7


二日目。夕食を食べ終え三上の部屋をノックした。
扉が開いたのでぱっと顔を上げると家主ではない神谷先輩がいた。

「いらっしゃい。僕の部屋じゃないけど」

微笑まれ、ぎくしゃくと頭を下げた。神谷先輩は慣れた様子で室内に戻り、ソファに座っていた甲斐田君の隣に腰を下ろした。対峙するソファには三上もいる。
甲斐田君はいつも先輩の部屋へ出向いていたが、今日は珍しく先輩が足を運んだのだろうか。
ソファの背凭れに両腕を伸ばす三上の隣に俯きがちにちょこんと座った。

「泉、今日はええもんあるでー」

甲斐田君はそう言いながらキッチンへ向かい、透き通る琥珀色の液体が揺れる細長いグラスを目の前に置いた。からんと鳴る氷の音に初夏を感じる。
グラスを持ち、鼻先に近付けた。柑橘系の渋みある香りを嗅ぎ、紅茶だと気付いた。
一口飲んで美味しいと甲斐田君に向けて笑う。

「せやろー。神谷先輩が作って持ってきてくれたんや」

「作るっていう程のものじゃないから」

「神谷先輩が…」

氷の中で揺れる琥珀を眺め、さすがですと心の中で称賛を送った。
三上と甲斐田君はいい意味でも悪い意味でも無精なので、こういう生活の一部を豊かにする行いに興味がない。自分も同じようなものなので文句は言えないけど。
神谷先輩は神経が細やかそうだし、優雅にゆったりと流れる時間を楽しみそうだ。
王子様、というイメージが離れないので、玉座に坐する姿を思い浮かべる。似合いすぎて一人うっとりと頷いた。乗馬とかフェンシングとか嗜んでいたら完璧。
ヨーロッパの雪山で白馬に跨る神谷先輩なんて、もはや美しすぎて人外だ。
自分はそんな王子様を前に、ははーと頭を垂れる平民その一。
浮ついた妄想を楽しんでいると、神谷先輩に眼前でひらひらと手を振られはっと顔を上げた。

「またね、泉君」

「は、はい。ごちそうさまでした」

慌てて立ち上がり、腰を九十度に折るとくすりと笑われぽんと肩を叩かれた。
扉を半分開けながら、向かい合って会話を交わす二人を眺める。
そこだけ映画の一場面のようで、見慣れた室内も制服も特別なものに感じる。
最後に微笑みを浮かべた神谷先輩が、さらりと甲斐田君の髪をすくうように撫でた光景がとても扇情的で、秘め事の中の劣情を感じた。
甲斐田君がソファに戻ったので、空になったグラスをテーブルに置きながら神谷先輩はすごいねと言った。

「本物の王子様みたい。マントつけてばさあってやってほしい」

「はは、それ神谷先輩に言うたらあかんで」

「どうして?」

「髪の毛黒く染めてやるーって騒ぐから」

「…いや、神谷先輩は髪が黒でも赤でも王子だと思うけど」

「でもあの人は髪と目のせいやと思っとる」

「やっぱりあれかな。毎日自分を見てるから感覚が麻痺してるのかな」

「せやなー。あんな美人やのに」

「ねー」

ふふふ、と笑い合う隣で三上は興味なさそうに大きな欠伸をした。
あんな美しい生き物に興味を持たないなんて、この男の感性はどうなっているのかとまじまじと見てしまう。

「…お前俺を睨むの癖なの?」

「睨んでるんじゃないってば」

神谷先輩を見た後に自分を見たら普通はがっかりする。
せめて男でもあれほどの美人ならば、劣等感や不安を抱えずつきあえたかもしれない。
はーっと溜め息を吐くと、三上とばっちりと視線が絡まり厳しく睥睨された。ぎくりと心臓が鳴りそそくさと視線を逸らす。
甲斐田君が学食へ行き、二人きりになると三上がごろんとソファに仰向けに寝転び、僕の太腿に頭を乗せた。
今日も試練は続くらしい。

「昨日夏目に借りたホラー見る?」

「見ない!寝る前とか、お風呂入ってるときとか、後ろに誰かいる気がして本当に怖かったんだよ!」

「お前が無理して見るから」

「だって…」

一秒だって無駄にしたくない。こんなに焦がれているのだから。
三上は左手をこちらに差し出し、掌をマッサージしろと言った。両手で包んで親指で刺激してやると、彼は気が抜けたように目を閉じた。

