XY
くあっと大きく口を開けて欠伸をした。
後頭部をがしがしと掻きながら今日も一日真面目に学業に勤しんだ自分を褒めてやる。
靴を履き変えながら後ろを振り返る。
いつもこのタイミングで泉が現れ、背中に圧し掛かるように突撃されるからだ。
今日はいないらしいことを確認し、小さく安堵の溜め息を吐いた。
いくつか並んでいる観音開きの扉を抜け、部屋に帰ったらなにをしようかと考える。
ドラマの続きを見ようか、昨日途中でやめた漫画本を読もうか、それとも。
妹からたまには電話しろとメールがきていたことを思い出し、まずはそれを最優先にしようと決めた。邪魔が入らず穏便に過ごせるといいけれど。四六時中テンションが高い泉を思い出してげんなりした。
どうして自分はあんな生き物が好きなのだろうと何度でも思う。
どちらかというと嫌悪する部類の人間なのに。
泉が同性愛者だからではない。性別もセクシャリティも関係なく、人目に怯えて自分の意見も言えない人間全般が苦手なのだ。
なにを考えているのかわからないし、人の機微に敏感なくせに俺の気持ちは察してくれないどころか正反対のベクトルに燃えるし、崇め諂うのをやめないし。
面倒は人一倍嫌いなのに、人一倍面倒な人間を好きになるなんて、きっと宇宙人にアブダクションされた結果に違いない。
水溜りを避けながら歩き、校門を抜けようとすると後ろから腕を引かれた。
泉かと諦めながら振り返ると、意外にも天敵の姿があった。
「…なんだよ」
麻生から自分に接触してくるなど珍しい。
たまたま鉢合わせれば口喧嘩が始まるが、わざわざ見つけ出して絡んでくる奴ではない。
「ちょっと、一緒に来てほしいんだけど」
「は?なに」
「いいからちょっと」
ぐいぐいと腕を引かれ、なんだってんだとごちる。
泉になにかあったのだろうか。だとしても潤や夏目あたりに任せればどうにでもなるだろう。
今から妹に生存確認をしようとしていたのに、予定を狂わされた苛立ちと、それが麻生のせいという苛立ちで舌打ちをした。
麻生は腕をがっちり掴みながら大股で歩き、敷地内に点在する東屋の傍まで来ると校舎に隠れるようにしてぴたりと止まった。
「なんだよ」
「あれ」
指差されそちらに視線を移すと泉と櫻井先輩がいた。
泉はベンチに腰掛け、櫻井先輩はズボンのポケットに両手を突っ込んで泉の前に立っていた。
会話の内容までは聞こえないが、にこやかに談笑している。
「…あれがなんだよ」
「なんであの二人が一緒にいるんだろ。真琴に何か聞いてない?」
「知るかよ」
素っ気なく言うと麻生は思い切り舌打ちした。
「なんで真琴のことなのに知らないんだよ」
「そんなの一々確認するかよ。あいつにどんな交友関係があっても俺には関係ねえだろ」
「あー、はいはい。余裕があって結構なことで」
「嫌味言うために俺を連れてきたの?」
麻生はそうじゃないと否定しながら、はらはらした様子でそちらを盗み見ている。
泉は幼い頃からいじめられることが多かったと聞く。麻生はそんな泉をずっと傍で見てきた。そういう立場からすると、また変な奴に絡まれているのではないかと心配になるのだろうか。
わからんと首を捻りながらも、大丈夫だと言ってやった。
「櫻井先輩は悪い人じゃ…」
ないだろうか。自分もよく知らないのでなんとも言えない。
素行は悪いが人間性は悪くないと思う。間違っても後輩を虐めたり、暴力の捌け口を探す人ではない、と思う。
麻生を安心させるつもりで言ったが、彼は目を丸くしてこちらを見た。
「櫻井先輩と知り合い?」
「まあ…」
顔見知り程度だが面倒なので頷いた。
だから大丈夫だろうと言ったが、麻生はますます顔を顰めた。
「なんだよその顔」
