6



一週間三上から逃げない。聞かれたことには嘘をつかず素直に答える。
そんな約束を交わした一日目の朝、顔を洗い、鏡に映る自分を見つめながらよし、と頷いた。
三上がなにを考えてそんな交換条件を提示したのかはわからない。だが自分はどんな条件でも、むしろご褒美がなくとも彼の指示にはいくらでも従える。だから大丈夫。鼓舞するように頷き、用意を済ませて学校へ行った。
担任と顔を合わせるのは気まずかったが、立場的に表立って差別的な態度や言葉はないだろう。内心どんな風に蔑まれても、表面上を穏便に済ませてくれるなら、もうそれでいい。
自分が蔑まれるくらいなんてことない。三上の名誉を守れるなら安いものだ。自分が同性愛者なのも三上をしつこく追い駆けてきたのも真実なのだから。
心の中で納得さたが、先生の顔はとても見れなかった。頭で理解したからといって、すぐに心がついてくるわけではない。
胸を張れと言い聞かせ、だけど勝手に恐怖心が身体全体を包む。
気持ち悪い、普通じゃない、人間として欠陥品。村上たちに言われた言葉が耳の奥で勝手に再生される。

「…真琴?」

蓮の声にはっと顔を上げた。

「…具合悪い?顔色よくないね」

「あ、だ、大丈夫!」

心配そうに眉を寄せる蓮を見て、うるさかった心臓がゆっくりと速度を落としていった。
自分には些細な変化に気付いてくれる友人がいる。好きだと言ってくれる人がいる。以前とは違う。だから大丈夫。
小さく深呼吸を繰り返し、余計なことは考えぬよう授業に集中した。
昼食時、三上のクラスを覗いた。逃げるな、と言われたので自分から来てみたのだが彼の姿はない。こちらに気付いた皇矢が四限が終わった瞬間どこかへ行ったと教えてくれた。
がっかりと肩を落として一人で学食へ向かう。三上から言ったくせに、自分は相変わらず僕から逃げるなんてひどい。
昨日はキスまでしてくれたのに、だからといってべたべた甘い関係はお望みじゃないらしい。
そもそも昨日キスしてくれたのは現実だろうか。起きながら夢を見るという器用な技を習得し、知らぬ間に発揮していたらどうしよう。
焼き鮭の皮を箸で捲りながら首を捻る。幻と考えた方がしっくりくる。だって相手は三上だ。だとしても、あんなに幸福な幻なら何度でもみたい。
にやりと笑ってしまい、慌てて片手で口を塞いだ。さすがに一人で笑うなんて危ない人だ。
食べ終わったトレイを戻し、早めに教室へ戻る。
眠気と戦いながら一日の授業を終え、もう一度三上の教室を覗いたが、やはり彼の姿はなかった。
今日は一度もその姿を見ていない。そろそろ三上不足で生きる気力がゼロになる。
とぼとぼとコンビニへ行き、氷菓を買い、寮へ戻りながらがじがじと噛む。甘い物で気力が回復すればと算段したが、三上不足は三上でしか補えない。
別れたらどうしよう。三上が補えなくなったら死んでしまうかもしれない。
そんなくだらない理由で人間は死なない。わかっているが、心は完全に死ぬと思う。氷菓を食べ終え、残った棒をきつく噛みながら嘆いた。
溜め息交じりに部屋へ帰ると、三上が扉に背を預けしゃがみ込んでいた。
さきほどまでの憂鬱もどこへやら。一気に気分が高揚し、笑顔でそちらへ近付いた。

「みか、三上!」

「……遅えよ」

「え、あ、ごめん…」

約束をしたわけでもないのに一方的に詰られるのは理不尽だが、そんな条理はどうでもいい。
慌てて鍵を開け部屋へ招いた。クーラーのスイッチを入れ、暑かっただろうから簡易キッチンで麦茶の準備をした。ふと後ろに気配を感じ、振り返ろうとすると首に腕が絡まり、やんわりと抱き締められた。

