8



夏休みに入り、実家へ帰るという蓮を扉まで見送り自室へ戻る。
一日死ぬほど落ち込んで、少しずつ浮上してからずっと考えているが、未だに答えはわからない。
携帯を何度も確認したが三上からの連絡もない。
今どこにいるかもわからない。補習があると言っていたので恐らく同じ寮内にはいるのだろうが、三上のことだから機嫌を損ねた挙句補習をサボるという選択肢も考えられる。
自室のベッドに腰を下ろし、小さく溜め息を吐いた。
学に聞いてみようかと思ったが、何故わからないのだと呆れられそうでやめた。
早くどうにかしなければ、一度距離が開くと自分たちは上手に修復できない気がする。
お互い歩み寄り方もわからず、心も関係も放置して当てはまる言葉がない関係になって。
付き合い方も下手くそならば、喧嘩の仕方も下手くそだ。
このままお付き合いをなかったことにされる可能性も十分にありえる。
好きもまともに言わない彼だから、別れの言葉もないのでは。
ずんと落ち込み、せめて友達には戻りたいと情けなく眉を寄せた。
クローゼットの扉を開け、奥底に隠していた紙袋を引っ張り出す。
大事にしまっていたA2サイズの三上の隠し撮り写真を広げ、壁にぺたりと貼った。
サイズが様々なすべての写真を貼り終えベッドに横臥しながら壁一面を眺めた。
会えないならせめてこの空間の中では死ぬほど見続けてやる。
どうせいつかはこうなると思っていた。
三上の写真を眺めながらあの時は幸せだったなとか、こんなこと言ってくれたなとか、過去を懐かしんで毎日思い出をすり減らして生きる。
予定より少し早かったが、予想の範疇ではある。
ストッパーをかけてよかった。気が触れるくらい三上を好きな気持ちは今でもここにあるけれど、これ以上の幸福を与えられた後の別れだったら正気を保てるかわからない。
我ながら気持ち悪いなと結論付け、ね、三上と写真に話しかけた。
写真の中の彼は笑いかけてくれないし、視線もあわせてくれないけれど、それは実物も同じなので気にならない。
二日目も三日目もそうやって写真の前で過ごし、四日目に漸く外に出た。
コンビニで適当にご飯を買い、部屋に戻る途中で携帯が鳴った。
まさか三上かと慌てて出ると、相手は姉で、急上昇したテンションが一気に急降下だ。
情緒不安定すぎて自分でも呆れる。

『真琴いつ帰ってくるの?お母さんが返事来ないって心配してるよ』

「…ああ、ごめん。お盆には帰るから」

『お友達と遊んでるの?』

「…まあ…」

すまん、姉よ。本当は好きな人の隠し撮り写真を一日中眺めているストーカー野郎です。

『なら邪魔しちゃ悪いわね。でも、お母さんにはちゃんと連絡しなさいよ』

「うん、わかった」

電話を切りながら部屋に入り脱力した。
家族にも嘘をついてしまった。今更だが、今の自分はどこから見てもやばい奴。
乾いた笑いが浮かんで、まあいいやとコンビニ袋を適当にテーブルに放り投げてまたベッドに横臥する。
机の上には手つかずの課題が放置され、カーテンを半分閉めた薄暗い部屋と窓の外から聞こえる蝉の鳴き声がひどく不釣り合いだ。
濁った海の底のような室内は陰鬱で、色をつけるなら底が見えない深緑。
身体を起こして壁の前で折った膝を抱いた。
至近距離で彼の写真をじっと眺め手を伸ばす。
ああ、だめだな。まだ全然好きだ。
もう三上が何故怒ったのか考えるのはやめた。これだけ日にちが空いたら謝罪したところで取り返しがつかない。
三上だっていつまでもあんなくだらない喧嘩を引き摺らず、面倒は御免だと僕への気持ちをシュレッダーにかけたに違いない。
それならもう気持ちを切り替えて今後三上なしでどう生きるか考えた方が得策だ。