「三上は本当に邪魔なポジションにいるよな」
「は?喧嘩売ってんの」
「たまに俺をイライラさせるために存在してんのかと思うよ」
「お互い様だ」
「俺は大人しく真琴から手を引いただろ。お前に文句言われる筋合いはないね」
「引いてねえだろ!いちいちつっかかってきやがって…」
「つっかかってやってんだよ」
「ふざけんなよ」
麻生の胸倉を掴むと、泉と櫻井先輩がこちらに向かって来るのが麻生の肩越しに見えた。
「ちょ、また喧嘩してんの?」
泉は自分と麻生の間に身体を捻じ込むようにしながらどうどう、と言った。
「学ー、また三上に絡んだんでしょ?」
「そんなことないよ」
爽やかな笑みを浮かべた麻生を見て一回死ねと思う。
泉も麻生が悪いと理解している。麻生の代わりに謝られることも多く、そうされると更にイライラする。
「学は僕が怒っても意味ないからなあ…」
泉はがっくりと肩を落とし、櫻井先輩を振り返った。
「先輩が叱ってやってください」
「え、いや…」
「目上の人に言われれば学もちゃんと聞くでしょ?」
泉はお願いしますと先輩に頭を下げ、先輩は暫く考えた後麻生に向き合った。
「三上と喧嘩するときは怪我をしないように気を付けろよ」
先輩が言うと、泉はそうじゃないですとつっこみ、麻生はくすくすと笑った。
なにをのほほんとしているのか。こちらは麻生のせいで無駄な時間を過ごし、無駄に苛々させられたのに。
踵を返して歩き出すと、待ってという声を背中で受ける。無視して歩くと泉が隣に並び、眉間に皺を寄せながらそちらをちらりと見た。
泉は随分とご機嫌な様子で、なにかいいことがあったらしいと知る。
聞きたいとは思わないので放っておくけれど。
「帰ったらなにか予定ある?」
「まあ、ぼちぼち」
「部屋行ってもいいかな」
「だめって言っても来るじゃん」
「だめとしか言われないから特攻するしかないと思って」
「じゃあ聞くなよ」
呆れたように言いながら、泉が自分の望みを口にし始めたのはいい兆候だと思う。
ほしいものをほしいと言えず、自分はなにかを望むべき人間ではないと思い込んでいる様子で、捻くれた精神をここいらで直してやらないと、この先ずっと自分の首を絞めながら生きるのだろうと思った。
同性愛者であるとはそんなに足枷になるものなのか。
自分にはよくわからない。わからないが、おかしいとも思わない。
愛する対象が同性でも、動物でも、無機物でも、二次元でも、なんでもいいと思うし、誰も愛さなくてもいいとも思う。
人の数だけ違う生き方があっていいはずだ。
もし自分が息子に同性愛者なのだと言われてもへえ、そうですかとしか思わない。
だから泉が何に怯え、悩んでいるのか完璧に理解することはできないし、傍から見ていると苛立つことも多い。
だけど泉はそこで立ち止まる人間じゃない。少し背中を押してやれば自力で解決に向かって行動できる、そんな男だ。
だからこそ、愛想を尽かさず傍に置けるのだろう。
これがめそめそ泣いて、喚いて、悲劇を演じるだけの奴なら好きにならない。
ちらりと泉に視線を移すとばっちり目が合った。
「なんだよ」
「今日もカッコイーなあと思って」
「ああそうですか」
「うん」
「わかったから拝むのやめろ」
「つい自然と拝んじゃうんだよねえ」
変な奴。
出逢った頃から思っていたが、日々を重ねるごとにひどくなっている。
最終的にどこまで突っ走るのだろう。これ以上変態になられると困る。どこかでストップをかけなければ。思うけど、自分が止められるとも思えないので好きにさせている。
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