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泉を無視するのは当たり前で、メール、電話、待ち伏せ、すべてをスルーしてきた。付き合う前も、付き合った後も。
でも今回ははっきりとした意志を持って避けた。
もう知るかあんな奴と苛立ち、けれど意志を持って避けると余計に相手に思考が流れるという悪循環。
そもそも苛立つ方がおかしい。まるで自分が泉との関係を望んでいるみたいだ。
自分はそういう行為に消極的な方だし、泉が嫌だというのなら、逆によかったと手放しで喜ぶべきなのに。
それならなぜ釈然としないかというと、与えた好意を泉が受け取らなかったから。
自分が放り投げた物は好意だろうが悪意だろうが両手で離さず受け止めてきた泉が。
少しでも大事にしようとか、優しくできないならせめて些細な望みは叶えてやろうとか、殊勝な心がけが仇となった。
勝手に差し出して受け取ってくれないと怒るなんて最低で鬱陶しい。逆ならキレる。
泉のためを想ったはずなのに、結局自己満足でしかなかったと知る。
仲直りというほどはっきり喧嘩したわけではないし、こういう問題は蒸し返さない方がいいのだろうか。経験がないためわからない。おまけに秀吉にはデリカシーの欠片もないと言われたので、自分の正解が相手の不正解ということも考えられる。
ソファに仰向けになって眺めていた雑誌をばさっと放り投げた。
全然頭に入らない。
泉はこちらが避けてもおかまいなしだったくせに、あれから連絡の一つもなく、教室や部屋への突撃もない。
泉も避けているのだろう。
純情栽培は結構なことだ。経験がないのだし、混乱するのもわかる。だけどいくらなんでもひどくないだろうか。箱入り娘じゃあるまいし。
麻生がそうと気取られぬよう、泉を箱の中で大事にしてきたせいか。
そもそも男同士でなにを恥ずかしがることがある。心の準備なんて必要ない。
見慣れた同じ身体だし、手順もなんとなくわかっていればどうにかなる。
あれだけ大胆に迫ってはやりたいと騒いだくせに逃げ出すなんて泉の気持ちがわからない。
考えても仕方のないことなので、頭を冷やすためにぬるめのシャワーを頭から被った。
壁に片手をついて別のことを考えようとするが、少し意識を逸らせるとまた振り出しに戻ってしまう。
泉に対して苛立つというよりも、こんな状態の自分にいらいらする。息を吐き出すと、背後の扉が開いた。
驚いて振り返ると潤が立っていた。
「なんだよお前。風呂にまで来んな」
「返事ないから」
「リビングで待ってろよ」
「早く上がってね」
ふん、と不遜な態度で扉を閉める姿を見て面倒な奴は泉だけではなかったと思い出す。
潤の言葉は無視し、時間をかけて風呂を済ませてリビングに戻ると、秀吉が買いだめしているアイスを勝手に頬張っていた。
「勝手に食ったら怒られるぞ」
「アイスくらいで?小さい男だな」
そうは言うが逆だったら鬼の形相で今すぐ買って来いと命令するくせに。
頭からタオルを被ってソファに着くと、潤がこちらを覗き込むようにした。
「なんだよ」
「…あのさあ、真琴最近三年の寮棟にいるよ」
「は?」
「この前有馬先輩の部屋から帰る途中で見ちゃったんだよね。三年の部屋から出て来るところ」
「あ、そ」
「あれ、気にならない?」
「仲いい先輩ができたんじゃねえの」
「だって頻繁に出入りしてるよ?しかも部屋から出てきたとき顔真っ赤にして。あれは怪しい…」
「有馬先輩とお前がふしだらなことばっかしてるからって周りが同じだと思うなよ?」
「してない!」
「へえ…」
胡乱な視線を向けると、潤はごほんとわざとらしい咳払いをし、百聞は一見にしかずと言いながら立ち上がった。腕を引かれたので振り払う。
「なんで俺がストーカーみたいなことしなきゃいけねえんだよ」
「気になるくせに」
「ならねえよ。あいつが自分の意志で行ってんだろ?いじめられてるわけでもあるまいし」
「わかんないじゃん!なんか脅されてたらどうするよ」
「知らん!」
「真琴はなあ、普通に生きてたらそんなことある?ってくらい小さな不運から大きな不幸までを背負うべくして生まれた人間なんだぞ!なにかあるかもしれないじゃん!」
