9



こうなったら今日だけでも我儘を言ってやろうと開き直り、一緒に寝たいと言うと、三上は眉間を寄せた。
また殴るかも。傷も完全に消えてないのに。
そんな風に拒絶する三上の腕を握った。

「大丈夫」

だからお願いとなんの根拠もない自信で押し切るようにすると、渋々わかったと頷いてくれた。

「明日も一緒にいて、そのまま泊まりたい」

ベッドに横臥しながら言うとうんざりした顔を向けられる。

「お前は本当に極端な人間だな。リード離したら一直線に走って行く犬かよ」

「だからちゃんとリード掴んでなきゃだめだよ」

わん、と冗談交じりで吠えると駄犬と言われ、流し目で睨まれた。
天井を見詰める三上に少しだけ近寄り横顔を眺めた。視界の端に三上が読んでいた本が入る。

「…あれ、おもしろかった?」

そちらを指差すと、三上は腕を伸ばし、本をとってこちらに投げた。
常夜灯だけの暗がりで中身を読むのは困難なので、カバーを外して表紙を見ると、教育心理学と書かれていた。

「うわ、難しそうな本。心理学に興味あるの?」

「あるわけねえだろ。秀吉にぽろっとお前のこと話したら大急ぎでこの本借りてきた。お前みたいな人間が泉の気持ちを理解できるはずがない。ちゃんと本を読んで勉強しろって。あんま読んでねえけど」

お手数をかけてすいません、すいませんと縮こまる。

「お前はマニュアルが通用する人間じゃねえしな。本なんか読んだってお前の気持ちは斜め上をいくし」

「返す言葉がございません」

いつも迷惑をかけてばかりで、そろそろうんざりし始めただろうか。
上手な距離感を掴めないし、ストーカーしてみたり、気持ちを抑えるのに苦労したり、努力の方向性が著しくずれているのだろう。

「じゃあ、ここ最近甘やかしてくれたのはなんで?」

「俺がお前を肯定すれば自分の気持ちも素直に認めるだろうと思った。全然伝わらなかったようですが?」

「すいません。僕が三上を襲わないか試しているものだと…」

「…慣れないことはするもんじゃねえな」

自分でも吐きそうだったと溜め息交じりに言われた。
僕は嬉しかった。
触れてくれたことも、彼が努力して自分たちの関係を改善しようとしてくれたことも。

「ああ、それで一週間逃げるな、か」

ぱん、と手を叩いてなるほどと頷いた。
彼の意図を無視して自分は真逆のベクトルに燃えていたけど。

「…でもいいの?僕ブレーキ踏むのやめたら三上のこと襲うかもしれないよ」

「襲えると思ってんの?」

「一服盛るとか」

「そんな度胸お前にはない」

一刀両断され、その通りですとしょげた。
三上といると不思議な気持ちになる。後ろを振り向かず前だけを見て歩く彼に置いて行かれまいと必死に足を動かしていると、自然と自分も前を向ける。
自分にないモノばかりを持っていて、自分も彼のようになりたいといつも思っている。
きっと彼なら自分のようにぐちぐち悩まず、どんな己でもすんなり受け入れるのだろう。その強さが羨ましい。

「…三上は昔からそんなに強かったの?」

唐突な質問に、彼はぴくりと片方の眉を上げた。

「別に強くねえけど」

「他人の視線を気にしないとか、後悔しないって強さだと思う」

「…お前は自分にないものを見すぎだ。お前が持ってるものも沢山あるだろ」

「持ってるもの?」

「他人に合わせる協調性とか自己犠牲とか?」

「…そんなの別に…」

「それも強さだろ」

三上はそう言うけれど、弱いからこそ、その中で上手に生きられる術を探した果ての苦肉の策だ。どの世界でも弱者は弱者なりに進化する。そうしないと生きられず、種が果て絶滅する。三上は捕食者側だからそんな進化を遂げる必要がない。
やはり生まれ持った性質というものがあり、それは努力でどうにかなる問題ではないのかもしれない。鼠は猫になれないし、鹿は狼になれない。

「…やっぱり元々の性格とかあるのかなあ…」

ぽつりと呟くと、彼は腕を眼前に差し出した。

「ここ、わかるか?」

肘の内側を指差され首を捻った。

「今はよくなったけど、昔ひどいアトピーだった」

言われ、その部分を擦ってみると、確かに他の部分より皮膚が硬かった。

「手、腕、首、膝、背中、まあ、全体的に」

「…全然そう見えないね」

「今でもたまにかゆくなるけどな。幼稚園くらいのとき、汚い、うつるっていじめられた」

「え!?ひどい!」

「まあ、ガキなんてそんなもんだろ。汚くないって励ましてくれる奴もいたのに、汚いって言葉がずっと引っかかった。なんでか考えて、自分でも汚いと思ってるから過剰に反応するんだってわかった」

三上はこちらを見て、お前と同じと続けた。

「他人の言葉に左右されたんじゃない。自分の問題だと思うとアホらしくなって、それから他人に何を言われても気にしないようになった」

「…それを幼稚園児の段階で気付けるってすごいね。何者?」

「ガキだからこそわかったんじゃねえの」

あっさりとした言い方に、誇るべき物と思っていないことが窺える。
三上の中にある一本の強い芯。誰もがそうなれるわけではなく、羨望する者も多いと思うのだけど、彼は彼なりに苦労してそれを見つけたのだと知ると少し気持ちが軽くなった。
同じ立場だったら、自分はめそめそ泣いて殻に閉じこもるだろうから、やっぱり彼は強いと思う。

「僕は同じようになれないかも」

「ならなくていいだろ。皆が俺みたいだったら世の中滅茶苦茶だ」

「確かに」

ふふ、と笑う。
三上はごろりとこちらに向き合うように体勢を変え、背中に腕を回した。

「…俺は今のお前がいい」

「……うん」

自分も三上の背に腕を回した。
ずっと自分のことが好きじゃなかった。ぐずぐずと情けなくて、弱虫で、縮こまっては誰かに謝ってばかり。おまけに同性愛者で普通じゃない。
でも彼が好きだと言ってくれるなら、そんな自分も悪くないかもしれないと思う。
こんな自分でも誰かが好きになってくれる。大丈夫と言ってくれる。すっぽりと三上の輪の中におさまった身体と心は平坦に凪いでいる。
彼が隣にいてくれるだけで根拠不明の自信で満ち、躓いても自分の力で立ち上がれる気がする。
三上は僕の救世主。
馬鹿みたいな言葉は口にしないけど、いつも、いつも思っていた。
三上が躓くことがあったら、彼が自分で立ち上がるまでそっと隣で見守れる人間になりたい。
彼の鎖骨辺りに額を擦り付けた。
いつか、自分の傍らから三上が去る日がくるだろう。
それでもきっと、彼は自分の人生を照らしてくれると思う。
ゲイであることが申し訳なくて家族から逃げるように家を出たが、その弱さのおかげで三上と出逢えた。
長い目で見れば、今抱えている不幸や不安も好転するときがくるかもしれない。
成長は往々にして苦痛を伴う過程である。
ふと、担任が教えてくれた言葉を思い出した。アメリカの作家の格言で、一番好きな言葉だと教えてくれた。
成長しきることはないと思う。だから、こうやって苦痛を抱えながら生きるしかない。
そう思うと、置き場のない心がすとんとあるべき場所に収まった気がした。

[ 22/55 ]

[*prev] [next#]



×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -