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「よし、起きたな。ほな、俺行くわ」

「うん。ありがとう甲斐田君」

「ええよ」

二人の会話をぼんやりとしながら聞いた。そういうことかと理解する。
秀吉のお節介野郎。

「は、早く準備しないと…」

まだはっきりと開かない瞳で泉を見た。
ぐにゃりとした笑顔を見せているが、怯えた様子も窺える。
溜め息を吐いた。すると、また泉が居心地悪そうに身体を揺らした。
違う。そうじゃない。お前に対して怒っているのではなく、自分に対してなんだ。
それをちゃんと言葉にできればいいのだろう。
簡単なことなのに、何故か自分はできない。

「待ってろ」

結局、こんな言葉しか泉には与えられない。

だらだらと洗顔と歯磨きをして、制服に着替える。
途中、ベッドに座りながらシャツの釦を止めていると、いつの間にか寝てしまい、ぐらりと身体が揺れた。
泉に支えられてはっと目が覚める。
だめだ。深刻な寝不足だ。一日泥のように眠りたい。
一つ釦を止めては眠り、また一つ釦を止めては眠り。
そんなことを繰り返しながら、漸く身支度を終えた。
勿論朝食を食べる時間はない。

「早く行かないと遅刻だ!」

「先に行けよ」

「だめだよ…。一緒に行くよ」

「あ、そ」

走ろうという泉の言葉を無視した。
朝からそんなこと絶対にできない。こちとら低血圧だ。
起きるだけでも精一杯。歩くのも辛い。
欠伸をしながら、いつものペースで歩く。半歩後ろを泉がついて来る。お決まりのパターンだ。
どうして隣を歩かないのか疑問だったが、特に突っ込まなかった。
校舎が見えた頃、始業開始の鐘が鳴った。

「あ…!」

泉は慌てたように右往左往するが、自分は最初から出るつもりがなかった。
とりあえず行こうと言われたから頑張ったが、授業に出る気力がない。

「遅刻しちゃったね」

「ああ。いつものことだし」

「だから今日こそはって思ったのに失敗した」

項垂れる泉を見て、なんでこんな必死なのかと不思議に思う。
他人に対して頑張る必要があるだろうか。
自分には関係ないのに。俺が留年しても、学校を辞めても、俺の問題で泉は痛くないはずだ。
それなのにこいつはいつも他人のために一生懸命になる。
ますますわからない。言動も、行動も、一つも理解できない。

「…俺どっかでサボるわ」

「え!遅刻じゃなくてサボり?」

「だって説教されんじゃん」

「いや、サボっても説教されるよ」

「どうせ説教されんならサボってからの方がいい」

「そう、ですか…」

「お前はちゃんと行けよ」

靴を履きかえてひらひらと後ろ手に手を振った。
起こしに来た挙句、自分につきあって遅刻とは可哀想なはなしだが、仕方がない。
自分は先に行けと言ったし、そもそも起こしてほしいと頼んでもいない。

「ま、待って!」

ぎゅっとブレザーを掴まれて立ち止まった。

「ぼ、僕も一緒にいたらだめ…?」

「お前が?」

「う、ん…」

教師から信頼されている優等生が?
自分に付き合っていると泉にとっても悪だ。
それも、泉が決めることで、自分が判断する問題ではないけれど。

「…好きにしろ」

「うん」

泉ははにかむように微笑んで、なにがそんなに嬉しいのかと首を傾げたくなる。
いつもそうだ。
好きにしろ、と言うととても嬉しそうに笑う。
どちらかと言えば突き放した意味で言っているのだが、伝わっていないらしい。
それともやはり、そういう性癖の持ち主なのだろうか。

泉が朝言ったように、いい天気だった。
空気も風もぽかぽかと生温く、絶好の昼寝日和だ。
屋上に続く道を黙って歩いていると、後ろから小さい足音が追ってくる。
こいつは金魚の糞か。
そうしたいのなら文句は言わないが、一緒にいてもなにも楽しいことなどない。俺は寝る。
屋上につき、壁に寄りかかって座った。
腕を組んで瞳を閉じる。
隣に泉が座った気配があった。
話し相手にでもなってほしいのだろうか。だが俺は寝る。絶対に寝る。

「ぽかぽかやでー」

暫くすると変な関西弁が聞こえ、思わず目を開けて泉を見た。

「…秀吉の真似か?」

「わ、起きてたの。恥ずかしいな!」

「独り言の方が恥ずかしいだろ」

「え…。そうか」

言われて初めて気付いたらしい。アホだ。勉強ができるアホだ。

「…お前、授業ちゃんと出た方がいいぞ」

「三上に言われるとは…」

「俺と一緒にサボってると成績落ちんぞ」

「大丈夫だよ。ちゃんと出るから。今日は…。特別だよ」

俯いたので、村上と顔を合わせたくないのだろうと察した。
嫌な夢を見てしまうと言っていた。
泉は大丈夫、大丈夫と口癖のように繰り返すが、そんなはずはない。
かと言って、自分ができることはなにもない。
本人が次第に忘れる以外の解決方法がないと思うからだ。
泉のような目に遭ったことがないので、よくわからないけど。

「…大丈夫か?」

つい、聞いてしまった。答えはわかっているのに。また無理をさせて大丈夫だと言わせてしまう。

「なにが?」

けれど、意外にも泉はけろっとしている。
惚けているのかと邪推したが、きょとんと首を傾げる姿が演技だとは思えなかった。

「…いや、なんでもない」

気にしていないのならばそれが一番いい。わざわざ傷を掘り起こす必要もない。

「…あ、ああ!うん、大丈夫だよ!」

笑う顔を見て、どうしようもない気持ちになる。
どうして笑うのだろう。どうして辛いと言わないのだろう。
我慢して、我慢して、その先に幸福が待っているとでも思っているのか。
自分自身まで苛め抜いて、こいつはそれでいいのだろうか。

「…膝、貸せ」

「え?」

「膝貸せよ」

だらんと伸ばしていた泉の太腿に頭を乗せて瞳を閉じた。

「みみみ、三上さん!」

「なに」

瞳を開けずに聞き返したが、返事はなかった。
ただ、泉の緊張が気配で伝わる。

「…お前はなんで笑うんだ」

「笑う…?」

「嫌なことあっても、なんで笑うんだよ」

向かい合って、視線を合わせると話せない。
いつもの癖で、徒に泉を傷つけるだけだと思う。
条件反射で話すのではなく、きちんと言葉を選ばなくてはいけないと思う。

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