5
心配を余所に、村上は時たま放課後に遊びに行こうと誘ってくれたり、学食に一人でいると一緒にご飯を食べてくれる日が多くなった。
それに比例して三上との時間が少なくなる。
三上には何の不満もなく、むしろ煩い虫がいなくなったくらいの感覚だろう。
相変わらず彼から訪ねてくれることはないし、携帯への連絡もない。
夕食後、自販機でお茶を買ってなんとなく談話室の椅子に腰掛けた。
一口飲み込み溜め息を吐きながら天井を見上げる。
そろそろ三上禁断症状が出て、身体が震えて眩暈がして獰猛な獣のようにぎらついた瞳で襲いかかるかもしれない。
会えないということは触れられないということで。
こちらを見てくれるだけで十分、話してくれるだけで十分、そんな風に思っていたのに、幸福というのは慣れるらしく、それでは足りないと頭の隅がちりちりと焼ける。
よくない。とてもよくない。自制し、今後を考えるとこういう時間も必要かもしれないと思い直す。
だけど、少しくらい。
夏休みに入らないと寝ないと彼は言ったけれど、その気持ちは変わっていないだろうか。
やっぱりいいや、面倒くさいし。なんて放り投げられたら涙の海ができるかもしれない。
会わずとも平気なくらいしか自分のことを好いてくれないのだ。それなのに男と寝ることが可能だろうか。
考え出すときりがない。不安や欺瞞は心にどっしり根を張り、なかなか消えるものではない。
俺の言葉が信じられないかと三上は言った。
信じてるとすぐに答えた。
だけど何処かで本当にそれでいいのかと疑う自分がいる。
性格悪いなと自虐してくしゃりと髪に指を差し込んだ。その時、廊下と談話室を隔てている透明な壁をこんこんと叩く音がして顔を上げた。
村上がひらひらと手を振り扉を開けて近付いた。
「飯食った?」
「うん」
彼は自販機で飲むヨーグルトを二つ購入し、一つ渡してくれた。
「あげる」
「あ、ありがとう。でもなんで飲むヨーグルト?」
「美味いだろ?」
「まあ、美味しいけど…」
談話室に他の生徒はおらず、二人きりだ。少しだけ身体を硬くし、それが空気で伝わったのだろう。村上は小さく笑ってから大丈夫と言った。
「ほら、人通り多いし、こんなとこじゃ何もできねえよ」
透明の壁の向こう側の廊下は夕食を摂り終えた生徒、これから食べに行く生徒で絶えず行き来がある。
「そ、そんなこと気にしてないよ…」
「そうか?別に気にしていいけど」
「気にしない!」
思わず大きな声が出て、村上はきょとんと目を丸くした。
「あ、ごめん。でも、友だちが少ない僕によくしてくれるのにそんなの失礼だと思う」
実際二人きりは少し緊張するので、懺悔のように口にした。
村上は息だけで笑い、うーん、と悩むような声を出した。
顔を上げるとまた皮肉の篭った笑みを浮かべ、心配だとぽつりと呟いた。
「夏目がお前を心配するのわかる。お人好しにも限度はあるぞ。誰彼構わず好意で返すのが正解とは限らないだろ。特に俺みたいな人間には」
「…そんなことない。村上は謝ってくれたんだから過去のことは気にしない」
「って、自分に言い聞かせてんの?」
見透かされたような感覚に心臓が一度大きく跳ねた。
「まあいいや。意地悪言ったな」
「…意地悪じゃないよ」
小さく否定し俯いた。
「…なあ、前から聞きたかったんだけどさ」
「…うん」
「三上もゲイなの?」
「…違うよ」
曖昧に笑った。痛いところ突くなあと思いながら。
「ふーん。三上はお前だけなの?それとも女も飼ってんの?」
「…わからないけど、面倒なことは嫌うと思うから二股はしないんじゃないかな。彼女がいるならわざわざ僕なんかと付き合わないよ」
「…へえ。でもこの前――」
村上は途中で言葉を切り、それ以上続けようとしないのでそちらを見ると、宙を見詰めた後なんでもないと笑った。
「俺もう行くな。あ、ほら、三上だぞ」
指をさされた方を辿ると、三上と甲斐田君が並んで歩いていた。
