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三上はソファの背凭れに頭を乗せて天井を仰いでいる。
ぼんやりと、虚ろな瞳にはなにも映っていないと思う。
考え事をしているようなので、自分は冷蔵庫を開けてお茶を取り出した。
怒られてしまったので、気まずい空気が流れていると感じているのは自分だけかもしれない。
できれば近くに座りたいが、それが許されるのかわからず、うろうろと檻の中の動物のように歩き回る。
少したまった食器を洗い、風呂を洗い、けれどもそれはすぐに終わってしまい、自分の身の置き場を考える。

僕と三上は角砂糖のようだ。
液体の中に入れれば簡単に崩れてばらばらになってしまう。
できるだけ液体に飛び込むような事態を避けて、穏便に過ごさなければ跡形もなく消えてしまう。
不安で、苦しく、ちょっとしたいざこざにも敏感に反応してしまう。
項垂れそうになるのをぐっと堪えた。
なにか、その背中に声をかけようと思ったけど、上手い言葉が見付からない。
口を開いては閉じる作業を繰り返し、諦めて寝室へ向かった。
部屋の扉を開けようとすると、後ろから締められた。
振り返ると三上が首を傾げてこちらを見ている。

「…あの」

ぎくりとして身構えた。
彼からの言葉はいつだって怖い。
刃物か、自分を包むビロードか、紙一重だからだ。
今回はどちらだと鼓動が早くなる。

「…気持ち悪い」

「は?具合悪いの?」

「違う。お前が大人しくて気持ち悪い」

それは刃物でもなければビロードでもなく、

「…だいぶ失礼な言葉だったのでした…」

「は?なんだそれ。ちょっと来い」

顎をしゃくられ、大人しくソファに座った。
膝の上に手を置いて、無意味にそれを見る。
気詰まりする。
恋人同士の恋愛というのは、こんなに苦しいものなのだろうか。
常に首を軽く締められているような感覚だ。
少し力を入れれば窒息してしまう。

「お前が大人しいときは一人でわけわかんねえこと考えてるときだ」

「そんなことは…」

ないと言い切れないし、正解だ。
落差が激しいのをどうにかしろと、いつか言われた。

「俺のこと?」

「…まあ」

「なんだよ。面倒くせえから話せ」

「いや、こういうのって本人に話すことじゃないと思うし、普通に恥ずかしいじゃん」

「お前に羞恥心があったなんて驚きだ」

「ひどい。少し残ってる」

「一人で考えて、爆発されると面倒なんだよ。言えよ」

「えー…」

「五秒以内な。はい、いーち」

「わかった言うよ!」

少し、頭の中で整理した。言葉を選ばなければ三上を怒らせるかもしれないからだ。
どう選んでも失敗に終わることが多いので、無駄な努力だけど。

「三上を怒らせて、悪かったなって。機嫌悪そうだから一人にしようと思っただけで…」

「それだけ?」

「…あとは、まあ、どうしていいかわからないというか…」

ごにょごにょと口ごもる。
なんでこんなことを本人に話さなければいけないのだ。
潤ならいい。第三者だから。
なんだこれは。一種の羞恥プレイか。

「どうしていいかって…なにが」

まさか突っ込まれると思わなくて、耳に熱が集まる。
右往左往しているのは自分だけで、彼は変わらず冷静なままだ。
それはそうだ。
三上は好き"かも"の状態で、それに比べてこちらは好きを通り越して馬鹿になりそうなくらい好きだ。とにかく好きだ。着々と変態になりつつあるほど好きだ。
心の内側すべてを見せると三上がドン引きしそうなので見せないけれど。

「おい、なんか言えよ」

デリカシーがない男とは、三上のためにある言葉か。
察しないし、察する努力もしない。三上らしいが、これは女の子にはモテないわけだ。

「それ、普通聞かないで察するところだと思うのですが…」

「察するって知らねえよ。なんで他人の気持ち察することができんだよ。超能力者か」

「いや、まあ、そうなんだけど。なんとなく雰囲気でわかるといいますか」

「だって勘違いだったらどうすんだよ。拗れんだろ。面倒くせえ。最初から口に出してちゃんと聞いた方がいいだろ」

「ごもっともで…」

でも、口出して言えない言葉がこの世には沢山ある。
駆け引き、手練手管、そういったものと対局にいる三上らしい。
なんでそんな面倒くさいことすんの?
可愛らしい女の子の駆け引きや、かまかけにもそうやって冷たくばっさり切り捨てそうだ。
男を堕とす方法など、彼には一切通用しないと思う。

