅうっと後ろを締め付けてしまった。
際どい部分を押し込まれ、う、と喉を詰まらせる。

『勝手に帰ると後で騒ぐだろ』

「っ、さ、騒ぐけど…」

その瞬間、寝室の扉をこんこんとノックする音がし、ごめん、誰か来たみたいだからと慌てて電話を切った。


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