6


「なにかあった?」

「…ううん。なにも」

笑ってみせれば翔もそう、と頷いた。
その顔をぼんやりと眺める。
ずっと綺麗な生き物だと思っていた。血が繋がった縁者ですら思うのだから、他人から見ればより一層綺麗なのだろう。
けれど今日はもっと美しく見える。ただ綺麗なだけじゃない。優しさと男の色気が僅かに加わり、誰の目にも婀娜やかに映るだろう。
このくらい美しかったら、性格など気にせずとも誰も離れていかないだろう。
勿論、翔は性格もとてもいい。意地悪な部分はあるが優しく、大らかで歳より随分大人に思える。頭もいいし、背も高くなってきてスタイルもいい。
完璧すぎて逆に作り物じみているけれど。

「どうかした?」

首を微かに傾ける、普通の仕草ですらも特別に見える。

「いや。翔は綺麗だなと思って」

「え、どうした。急に」

曖昧に笑う。
羨望しながらもどこかで嫉妬しているようで口には出せない。

「ごちそうさま」

カップをシンクに置いて、翔を振り返った。

「じゃあ僕帰るね」

「もう?」

「うん。甲斐田君呼び戻してやりなよ」

「えー…」

「えー、じゃない。甲斐田君可哀想だよ。まあ、僕のせいなんだけど。だから早く呼んであげな」

「…わかったよ」

その答えに満足して扉まで歩き、レバーに手をかけながら後ろを振り返った。

「紙袋の中確認してね。お金も入ってるから」

「またお小遣いも入れてきたの?」

「うん」

「毎回はいらないって言ってるんだけどな」

「ね。後でお礼の電話しとく。じゃあね」

手を挙げて、今度こそ部屋を出た。
自室へ戻ってぼんやりと真っ暗なテレビに視線を移す。
翔はとても幸福そうだ。
表情や言葉遣いも昔となにも変わっていないが、纏う空気でそう感じる。
甲斐田君と上手くいっているようで安心した。
翔は恋人の愚痴や不満を口にすることはない。軽口のように悪態をつくときはあるけど、根が深い問題や不満はないのだと思う。
なにが自分たちと違うのだろう。
歳、性格、相性…。考え出すときりがないが、あの二人は太い紐でぎゅっと結ばれているようだった。ちょっとの波や風では解けないくらいに。
対して自分たちを結んでいる紐は毛糸のようだ。
ふわふわと頼りなくて、簡単に腐って切れてしまう。
胸を張って恋人と言っていいのかわからない。
まるでままごとの延長線のような関係だと思う。
そうさせているのは自分だ。自分が高校生で子どもで恋愛経験もないから。
大人である浅倉先生はこんなままごとに付き合って嫌にならないのだろうか。
どうしたらきちんとした、本物の恋人になれるのだろう。
男同士で、恋人なんてどう頑張っても無理があるのかもしれない。
しかも自分たちは罪深い立場でそれを望んでいる。
高校を卒業したらすべて問題が解決するだろうか。
そうではないような気がする。
いつまで経っても自分がこんな調子では仮初めの関係で過ごすのではないだろうか。
翔たちを真似てみれば、あんな風になれるのだろうか。
思い付きだったが、考えてみれば悪くないような気がした。
そうして悪いことはないはずだ。
倫理的には大問題だが、自分たちだけの秘密ならば。
きっと身体を重ねれば小さな不安なんて乗り越えられる。
慣れ親しんだ空気に包まれたいし、雨のようにぱらぱらと降ってくる負の感情も跳ね飛ばせる。
そうだ。それが一番の解決方法だ。
思い立って携帯をズボンのポケットに押し込んだ。
薄手のジャンパーを羽織り、乱暴に財布をポケットに突っ込む。
時刻は九時前だ。今からでは少し遅いし、迷惑になるかもしれないが、ぐずぐずと考えれば勢いをなくしてしまう。
きっと先生は笑って迎え入れてくれるだろう。
部屋を飛び出して外に出た。
駅まで行けば運よく数台タクシーが止まっていた。それに乗り込んで先生のマンションから一番近いコンビニを運転手に告げる。
少し冷静になると自分がとんでもない馬鹿に思えたが、打ち消すように首を左右に振る。
だって自分たちは恋人なのだから、当然の行為だ。
自分を鼓舞するように何度も心の中で確認する。

タクシーを降り、マンションの前で上の階を見上げた。
部屋の明かりがついている。よかった。部屋にいるようだ。
なんの連絡もなく来たりしたら怒られるだろうか。だとしても構わない。
優しい先生ならば話しを聞いてくれるだろう。
エントランス前でオートロックを合鍵で解除する。
一歩踏み出すと妙に緊張してきた。
悪さをするわけじゃないのだから。言い聞かせるが、意識するほど心臓が煩い。
それでも、ここまで来て逃げ帰るわけにはいかない。
意を決してインターフォンを押した。
じんわりと汗をかきながら待つと、先生の掠れた声がした。