「え、どうした…?」

左手はコップに添え、右手にガラスポットを持ったまま硬直する。

「…約束、覚えてる?」

「勿論覚えてるよ!」

「言ってみろ」

「…三上から逃げない。聞かれたことには素直に答える」

「よろしい」

三上は満足気に言い、身体を離してソファに座った。そちらを振り返り、テレビのリモコンを操作する彼を恨めしい気持ちで睨んだ。
急な接触はやめてくれと昨日言ったばかりなのに。
きちんと説明し、理解してくれたと思ったが、もしかして忘れているのだろうか。
いや、いくら三上でもそこまでボケているとは思えない。だとしたらわざとだろうか。
触れられれば嬉しい。相手が三上ならなにをされたって喜びに繋がる。
でも自分は思春期真っ只中で、理性と欲望を秤に乗せると意志とは関係なく欲望が勝ってしまう。だから控えてほしいとお願いしたのに。
もしかして試されているのだろうか。口ではいくらでも綺麗事が言える。行動で示せということか。なるほど、さすが三上だ。それなら自分も血を吐いても耐えるのみ。
必要以上に接触しなければ、彼の前では平然としていられる。三上の前では完璧に清らかな自分を演じればいいのだ。
どんなに辛くとも乗り越えてみせる。そうでなければ彼は離れてしまうかもしれない。
俺をそういう対象で見ないでくれる?
なんて言われたら羞恥と悔しさと情けなさで地面にめり込む。
コップをしっかりと持ち、やってやろうじゃないかと決意を新たにしながら三上に差し出した。
自分もソファに座り、ぐっと麦茶を飲み込み、負けないという強い意志を持って彼を見た。

「なに睨んでんだよ」

「睨んでるんじゃなくて、気合を入れてんの」

「…あ、そ」

コップをテーブルに置き、そういえばと口を開いた。

「僕お昼も帰りも三上のクラスに行ったんだよ」

「へえ」

「僕には逃げるなって言ったのに三上は逃げるんだね」

「俺は逃げていいの」

「なにそのルール!」

「俺は正直に生きてるから」

「それなら僕だって…」

「お前は自分に嘘ついてばっかりだろ」

「嘘…?」

顎に手を添えて考えた。自分の欲望には正直に生きている方だ。
遠慮したり、相手の顔色を窺ったり、不自由な面もあるが、感情のまま三上に迫ったり、告白したり、ストーカー行為をやらかしたり、割と自由に振る舞っていると思う。
思い当たるふしがなく首を捻った。

「意味わかんない?」

問われ素直に頷く。
三上は小さく溜め息を吐き、こちらに手を伸ばし喉をくすぐるように指先で撫でた。

「ちょ、っと」

慌てて彼の腕を握って元の場所に戻した。

「ほら、嘘ついただろ」

「…え?」

頭の中にぽんぽん疑問符が浮かぶ。
三上はそれ以上の答えはくれず、テレビに視線を移した。
嘘なんてついていないのに。過剰なスキンシップは関係を滅ぼすので、自分と三上の間にきっちり線を引いて、ここから先を越えたらアウトとブレーキをかけているだけだ。
三上がなにを言いたいのかわからないが、自分にも確固とした意志がある。後手に回って後悔せぬよう、この関係を守るために精進するのみ。
そうだ。自分にできるのはそれしかない。
きっと顔を上げると、いつの間にか三上が蓮お気に入りのホラー映画を流しており、全体的に薄暗い映像が視界に入った。

「あー!それ一番怖いやつ!」

「おもしろそうだろ?」

「おもしろくないよ!なんでわざわざ自分から寿命を縮めにいくのか理解できない…」

クッションをぎゅうっと胸に抱いて上下に揺さぶった。
そのとき蓮がただいまーと呑気な挨拶をしながら部屋に帰ってきた。

「三上君、来てたんだ」

にこやかに微笑む蓮に、三上は素っ気なく右手を挙げただけだった。

「あ、映画見てたんだ」

「暇だったから勝手に触った」

「いいよ全然。この部屋にあるのは好きに使って」

ちょっと待ってくださいよと間に入りたい。
どんよりと憂鬱な映像と地を這うような暗い音楽に人間の囁き声。
そんなおぞましいものが目の前で流れているのに、なにのほほんと会話をしているのだこの二人は。

