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「…だめだな。時間経つごとにひどくなってる」

三上の隣に座り、日曜夕方の定番のアニメを眺めていると顔を覗き込まれた。
数時間冷やし続け、痛みも引いたのでもう平気だと言ったのだけど、腫れと痣だけは残ってしまったらしい。皮膚が薄い部分だし、内出血は自分では止められない。

「数日もすれば元に戻るんだし平気だってば。嫁ぐ前の御嬢さんじゃないしこれくらい別になんてことないから」

ひらひらと手を振ったが三上の顔は険しいままだ。

「…お前今日は帰れよ」

「えー!?」

「えーじゃない。明日学校だし、また同じことしそうだし」

「大丈夫だって。何回か一緒に寝たけどこんなこと初めてじゃん」

「初めてだからってもう二度とないとも限らないだろ。目に当たってたらどうすんだよ」

「それは…そうだけど…でも…」

それじゃあもう三上とは一生一緒に眠れないのか。今の自分にとって一番の楽しみであり、幸福を感じる瞬間なのに。
あのとき自分が二度寝をしようなど思わず起きていればこんなことにはならなかった。自分で自分の首を絞める結果になり、膝に置いていた拳をぎゅうっと握った。

「…どれくらい待ったらまた一緒に寝てくれる?」

「待つ待たねえの問題じゃねえだろ」

それならどうしたらいいのだろう。手錠をして眠るわけにもいかないし、睡眠中のことなので気を付けようもない。もう少し広いベッドならよかったのかもしれないが、シングルベッドでぎゅうぎゅうになるとこういう事故は何度でもありえる。
三上の言い分は理解できる。今回は自分が被害者だが逆だったら切腹してお詫びしますと頭を垂れていたところだ。だけどそんなことで引き下がりたくない。

「いくら傷つくっても平気だよ。こんなの何回あったって別に…」

「平気じゃない」

ぴしゃりと言われ、ますます肩を落とした。

「部屋に来るなって言ってるわけじゃねえだろ」

「そうだけど…」

それで足りたら苦労しない。好きになって、恋人になって、日々欲張りになる。
もっと顔が見たい、声が聞きたい、触れたい、気持ちを確かめたい。恋心というものを彼に理解しろとは言わない。自分たちは気持ちに大きな差があるのだし、好きの形は人それぞれだ。三上は同じ空間にいるだけで十分なのだろう。わかっていたが地味にへこむ。へこんだ途端負の感情へ引っ張られる。彼は好きだと言ったけれど、今も同じ気持ちかわからない。恋情ではなく同情の部分が大きいのかも。だから欲の対象には見てくれない。
セクシャリティを変えるのは簡単じゃない。わかっている。だけど、もう少し欲しがってくれないと不安が膨れ上がって自分を呑み込んでしまう。
隣に置いてくれるだけで幸福だと思った次の瞬間には、それでは足りないと駄々を捏ねる自分が大嫌いだ。身の程を弁えなければいつか彼にひどい形で八つ当たりしそうで怖い。
握っていた拳を開いた。

「しつこく言ってごめん。今日は帰る」

「…ああ」

すくっと立ち上がるとなぜか三上も立ち上がった。首を捻るとコンビニ、と言われた。
自分の部屋までの僅かな距離を並んで歩く。テンションががっくり落ちてしまい、よっぽど帰りたくないと言いたくなった。断腸の思いで堪え、扉の前で向き合う。

「じゃあね」

「じゃあねじゃねえよ。飯買ってくるから部屋で待ってろ」

「え?いいよ別に。自分で行けるし」

「そんな顔で?」

「あ…」

三上はわかったら大人しく待ってろと言い踵を返した。
ボーナスステージでもう少し一緒にいられるらしい。嬉しいような、辛いような。二十四時間一緒にいたいけど、そうするともっと欲張りになる。
心の中には階段があって、一つ上ると次を目指そうとする。ぐいぐいと上を目指す自分を行ってはだめだと後ろから引っ張っているが、兎角暴走しがちな感情をどれくらい抑え込めるかわからない。
もう少し自制心を持ったいい子にならなければ。だらしない自分に溜め息を吐きながら扉を開けると、須藤先輩が蓮の腰を抱き、蓮が彼の胸を押し返すという妙な場面に遭遇した。目が点になるってこういうとき使う言葉なんだなあ。冷静に考えていると、慌てた様子で蓮が先輩を突き飛ばした。