「ぼ、僕です」

きっとモニターに映っているだろうが言ってしまう。
少し待つと慌てたように扉が開いた。

「雪兎。どうした」

「こんばんは」

緊張しすぎて顔を見れないし、九十度に腰を折ってしまった。
明らかに不審だ。

「…こんばんは。とりあえず中入れ」

「はい」

部屋の中は多少散らかっていた。
煙草の残り香がして、テーブルの上には開かれたパソコンと紙の束が乱雑に置かれている。

「散らかってて悪いな」

「いえ。こっちこそお仕事中にすみません」

「別に仕事ってほどでもねえけどな。疲れてたしもうやめるよ」

手早くパソコンの電源を落とし、紙をテーブルの端に纏める。
なにか飲むかと聞かれコーヒーを頼んだ。
ソファに座って膝の上に置いた握りこぶしを見詰める。
自分がなにをしに来たのかを何度も確認して、彼は受け止めてくれるだろうかと不安になる。

「深刻な顔」

先生はカップをテーブルに置きながら笑った。そして自分用のカップを持って換気扇の下で煙草を取り出した。
今度は何に悩んでやって来たのだろうと、そんな風に思われているかもしれない。

こうやって二人で会うのは風邪で寝込んだ時以来で、きっともやもやとした気持ちのまま上手く笑えないし、何も話せなくなるのだろうと思っていた。
けれど今はそんな問題もどこかへ吹き飛ぶ。それよりも大きな壁を乗り越えようとしているから。
やはり、小さな問題は愛し合えばすべて丸く収まる気がする。
その証拠に考えただけで、あんなに悩んでいたことが頭からきれいにすぽっとなくなっている。

「この前のこと、まだ気にしてんのか」

隣に深く座り、コーヒーを啜りながら聞かれた。

「…いえ」

「ならいいけど。お前はなんでも自分の問題だって思う癖があるから」

苦笑され、それが自分の悪い部分なのだと改めて自覚させられる。
それはおいおい直そうと思う。今は別の課題がある。

「きょ、今日泊まってもいいですか」

とても目を見て言えなくて俯きがちになる。だめだと言われたらどうしよう。思うが、優しい彼のことだから笑ってくれるという打算もあった。

「まあ、明日休みだからいいけど。珍しいな」

最近は寮生活が楽しくて新鮮で、週末も寮で過ごすことが多かった。
先生も新学期で何かと多忙だと思い、控えていたのだ。
もし今晩言い出すことができなかったら明日も泊まらせてもらって…。
しかし、一日、二日と先延ばしにするほど言い出せなくなりそうだ。
できれば一分、一秒でも早く済ませた方がいいのだと思う。
ムードもへったくれもないが。だけど、わからない。もう少し頭の中で整理しなければ。
第一関門である、先生の部屋には来たのだから風呂に入りながらゆっくりと考えたい。

「お、お風呂、入ってもいいでしょうか」

「ああ。俺も入ろうと思って丁度沸かしてたんだ」

「そうですか。じゃあ先生が先にどうぞ」

「んー。じゃあそうすっかな」

離れてくれたことに正直ほっとした。
先生はこちらを見てくれていたのがわかったが、こちらはとても見れなくて、さっきから拳ばかりを眺めている。
こんな調子で本当に言えるのだろうか。
女性経験も豊富であろう先生に、初心者の自分が立ち向かえるのだろうか。
無謀ともいえる挑戦をしている。それでも頑張れば気持ちが伝わるかもしれない。
先生は機微に聡いから。だからきっと大丈夫。好いている人に向ける気持ちとしては正しいはずなのだ。
僕たちの問題で、世間とか大人の事情とか、そういったことは関係ない。
恋愛にルールはないはずだ。だから、だから…。
鼓舞するような言葉をいくつも並べたが、自信が満たされるには足りない。
こういうものなのだろうか。
失礼だけれど、もう少し翔に経験談を聞けばよかった。
自分の気持ちは正解か、間違いか。基準がどこにあって、なにに沿って考えればいいのだろう。
ルールはないはずだと思いながらも、無意識に模範解答を欲している。
つくづく情けない性格をしていると思い知らされる。
自分で考えられない。誰かの意見に合わせればそれが正しいのだと思ってしまう。

「しっかりしろ」

ちいさく呟いて軽く両頬を叩いた。
深呼吸を何度もして落ち着かせようとする。そのとき、ぽんと後ろから肩を叩かれて反射的に背筋が伸びた。

「…風呂、次どうぞ」

「あ…。はい」

ぴゅっと逃げるように風呂場に駆け込む。
温かい湯に浸かれば身体が弛緩して、考えも柔軟になるかもしれない。

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