「久しぶりに僕も見ようかな」

蓮はネクタイを引き抜き、自分たちの斜め前に座った。
さきほどよりも強くクッションを抱き締め、そこに顔を突っ伏した。音だけならまだ耐えられる。英語だからなにを言っているかわからないし、叫び声が聞こえたら急いで耳を塞げばいい。
殻に篭るカタツムリのようにじっと同じ姿勢でやり過ごした。
早く終わりますように、早く終わりますように。呪文のように唱えると、指先で肩を叩かれ、慌てて隣の三上にひしっと抱きついた。

「あ、ごめん。ずっと動かないから大丈夫かと思って」

「今ので寿命が一年縮んだ」

泣きそうになりながら言うと、隣から呆れたような声が降ってきた。

「お前そんなに嫌なら部屋行けよ」

ごもっともな正論だし、本当は逃げたいがぶんぶんと首を振る。

「三上が折角来てくれたのに部屋に行ったら意味ない」

「あ、そ。じゃあ頑張って最後まで見ろよ」

胸に抱いていたクッションを奪い取られ、しょうがないので自分の膝を抱いた。
蓮はこちらの様子を見てくすくすと笑っている。こんな怖ろしい映像が流れているのに笑えるなんてどんな神経をしているのだろう。蓮という人間がわからなくなる。
途中、う、とか、ぎゃっ、とか、騒いだ挙句かたかた震え、ようやくエンドロールが流れたときには魂が口から出そうになっていた。

「結構おもしろかったな」

「でしょ。他にもいっぱいあるから気になるものがあったら貸すよ。フランスとか、スペインのホラーもおすすめ」

「じゃあ借りてく」

なぜ。どうしてそんな普通の顔をしていられるの。教えて。
脱力してソファに深く凭れながらやり取りを続ける二人を眺める。
三上も蓮も大好きだがこの趣味だけは輪の中に入れない。

「幽霊って怖い話したり、怖い映画見てると寄ってくるんだよ!」

必死に言うと、二人は顔を見合わせたあと笑った。

「寄ってきても霊感とかないから別に」

「この部屋でラップ音とか始まったらどうする!?」

「あはは、まさか」

そのとき、ぱん、となにかが弾けるような音がし、ひっと喉を引きつらせた。

「ほんとにびびってる」

三上はくっくと笑い、手を叩いただけだと言った。

「ほんと、勘弁してください…」

人間が一生の間に打つ心拍数は二十三億回というデータがある。ホラーを見ること、即ち自らを死に追いやる行為だ。
それともこの二人は強靭な心臓を持ち、作り物の映画程度では驚かないのだろうか。
やはり小心者の自分にはわからない世界だ。
三上は蓮に借りたディスクを持って立ち上がり、ソファの背凭れに頭をこてんと預けていた僕を軽く叩いた。

「おい、飯行くぞ」

ぽかんと開けていた口を慌てて閉じる。
知らぬ間にそんな時間になっていたことに気付き、慌てて背中を追った。蓮を振り返るとにっこり笑い、ひらひら手を振っている。自分も笑顔で応え扉を閉めた。
途中、三上の部屋に寄り、ディスクを置いてから学食へ向かった。
対峙するように座り、夕食を食べ、彼の部屋の前で別れる間際、明日夕食を食べ終えたら部屋に来いと言われた。
何度も頷き、嬉しいと呟く。三上は特に返事はせず、そのまま自室へ入っていった。
自分の部屋へ戻りながらへらっと笑う。
三上から次の約束をしてくれた。部屋に来ていいと言ってくれた。
逃げない。正直に話す。そんな条件を交わしたけれど、この程度ならばあっさりクリアできそうだ。そうしたらご褒美が待っている。普段の彼で十分素敵だと思うのだけど、色んな姿も見てみたい。
そんな風に思うのは常識から外れているのだろうか。だけど自分はすでにどうしようもない変態という烙印を押されているので今更だと思った。

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