「わかったら早く言えよ」

降参だ。心の中で白旗をぶんぶんと振り回して、地面に刺した。

「あの、つきあうって。現実味がなさすぎてどうしようかと思って。いつものテンションでいけないというか、なんか、よくわからなくなって」

「普通にすればいいだろ」

「普通を忘れたんだよ!」

「お前の普通はおかしいことだ」

「恋人になってもきつい!」

「俺はなにも変わらないからな。あんまり俺に期待すんなよ」

「あ、大丈夫。なにも期待してないから」

「…それはそれで微妙だな」

「期待するときりがないし、ちゃんと身の程もわかってるしさ」

「身の程ってなんだよ」

「ごり押ししてつきあってもらっているってこと」

「つきあってもらうとか、あげるとか、そういうの嫌いなんだけど」

「事実だからしょうがない。気持ちが大きい方が負けってよく言うじゃん。だから…まあ、そのうち慣れて普通に鬱陶しくなると思うし。でも別に悩んでるとか、余計なこと考えてるとかじゃなくて…」

考えているけど、それは自分の中で秘密にしておく。
馬鹿正直にすべてをひけらかしたりしない。

暫くの沈黙が漂い、三上は吐息を零した。
これ以上は催促されても話さない。
微妙にぴりっとした緊張感がある空気を払拭したくて、笑顔を作った。
湿っぽい話しはしたくない。馬鹿みたいに笑って、中身のない軽い会話が好ましい。

「み、三上ってさ、意外と面倒見いいよね。潤も言ってたんだ。情に厚いって」

「別によくねえよ」

「でも、心配して潤の部屋まで来てくれたし…」

「お前が言ったことすぐ忘れるからだろ」

思いの外きつい口調に、一瞬呼吸をするのを忘れた。

「ご、ごめん…」

やはり三上は怒っていた。けど、僕を気に掛けてそんな素振りを見せずに話してくれた。
それなのに調子に乗った自分は馬鹿だ。
察することができないのは自分の方だ。

「あ、いや、違う。悪い」

「いや、僕の方こそ…」

失敗した。
三上はなにも変わらないと言ったが、努力をしてくれている。
僕を委縮させないように。今は心に負担をかけないように。
なのに茶化してしまったのは失敗だった。申し訳ない。
重い沈黙が流れ、またパーカーの袖を悪戯する。
お互いのちぐはぐな気持ちは同じ方向を見れない。
乱雑に、ばらばらにされたピースを一つ一つ拾って、一つのパズルにしたいのだけど、簡単にはいかない予感がする。
三上の気難しい性格と、自分の楽天的に隠されたマイナス思考は、相性が最悪だ。
好きだけじゃ上手くいかない。一つの気持ちだけでは丸くおさまらない。
でも好きだ。別れたくない。諦めたくない。やっと手に入れた。

「…マジで、違うから」

なにが?と首を傾げた。
三上は僕に言葉を求めるくせに、自分は多くを渡してくれない。
いつも一言、二言で察する材料にもならない。
ちらりとこちらを見た彼を視線が混じり、額に手を添えて溜息をはかれた。
また、なにか機嫌を損ねたのだろうか。わからない。
でも詮索はしない。無理強いをすると殻にこもってしまう。

「いいよ。大丈夫」

なにが?
自分でもわからない。でも、そう言うしかない。
会話すらまともに組み立てられない。
はっとしたようにこちらを再び見て、もう一度彼は謝った。

「お前のせいじゃない。俺の問題で、自分に対して苛々しただけ」

「そっか」

中身がどんなに醜くてもいい。表面さえ綺麗にコーティングされていれば。
たぶん、その考え方は間違っている。

「…僕、少しお昼寝するね」

「…飯は食ったのか?」

「うん。お菓子とか摘んでたからお腹一杯」

平気で嘘をついた。

「三上は気にしないで出掛けていいからね」

笑顔を作る。
彼の前で無理や虚勢というのは無意味だとわかっているけど。
言葉を察することはできないくせに、表情を読み取るのは得意だから厄介だ。
そそくさと寝室へ入り、布団に包まった。
考えるのも疲れるし、面倒なので瞳を閉じる。
思考を停止させ、三上の香りだけを感じていれば、そのうち安心して浅い眠りにつけるだろう。


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