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怒らせてしまった。今まで何度も怒られてきたが、こんな風に物に当たるのは相当頭にきている証拠だ。
確かに自分の態度は悪かったが、そんなに癪に触っただろうか。どうしよう、混乱する一方でどうもできない癖にと諦めも湧き上がる。
殴られたり、怒鳴られたり、縮こまって耐えていればいつかは過ぎ去っていく。三上の怒りもそうやって流せばいい。でもそれでいいのか。彼はいじめてきた奴等とは違う。話し合う必要はないのか。
ぐるぐる考えているとぎゅっと腕を掴まれた。

「おい、聞いてんのか」

「あ…、ごめん」

しっかりと視線を合わせると彼の瞳は怒りで満ちていた。冷酷な鋭いそれか光りが灯らないやる気のない目ばかりなのに怒るとこんな風になるんだ。現実逃避して難を逃れようとする。
三上は濡れた髪をかき上げながらもう一度長い溜め息を吐いた。

「なんなんだよお前。お前がなにしたいのか、なに考えてんのか全然わかんねえわ」

「みか――」

「俺といて負担になるなら一緒にいねえ方がいいんじゃねえの。好きなだけ遠くから見て俺のことは放っておけよ。いいな」

彼は吐き捨てるように言い立ち上がった。

「ま、待って。三上、待って」

震えそうになる足をどうにか動かし後ろから腕を掴んだが思い切り振り払われた。

「お前も大概自己中だよな。少しはこっちの身にもなれよ」

「ごめん、ごめん」

「謝れって言ってんじゃねえんだよ!」

ぐっと胸倉を掴まれ引き寄せられた。

「俺は腹括ってお前とつきあおうと思った。なのにお前はシカトしてみたり鬱陶しく付きまとってみたり。一緒にいれば擦れ違うだけでびくびくしやがって…。お前が好きだ好きだって纏わりついたくせにいざそうなったら俺の気持ちは一切無視か」

ぽかんと口を開けた。そんな風に思ってるなんて知らなかった。つきあうなんて言葉だけで、きっと以前と同じように鬱陶しいと邪険にされるのだと思っていた。だって三上は好き"かもしれない"と煮え切らなかった。僕だって希望的観測で勘違いしそうになる心に必死にブレーキをかけていたのに。

「だって…」

「なんだよ」

「三上だって好きかも、なんて曖昧にしたじゃないか!」

ああ、いけない。心にひびが入る音がする。
ここ最近心も頭もぐちゃぐちゃで、必死に出口を探していた。言葉にしたらおぞましい感情を抑え込んで笑って。
せき止めていたそれらが壁を壊して溢れ出しそうだ。溢れたら最後で元には戻せない。三上にだけはぶつけちゃいけない気持ちなのに、一度溢れると止まらない。

「嫌われたくないし、でも三上のことは嫌いになりたいし、好きすぎて変だって自分でもわかってる!頭も気持ちもちぐはぐで言うこときかないし、どうすればいいのかわからない!」

掴まれていた胸倉がぱっと放され、代わりに手を差し出されたがそれをやんわり振り払った。

「僕にとって三上は追い駆けても手が届かない存在で、こっぴどく振られるのが当たり前で、傷つけられるのがデフォルトで、やっぱり男は無理って言われるのが怖くて、これ以上好きになりたくなくて…」

もうやめよう。こんな不毛な感情のぶつけ合いは。冷静な部分で判断してそれ以上の言葉は呑み込んだ。代わりにつま先を見ていた視界がじんわりと滲む。
子どものように大声で泣き叫べたらどんなにすっきりするだろう。涙と一緒にどろどろと汚い感情も流れたらいいのに。
ぎゅっと下唇を噛み締めて眉間に力を込めた。怒りのあまり泣くなんてガキすぎて呆れられる。我慢しなければいけないのに、ぽつぽつと床に雫が落ちていく。これじゃあ三上が悪者みたいだ。