「…さっきなに考えてた」

「さっき?」

「溜め息吐いてただろ」

「あー…別に…」

「聞かれたことには答えろって言ったよな」

「…はい。神谷先輩綺麗だな、僕もあんな顔がほしかったなって思っただけ」

「…ふーん」

逆、と命令され、今度は右手をぐにぐに押してやる。

「三上の手って綺麗だよね。骨ばってて、指が細くて長い。爪の形も綺麗」

「…手フェチ?」

「違うけど、三上の手はいいなって思う」

三上は自分の手を透かすようにして見ると、わからんとばっさり切り捨てた。
もういいと手を離され、行き場のなくなった自分の手をどこに置けばいいのか悩んだ。
彼の髪を撫でたり、無意味に肩に触れたりしたいけどそれはいけないことだと思う。苦肉の策で自分の背中と背凭れの間に挟んだ。封印すれば手も勝手に動かない。
三上は閉じていた瞼を開け、じっとりとこちらを見上げた。

「…あまり見ないでください」

言いながら顔を背けると、彼は小さく息を吐き出した。またなにか失望させる態度をとっただろうか。胸がざわついたが知らぬふりをする。
その内、彼の頭の重みが増し、規則的に胸が上下したので眠っているのだと気付いた。
どうしよう。困った。じっとするのは得意だし、睡眠の邪魔はしたくないが、以前膝枕をしてやったときは二時間近く眠っていたので、このままでは甲斐田君が帰ってきてしまう。
起こしてベッドで眠れと言うべきか、このまま好きにさせるべきか。
悩んでいる内に扉が開き、甲斐田君が戻って来てしまった。

「ただいまー…って寝とんの?」

「…あ、う、うん」

「こいつほんまよお寝るな」

甲斐田君は子どもか猫のようだと笑いながら対峙するソファに座った。

「足痺れたら思い切り起こさんと、そいつ永遠に寝るで」

「…そう、だね」

特に膝枕に突っ込む様子はなく、普通にテレビを眺めている。意外な反応にこちらが焦る。
こういとき、潤や皇矢なら間違いなく写真や動画をとって後で三上をおちょくって遊ぶのに。
また三上が嫌な思いをするのではないかと思うと怖くなった。

「…あのー。これは僕が無理にお願いしただけなので…」

ぼそぼそと言い訳をすると、甲斐田君は首を傾げて苦笑した。

「そうか?」

「そうです」

「…そうか」

甲斐田君はわかったと頷いてくれたので、ほっと胸を撫で下ろした。その瞬間、三上が勢いよく上半身を起こし首をぐるりと回した。
まさか起きていたのだろうか。変な嘘をつくなと叱られたらどうしよう。
視線を泳がせ身構えたが、彼は風呂入って寝ると言いながらバスルームへ向かった。
後姿を眺め、やはり眠っていたのだろうかと首を捻ると、甲斐田君がもう一杯紅茶飲むかと聞いた。

「…でも、たくさん飲んだらすぐなくなるよ?」

「そしたらまた作ってもらえばええやん」

先程と同じように琥珀色のアイスティーを渡され、ありがとうと礼を言う。
身体に纏わり付くような湿度の高い空気が漂うこの時期に、さっぱりとしたアイスティーは口内を爽やかにしてくれ、それだけで気分もよくなる。
おいしい、おいしい、今度神谷先輩に会ったらお礼を言わなければと言うと、甲斐田君はうんうんと頷いてくれた。
空になったグラスを洗い、お邪魔しましたと頭を下げると、甲斐田君は扉を開けた僕の傍まで来て肩を掴んだ。

「…泉」

「はい」

「あー…いや、なんでもない」

途中で止められると気になる。どうしたのと聞き返すと、甲斐田君にしては言い淀んだ後ぽんぽんと背中を叩いた。

「…三上はお前のこと好きなんやな」

「へ?」

唐突な言葉に意味がわからないと首を捻ると、なにかを誤魔化すように髪をぐしゃぐしゃに掻き回され、彼はまたいつでも来いと笑った。

「…うん。おやすみ…」

髪を撫でつけながら、甲斐田君はたまに変なことを言うなあと思う。
頭の回転が早い人は凡人には見えない世界が見えているのだろうか。
見えすぎて逆に一周した挙句、突飛な答えに辿り着くのかもしれない。難儀だなあ。

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