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「三上と上手くいってないの」

「…上手くってどういう状況を指すのかわかんない」

「そりゃ、普通のお付き合いが続いているときだろ」

「普通…」

自分たちは普通とは程遠い。男同士だからではない。元々上下関係がはっきりしていて、三上を無理にこちらに引き摺り込んだだけ。
一瞬の勘違いで釦を掛け間違うように三上は僕を好きだと言った。ただそれだけ。

「僕は、三上が女の子と浮気しても二股しても気にしないよ」

「どういうこと?」

「だって三上はもともと女の子が好きなんだから別にそれくらい…」

「最後に自分のとこに戻ってくるならそれでいいとか、そういうやつ?」

苦笑して俯いた。

「でもさ、戻ってくんのそれ。俺この前も三上が女と一緒にいるの見たぞ」

見ないようにしていた現実を目の前に並べられた感覚に、頭が砂嵐に巻き込まれたようにぐわんと廻る。

「女が好きならそっちに行ったきりじゃねえの」

「…かもね」

わかってる。わかっているから改めて言葉にしないでほしい。
理解するのと納得するのは違う。どんな形でもいいから、三上が相手にする子の末席にでも置いてくれたらそれでいいくらいに好きなのだ。
だけど三上は同時に数人を相手にするような真似はしない。
面倒というのもあるし、恋人には真摯に向き合う男だと思う。一時の欲や感情で裏切ったりする奴じゃない。
ならあれもきっと浮気とかじゃなくて、偶然知り合いに会っただけとか、ただの友人とか、そんな風に思えたらいいのに、自分が物語の中心になった途端に三上の輪郭が掴めなくなる。
自信なんて一ミリもなくて、いつ離れていくのか毎日怯えて過ごしているせいだ。
幼い頃から虐めの対象で、俯きながら空気に溶け込む技ばかり身に着けて、人の目を見て話せなくて、上手に笑えない。
おまけに同性愛者で普通からどんどん道を逸れて、いつか家族まで悲しみのどん底に落とすような人間。それが自分で、そんな奴に好きだと言い返してくれる人がいるなんて信じられず、長い夢でも見ている気分になる。

「…まあ、本人に聞けば済む話しだよな」

「え?」

「三上!」

村上は立ち上がって門の方に向かって声を張った。
まさかとそちらを見ると、鞄の持ち手の片方だけを肩にかけた三上が立ち止まった。
村上は三上を手招きし、彼は一瞬面倒そうに溜め息を吐いた後こちらに近付いた。
思わず座ったまま俯いた。どうしてだろう。顔が見れない。きっと罪悪感のせいだ。
三上の言葉を信じている。嘘をつかないから。
いつもそう言った。
教師にいじめ疑惑を掛けられたとき、三上は迷わず僕を好きだと言った。自分が白い目で見られるリスクも考えず。
本当に欲しいものから目を逸らす自分のために心を解してくれた。
面倒だっただろうに。
できる限りの愛情を伝えてくれたはずなのに、それでも彼から目を逸らそうとする罪悪感。
たった少し不安の枝を揺さぶられただけで気持ちが沈み、終わりばかりを見ては彼の努力を無駄にする。

「なんだ」

「泉が話しあるって」

「話し?」

「いや、僕はなにも…」

「泉、一人で考えるのよくねえぞ。んじゃ、俺は行くから」

無責任な言葉を残して村上は去り、三上は立ったままこちらを見下ろした。
どうしよう。嫌な汗が滲み、拳を作って口角を上げてみたが笑みになってる自信がない。

「…なに」

「本当になんでもない…」

「あんな意味深なこと言われて何もないって無理があんだろ」

言ったら怒られるとか、失望されるとか、色々考えて、だけど一人で溜め込むと拗れることをもう知っている。
小さく口を開け、だけど何を話せばいいのかわからずにまた閉じた。
三上が苛立っているのが空気で伝わる。そうすると頭の中が真っ白になってますます言葉が出てこない。

「あ、あの、さっき三上見たんだ。女の人と一緒にいるところを…」

「…ああ、そう」

思った以上に冷めた声色に顔を上げると、彼は白けたような瞳をしていた。

「で?」

「えっと…」

「浮気してんじゃねえか、女の方がよくなったんじゃねえかって?」

「そ、そんなこと…」

当たらずも遠からずで尻すぼみになった。

「じゃあなに」

「別に、僕はなにも…三上が女の子のところに行ったっていいと思ってるし…」

言った瞬間ネクタイを掴まれ無理に立たされた。

「いい加減にしろよ」

地を這うような声にひゅっと胃が縮んだ。
三上の瞳は静かな怒りを孕んでいて、何がいけなかったのか考える間もなく突き放すようにされた。

「そう言えば俺が喜ぶと思ってんの?それとも他を見つけたから興味なくなったか」

「…他?」

「次は村上?あれだけしつこく付き纏ったくせに俺はもう用無しか?」

「なに言ってんの…僕だってしつこくするといけないし、三上も一人の時間がほしいと思って…」

「は、随分殊勝な心掛けだな」

吐き捨てるように言われ言葉が詰まった。

「お前が本気で女にいってもいいと思ってんならいってやるよ」

踵を返し背中を向けた三上に手を伸ばし、だけど掴む前にだらんと下ろした。
今帰ってきたばかりなのに、彼はまた門を抜け暗闇に溶けた。
行かないでと泣けば満足か。心を曝け出してなにもかもぶつけて足に縋って、自分以外見ないでいつまでも好きでいてと。