視線が混じり、こちらに気付いた甲斐田君が手を振ってくれたので小さく振り返したが、三上は視線を逸らしそのまま行ってしまった。
「塩対応だな」
村上が笑い、いつものことだよと苦笑した。
「まあ、男同士のつきあいなんてさっぱりしてなんぼか。んじゃ、また明日」
「うん。おやすみ」
また一人になった室内で緊張を解すように息を吐き出した。
上手に笑えただろうかと先程までの自分を反芻しながらぼんやりした。
蓮や村上は毎日笑顔を向けてくれる。昔から欲しかった友達。
他愛ない話しで笑って、なんとなしに言葉にしなくとも共に行動する。
とても嬉しく、ありがたいと思う。大事な人は三上以外にも沢山いて、だけど彼の顔を一瞬でも見ると凄まじい求心力で彼のことしか考えられなくなる。
だけどそれはいけないことで、今すぐにでも部屋へ突撃したがる脚を抑え込む。
ついさっきいい機会だと思ったじゃないか。
きっと三上は僕に邪魔されない一人の時間を楽しんでいるし、高校を卒業したら思うように会えなくなって顔が見れないのが当たり前になる。それ以前に卒業するまでこの関係が続いているとも限らない。
少しずつ、少しずつ、離れても平気な練習をしなければ、ある日突然その存在全てが消えたら気が狂う。
今三上とこういう関係が築けたのは神様が間違った賽を振ったおかげだ。
どこかで間違いは修正され、あなたには分不相応と取り上げられるに違いない。
彼を嫌いになれたら楽なのに、好きばかりが積もってしまう。
冷酷で、塩対応で、自分が中心。だめなところは沢山思い浮かぶのになんで恋しさばかりが胸を占めるのだろう。
こんな状態で彼と寝るのが怖いと思う。三上は大丈夫と気楽に考えているかもしれないが、彼が思う以上に三上中毒は深刻だ。
もっと好きになったら冗談では済まされないことをして嫌われるかも。
好きも嫌いも行き過ぎると悪道になる。
何事も適度におさめておかないと、昨日までキラキラした気持ちが今日はどす黒く濁るかもしれない。
やはり身体の関係はまだ早いと制するべきか。そもそも夏休みと言った約束を三上は覚えているのだろうか。
腕を組んで悩み、余計なことばかり考えないで早く寝ようと重い腰を上げた。
明日から夏休みかあと頬杖をつきながらカレンダーを眺めた。
下校の準備でざわめく声がどこか遠い。母からいつ頃帰って来るのとメールがきていた。早く返事をしなきゃと思うのに、三上の様子が伺えないので予定が立てられない。
「おーい」
眼前でひらひらと手を振られはっと顔を上げた。
「…あ、なに?」
首を傾げる村上に笑ってやると、具合でも悪いのかと顔を覗き込まれた。
「だ、大丈夫。元気だよ」
焦りながら言うとこちらに手が伸び、思わずその手を振り払った。
はっとしてごめんと言いながら顔を上げると、悲しそうに笑われた。しくじった。やってしまった。いつもは緊張感を持って接しているからこんなミスは犯さない。だけど、少し気が抜けると条件反射で拒絶しようとしてしまう。
「元気ならいいんだけど」
じゃあなと去ろうとする彼のシャツを握って引き留めた。
「なに?」
「あ…えーっと、ど、どっか行かない?」
罪悪感からあなたに信頼を置いていますと示そうと、気付けばそんなことを口走った。
「…いいけど、別に無理しなくても…」
「無理じゃない!行こう!」
勢いよく立ち上がり、ぐいぐいと村上の腕を引いた。
親切を仇で返すのが嫌だというのもあるし、過去を引き摺る女々しい自分が許せないという気持ちもある。
男らしく、喧嘩両成敗で鋏で切ったようにすぱっと清算しなければいけない。
散々耳障りのいいことを言っておきながら拘るなんて最低だ。
手を払いのけられたり、触るなと言われたり、それがどれだけ相手を傷つけるか知っている。
友達なのだと表面を滑るように言うだけなんて最悪じゃないか。
「どっか行きたいとこあんの?」
「…考えてなかった…」