「…ごめん」

謝りながらごしごしと目を擦ると腕をとられ引き寄せられた。背中に腕を回され骨が折れそうなほど抱き締められる。

「…み、かみ」

「悪い。短気なのは俺の悪い癖だ」

彼は耳元で囁いてゆっくりと身体を放した。恐る恐る顔を上げると困ったように笑いながら目の縁にたまる涙を乱暴に親指で拭われた。

「泉、好きだ」

数回瞬きを繰り返した。ぽかんと口を開けて三上の言葉を何度も頭の中で繰り返す。

「アホ面」

「…幻聴?」

「なわけあるか」

「…僕ならありえるかも」

「ああ、ありえるかもな」

「そっか。妄想か。それとも夢か」

「現実だ」

「現実…」

頭が真っ白で難しいことが考えられない。処理するまでに手が震えだし、乾いた笑いを吐き出した。

「はは、は…。手が、勝手に、震える…」

三上は僕の両手を包むようにぎゅうっと握り、髪に顔を埋めるようにして大丈夫だと呟いた。凪いだ心がまだ荒れだし、感情の水位が急激にせり上がる。引っ込んだ涙がまた溢れ出して、我慢する余裕もなくてうわあ、と子どものように泣いた。
三上は何も言わず背中をさすったり、頭をくしゃりと撫でたり。それが好きなだけ泣けと言われているようで、遠慮なく泣いて、泣いて、涙が止まる頃には頭が痛くなった。

「…落ち着いたか」

「ご、ごめん。久しぶりに、泣いたら、なんか止まらなくて。何で泣いてるのか…」

しゃくり上げながら必死に声を振絞った。

「頭痛いだろ」

「…なんで、わかるの」

「妹が大泣きした後頭痛いって寝るから」

「…本当に、ごめ…」

目の奥も痛いし、腫れぼったいし、最悪だ。元々いい造りをしていないのに今の自分はどれほど不細工だろう。こんな情けない顔は見られたくなくて俯いた。
三上はそっと腕をとり引っ張るように寝室へ向かい、頭痛が治るまで寝ろと言った。
彼が去ってしまうのが悲しくて、ベッドに横になりながら行かないでと懇願する。

「行かねえよ」

三上はベッドに座り、ぼんやりと反対側の壁を眺めている。
なにか難しいことを考えている顔だ。彼の口から出た好きという言葉を撤回されたらどうしよう。またそんな風に後ろ向きに歩き出す。
とても信じられないし、好かれる要素もないし、自分で言うのもなんだが、三上頭大丈夫?と聞きたくなる。
だけど僕は知っている。彼は嘘を絶対につかない。本心以外に話さないので言葉が足りないときもある。場の空気を流すための方便とか、そういったものもない。不器用で、裏表がないのが魅力で、そんな彼が好きだと言うなら本当なのだろう。
頭は痛いし胸は苦しいし、たくさんの幸福は身体の内に留められず吐き出したくなる。
今後を考えたいのに三上の言葉で自分の内がいっぱいで、もう隙間がない。機械のように作業領域の追加ができたらいいのに。

「…後悔してない?」

険しい顔をする彼が可哀想で最後のチャンスを口にした。自分から幸せをぶった切っていくスタイルはどうかと思うけど。

「なんで」

「あー、言っちまったなあ、みたいな」

「そう見えるか」

「ごめん。でも、あの…」

勝手に視線が泳ぐ。
二人で幸せだ、楽しいと笑えるなら勿論それが一番だ。だけど三上が幸福だと思うなら別に隣に並ばなくていい。好きな人には笑っていてほしい。自分の願いはそれだけだ。

