3
寮に戻り三上の寝室に入った。
ではお願いしますと頭を下げるとその前に、と腕を掴まれた。尋問される気配を察しひゅっと肩を狭くする。
「椿になんか聞いただろ」
「…なんのことー?」
明後日の方向に視線を逸らすと嘘が下手すぎると言われる。
「俺には言うなって?」
「だ、だから、なんのことかさっぱり…」
「こそこそ嗅ぎまわるような真似はすんなよ」
掴まれていた腕に力を込められ俯いた。ごめんなさいと小さく呟き、でも汚い手を遣ってでも知りたかったのだ。
「聞いても自分のこと話してくれないし。でも裏付けがほしくて」
「裏付け?」
「三上が出す色んな答えの背景にあるものがわかればもっと上手につきあえると思ったから」
三上は腕をぱっと離し天井を仰ぐようにした。
「…そうだな」
同意してくれるとは思ってなかったので驚いた。
「でも椿には聞くな。あいつ余計なことまでぺらぺら喋りやがる」
うんざりした表情に笑みが零れる。三上にはお互いのことをよく知った上で軽口を叩ける関係の人がいるのだ。
「…椿さんはいい人だね。三上が高校で元気にやってるって言ったらすごく嬉しそうにしてた」
「お節介なだけだ」
「僕とも対等に話してくれるし、ぐいぐい来る感じがおもしろかった。それに、三上が女の人を名前で呼ぶのも初めて見た」
「名前?椿は苗字だぞ」
「え…」
「苗字。名前は檸檬」
「れ、れも、ん…」
「あいつ名前が嫌だから苗字しか言わねえの。いつか改名するんだと」
「へ、へえ…」
衝撃を受け言葉が出なかった。自分も漢字が女みたいだといじめられたことはあったが音だけは普通なのでまだましな方だったらしい。
「やっとできた子どもだからテンションあがったんだろな」
「梶井基次郎のファンという線も…」
「ないない」
「まあ、最近は変わった名前つけられた子どもが改名する話しもよく聞くし、周りにも読めない漢字の生徒とかいるしね…」
「いるか?」
「いるよ。三上はもう少しクラスメイトに興味持って」
「ふーん。俺もお前も普通の名前でよかったな」
「うん。でももうちょっと漢字は考えてほしかったなあ。名前だけだと女の子と間違われることもあるし…三上は男らしい名前だからいいよね」
「陽介が?」
「介っていいじゃん。おじいちゃんになっても違和感ないし」
「ばあさんになって檸檬はきついか…」
「それはそれで可愛いと思うけど。椿檸檬、女優さんみたいだね」
「女優ってかペンネームみたいだな」
「確かに」
頷きながらなんとなくほっとした。
名前で呼ぼうが苗字で呼ぼうが椿さんが三上にとって大事な人には変わりないが、椿さんを名前で呼ぶなら僕のことも、なんて欲張りになってしまうから。
「…三上の過去を知れたのは本当に嬉しかったな」
三上は眉を寄せあー、と意味もない声を出しながら髪をぐしゃぐしゃにした。
「椿の口の軽さむかつく」
「そんなことないよ。僕が聞いたら三上が話さないことは言えないって断ったんだよ」
「でも結局話してんだろ」
「…そうだけど」
「聞いたところでおもしろい話しなんて一つもねえのによ」
「そりゃ、笑える話ではなかったけど、三上のことならなんだって知りたいよ。どういう経緯で今の三上が出来上がったのか、できれば生まれた瞬間から年表を作って、写真とか映像つきで――」
「やめろ。マジでやめろよ」
がしっと両肩を掴まれ軽く揺さぶられた。
「…残念。一冊のアルバムにコメントつきで纏めて持ち歩きたいくらいなのに…」
「そんなものなくたってここに本物がいるだろ」
「でもそれがあれば別れた後も楽しく生きていけるし…」
言った後で後悔した。後ろ向きな言葉は禁句だ。恐る恐る視線を上げていくと鋭利な視線で見下ろされ、亀のように首を引っ込めた。
「ごめんなさい」
三上は溜め息を吐いただけで言葉はくれなかった。呆れただろうか。
でもこればっかりはしょうがない。椿さんと並ぶ彼を見て納得してしまった。あちら側に返さなければいけないと。
「俺の話し聞いたなら少しは安心しただろ」
「…安心?」
「女はあんまり好きじゃねえんだ。だからって男も好きじゃねえけど」
「人間が嫌い、ということでよろしいでしょうか?」
「そうだな」
「根暗ー」
揶揄するとがっと首を絞められた。
「嘘です嘘です」
手が離れたので軽く咳をし、制服を脱ぎ始めた三上を見詰めた。
ついに待望の時間がやってきたのだとわくわくと身体を上下に弾ませたが、普通に部屋着を手に取ろうとしたのでその腕を掴んだ。
「ちょっと待って。何普通に着替えようとしてんの?」
「あ、覚えてた?」
「覚えてるに決まってんじゃん!なんのために家まで行ったの」
「お前の鳥頭なら話してるうちに忘れるかと思ったんだけど」
舌打ちをされたのでそうはいくかとクリーニングされた制服をずいと差し出した。
「着替え終わったら呼んでね。後ろ向いてるから」
「後ろ向く意味」
「より一層楽しむため」
「…ああ、そ…」
理解できないと言いたげだが知らんふりで壁を見詰めた。
衣擦れの音が聞こえ、脈打つ音が耳の奥で響く。最初のハードルを越えたら次もなにか着てくれるだろうか。基本はお医者さんごっこかな。ぽかんと開けた口から涎が垂れそうになって慌てて手の甲で拭うとぽんと肩を叩かれた。すかさず振り向くとシャツの上に真っ黒な学ランをボタン全開で羽織り、黒いズボンを履いた三上がこちらを見下ろしていた。手を祈るように組んでほわーと意味もない言葉を口にする。