「言いすぎだろ」
周りが過保護すぎて呆れる。
ここは友だちがいなかったのに先輩とも仲良くなれてよかったと喜ぶべき。悲観的に考えすぎだ。
どこの先輩か知らないが、きっと波長が合ったのだろう。仲良きことは美しきかな。
泉も少し自分の世界を広げた方がいい。狭っ苦しい場所から動こうとしない自分には言われたくないだろうが。
「とりあえず来てよ!やばそうだったら三上が介入して。僕腕っぷしに自信ないし」
「俺殴られ役?」
「そういうの得意だろ?」
「得意じゃねえわ。痛いの嫌だ」
「ぶりっこしてんなよ!」
ああだ、こうだと応酬を重ねた結果、潤に無理矢理連行され、件の部屋の傍にきた。
廊下の角から観察するようにひょっこり顔を出す潤の後ろで欠伸をする。早く部屋に戻って眠りたい。
欠伸をしながら瞼を擦るとなにをしているのかと有馬先輩に声を掛けられた。
げ、と嫌悪の言葉が思わず口をつく。
潤は赫々然々と説明をし、有馬先輩もひょこっと部屋が並ぶ廊下に顔を出す。
「…あの部屋ですか?」
「そうそう」
「あそこは確か櫻井の部屋です」
「誰それ」
首を傾げる潤の肩をぽんと叩いた。
「解散、解散」
「なんで」
「いじめたりする人じゃないし、ましてや後輩を殴ったりもしない」
そうなの?と潤が有馬先輩に問うと、先輩は顎に手を添えながら考え、わからないと言った。
「そんなに目立つ生徒ではないです。あまり素行はよくないですが、校内で問題を起こすほどでもありませんし…」
「な?だから大丈夫だって」
「…うーん、まあ、有馬先輩がそう言うなら…」
「おい、俺の言葉も信じろ」
「三上は面倒くさいだけだろ」
「ふざけんなお前――」
「静かに」
有馬先輩に口を塞がれ、部屋の方を指差される。
トーテムポールのように三人で顔を覗かせると、泉と櫻井先輩が部屋から出て来たところだった。
潤が言ったように、泉は確かに頬を染め、もじもじとパーカーの袖をいじっている。
「ほらな」
小声で言われたのでうるさいという意味を込めて潤を睨んだ。
「色々ありがとうございました…」
「いいよ。俺、ああいうのは得意だから」
二人の会話に潤がぐいぐいと服を引っ張る。
「色々ってなんだろね!?なにが得意なんだろね!?」
小声で言われ頭を小突いた。
「今度一緒にご飯でも行きましょう。お礼に驕ります!」
泉はぐっと拳を作り、櫻井先輩は微笑しながら頷いた。
「なあ、もう帰ろうぜ。盗み聞きとか悪趣味すぎる」
「は?いいとこだろ!?」
「いいとこって…」
「三上から櫻井に心変わりでしょうかねえ」
有馬先輩がにやりと笑ったのでそんな挑発には乗るものかと無視をした。
だいたい、泉はそういうことができる器用な人間ではない。自分の態度が最悪なのは百も承知だが、心変わりしたときはしっかりこちらに言った上で他に移るだろう。泉の誠実さだけは疑わない。
「似てますもんね、三上と櫻井」
「どこが」
「アンニュイで他人を寄せ付けないところ」
「本人目の前にしてひどい悪口言いますね」
「悪口じゃなくて客観的な事実です」
クソ眼鏡。心の中で罵りながら睨むと潤がくすりと笑った。
本当にこいつらは性格が悪いにも程がある。お互いが持つパワーはすさまじいものだが、二人揃うと二倍どころか百倍くらいに跳ね上がる。悪い意味で。
「皆揃ってなにしてんの?」
割って入った泉の声に三人の肩が揺れた。
「…あ、ちょっと、有馬先輩と、ね…」
潤が泉を振り返りながら必死の言い訳を口にした。泉は気にする様子もなく、そうなんだと笑う。
「でも丁度よかった。三上の部屋行こうと思ってたんだ」
「俺はもう寝るぞ」
「そこをなんとか。三十分だけでも」
拝み手をされ溜め息を吐いた。
散々避けたと思ったら、やけにすっきりしたような顔をして、今度は部屋に来たいなんてわけがわからない。
泉の後ろで有馬先輩と潤がにやにや笑っている。こいつら二人纏めてしばきたい。
泉の心情を探るのは後にしよう。今は悪魔二人から距離を置くのが最優先だ。
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