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「三上!」
足早に階段を降りる彼の腕を、踊り場で引っ張った。こちらを振り返った彼は眉間に皺を寄せ僕を冷たく見下ろした。
「ごめん!僕のせいで面倒なことに巻き込んだ!本当にごめん!」
勢いよく腰を折って謝罪すると頭上から溜め息が聞こえた。
今回ばかりは三上も呆れが突き抜け、心の針が嫌いに傾いたかもしれない。自分の過失なので縋れない。
「…なんであんなこと言ったんだよ」
「…あのままじゃ三上が変な誤解受けるし…」
「俺は別にいい。嘘もついてない」
「でも、三上を悪者にして自分は被害者ぶるなんて変だ」
「親に言われるかもしれねえぞ。そこまで覚悟してんのか」
その言葉に一瞬喉を詰まらせたが、それでも構わないと言った。
「三上の背中に隠れるだけなんて情けないことできない」
怯まぬよう、彼の瞳を見据えた。三上と睨み合いを続けながら言葉を重ねた。
「僕が隠してるから気を遣ってくれたってわかってる。それを無碍にしたことも。だけど僕だって三上を守りたいし、男として対等でありたい」
自分はそんな大層な身分ではないが、願望を込めて言うと、三上は僅かに口端を上げ、じりじりとこちらに近付いた。
逃げるようにすると壁にぶつかり、彼は僕の頭上に肘から先をつけて覗き込んできた。
「胸倉掴むとまた面倒くせえことになるからな」
言い終えると三上が顔を斜めにして寄せてきた。どうしたの?問う暇もなく唇が重なる。離れていく顔を呆然と眺めた。
三上はこちらを見るとふっと笑い、絵に描いたようなアホ面と言いながら腰を引き寄せ耳元で囁いた。
「惚れ直した」
そのとき、わざとらしい咳払いが聞こえ、二人でそちらを見ると有馬先輩が立っていた。慌てて三上から離れると先輩はこちらに近付き、ぽんと三上の肩を叩いた。
「人目がない場所を選んだ方がいいですよ」
言われて思い出したがまだ学校だった。見られたのが有馬先輩で助かったような、窮地に立たされたような。
三上はうんざりとした顔を隠しもせず、有馬先輩も愉快そうに笑いながら去った。
「…俺、終わったわ」
「だ、大丈夫だよ。有馬先輩はおもしろおかしく吹聴するような人じゃ…」
ないだろうか。自信を持って言えない。言葉に詰まり遠い目をする彼のシャツをくいっと引っ張った。
「…とりあえず帰ろうか」
できれば続きがしたいとか、ぼんやりしていたからもう一度ちゃんとしたいとか、むくむくと大きくなる気持ちに蓋をする。
先輩に邪魔をされなかったらどこまでしてくれたのだろう。どんな言葉をくれたのだろう。考えて、歩きながらへらへらと笑ってしまった。
部屋の前についたので、じゃあねと言うと、まだ聞きたいことがあると腕を引っ張って連行された。
部屋には甲斐田君がおり、呑気に説教は終わったかと笑った。
「うるせえ!」
「うわ、めっちゃご機嫌斜めやん」
やれやれと肩を竦める甲斐田君にぺこりと頭を下げる。三上は大股で自室に入り、僕をぽいと放り投げた。
有馬先輩のせいだろうか。三上の機嫌がまた悪くなった気がする。
三角座りをして顔を伏せると頬を引っ張られた。
「ういででで」
「俺がなんでお前の胸倉掴んだかわかってる?」
「あ…」
その問題をすっかり忘れ、呑気に三上の唇を反芻していた自分を殴りたい。
三上はぱっと手を放すと拗れる前に吐けと言った。
「ああいう態度をとるときのお前はくっそ面倒くさいこと考えてるだろ。勝手に一人でぐずぐずして俺の得にならない結論に至って自己完結。だろ?」
「…ごもっともです」
しかし妄想の中で三上ときゃっきゃうふふしていたなんて言えない。以前のように冗談めかして言えればいいが、関係性が変わった今、それは通用しない。
どうしよう。頭を抱えたくなる。
「そもそもコスプレってなんだ」
「え!あ、いや、すいません。そこには触れないでください…」
「なんで」
「嫌われたくないから…」
「ほーお?俺が嫌いになるようなことを考えていたと?」
「う……すいませ…」
土下座の勢いでがばっと身体を伏せると三上は髪の毛を掴んで引っ張り上げた。
「謝罪はいらないから話せ」
