7

けれど、予想に反して考えは堂々巡りだった。
想像力もないし、経験もないので一定ラインから先など考えられないのだ。
こんなことならもっと勉強しておくべきだった。
教室内でクラスメイトがアダルトビデオの貸し借りをしているのを見たことがある。
それはなに?と聞けば、パッケージをちゃんと見せてくれてぎょっとしたのだ。

「椎名にも貸してやろうか」

「いや、また今度で…」

自分にはまだ早いだろうと曖昧に笑って断ったが、今思えば見ておけばよかった。
男女と男同士では違うのかもしれないが、耐性がなさすぎるのが問題だ。
湯に口元まで浸かってぶくぶくと空気を吐いた。
自分はなにもわからないが、先生なら熟知しているだろう。
だから彼に任せれば上手くいくはずだ。最初の一歩だけ、自分から踏み込めば問題ない。
そうだ。頑張ろう。
何度目の励ましだろう。
勢いよく湯から上がり、今日の自分はいつもとは違う、役者にでもなったつもりでいこうと意気込む。

扉を開ければ先生はソファに座りながら携帯を眺めていた。
髪からぽたぽたと雫が滴るので首にタオルを巻いた。
こちらに気付いた彼が振り返り、すぐにドライヤーで乾かせと叱られる。

「その内乾きますって」

「だめだ」

面倒だな…。心の中で反論するが逆らえない。
翔も自分も自分の容姿に関わることに無精で、髪の毛なんて自然に乾くのだからと思ってしまう。そんな悪い癖だけは似ている。
洗面所でばさばさと適当に乾かして今度こそリビングに戻る。
先生は、人にはうるさく言うくせに自分は半渇きのままだ。

「先生はドライヤーいいんですか」

「あー。俺はいい」

予想通りの返事だ。
先生が自分を心配してくれるように、僕だって先生の身体が心配だ。
煙草は風邪がひきやすくなるというし。だからってやめろとは言わないが、こちらの気持ちも汲んでくれたらいいのに。

ちらりと時計を見ればあと少しで十一時だ。
けれどまだ眠るのは早いだろう。自分は眠れるが、先生は十二時を過ぎないと眠れないと言っていた。
あと一時間どうやって過ごそう。自由な時間があるとろくなことを考えない。
ちらりと隣を覗き見れば、先生が欠伸を噛み殺していた。
眠いんだ。相当疲れがたまっているのだろう。

「先生、もう寝ましょうか」

「でも、テレビ見なくていいのか」

「いいんです」

どうせ落ち着いて見れる状況じゃない。
寝室へ移動して、ベッドの定位置に潜り込む。
間接照明を点けただけの部屋は淡い代赭色で、降り積もった木の葉の中に隠れているみたいだ。
ぼんやりと天井を見上げる。
隣で瞳を擦る先生の姿に、やはり今日はやめておこうと思った。
ぱんぱんに膨らんだ風船が萎んでいくように、自分の心もしゅるしゅると小さくなる。

「寝て下さい」

「いや。大丈夫。明日休みだし。それよりなにかあったんじゃないのか」

先生は肩肘をついて頭を支えるようにしこちらを覗き込んだ。

「…いいんです。ゆっくり休んで疲れをとって下さい」

「そこまで疲れてないし、歳でもねえよ。大丈夫だから」

はらりと前髪を払われ、穏やかな笑みに心臓がぎゅっと握られたようになる。
いいのだろうか。我儘を言っても。
いつも甘えてばかりで、だから子どもだと言われるし、自分でもそう思う。

「ずっとなにか考えたような顔してる。言えることなら言えよ」

促されて眉間に皺を寄せた。ここで意地を見せなければ男ではない。

「じ、実は――」

言いながら身体を起こした。先生を振り返ると促すように首を傾げられる。
言える。大丈夫。
でも、なんて言えばいいのだろう。頭を整理してセリフを考えようと思ったのに、漠然と物事の輪郭ばかりをなぞって、具体的なことは一つも考えていなかった。
口を開けては閉じを繰り返し、自信がなくなって俯いた。

「言いにくいなら無理には聞かねえけど」

先生も身体を起こし、背中をぽんぽんと叩いてくれた。

「言わなくていいから、寝よう」

「いえ、聞いてほしいんです」

どんな言葉がスマートなのだろう。
セックスしたい。ではあまりにも直球すぎるし、幼稚すぎる。実際に子どもだからそれでもいいかもしれないが、そんな誘い文句ではその気になれない。
意気込みと勢いだけでやって来たが、とても難しい。
焦れば焦るほど言葉は出ないし、頭が白くなっていく。
今まで考えたことがごちゃごちゃになって、迷いが生じる。
自分は間違った道を選んでいるのではないか。こんなこと、正しいといえるのか。
わからない。頭が痛い。