「お前なあ…」
呆れたような声色に身体を小さくした。
「無理すんなよ。別に気にしてねえって」
「無理なんてしてない」
子供のように意地になると彼は苦笑して思い切り背中を叩いた。
「いった」
「気晴らしに遊びたいってんならつきあうけどさ」
「気晴らし…?」
「あれ、違う?」
首を捻られ、自分も首を捻った。会話が噛み合っているようで微妙にずれている。
「…ま、いいか。とりあえず電車乗ろう」
遊ぶことに慣れていないので、村上にすべてを任せ、ファミレスで軽くご飯を食べ、僕が気に入ったタピオカをもう一度飲み、ゲームセンターでぬいぐるみをとった。
小さな女の子がその様子を見ていたのに気付き、村上は女の子にキャラクターのぬいぐるみを渡してあげていた。
「いいの?あげて」
「いいよ。とるのが楽しいのであって物自体は別に」
「子供好き?」
「普通。好きでも嫌いでもない」
それにしては子供の扱いが上手だった。
ちゃんと目線が同じになるようにしゃがんで、いつもより少し声を高くしながら優しく笑って。
「子供の扱い慣れてるんだね」
「歳の離れた妹いるから」
「へえー。お兄ちゃんなんだ。いいな、僕は末っ子だから妹とか弟とか憧れるんだよね」
「ああ、末っ子っぽい」
「それどういう意味!?」
聞いたのに村上は誤魔化すように笑うだけだ。
蓮も学も子供扱いするし、遂には村上にまで保護者面をされるのか。がっかりと肩を落とすと、甘え上手は得だぞと肩を叩かれた。
「得じゃないし、甘え上手じゃないし」
「まあ、お前の場合は周りが勝手に甘やかすって方が合ってるかな」
「甘やかされた覚えがないんですけど…」
「麻生とかすげえ甘やかすじゃん」
「あれは癖みたいなもので、甘やかすともまた違うよ。それに僕一人でしっかり頑張ってるからね」
胸を張って言ったが、彼は賛同してくれなかった。
「なんて言うか、生まれたての動物の赤ちゃんを見るとつい手を貸したくなるのと似てるよな」
「は!?そんなぷるぷるしてないよ!」
「いやお前ぷるぷるしてんじゃん」
「してない!一人で生きれる!」
「はいはい」
適当に流されてしまった。
この末っ子ポジションが解せないし、どちらかというとお兄ちゃんポジションに昇格したいのだが上手くいかない。
毎日規則正しく生活し、一人で起きれるし掃除や洗濯もそこそこできる。監視がなくとも勉強するし、テストでいい点数もとれる。なのに何故頼りないと言われるのだろう。
うー、と唸るとくすくす笑われてしまった。
「暗くなってきたし帰るか。今ならまだ学食も間に合う」
「誤魔化された気がする…」
ぶつくさ文句を言うと、機嫌直すためにぬいぐるみとってやろうかとまた馬鹿にされた。
いらないときゃんきゃん吠え、また彼が笑う。
その笑顔によかったと安堵した。失礼な態度をとったことを水に流そうとしてくれる。
もしかしたらこちらが気に病まないように、殊更明るく接しているのかもしれない。
ごめんねと心の中で呟く。きっと時間薬がどうにかしてくれる。いつか心の底から友達だと言えるようになるから、もう少し待ってほしい。
とりとめのない会話をしながら駅に向かう最中、村上がぴたりと足を止めた。
どうしたのと問い、彼の視線を辿ると三上の後ろ姿を見つけた。
一瞬嬉しくなって、だけど彼の隣には女性が一緒で、ぱっと咲いた花はしおしおと元気を失くした。
「…泉」
「大丈夫」
遮るように言い、帰ろうと脚を踏み出す。
どんな会話をしたか覚えていないが、ただただ笑って寮までの道を歩いた。
大丈夫と何度も言い聞かせ、傷つく方が間違ってると自分を律した。
「泉」
後ろから腕を引かれ、どうしたのとまた笑う。
「ちょっと、話そう」
寮の門扉から入口までの間にある東屋に座らせられ、顔を覗き込まれた。
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