顔は笑っているが怒っている。うわあ、と泣きながら去りたい。
「さっき言ったよな?情けない真似はできない、対等な男だって。それでこそ泉だと思ったんだけど」
「う、あ、あ…」
「クソ教師にあんな啖呵切ったんだ。その勇気があったら俺にも言えるよな?」
「……はい」
がっくりと頭を垂らした。面倒なことになるのだからおかしな態度はとらないよう、平静を保って行動しようと何度思ったことか。極端な思考に囚われるからこうなる。
自棄になって口を開いた。恥ずかしい告白は一気に済ませた方がいい。
「…触られたりすると嬉しくて、自分も触りたくなるから逃げまし、た…」
ごめん、と消え入りそうな声で言いながら俯いた。
「…触りたくなるから逃げるの意味がわかんねえんだけど」
「だって、き、気持ち悪いじゃん。僕からそういう目で見られるの。今の関係だと冗談で済まされないし…」
妄想の中で三上を穢した罪悪感から胸が押し潰されそうになる。
色恋に縁がなかったせいか、妄想力だけは逞しく進化した結果がこれだ。
誰だって男からそういう目で見られたら吐き気がする。ノーマルなのだから。ぎゅっと組んでいた手に力を込めた。
「やばい妄想しちゃうし、三上の傍にいるとひどくなるから…」
言い終えると耳まで赤くなった。本人に告げるなんてどんな拷問だ。
三上からは返事がなく、ついに引くとこまで引かれたかと思い、ちらっと視線を上げた。彼は腕を組んで僅かに首を傾げている。
「今更?」
「え…」
「そんなの昔からだろ?今更なに言ってんの?」
理解できないという顔をされ、意識していたのは自分だけだとわかった。
三上はつきあっている今でも冗談の一端として受け取るのだ。こちらは本気なのに。
軽く受け流してくれるならその方がありがたいような、まったく意識されないのが悲しいような。
自分が女の子ならそうはならなかっただろう。三上にとって男とつきあうとは友情に少し毛が生えた程度のものだ。だとしたら一人で盛り上がったら尚更みじめだ。
「…そう、だよね。ごめん」
「お前はすぐ謝って話しを終わらせようとするな」
「そんなつもりじゃ…」
三上に言ったって困らせるだけだ。同性を性的対象にするというのは簡単なことじゃない。そんな些末な理由で関係が崩れるなら今のままでいい。
自分が我慢すれば丸く収まるし、身体だけが気持ちを伝える手段ではない。
口を引き結んだまま視線をうろうろとさせる。やっぱりこんなこと死んでも言えない。
三上は困ったように溜め息を吐きながら首の後ろに手を当てた。
「……俺のことどう思ってる」
「好きです」
「そこは即答すんのかよ。じゃあ好きな奴に触りたいと思うのはおかしいことか?」
「おかしくないけど…」
実際に自分が三上に手を伸ばしたらどんな反応をされるか想像すると怖い。
同性を拒絶したくなるのは理屈じゃない。本能だ。彼は女性が好きなのだから僕が色を含んだ瞬間、男女の大きな違いに気付くだろう。
だけど彼は優しいから無理をして乗り越えようと努力する。それが自分には一番きつい。
努力ではどうにもならないこともあるのだと悟った瞬間、この恋は終わる予感がする。
だから今のままでいい。友だち以上、恋人未満。なにを犠牲にしても、自分一人が堪えればこの関係が保たれるのだ。
いつも思っていた。アパートで一人家族の帰りを待つときも、いじめられていたときも。自分が我慢すればいい。これくらい耐えられる。そうやって痛いとか、悲しいとか、辛いとか、本音を奥に奥に追いやって、上から笑顔で封をした。
人の顔色を窺って、他人の評価を気にして縮こまるから尚更いじめられた。
だけど三上は違う。心をぶった切る様に何度も涙したけれど、嘲笑はなかった。男とはつきあえない、しつこい、うざいと言われ続けたが、僕が同性しか愛せないことを一度も否定しなかった。だから好きが止められなかった。
受け入れるときも、拒むときも、そこにあるのは彼の意志だけで、世間体とか、体裁とか、常識とか、そういったもので計ろうとしない。だからこそ、彼から拒絶されたら自分は今度こそ立ち上がれないかもしれない。
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