Episode:9 ひどい男
三日に一度は出した方がいいからさせてくれ。三上に何度も口煩く言いながら迫ったが、その度に顔をべしゃりと押し返された。
そういう気分じゃない、眠い、今忙しい、拒絶されるたび悲しくなる。下手だっただろうか、それともやはり冷静になって男では気持ち悪いと思っただろうか。
関係は少しずつ前に進んでいるはずなのに、心は置き去りでマイナスな方向ばかりに舵を取る。
同じ空間にいて、話して、キスをして、なのに不安ばかりが渦巻くなんて変だと思う。
その隙間を埋めるためにまた三上に手を伸ばすけれど叩き落されて終わるのだ。
次第に誘うのが怖くなって、もう身体の関係なんていらない、一緒に過ごすだけでいいじゃないかと思うようになった。そもそも高校生だし、清いお付き合いがセオリーだ。男女とは話が違うのだし。
そうだ、そうだと頷いて、やりかけだった課題から三上に視線を移した。ソファの上で脚を組んでタブレットを眺めている。
ネクタイを胸ポケットに入れ、袖を肘の下まで捲っただらしない姿だが、今時期の彼はだいたいこの格好だ。
「…なんでネクタイするの?」
「なんでって、なんで」
「邪魔なんでしょ?一年のときは外してること多かったし」
「まあ、しなくてもいいけど、誰かさんがパクんじゃねえかと思って」
ちらりと視線を投げられ、自分のことだと気付く。
慌てて勝手に盗まない、盗んだとしても代わりに新品を置くと言い訳した。
「結局パクってんじゃん」
「そりゃできればほしいよ!シャツもネクタイも下着も!」
「逆ギレすんな」
三上の冷めた恋愛観は理解できないし、彼も自分の執着心を理解できないので堂々巡りだが、多少は汲んでくれてもいいと思う。
頭が馬鹿になりそうなほど好きなのだから、たまにご褒美や餌を与えてやらないと気が触れるのに。
なにか持ち歩ける彼の私物がほしい。それを彼の代わりにして精神を落ち着かせれば少しはまともになるかもしれない。
ペンやハンカチ、腕時計、彼がいつも人差し指にはめている指輪、色んな物を思い浮かべ、はっとして顔を上げた。
「…パクらないから交換しない?」
「なにを」
「ネクタイ」
言うと思いきり嫌そうな顔をされた。
ネクタイは学年ごとに色が違うが自分たちは同学年だから物自体は同じだし、かつ、毎日つけているから匂いも移っているかもしれないし、誰にも知られず三上の私物を身につけられる。自分天才かな?と自画自賛して身体を前のめりにした。
「お願い。そしたら少しはまともになるかも」
「ネクタイ交換したらまともになるの意味がわからん」
「三上を持ち歩いてる気がするから」
「怖いんですけど…」
身体ごと引かれたが気にしない。この名案、なにがなんでも是と言ってもらわないと困る。
「僕この前誕生日だったし!」
「それこの前も言っただろ」
「じゃあクリスマスの前借ってことで」
「却下」
「なんで!交換するだけだよ!同じ物なんだからいいじゃん!」
「同じ物なんだから黙って自分のつけてろよ」
「あー、もういいです。勝手に交換しますから」
「すぐバレんだろ。ネクタイの裏にイニシャル入ってんだから」
「だから三上のがいいんだってば!」
土下座か。土下座すればいいのか。それとも現金か。はたまた一週間周りをうろちょろしないとか、そういう交換条件なら頷いてくれるだろうか。
「なんでもするからお願いー」
「ほーん、なんでもねえ…」
「一週間近寄るなって言うならそうするし、課題の代筆でも昼飯のパシリでもなんでも…!」
「…わかった」
暫く考えた後頷いてくれたので、こちらがぽかんと口を開けた。
「マジ?」
「マジ。こっちこい」
手招きされ慌てて三上の傍に近付いた。
手を引かれ、ソファに脚を伸ばして仰向けになった彼の上に跨ると襟を立たされネクタイに指をひっかけられる。
引き抜かれながら外していいと言われたので、三上に手を伸ばし、胸ポケットから先端を取り出し同じように結び目に指をひっかけ引き抜いた。
「ほ、本当に交換してくれるの?」
「なんでも言うこと聞くんだろ?」
「うん。でも別れるとか一ヵ月会わないとかはなしね」
「それなんでもじゃねえじゃん」
「一週間が限界」
三上のネクタイを指でなぞるようにして、裏側のイニシャルを確認して笑みを浮かべる。
鼻先に近付けると腕をとられ首を左右に振られた。
「それはやめろ。変態くさい」
「変態だけど?」
「開き直んなよ」
ちぇ、と拗ねた後自分の首に彼のネクタイを撒いた。既製品だし、自分と同じ物だけど嬉しくて嬉しくてにやけた顔を隠せなかった。
