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教室に入りながら恐る恐る村上の方に視線をやるとばちっと絡まった。
慌てて逸らしたが彼がじっとりと窺うようにこちらを見ているのがわかる。
焦りながら席につき、教科書を広げて頭を抱えた。
どうしよう。どうしようもないのだけれど。
ちょっとふざけていただけとか、上手な言い訳はどこかにあるのかもしれない。だけど三上との関係を嘘で誤魔化すのは裏切りのような気がする。
三上はへらっと笑って誤魔化したりしない。真実なのかと他の生徒に揶揄されてもそうだけど、とはっきり言うだろう。それで更に嘲笑されても意に介さず自分との関係を続けてくれる。
そういう男だとわかっているから自分も真摯に強く向き合おうと思うのだ。
だけど事は簡単に進まず、いじめられていたときの暴力の痛みや鋭利な言葉を思い出すと身が竦む。
小さく頭を振り、以前の自分とは違うのだと鼓舞した。
大事な人が増えた。性的嗜好を知っても関係ないと笑ってくれる人たち。
百人に嘲笑われても彼らがいるなら何度でも立ち上がれる。だから大丈夫。
数回深呼吸をしてどこからでもかかってこい村上と啖呵を切った。
五限が終わり、短いHRを済ませると室内が賑やかになった。盗み見るように村上に視線をやると、彼は友人数人と笑顔を見せながら話している。

「真琴、一緒に帰ろうか」

蓮がこちらを振り返りながら言い、浅く頷いた。

「コンビニ寄っていい?」

「いいよ」

鞄を机上に置き、ごちゃごちゃする鞄の中を整理しながら他愛ない会話を続ける。
この前の考査また甲斐田君が一番だったね、というと、勉強している素振りがないのに、努力してる自分が馬鹿みたいだと蓮が言った。
くすくす笑いながら凡人は凡人なりに頑張ろうよと肩を叩く。
意外と平気な顔をしていられる自分に安堵し、どんな風に他人に責められようと、せめて友人に無駄な心配はかけたくないと思う。
クーラーの効いた教室から出ると、廊下は蒸し風呂状態でそれだけでうんざりした。
一階まで辿り着く頃には汗が滲み、途中の自販機で冷たいお茶を購入して水分を補う。

「あ、部屋のエアコン、タイマーかけるの忘れてた」

蓮がはっと顔を上げながら言い、お互いあー、と呻きながら肩を落とした。
都内に比べれば緑が多く、熱が吸収される分涼しいのだけど、都内より標高が高いので太陽が近くて痛いのだ。

「シャワーでも浴びて部屋が冷えるまで待とう」

「だね…」

どうせ寮に戻る頃には汗だくだし、そのままでは気持ちが悪いため冷たいシャワーを浴びるのが夏場のルーティンだ。
昇降口に近付き顔を上げると、村上が下駄箱に背を預け、腕組みしてこちらに視線を寄越した。
僕の姿を確認すると背中を離し、真っ直ぐこちらに向かってくる。
ぎくりと肩が揺れ、蓮が一歩前に出た。

「何か用」

蓮の声が硬い。村上は片方の口端を上げながらそっちに用があると僕を指差した。

「真琴は用なんてない」

噛み付くように言う蓮のシャツを掴んだ。

「い、いいよ蓮」

「…でも」

何の話しかはわかっている。ここで逃げても明日、明後日、いつかは村上に捕まるのだ。

「話しがしたいだけ。心配なら夏目も来ればいい。ああ、それとも三上呼ぶ?」

くすりと笑われ胃がぎゅっと握られたような感覚がした。

「い、いや、二人で…」

「真琴!」

「大丈夫だよ。話しするだけだもん」

へらっと笑って蓮の背中を押した。一緒にコンビニ行けなくてごめん、先に戻ってと言いながら。

「…ここで待ってる。あまりにも遅かったら行くから」

「何もしねえよ」

警戒する蓮を小馬鹿にしたように言いながら、村上は蓮とすれ違う間際肩をぽんと叩いた。
村上の背中を追うと、廊下の一番端っこでこちらを振り返った。
背後を振り返ると下駄箱付近から蓮がこちらをきつく睥睨している。

「…何の話しかわかってると思うけど」

愉快そうに弾む声を押さえられないといった様子で村上が話した。
うん、と短く返事をして拳をぎゅっと握る。

「三上とつきあってんの?」

暑さとは違う汗が滲み心臓が早鐘を打つ。
迷う必要はないし、決めたではないか。三上を裏切らない、目を背けない、指を指されても笑えるくらいの強さを持つと。
一度瞳を閉じて顔を上げる。村上を真っ直ぐに見て大きく頷いた。

「つきあってる」

「…へえ。いつから?」

「…に、二ヶ月前くらい…」

「じゃあ俺がボコられたときはまだつきあってなかったんだ」

「…そう、です」

「もしかして俺のおかげでつきあえた?お前三上のこと好きだっただろ?」

村上のおかげといえばそうなのだろうか。あの事件以来三上の態度が柔和になった。
だけどありがとうと感謝するのも違う気がして、頷けずにいると村上がふっと笑った気配があった。
恐る恐る顔を上げ、下から覗き見る。

「…悪かったよ」

え、と驚いて聞き間違いかと思い怪訝な顔をする。

「そんな顔すんなよ」

「…いや、だって…」

「俺も反省くらいする」

「…うん。ごめん」

「なんでお前が謝んの」

ぷはっと噴き出した顔を見て懐かしさが込み上げた。
ゲイだと告白する前、村上はこんな風に笑ってくれた。引っ込み思案な自分にも気軽に話してくれたし、学以外の初めての友達だと思っていた。後に幻想だと気付いたときには信じていた分辛かった。
ゲイを疎むのは仕方のないことで村上が悪いわけじゃないと言い聞かせたが、あの笑顔が嫌悪に染まる度悲しくなった。
村上のことを友人として好きだったからこそ、延々と引きずって。