「真琴、おかえり」

「…た、ただいま…」

蓮は先輩に向き直り、だから嫌だと言ったのにと小声でお説教をし、簡易キッチンへ向かった。その背中から怒りのオーラがこちらまで伝わってくる。

「せ、先輩、ごめんなさい」

こそっと耳打ちすると、怒ってる蓮も可愛いよね、と反省ゼロな惚気を口にした。この人は放っておいても平気そうだ。

「あれ、泉君顔どうしたの?」

須藤先輩に腫れている部分を凝視され、蓮も慌てた様子でこちらに駆けて来た。

「なにその痣!まさか、また…」

蓮がぐっと拳を作ったので慌てて違うと首を振る。

「三上にやられたんだ」

「は!?三上君が!?」

ああ、これは酷い勘違いをされている。須藤先輩もあんぐりと口を開け、信じられないといった表情をしている。

「ち、違うからね!殴られたとかじゃないから!」

ぶんぶんと首を振ると安堵したように身体の力を抜いてくれた。

「寝てるときに肘が当たって…」

「…よくないけどよかった。DVだったらどうしようかと…」

いくら三上でも理由もなく暴力振るわないよ。ははは。三人で変に和気藹藹していると、コンビニの袋を手に下げた噂の的がやってきた。

「うわ須藤先輩いるし」

三上は部屋に入るなり顔を顰めた。

「うわってなに。相変わらず失礼な後輩だなあ」

「あ、先輩こいつのこれ、どうにかなりません?」

三上は目元を指し、須藤先輩もこれは自然と治るのを待つしかないと言った。

「目は平気?」

「はい。なんともないです」

「じゃあ大丈夫だと思うけど。皮膚が薄いからちょっとの衝撃でも結構ひどい痣になるし、大袈裟に見えるだろうけど心配いらないよ」

ね?と先輩に微笑まれ何度も頷いた。

「じゃあ僕たちもご飯行こうか」

先輩は蓮を振り返り鞄をひょいと拾い上げた。どうやら出掛ける直前だったらしい。
外に出れば友人のふりをしなければならない。だから須藤先輩は部屋を出る前に蓮を補充したかったのだろう。

「帰りに冷やすの買って来ようか?」

蓮に問われいらないと首を振る。それより楽しんできてと背中を押し、二人が去った瞬間しんと空気が静かになった。

「ご飯ありがとうね。一緒に食べよう」

ささ、こちらにどうぞとソファに誘導し、麦茶を淹れた。
お腹を膨らませ風呂に入っても三上は部屋にいてくれる。嬉しくて飛びつきたいのをぐっと堪え明日の準備を済ませた。最後に麦茶をもう一杯、キッチンで立ったまま飲み干すと、膝をかくんと折られた。

「子どもは寝る時間だぞ」

「っ、そういう悪戯運動音痴には辛いって知ってる…?」

「さあ」

布団に入ったらきっと彼はいなくなってしまう。五分、十分、少しでいいから引き留めたい。またそんな風に欲が渦巻く心が嫌でぎゅうっと胸辺りの服を握った。

「…寝ます」

いい子でいようと思ったのに、意識を逸らせるとすぐこれだ。
好きが大きすぎるのはよくない。自分にとっても三上にとっても。減らす方法がわからないから苦労する。
寝室の扉を開けると彼も中に入り、床に座りベッドに肘をついた。ぽんぽんと枕を叩いたので慌てて横臥し、タオルケットと毛布を胸辺りまで引き上げた。

「子どもの寝かしつけみたいだね」

「同じようなもんだろ。折角だからお伽話代わりにとっておきの怖い話ししてやる」

「やめろ!ただでさえ蓮が見るホラー映画に困ってるのに…!」

本気で訴えると、三上は珍しくくすりと笑った。その表情に見惚れ、彼の頬へ手を添えた。はっと我に返って慌てて腕を引く。

「ご、ごめん!」

「…なにが」

「許可なく触ったから…」

「触りたきゃ触れよ」

引いた腕を取られ、頬へ誘導された。
いいのだろうか。視線で訴えながらおずおずと三上の輪郭をなぞるように指を滑らせた。
細面に切れ長の冷たい瞳、高い鼻梁、薄い唇、長い首に目立つ喉仏。確かめるように辿ると瞳を伏せていた彼がこちらに視線を寄越した。絡まった瞬間、ちりっと胸の奥で火花が散る感覚がして手を離した。

「ね、眠くなってきた」

嘘を吐きながら枕に顔を埋め、毛布をぎゅっと握って縫いとめる。

「…寝坊すんなよ」

立ち上がった三上に向かってこっちのセリフだと言ってやる。彼はほんの微かに笑い部屋から去った。
扉が閉まったのを見届け、緊張で止めていた息を吐き出した。
危なかった。欲情した物欲しそうな目で彼を見るところだった。
近付くことを許されるのは嬉しいだけじゃない。近くにいれば触れたいと思うし、色んな顔が見たいとも思う。ただ物陰からこっそりと見ていたときは、ありえなさすぎて想像もできなかったことが今ならできる。妄想するだけで楽しい。だけど身体はそうはいかない。僅かな接触で反応したらどうしようと冷や冷やする。
身体をくの字に折りぎゅっと目を瞑った。欲張りな自分が嫌だ。卑しい自分が嫌だ。穢れた欲望を彼にぶつけたくない。なのにブレーキが壊れてしまいそうだ。
閉じた瞼の裏に三上の姿がぼんやりと浮かび上がる。
以前彼は言った。いつかお前に襲われそう、と。そんなことは絶対にしないと誓ったが、このままでは鎖を解かれた獣のように、彼の気持ちを無視して暴れそうだ。
大事にしたいのに。いい彼氏でいたいのに。どうして恋慕は欲望も道連れにするのだろう。自分がとんでもなく穢い人間に思えた。

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