これからは毎日彼の私物を持ち歩ける。夏はネクタイ締めるの嫌だなあなんて思っていたが、ノーネクタイデーがあったとしても締めてやる。
三上がだらんと伸ばした腕に掴んでいた僕のネクタイをとりあげ、彼の首にも巻いてやった。
「どうですか」
「別に普通ですけど」
「わかってないなあ…僕たち高校生だよ?バカップルみたいなことできるの最後だよ?」
「吐くからやめろ」
「三上ってさ、ペアリングとかも嫌がりそうだね」
「別に」
「え、それはいいんだ!?」
「俺がつけてるのと同じ指輪買ってはめるってんなら止めはしねえよ」
「そうじゃない!本当に恋する心がわからない人間だなー」
「そ、だからモテねえの」
「一部の人間を除き、でしょ?皇矢に聞いたことあるよ。たまに僕みたいな女の子が現れるって。冷たいのがいいって言うようなタフな子が」
「あー、クソドMな」
「言い方…」
ネクタイの先をポケットに突っ込んでやり、彼の上からどこうとしたが腰を掴まれ首を捻った。
「そろそろ気持ち固まった?」
「気持ち…?」
「抱かれる覚悟」
「だ…!そ、それはまだ…っていうか、三上全然やらせてくれないし、あれじゃあ慣れるもなにもないじゃん」
「嫌なんだよ」
ずきん、と胸が痛んだ。やはり男ではだめだろうか。優しさで上手に隠していただけで、滑稽に映っていたのだろうか。
「お前に一方的にされて終わりなんて。オナホ代わりにしてるみたいだろ」
予想外な言葉に戸惑った。
「そ、そんなことないよ。僕が望んだことだし三上が気に病むことないっていうか…」
「気に病むとか気遣ってるとかじゃない。お前がよくても俺が嫌なんだよ。なんでも言うこと聞くんだろ」
掴まれていた腰に力を込められ言葉を詰まらせた。それを言われると何も言い返せない。
三上としたい。ずっと望んでいた。心が手に入らないならせめて身体だけでもと思ったり、身体がだめでも気持ちがあるならいいと思ったり、揺れながら彼と一緒にいられる道を探した。
でも不安や恐怖の方が大きくて、一歩踏み出して何かが崩れるなら惰性のままぬるま湯に浸かっている方が楽だ。後にも先にも進めないとしても。
「…なにがお前をそうさせてんの」
「…なんだろね」
「俺の言葉が信じられないか?」
「信じてるよ。三上は嘘をつかない。だから三上のせいじゃなくて臆病な自分のせい」
三上が望むならなんだって差し出せる。人間扱いされなくたって構わない。罵られようが踏み躙られようが自分を見てくれるならなんだって。
なのに愛情や好意を示されると途端に怖くて逃げたくなる。物扱いを受けていた方が安心できるなんて心が歪んで捻じ曲がったまま固まったらしい。
「…これ以上三上を好きになったら怖い」
「ならねえよ」
「なるよ。絶対。その時困るのは三上だよ」
「上手く扱ってやるよ」
「…でも嫌われたくないよ。やっとここまできたのに…」
下唇を噛み締めながら俯いた。結局のところ理由なんてそれだけだ。
男とは付き合えないと嫌われる、みっともない姿を晒して嫌われる、愛が重くて嫌われる。彼に疎まれる以上に怖いことなどない。
三上はこちらに手を伸ばし片頬を包んだ。
「俺は簡単に人を好きにならないし、簡単に嫌いにもならない。お前が一番わかってるだろ」
「…うん」
「なのに自分が対象になった途端に見失うんだな」
「それは…ごめん」
無表情な三上の頬を折った指で撫でた。
三上にどんな言葉をもらっても簡単に性格は変えられない。昨日まで黒だと言われた物を白には認識できないし、もう少し時間がほしい。
彼の気持ちも言葉も疑わない。嘘で誤魔化して表面を上手く繕ったり、適当な人間を懐に入れないとわかっているから。
今の自分たちは同じ気持ちをお互いに向け合っているはずなのに、間に透明な分厚い壁があって、それに反射して最悪な形で返ってきている。そしてそうさせているのは自分だ。
「お前にだけ伝わればいいのに、お前にだけ伝わんねえな…」
「え…?」
「どうやったら隙間って埋まるんだろな。恋愛なんてしたことねえからわかんねえよ」
途方に暮れたような表情は三上には不釣り合いで、そんな顔しないでと泣きたくなる。できるなら悲しみから守って、自分が笑わせてあげたい。いつも上手にできないけれど。
選択肢すら思い浮かばない恋愛初心者なので、物理的に隙間を失くそうと彼の上に覆いかぶさるようにした。
心臓辺りに頬を寄せると片手で背中をきつく抱き締められる。
彼に何ができるか考えて、怖いなんて女々しい戯言は呑み込んで三上が納得する方法だけを選べばいいと思った。自分の意志など二の次だ。
その後気が狂ったように好きになろうと、彼に嫌われようと、それはただの結果で、彼が納得するならそれでいい。