「は…」

自嘲気味な笑みが零れる。
そんなのできるわけない。
最後に泣きを見るのは自分だとわかっているのに。
自分たちはフェアじゃない。選択肢がいくつかある三上と、一つしかない自分は違う。
勝手に異性愛者の三上を好きになった自分が悪いし、彼を責めるのはお門違いだ。この気持ちを理解しろとも言わない。
だけど、毎日少しずつずれた秒針はいつか大きく狂っていく。
本音を話さない自分と、言葉が足りない三上は小さな齟齬が深い歪みに変わっていく。
ひび割れた大地から真っ逆さまになって初めて気付いたって遅い。
ベンチに座り直し、太腿に肘をついて頭を抱えた。
なんでこうなるんだろうなあ。
投げやりな気持ちで思い、人と付き合うって本当に大変だなと実感する。
言葉にしなくても気持ちが伝われば誤解なんてないのだろう。
だけどそうじゃないから言葉や態度にしなきゃいけない。それがとてつもなく不得手な自分は人の何倍も頑張らなければいけないのに。
何が三上を怒らせたのかすらわからないなんて終わっている。
寄り掛かりすぎず、好きだけど自由にしてほしくて。
束縛を嫌う彼だから首輪なんてつけたくない。一度した約束は違わないとわかっているから冗談でも浮気しないでね、なんて言ったら彼は言葉の呪縛で苦しむかもしれない。
今、この瞬間一緒にいてくれるだけで十分だと言い聞かせなければどんどん醜くなって、自分の手に負えないほど嫌な人間になりそうで。
毎日、毎日三上の心が離れていくのを感じながら、それでも手を放せなくなって。
そんなのお互いにとって不幸でしかない。
ストッパーをかけようとするのはそんなにいけないことか。
長続きさせるために必要な選択で、彼になんと言われようとも正しいと思う。
だけど正しさが心を満たすとは限らない。
きっと、自分の心も三上の心も正しさばかりでは埋まらない。
長い溜め息を吐き、三上は今頃セフレの元だろうかと考えた。
携帯を取りだし、すぐに鞄に押し戻した。今更なにを言えるというのか。
怒っている理由すらわからないくせに、表面上謝ったところですぐに見破られる。
明日から楽しい夏休みだったはずなのに。
このまま離れたらますます溝は大きくなる。新学期にどんな顔して会ったらいいかわからない。
どう行動すれば三上が満足するかわからないので足踏みしてしまう。
考えすぎると悩むのに疲れてもういいやと放り投げたくなるし、だけど三上に関することは簡単に諦められない。

「…真琴?」

聞えた声に顔を上げた。
コンビニの袋を手から下げた学がよお、と右手を挙げ、大股でこちらに近付いた。

「こんなとこで何やってんの」

「あ、いや、ちょっとさっきまで話しをしていて…」

「三上?」

「まあ…」

学は隣に腰を下ろし、袋からバナナ味の豆乳を取り出した。

「飲む?」

「随分変わったチョイスで…」

「景吾のリクエスト」

「じゃあ僕が飲んだらだめじゃん」

「もう一個買ったから大丈夫」

それならありがたく頂戴しますとストローを刺して一口飲んだ。豆乳を口にしたことはなかったが意外と美味しい。

「真琴いつ帰んの?」

「…いつにしようかな」

一週間くらい寮に残り、思い切り三上といちゃいちゃした後帰ろうかと思ったが、その計画は白紙に戻した方がいい。
なら明日でも、明後日でも、今からでもどれでもいい。

「学はいつ?」

「俺はー…うーん…」

歯切れ悪い返答に何か予定があるのかと聞くと、そういうわけじゃないと曖昧な返事をされた。

「じゃあなに?」

「…これから予定を作る予定」

「なんだそれ」

「ここにいたい理由があるんだ」

「…近くに彼女でもできた?」

「そうじゃないけど…。真琴は?三上と予定ないの?」

今一番痛い質問に顔が強張った。

「…その顔はなんかあったな」

「ないです」

「即答するのが怪しい。お前らは誰かが間に入らないと拗れそうだからなあ…」

「そ、そんなことない!自分たちのことくらい自分たちで…」

解決できると胸を張って言いたいが嘘になるので言えない。

「いいからさっさと吐け。真琴も三上も恋愛下手すぎて見てると冷や冷やする…」

言い返す言葉もなく、がっくりと項垂れた。
多分、自分が悪いということはわかるが理由がわからないと悩んでいた最中だ。
だけど僕がわからないならきっと学だってわからないし、それなのに相談しても意味はないと思うのだけど。

「ほら、早く」

急かされ、おずおずと先程のやりとりを掻い摘んで話した。
なぜ怒ったのだろうと疑問を口にしながら。

「…真琴」

「はい」

「それはお前が悪い。まさか三上に同情する日が来るとは…」

学は目頭を摘みながら溜め息を吐いた。

「な、なにがだめだったのかな…」

「…もう少し自分で考えな。それでもこんがらがったらまた俺に聞きな」

「なんで。今すぐ教えてよ」

「自分で気付かないと意味ないだろ」

「…そういうものなの?」

「勉強と同じ。教えてもらうだけじゃだめなんだよ」

ぽんと頭を撫でられ、身体を小さくしてはいと頷いた。

「三上今頃ヤケ酒かな…」

「いや、制服のままどっか行ったし酒はないだろ」

「じゃあ真琴は今三上が女の人抱いてるとしても明日笑っておかえりって言えよ」

「そ、れは…頑張るけど…」

「そういうとこだぞ」

学はもう一度溜め息を吐き、とりあえず帰ろうと腕を引いて立たせた。
三上も学もわけがわからない。
どういうところがいけないのか客観的に提言してほしいのに。
渦中にいる人間は周りが見えずドツボに嵌って身動きがとれなくなる。
どうせ考えたところで答えはでないだろうと思ったが、それでも努力することに意味があるのだと鼓舞した。
その前に明日ふられるかもしれないが、それも自分が招いた結果なのだろうとどこかで諦念した。

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