「おーい」

扉の方から聞こえた声にのろのろと首をそちらに向けた。

「鍵開いてたけど返事ないから勝手に入った。悪い」

「…ああ、いいよ」

コンビニ袋を片手に掴んだ村上に笑ってやる。
村上は視線の先を辿り、壁を見てぎょっとした様子で目を大きくした。
いいんだ。罵ってくれ。気持ち悪い奴だと、生殖を放棄した同性愛者など生きる価値なしと。
思考回路はとっくに壊れていて、今ならどんな言葉にも暴力にも笑って応えられそうだ。
村上は傍にすとんと座り袋からアイスを取り出し口に突っ込んだ。

「うまい?」

「うん」

「痩せた?クマもひどいぞ」

「そうかな」

「まだ三上と喧嘩してんの?」

「どうかな。話してないから」

「拗れてんなー」

よしよしと頭を撫でられ、写真を見詰めたまま意味もなくへらっと笑った。

「可哀想に…」

彼に視線を移すと、いつか見たときと同じように深い優しさを孕んだ笑みを浮かべていた。

「…楽しそう」

思った通りの言葉を口にしただけだが、村上は努めて顔を引き締めるようにした。

「いいよ。思い切り笑って」

誰だって今の自分を見たら思い切り引くかやばい奴とげらげら笑うだろう。
もうなんとでもなれ。やけっぱちな気持ちは歯止めが効かない。
三上が生きているだけで神に感謝し、彼女できたらしいよと言う潤の言葉にも歯を食い縛ってそうなんだと笑う。自分に向けた甘い瞳や優しい指は次の彼女のモノになり、前は僕のだったのにとはち切れそうな胸を抱えて日々を過ごす。彼を視界に入れられるだけで十分と言い聞かせながら生きて、結婚すればまたおめでとうと祝福し、子供ができたと聞けばああ、よかった、今後は奥様と可愛らしい子供が健やかに暮らせるよう祈ることを生き甲斐にしますと勝手に思う。
最早仏道に入門した方がいいのではと思うほど広く、平坦な心を持たなければやってられない。

「おーい」

眼前で手をひらひらされ村上に視線を移した。

「なに?」

「一人でぶつぶつ言ってたけどお前大丈夫か?」

「声に出てた?」

そんなことはどうでもいいと、写真の方へ顔を戻す。
隣から溜め息が聞こえ、無理に立たされた。

「とりあえず何か食った方いいぞ」

「う、うん。後で食べるから大丈夫。今は…」

今はもう少し三上を見ていたい。

「…お前、俺がいじめてた時でもこんな風にならなかったのに、ちょっと三上と喧嘩しただけでこの様か」

「…え?この様?僕は元々こういう人間だよ」

ストーカー気質のマイナス思考、たくさんの鎖に脚を縛られ逃げ出せずに立ち止まったままそこで上手に生きられる道を模索する。

「そんなことないだろ。過小評価すんな。腹が減ったままだと思考も鈍るんだぞ。一回ちゃんと食べて、それから考えればいい。まだ別れたわけじゃねえんだから大丈夫」

「…大丈夫…」

「大丈夫だ」

誰かにそう言われるとぼっきり折れていた心が風に揺れる。
もう折れたままでいたいのに、無理に鼓舞してほしくない。

「…ありがとう。でも今はいいや。さっきコンビニでご飯買ったし、ちゃんと後で食べるから…」

もう気力も体力も限界で、段ボールの端っこで腐るのを待った方が楽だ。
頑張るにはそれなりのエネルギーが必要で、誰でも簡単にできるわけじゃない。
昔は考える前に頑張れたのに。何度ふられても立ち上がったし、彼の気持ちを無視して好きを伝え続けた。
臆病になったし、随分弱くもなった。

「…じゃあ、昼寝でもするか」

「昼寝すると夜眠れなくなるから」

ベッドに腰かけるとお茶を握らせられた。
床にしゃがんだ村上が顔を覗き込むようにしてぽんと肩を叩いた。

「腐んなよ。大丈夫だから」

「…うん」

がっくりと肩を落とすと村上は背中をさすりながら呪文のように大丈夫を言い続けた。
根拠不明な言葉なのに、耳障りだけはよくて干からびてひび割れた心の隙間が少しだけ埋まった気がする。