三上との関係をぎりぎりまで引き延ばそうとしては困らせ、拘束して、不自由にしている。
彼の心すべてを見たくて、でも踏み込んだらそれと同様にこちらの全てを曝け出さなきゃいけないのが怖い。結局守っているのは自分の心の分水嶺だ。
三上のためだなんだと偉そうに行って、自分のことしか考えてない。
三上は三上なりに悩んでくれたのに、それを反故にするなんて罰当たりにもほどがある。
「…三上、僕覚悟するよ」
僅かに身体を浮かせ真っ直ぐに鋭利な瞳を見詰めると、くしゃりと髪を撫でられた。
「…悪いな。お前が納得するまで待つなんて言えねえわ。来世になりそうだし。それか一切触れない付き合いをするって手もあるぞ」
ふるふると首を振った。
「嫌だよ。触りたいしキスしたいし、それ以上だって……それに、何がなんでもネクタイほしいし…」
「結局はそこかよ」
「一生大事にするね。自分が死んだら一緒に焼いてもらう」
「うーわ、クソ重い」
「だから言ったじゃん。これ以上好きになったらやばいって。どうする?やめる?」
「やめない」
むきになったように言われ、くすりと笑った。
馬鹿な三上。こんな風に甘やかしたら自分の首を絞めるだけなのに。
いつか本当におかしくなって、別れても追い駆け続けて辟易される未来が見える。
「ねえ、今日は準備してないからできないけど、僕にさせてよ」
「だから嫌だって」
「今日だけお願い」
「お前はお願いが多いよな」
「言ったもん勝ちかなと思って」
「図太いんだか、繊細なんだか…」
三上は呆れたように溜め息を吐いてから、僕の身体を抱えて起き上がった。
膝の上に跨って自分の首に締まっているネクタイを解く。
「なんでとんの?」
「汚したくないからに決まってるじゃん!」
「いや知らねえけど…」
「身に着けたいけど完璧な状態で保管したいし、でもクリーニングに出すのは勿体無いし、でも身に着け続けたらそのうち三上の匂いも消えちゃうし――」
「わかった、少し黙れ」
顎を片手てきつく固定され、彼の顔が近付くのを見て瞼を落とした。
割って入る舌が甘くて、ぼんやりと陶酔する。
普段ご飯を食べたり話したり、口を沢山使っているのにどうしてキスになると途端に敏感になるのだろう。
「どこが好き」
「…口の、上の方…」
言いながら、今日こそは声を出さないぞと意気込んだ。なのに奥の方を刺激されるとだめだった。
「っ、ごめん、声、が…」
「我慢すんな」
掴んでいた彼の肩に爪を立て、快感を外へ逃がそうと思うのに、それ以上の速度で与えられ、ぐずぐずに溶けそうになる。こんな調子で最後までできるのだろうか。
涙が滲みそうになり、口を放して三上の首筋に顔を埋めながら彼のベルトを外した。
脚の間に跪くようにすると指先で耳を擽られる。
「悪戯しないで。集中できないから」
「しない方が巧くできるかもよ?」
揶揄されているのだろうときっと彼を見上げると、悪い顔で嗤っていた。
馬鹿にするなと怒りたいけど、この顔に弱いので結局胸がときめいて終わる。ああ、なんてちょろいのだろう。
もういいやとズボンのボタンに手をかけると背後で豪快に扉が開いた。
「ただいまー…」
びくりと肩を揺らして慌てて直立した。
三上は気にする様子もなく、ソファの背凭れに両腕を伸ばしたまま小さく溜め息を吐いた。
「このパターン何回目だよ…」
「まだ二回目やろ!っていうかここですんなってこの前も言ったやん!」
「そうだっけ?」
「せや!」
「なんでもいいけど、お前邪魔だからどっか行けよ」
「俺の部屋!」
「神谷先輩が呼んでるぞ」
「今別れたばっかりや!」
脱ぐ前でよかったし、事に及ぶ前で命拾いした。煩い心臓を落ち着かせながら甲斐田君を振り返る。
「ご、ごめんね、甲斐田君…」
「泉は謝らんでええよ。どうせこの馬鹿が悪いんやろ」
「いや、僕が悪いです…」
誘ったのは自分だ。三上の寝室に行くくらいの時間はあったはずなのに、キスをされるとIQがめきめき下がって的確な判断ができなくなる。
「あー、萎えた。秀吉のせいで萎えた」
「俺のせいやない!」
こんな場面を見られて、それでも仲良く三人でお話ししましょうなんてできないので、ネクタイと自分の鞄を持って甲斐田君に頭を下げた。
「僕帰ります…」
「え、なんかめっちゃ罪悪感あるんやけど」
「こ、今度からはちゃんと寝室に行くから。ごめんね…」
逃げるように部屋を去りながら本当にごめんと心の中で何度も謝罪した。
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