3


金曜日、寝間着や歯ブラシを鞄に詰め込んで三上の部屋を訪れたが彼の姿はなく、代わりに甲斐田君が遊びに行くから遅くなるらしい、部屋は好きに使えと言ってくれた。
ぱたりと扉が閉まると部屋にぽつんと自分だけ取り残される。暫く呆然としながら部屋を眺めた。
テーブルの上にはリモコンや使用済みのコップ、雑誌と漫画本が乱雑に置かれている。ソファの背には恐らく三上が脱ぎ捨てたであろう制服。
すうっと一度息を吸い込むと僅かに三上の匂いがした。ここで彼は生活している。同室だった去年よりもより彼の気配が濃い。にやけそうになって、こういうところが気持ち悪いのだとはっとした。
何もしないと碌でもない思考に流れそうなので、ラグに座って鞄から課題を取り出した。週末は量が増えるので遊んでばかりもいられない。これでも一応進学クラスなので他クラスより勉強量は多いのだ。
よし、と気合を入れ直して教科書を開いた。


握っていたペンを置き、両腕を天に伸ばした。ばきばきと背中が剥がれる感覚がする。
時計を見ると三時間ほど経過しており、そろそろ学食も閉まる時間だ。
三上は外で食べてくるのだろうか。帰宅は何時になるのだろう。もしかしたら外泊するかもしれない。僕と一緒にいたくなくて出掛けたのかも。同室だった頃もこうやって散々避けられ寂しい想いをした。辛い、と感じる前に懐かしくて、さすが三上と感心した。
学食で夕飯を摂り、戻ってシャワーを浴びた。持参したパジャマに着替えてソファに座る。いつも三上が座っている場所。なんとなくテレビを眺め、飽きると置いてあった漫画を読んだ。

「暇だなあ…」

携帯を取り出したが三上からの連絡はない。
彼と一緒にいればそれはそれで緊張するし心臓がもたない。だけど傍にいないと苦しくなる。
ごろりとソファに横になった。
何時に帰る?ご飯食べた?僕のこと鬱陶しいなら帰るよ。
メール画面に言葉をぽつぽつと打ち込む。送れやしないけど、こうやって吐き出して満足するのだ。
ソファにかけてあったシャツを手繰り寄せ、胸でぎゅっと抱いた。
ほんの僅かに彼の香水の香り。まるで三上に抱かれているようだ。へらりと笑って満足したら元の場所に戻そうと思った。思ったのに安心すると眠気が襲い、携帯を持っていた手を投げ出すようにして意識を手放した。


「――おい。おい、泉」

三上の声がする。薄らと瞳を開けようとしたが、ライトの光りが眩しくてまた閉じた。

「いくら夏でも風邪ひくぞ。おい」

「…大丈夫」

これではいつもと逆だ。起こすのは自分の役目なのに。おかしいな。
ふわふわとした浮遊感を楽しんでいると、本当に身体が宙に浮いた。ぎょっとして目を開けると三上の顔がすぐ傍にあり、どうやら横抱きされているらしい。
三上はこちらの視線に気付かず、器用に寝室の扉を足で開けてからベッドに身体を下ろしてくれた。

「…三上」

「…やっと起きたか」

「……おかえり」

「ああ」

常夜灯の淡いオレンジ色の光りの中で、着替え始めた彼をぼんやりと見上げた。

「今何時?」

「一時過ぎたとこ」

「そっか」

「そのまま寝ろ」

「…三上は?まだ寝ないの?」

「風呂入ったら寝る」

「…そっか、うん」

タオルケットをお腹の辺りまで引き上げると、ぽんと一度肩を叩いて三上は部屋から出て行った。
このベッドで眠るのも久しぶりだ。本当に自分たちは一歩踏み出せたのだと実感する。三上が自分の領域に僕を入れてくれる。プライベートな空間と時間を切り売りしてくれる。嬉しい、嬉しい。
瞳を閉じると遠くからシャワーが流れる水音が聞こえた。