「まーことー!」

部屋に不釣り合いな元気一杯な声が響くと同時、潤が部屋に顔を出した。

「うわ暗っ!」

最初にどんよりした部屋の空気に驚いて、次に村上の姿に驚いて、最後に壁を見て顔を引きつらせた。そうそう、その反応が正しい。

「じゃあ後は柳に頼むか。俺行くな」

「あ、何か用があったんじゃ…」

「別に。どうしてるかなと思っただけだから」

「そっか。ごめんね、ありがとう」

潤と入れ替わるように部屋を去った村上の後姿を眺め、元々世話焼き気味のいい奴だったんだよなあと思う。
彼は飴と鞭を器用に使い分けられるタイプの人間で、人心掌握術に長けている。与えて与えて、最高潮に信頼した瞬間に崖から突き落とし這い上がってこいと不遜に笑うのだ。
あ、もしかして自分はまた村上の手中で踊らされているのではないか。
まあいいや。考えるのが面倒だ。

「真琴、どうしたんだよ!」

潤にがっちりと肩を掴まれ前後に揺さぶられた。今の体調でそれはきつい。

「ストーカーやべえと思ってたけど、ガチストーカーになったの!?」

「…じゅ、潤、ちょっと止まって…」

「三上とちょっと喧嘩したくらいでこんな、こんな…てかこれかなり昔の写真もあんな」

潤はぱっと手を放して壁に近付き興味深そうにそれらを眺めた。

「たった一年前でも結構変わるもんだね。昔の三上の方が可愛いくね?」

「三上はいつでも可愛いよ」

「そんなこと言うの真琴だけ。見事な隠し撮りだなあ…まあ、気持ち悪いけど」

すぱっと切れ味のいいナイフで心をぶった切っていく様はさすが潤だ。

「これを眺めて毎日にやにやしてんの?」

「そうだよ。ずっと見てる。寝る前に見るのも三上、朝起きて一番に視界に入るのも三上。話し掛け続けたらそのうち笑うようになるかもしれない」

「やばい。完全にあっちの世界にいく一歩手前」

「やだなあ皆して。僕は最初からこういう人間だってば」

「いやいや、だって目がやばいもん。三上はこの写真のこと知ってんの?」

「知らないから内緒にしてね」

「へえ…」

すうっと冷めた流し目で睨まれ、この人はどんな場所でも本当に綺麗だなあと妙に感心する。こんな空気の濁った汚い部屋の中ですら。
潤は隣に移動し、親指で目の下を擦った。

「ひどいクマ」

くっくと笑われ、皆が言うほど醜いのだろうかとぼんやりした。
だとしても別に構わない。見てくれが悪いのは昔から。三上に少しでもよく見えるよう努力したこともあったけれど、元々の顔は変わらないし、今はそんな努力をする必要もない。

「寝てないんだね」

「寝てるよ。おはようからおやすみまで三上と一緒に過ごしてる」

「うん、うん。じゃあ少しだけ横になろうか」

「さっき村上にもそう言われたなあ。眠くないって言ってるのに」

「うん。そうだね。でも少しだけ」

天使のように綺麗な声と笑顔でそっと肩を押され、渋々ベッドに横たえた。
エアコンの温度を調節され、タオルケットを腹まで引っ張られる。

「潤」

「なに」

「何か話して。眠くなっちゃう」

「寝ていいのに。じゃあ子守唄でも歌ってやろう」

潤はベッドに頬杖をつきながら薄く口を開け、天使の声で絶妙に音程が合っていない歌を披露した。

「ストップ」

思わず止めると首を傾げられたので、音痴ということに気付いていないのだと知る。

「ありがとう、もう大丈夫…」

「そう?じゃあほら、寝よう」

胸のあたりを擦られ、久しぶりに感じた人肌の温度に徐々に瞼が重くなった。
真っ白な天井を眺め、天井にも写真貼ればよかったなあと思ったのが最後の記憶だ。

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