「…えっと、じゃあ仲直りってことでいいでしょうか…」

「はあ?」

横暴な様子で聞き返され身体を小さくした。

「被害者が言う言葉じゃないと思うけど。どんだけお人好しだよ」

「…で、でも、クラス同じだし、無理に避けるのも不自然っていうか…村上が嫌なら無視するけど…」

「お前はそれでいいの?」

「え?」

「俺のこと許せんの?」

うろうろと視線を彷徨わせて小さく頷いた。
許すとか、許さないとか、そういう話しじゃないと思う。謝罪を受け入れなければ村上の良心はずっと宙ぶらりんのまま、行き場をなくして心に黒い染みを作るかもしれない。
それに自分のためでもある。
彼がしたことを許すというよりも、彼とのわだかまりをなくしたい。そうでなければあの事件に縛られ、忘れられず、ずっと苦しむ破目になるような気がする。
許す以上に憎む方が疲れるし、もうあんなこと忘れてしまいたい。

「お前は本当に馬鹿だな」

言いながら村上がこちらに手を伸ばした。びくりと肩が強張ると一瞬手が止まり、だけど僕の柔らかい髪をくしゃりと撫でた。

「…夏目が待ってるから帰ろうか。あ、三上のこと、言いふらしたりしねえから安心しろよ」

「あ、ありがとう」

小さく頭を下げてから地面に視線を固定させて歩いた。
心の端っこが鎧を脱いだように軽くなった。多分、見ないふりをしていたがずっと気に掛かっていたのだ。
村上に散々な扱いを受けて、だけど以前の彼を知ってるから憎みきれなくて、どちらにも着地できなくて苦しかった。
だけどもう、水に流していいんだ。村上からの謝罪が一つの区切りになったし、彼も悩んで出した答えなのかもしれない。
謝るって簡単じゃない。罪が重ければ尚更。謝罪すら拒絶されたら苦しい。そんなのお互いにとってなにもいいことがないと思う。
自分は彼を苦しめたいわけじゃない。悪かったと思ったならそれでいい。
あの時の村上は少しおかしかった。暴力はいつものことだったけど、強姦紛いのことをするほどの鬱憤があったのかもしれない。
だからって許されないことだけど、自分は男だし、未遂だし、あれくらいなんでもないと笑った方がいいのだと思う。
歩みを止めた村上に倣い脚を止め、背中からひょっこりと顔を出すと、蓮が三上の鞄をきつく握って鬼のような形相をしていた。

「み、かみ…」

「夏目が放してくれねえんだけど」

「真琴に何かあったときの保険だよ」

「話すだけだって言っただろ?」

村上は蓮を見てくすりと笑い、三上に視線を移した。数秒睨み合い、こちらに向き合った村上は笑顔をつくってまたなと言った。

「う、うん、また、明日…」

小さく手を振り、村上が昇降口をくぐるとどういうことだと蓮に両肩を掴まれた。

「あ、謝ってくれただけだから…」

「謝るう?」

「うん。悪かったって…」

「悪かった!?そんな一言で済むと思ってんのかな?」

「まあまあ、謝ってもらえただけ、ね…?」

「もー…」

長い溜め息を吐いて脱力する蓮にごめんねと謝った。心配をかけたし、自分のことで怒ってくれるのはありがたい。でも、もう終わりにしたいのだ。

「僕が横から口を挟むことじゃないけどさ……三上君はそれでいいの?」

「こいつの好きにすればいい」

「あー、もう、二人揃って!許せない僕が悪役みたいだよ…」

「そんなことないよ。ありがとう、蓮」

「…うん」

納得してませんと顔に書いているが蓮は渋々といった様子で頷いた。

「待たせちゃったからアイスでも驕るよ!三上も行こう」

彼のネクタイを引っ張ると呻きながらも渋々ついてきてくれた。
それぞれにアイスを渡すと蓮は一足先に帰るからごゆっくりと手を振った。
コンビニの側面に回り、影の下でアイスを頬張り陽炎が揺れる道路をなんとなしに眺める。

「…僕、馬鹿かな」

ぽろりと言葉が零れ、三上がこちらに顔を向けた。

「村上のこと許したんだ。馬鹿かな」

「別にいいんじゃねえの」

「…許したら終わりにできると思った」

「まあ、いつまでも許さないのも執着の証って言うしな」

「…そっか。じゃあ正しい選択だったのかな」

「正しかろうが間違ってようがお前が納得するならそれでいいと思うけど」

「うん…そうだね。うん…」

ぼんやりとすると手に持っていたアイスを食べられた。

「あー!また食べた!」

「ぼうっとしてると溶けて落ちるぞ。ほら、垂れる」

棒からずるずると落ちていく氷菓を慌てて口に放り込むと頭がきんと痛んだ。

「馬鹿め」

「ば、馬鹿じゃない…うー、痛い…」

拳を作って蟀谷に当てると腕をとられて触れるだけのキスをされた。

「冷たい」

「三上ー…」

呆れたように溜め息を吐き、けれど結局嬉しいので怒れない。
TPOを考えろと叱る場面なのだけど。これでは村上が吹聴せずともいつか噂になるかもしれない。
他人の目を気にしないのは美点と信じて疑わなかったが、奔放な恋人を持つと苦労すると知った。

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