また次の金曜日、先週と同じように鞄に荷物を詰めた。

「三上君との同棲はうまくいってる?」

背後から蓮が揶揄する口調で言う。

「あんまり…」

土曜日も日曜日も緊張してそわそわ落ち着かなかった。
普段通りに過ごす三上を盗み見て、視線がきもいと言われたことを思い出しては意図的に見ないよう努め、すぐに振出に戻る。
彼は自分がいても、いなくてもなにも変わった様子はない。適当に起き、映画を見たり漫画を読んだり。
たまに声をかけられたと思えば、お茶、とか、あれ持って来い、これ持って来いと、小間使いのように身の回りの世話を焼かせた。
それに不満はなく、もっと使ってほしいと思う。役に立てるなら嬉しいし、パシリをすることで存在価値が見出されるならそれで構わない。
ただ、自分の心は回転扉のように目まぐるしい。ソファにうつ伏せになってまどろむ彼を見ればときめいて奇声を上げそうになり、風呂上りに上半身裸でいれば落ち着くために元素記号をぶつぶつと唱えた。その度絶対零度の視線を向けられ身体を小さくする。
慣れが大事だと皆は言うが、自分は一生慣れない気がする。こんなことではいけないのに。重苦しい溜め息を吐いて自分の不甲斐なさを呪った。

「なに溜め息なんてついて。三上君と一緒にいられて嬉しくない?」

「嬉しいけど…。三上を嫌いになるどころかもっと好きになるし、逆に僕が嫌われてる気がするし…」

「はは、そっか」

「笑い事じゃないんだけどな…。いい彼氏になりたいのに志半ばで振られそう」

「大丈夫。真琴はいい男だよ!」

「じゃあ須藤先輩が僕みたいでも蓮はいい?」

「え?うーん…」

「ほらやっぱりだめじゃん!」

「だめじゃないよ!だめじゃないけど、自分を神さまみたいにみられるのはちょっと嫌かな…」

「そっか…。よくわからなくて。普通の感覚がわからないなんて、僕はどうしようもないクソ野郎でこんな面倒な人間今すぐ修行にでも出た方が――」

「ストップストップ。わかったから後ろ向きにならないで。三上君は真琴のそういうところもわかった上でつきあってるんだから、諦めないでさ」

「うん…。そうだよね。うん」

恋愛はどうしてこんなに複雑なのだろう。一人で抱えていた頃でさえ言うことを聞かない嵐のようで参っていた。だけど一方通行で終わらない恋はもっとしんどい。
三上が面倒だと切り捨ててきた意味が少しだけわかった。激情の坩堝でコントロールが効かない。心身ともに憔悴する。
ただ三上を眺めているだけで幸せだった。それ以上は未知すぎて大きな戸惑いを誘発する。

「ほらほら、元気出して!」

背中を思い切り叩かれ無理に笑顔を作った。

「そうだよね!振られ続けてへこたれてたあの頃に比べればどんなに幸せか!」

「そうそう!」

「大きな悩みの前に目の前の小さな幸せを見失っちゃだめだよね!」

「いいぞ!」

「よっしゃ!頑張るぞ!」

「それでこそ真琴!」

蓮は合いの手を入れながら気分を盛り上げてくれた。さすが、月島君や相良君を自在に操るだけあって鼓舞するのが上手だ。
行ってきますと小さく敬礼をし三上の部屋を目指した。
彼らの部屋は鍵がかかっていないので、ノックをしてから恐る恐る扉を開ける。
中を覗き込むと三上がシャツからネクタイを引き抜いていた。