「雪兎…?」

「…すみません。なんて言っていいのか…」

上がったり、かと思ったら急降下したり、気持ちの落差が激しくてついていけない。

「なんでもいいから言ってみろよ」

指の背で頬を軽く撫でられ、その瞬間ごちゃ混ぜだった心からすべての感情が溢れたようだった。
先生のTシャツの裾をぎゅっと掴んだ。

「ぼ、僕、先生としたいんです」

勢いに任せたら結局拙い言葉しか出なかった。失敗した。

「…は?」

先生は虚を突かれたような顔をして、なにを?と聞いてきた。

「いや、あの、だから…」

ぐるぐると目が廻りそうなのを必死で堪えた。

「…セックス?」

先生の声でその単語を言われると、羞恥で顔だけじゃなく全身が赤くなる。
薄明りの中でもばれているだろう。
否定しないことを肯定ととったのか、先生は驚いたと呟いた。

「お前も男なんだなあ」

そんな当然の確認をされ、わけがわからなくて首を捻った。
彼は揶揄するように笑った後、真剣な表情で両腕を組みなにか考えている。
やはり男同士では嫌だろうか。それもそうだ。女性のように柔らかでマシュマロのような身体が自分にはない。
胸も平らで、痩せっぽちでごつごつとしていて、触って楽しい部分は一つもない。
翔は男同士でもできると言っていたが、けれど、人それぞれだとも言っていた。
浅倉先生はできない派の人間なのかもしれない。
無言の時間が続くと、どんどん不安に圧迫されて逃げ出したくなった。

「ごめんなさい…」

消え入りそうな声で言うのが精一杯だ。

「いや。悪いって言ってるわけじゃない。高校生だしな、当然の欲求で普通のことだ」

「じゃあ、お願いします」

懇願するように必死で服を握った。
どうか逃げないでほしい。手順はわからないが、幸福になって隙間が埋まるならなんでもする。

「だめだ」

「…どうしてですか。僕が男だから?それとも、魅力がないのでしょうか」

「違う。そうじゃない」

「じゃあなんで!先生は僕のこと好きじゃないのでしょうか。そこまでしたいとは思わない?それとも――」

「落ち着け」

がっちりと両肩を掴まれ、きつく責めるような瞳を向けられた。
数秒見詰め合って、自分がどれほど馬鹿なことを言ったかわかり、がっくりと項垂れた。
謝りたいけど謝ったらもっとみじめになる。
先生と自分の気持ちの差を見せつけられているようで、認めたくない。

「お前とは卒業するまでできない。俺は腐っても教師で、お前は生徒だ。生徒と付き合ってるんだから今更だけどな」

「世間的にまずい、ということでしょうか」

俯いたまま、震えそうな声で聞いた。

「世間っていうよりも、俺の勝手なルールだ。それにお前をつきあわせるのは悪いと思ってるよ」

悪いなんて言ってほしくない。
自分が子どもの我儘を振り撒いているように思える。

「…いえ。先生がしたくないならいいんです。僕が短絡的に考えただけで…」

「したくないわけじゃない。俺も男だし、好きな相手にはそういう気持ちになる」

彼は優しいからそう言ってくれるが、本当だろうか。
これがもし、僕が女性でとても色気があっても同じ言葉を言えるのだろうか。
欲望を抑え込むのが大人だが、裏を返せば抑え込めるぐらいの存在ということにもなる。
それをひどく悔しいと思った。
先生は自分が決めたルールを守ろうとしているだけだ。なにも悪くない。
なのに、とても寂しく感じた。
自分の性別が男であること。どうしようもない現実に歯噛みしそうになる。
どうしてうまくいかないのだろう。
翔と甲斐田君はあんなにも幸せそうだったのに。
なぜ僕と先生は同じ道を辿れないのだろう。
人の幸福を羨んで、同じようになぞったのはそんなにも罪深いことなのだろうか。

「…僕帰ります」

掛け布団を払ってベッドから降りようとしたが、先生が後ろから腕を掴んだ。

「このまま帰せない。ちゃんと話しをしよう」

これ以上惨めになりたくない。みっともないし、恥ずかしい。

「…でも」

渋ると後ろから抱きしめられた。



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