「…まあ、しょうがねえよな。あんだけお前を傷つけてきた。信じろって言っても無理なはなしか」

「そんなことないよ。三上は嘘つかないもん」

真っ直ぐに信じて疑わずいられたら。
無駄なものを削ぎ落として好き、嫌いで物事を測れたらどんなに楽だろう。でもできない。彼の足枷にはなりたくない。

「…お前はいつも俺のために逃げ道を用意するよな」

「え?」

「非常口の避難誘導表示板みたいに、出口はこちらですって」

「…難しくてよくわかんない」

「そうか?本当はわかってるだろ」

ぐにぐにと頬を片手で潰される。

「そういうの、もうしなくていい」

今度は腫れぼったい瞼を親指で優しく擦られた。

「お前は面倒な奴だから言いたいことも、不安も、全部ここに隠すんだろ」

とん、と胸を人差し指で指差された。

「それは構わない。でもな、さっきみたいに大泣きしてもいいから本音を言わないと俺は気付けない」

そうなのだろうか。わからない。
自分の我儘を通すのはいけないことだと信じてきた。相手の気分を害する存在であってはならないし、目立たず、不快にさせず、輪の中の一番端っこでひっそりと息をするのが自分のポジションなのだ。

「俺の短気もなかなか直んねえし、まあ、喧嘩することもあるだろうけど、俺の隣で不自由そうにはするな。好きな奴には笑っていてほしいだろ?」

「うん…。うん。笑ってほしい」

「だから意味不明なストーキングもやめろよ」

「それは多分やめられないな」

くすりと笑うと彼は勘弁してくれと項垂れた。

「…不思議だ。すごく不思議だなあ」

こうして三上と向き合えること。大事にされること。手を伸ばせば触れられること。こそばゆくて、恥ずかしくて、少し逃げ出したくなる。

「…いつかそれが普通になる」

「ならないよ」

「なってくれなきゃ困るんだよ」

「そっか。でも普通になったら勿体無いよ」

「…そうか」

「うん。勿体無いんだよ」

胸のあたりをぎゅっと握った。
いつかはこの気持ちも忘れるのだろうか。感覚が麻痺して彼が傍にいるのが当然になって、それでは足りないと欲を出すのだろうか。
嫌だ。そんな自分は絶対に嫌だ。当たり前じゃない。普通じゃない。運命なんて信じない。三上だけを信じていたい。

「でも困ったな」

くすくすと笑いが漏れた。

「潤と甲斐田君に言われたんだ。好きすぎて三上を殺して食べそう、って」

「ふーん」

「気持ち悪いって言わないの?」

「そうなる前に俺がお前を殺してやるよ」

冷淡な微笑を浮かべる姿をぼんやり眺める。愛の言葉とはほど遠いのに、それは最高に胸に刺さった。

「…好きだなあ」

「は?変態かよ」

「うん。三上を好きになってからずっと変なんだ」

「開き直んなよ」

ぺちんと額を叩かれその部分を擦った。

「三上ごめんね。多分僕ずっと変なままだと思う」

「…そうかよ」

「うん。ひどいときは怒ってね」

「当たり前だ。でも、まあ…」

三上は一旦言葉を区切り、なにか考えるように自分の顎を手で擦ってからこちらを見た。

「今はそんなお前も悪くないと思ってる」

「うっ…」

胸をぎゅうっと掴んだまま上半身を起こした。
心臓が痛い。死ぬかもしれない。ツン十割、デレ零だった彼が一割でもデレたらそれはすさまじい凶器だ。

「で、できればこれ以上惚れさせないでくださいね…?」

「お前が勝手に惚れてんだろ」

「そう、なんだけど…。やかんが沸騰してぴーぴー言うみたいに、僕もそろそろ奇声を挙げそうだし」

「奇行の次は奇声か。早く慣れろよ。つきあいきれねえからな」

「…がんばります」

三上はふんと鼻で笑い、ばしんと肩を叩いた。

夜の中。リビングに続く扉を開けて薄ぼんやりと濁る部屋。優しく、温かい膜の中に二人でとぷりと落とされたようだ。
甘い空気も金平糖のような言葉もどれもこれも僕たちには不似合いなものばかりで、はまらないジグソーパズルのような違和感がある。無理に詰めるとぱきんと折れてしまうのに、不完全な僕たちのまま、この夜の中にずっといたいと思った。

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