「かかか、格好いいです!」
「…へえ。もう脱いでいいか」
「早い!寝るまでそれでいて!」
「じゃあもう寝るから着替える」
「だめだってば!」
「肩がきついんだよ」
「…確かに袖もちょっと短いね。中学卒業したときから何センチ伸びたの?」
「多分五センチくらい」
「たった五センチ?てことは中学卒業する時点で八十近くあったってこと?」
「確か」
「はー、そりゃモテますわ」
妙に納得し、じゃあ三上は中学の頃から然程変わっていないということで、年下に悪戯する人の気持ちが理解できてしまった。三上が中学生で自分が社会人でもストーカーしていたかもしれない。危ない。完全に犯罪者だ。自分の身体を抱き締めるようにし、すいませんと謝罪した。
「なにが」
「同い年に生まれてよかった。本当によかった。僕が十個上とかだったらもうやばいじゃん」
「お前は今でもやばいけど」
「もっとやばいよ。だって社会人が中学生を追いかけまわすんだよ!?」
「きっつ」
「でしょ?同じタイミングで生んでくれた母たちに感謝…」
天に向かって拝み、ベッドに座った三上の前に跪くように正座した。
三上は詰襟が邪魔だと言いながら横に引っ張り溜め息を吐いた。動作の一つ一つに見惚れ、顔が自然と傾いていく。
「…違う高校だったらこんな感じだったのかなあ」
「違う高校なら絶対お前とつきあってねえから」
「そこは嘘でもそうだね、とか言えよ」
「だって接点ねえだろ。部活もしてないし」
「そこはほら、運命の悪戯でどうにか出逢ってるんだよ」
「お前をカツアゲしたり?」
「そうそう」
実際ありそうで腕を組んで頷いた。
「ブレザーの三上も、学ランの三上もどっちもカッコイーよ」
「そりゃどうも」
「何着ても似合うんだろうなあ」
ふふ、と笑うと三上は首を左右に振った。
「もう何も着ないからな」
「えー!お医者さんごっこしようと思ったのに!」
「AVの見すぎ」
「見てないよ」
「天然ならもっとやばい」
「白衣いいじゃん!あと眼鏡」
「それお前はどういう立ち位置なの?」
「盲腸で入院した患者」
「設定が細かい。俺はそんな変態みたいなことしねえからな。有馬先輩と同じ場所に堕ちてたまるか」
「潤はそんなことしてるの?」
「知らねえけど有馬先輩やりそうじゃん」
「てことは有馬先輩に頼めばなんでも手に入るじゃん」
「やめろ。絶対着ねえぞ。学ランですら嫌なのに…」
にこにこ笑い何も答えずにいると何か言え、怖いと引かれた。
特殊プレイは今後の楽しみにとっておこう。マンネリしたらきっと三上ものってくれるに違いない。マンネリするほどできるかと聞かれると何も言えないけれど。
そもそも一線越えてすらいないくせに夢だけは大きいから自分でも呆れる。三上が男を抱けるかわからないのに。
自分は別に性を吐き出さなくても構わない。触れさせてもらえればそれでいい。精子が貯まりきるには七十二時間だという。ということは三日に一度くらいは抜いた方がいいので三日に一度自分を呼んで処理させてくれれば十分幸せだ。
「…三上知ってる?精子ってそのままにしてると身体に吸収されるんだよ」
「はい?いきなり保体?」
「怖くない?精子が自分の身体に…」
「自分の身体からできてんだから戻ってもいいだろ」
「でも自分で出したの飲めないでしょ?」
「きもいこと言うな」
「だってそういうことになるじゃん!?」
「いや違えだろ」
「違くない!三日で貯まるらしいから、三日に一度は出した方がいいんだよ!」
「へえ…」
「だから、そのときは僕を呼んでね。絶対。絶対だよ!」
「前のめりになんな。わざわざ出さなくても限界きたら勝手に出るだろ」
「朝からパンツ洗う破目になる!」
「捨てればいい」
「じゃあそのパンツちょうだい!」
「あー、今までで一番気持ち悪い」
なんとでも言ってくれ。もうなりふり構っていられないくらい限界だ。
技術を向上させれば別れた後も身体だけは差し出してくれるかもしれない。もうそれしか希望がない。
「てことで、させて?」
「この流れではいどうぞってなるか?格闘技じゃねえんだぞ」
「そう?触ればその気になるかなって」
「泉」
呼ばれ顔を上げた。
三上は指で僕の顎を持ち上げるようにし、セックスは身体だけじゃなく脳でやるものだと言った。
「脳…?」
「俺をその気にさせろって言ってんの」
「その気に…」
口の中で呟き、その勉強はしていなかったと後悔する。
三上がどんな方法を使えば欲情するのかまったく想像つかないし、そもそも選択肢を並べられるほどの経験がないからわからない。
俯き、この前自分が拒否したときはどんな風だったか思い出そうとしたが記憶が曖昧だ。あのときはついていくのに必死で、余裕がなくて覚えていないのだ。
どうしようと迷うと腕を引かれ、大きく足を広げていた三上の間のベッドに片膝をついた。彼の肩を両手で掴むと、三上は後背に手をつきさあどうぞ、と視線で語った。
「…で、では失礼します…」
がちがちに緊張しながら言うとふっと笑われた。
恥ずかしい。童貞であることをこんなに悔いたことはない。三上がしたいように身を任せていた方が楽だったかもしれないのにそれを拒み、自分からさせてほしいとお願いしたのが仇となった。
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