「お邪魔します」

「ああ」

素っ気ない返事に奮い立った心が少し萎れる。
甲斐田君は既に部屋におらず、毎週気を遣わせるのも申し訳ないが、それを口実に神谷先輩の部屋に入り浸れるから気にするなと言われた。
そそくさとソファに座り顔を上げると、彼はシャツを乱雑に放り投げ、暑いと呟きながらノートを扇子代わりにして扇いだ。
う、と小さな呻き声が漏れたがその先はどうにか我慢した。心の中ではすさまじい絶叫が吹き荒れている。同室のときですら三上の裸は滅多に見たことがない。この関係に落ち着いた今は出血大サービスで、こちらの気持ちもお構いなしだ。
男同士なのだから気にする方がおかしいのだろう。だけど自分はゲイだし、こんなに好きなのだからちょっとは警戒してほしい。
心の中で文句を言いながらも、視線はしっかり彼に縫い付けられる。
三上は猫背で着痩せするけど肩幅が広く、逆三角形の身体には程よく筋肉が乗っている。特に外腹斜筋がお気に入り、と変態丸出しな思考を止めるため視線を逸らした。

「お前あれ持ってる?輪ゴム」

「輪ゴム?持ってないけど欲しいの?」

「髪結びたい」

「買ってきます!ついでに食べ物と飲み物も!」

鞄から財布を取り出して急いで部屋を出た。今日も使命が与えられ、彼の役に立てた。嬉しい。
コンビニまで走り、輪ゴムじゃ髪が痛くなりそうなのでちゃんとした髪を結ぶ用のゴムを購入した。女性が買う物を自分が買ったら変だと思われないだろうか。僕変質者じゃないんです。通報しないでください。店員さんに心の中で言い訳をしながら会計を済ませ、寮までまた走る。

「っ、た、ただいま…」

ぜえぜえと肩で息をしながら三上にゴムと冷たい炭酸飲料を差し出した。

「そんな走って帰ってこなくても」

「運動不足解消にいいと思って…」

下手な言い訳をし、急激に上がった体温と汗が鬱陶しくて、自分も下敷きを扇子にして扇いだ。
三上は頭の下でぎりぎり結べる程度の髪をきゅっと束ね、膝に乗せていた雑誌を捲った。
髪を結ぶといつもは隠れたフェイスラインが見え、ますます輝きを増す。ああ、格好いい。どうしよう。
運動したからではない胸のどきどきにシャツを絞るようにぎゅうっと握った。
汗が引いてからは邪魔にならぬよう自分の勉強と三上の分の課題もやってやり、学食へ向かう彼の後ろをついて歩いた。
向かい合って食事をする間も特に会話が弾むはけもなく。ペースが遅れぬようせっせと口にご飯を運ぶ作業に集中した。
ぽっこりした腹を擦りながらシャワーを済ませ、入れ替わりで三上が風呂へ向かう。
首から下げたタオルでがしがしと髪を拭き、猫っ毛は寝癖がひどくなりやすくて困るのでドライヤーで適当に乾かす。
ソファに座り直すと同時に風呂の扉が開く音がし、頭からタオルを被った三上がスエットの下だけ履いた姿でミネラルウォーターのキャップを捻った。
パジャマをぎゅっと握りながら彼を見ないようテレビに視線を固定した。
三上は向かいのソファに座り、おい、と声を掛けた。

「な、なんでしょうか」

「お前さ――」

「うん」

「…なんでこっち見ねえの」

「テ、テレビ、見てるから」

「あ、そ」

彼が立ち上がったのが視界の隅に映る。きっと服を着てくれるのだとほっと安堵し、肩から力を抜くと俯きがちだった視界にすっとお茶が入ったペットボトルが差し出される。予想しない出来事に思い切り後ずさるようにソファの端に寄った。
三上は一瞬目を丸くし、すぐに眉間に皺を寄せた。持っていたペットボトルを力任せにテーブルに置き、僅かな距離を置いて隣に着かれ、焦りは最高潮に達する。

「お前な」

「ご、ごめん!」

今のは自分の反応が悪かった。わかってる。でもおねがいだから服を着てほしい。見たらいけないのに勝手に視線がそちらに向かってしまう。意識しないと視姦するなと怒られる。身体をできるだけ小さくして頭を垂れた。

「なんなんだよ…」

三上は長い溜め息を吐き、足でテーブルを蹴った。

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