5




二日間しっかり眠れば風邪はすっかり治った。ただ、喉に刺さった小骨のように胸はもやもやが晴れないままだ。釈然としない気持ちを持て余しながら日々を過ごす。
浅倉先生からはぽつぽつと連絡がきた。
身体はどんな具合だ。無理をしないように。簡素なメールが来るたびに嬉しいはずなのに、どこかで見たくないとも思ってしまう。
同じ場所で、真逆な感情がお互いを攻撃し合ってほとほと疲れた。
どちらが正しいかはわかっている。
恋人なのだから彼から与えられる物はすべて幸福でなければならない。
メールも電話も優しさも、すべてに感謝しなければ罰が当たる。
こちらが無理矢理口説いて、負担を背負って付き合ってもらっているのだから。
どうしてこんなに嫌な子になったのだろう。
せめて性格だけでもよくなければ。こんな様子では誰からも好かれない。愛おしい人にも簡単に嫌われてしまう。
焦れば焦るほど上手くはいかなかった。

一日の授業が終わって一人で寮へ戻った。
エントランスを抜けると管理室から職員がひょっこりと顔を出した。

「椎名君。ちょうどよかった。荷物だよ」

小窓から小包を差し出され両手で受け取る。
しょちゅう祖父母から荷物が送られてくるものだから、職員は自分と翔は顔と名前が一致しているようだ。

「ありがとうございます」

「おじいちゃんかな?」

「多分…」

曖昧に笑って自室へ戻った。
段ボールを軽く揺する。まだ菓子や日用品が入っているのだろうか。
翔の両親から自分の状況は聞いていると思う。自分が両親と上手くいっていないことも。
だから尚更こうして離れていても親代わりのように気に掛けてくれる。
月に一度は電話を寄越し、お前は一人ではない。心配していると口癖のように言われる。
とてもありがたいし、やはり血の繋がりがある人に言われれば殊更嬉しいのだと知った。
まともに両親と話さないまま過ごしているから、そんな当たり前のことも忘れていた。

一先ず着替えをしてから段ボールを開けた。
予想通り菓子や、柔らかな香りのする石鹸、紅茶、そして小遣いと手紙。
最近では以前に比べてだいぶフランス語も理解できるようになった。
翔と分けなさいと定型文のように書かれていて苦笑する。言われずとも独り占めなんてしないのに。
携帯を取り出して翔へメールを入れる。
夕飯を食べたら半分にして持っていくからと。すぐに了承する返事がきて携帯を閉じた。
紙袋に分けて夕飯までテレビを見て過ごそうと電源を入れた。

夕飯を食べ終わったのは七時半頃で、一度部屋に戻って紙袋と携帯を持って翔の部屋へ向かった。
たった数分で部屋を行き来できるというのは何度経験しても便利だと思う。
こんなに寮生活が楽しいのなら中等部から寮で生活したかった。
部屋の前につき、指を折って軽くノックをした。
いつもならすぐに扉を開けてくれるのだが、今日は待てど暮らせど返事がない。
夕方きちんと確認して、あちらかも返事があったはずだが、忘れてどこか行ってしまったのかもしれない。
擦れ違いで食堂へ行ってしまったのかもしれない。
あらゆるパターンを想像して、一度自室へ戻ろうかと思ったが、レバーに手をかければ扉が開いた。
鍵をかけずに出かけるほど不用心ではないと思うので、室内にいるということだろうか。
勝手に入るのも申し訳ないが、もしかしたら眠っているのかもしれない。
従兄弟といえど、プライバシーは大事だが紙袋だけ置いてすぐに帰ろう。

「お邪魔します…」

こっそりと誰に言うでもなく口の中で呟く。
リビングを見渡したが翔の姿はない。けれどもテレビはついたままだ。
トイレ?シャワー?首を捻った。

「…翔?おーい…」

バスルームの方へ近付いたが音もないし返事もないので違うようだ。
それならば寝室だろうか。
眠っているかもしれないので、起こさないようにゆっくりとそちらに近付いた。
寝室なのだから礼儀としてノックはするべきだろう。
うんうん、と頷きながら手を挙げたとき、中から小さな悲鳴のような声が聞こえた。
心臓が飛び跳ね、彼になにかあったのかもしれないとノックも忘れて扉を開けた。

「翔!」

薄らとした間接照明だけの部屋に視線を巡らせると、翔と彼の恋人がいた。ベッドの上に。

「…雪、兎?」

「…ご、ごめん!」

慌てて扉を閉めて大きく深呼吸をした。
暗かったのではっきりと見たわけではないしシーツに隠れていたが、なにをしていたかはいくら自分でもわかる。
やはり勝手に入るべきではなかった。恋人同士の大切な時間を邪魔してしまった。
心の中で深く頭を下げ、とりあえず紙袋だけは置いて行こうと慌ててリビングのテーブルに向かった。動揺しすぎて途中ソファの脚に躓き、体勢を崩しながらもどうにかこうにか置く。
早く帰ろうと踵を返したが、寝室の扉が開き翔が顔を出した。
髪が若干乱れ、ラフに着たシャツが生々しくて咄嗟に瞳を逸らした。

「雪兎ごめん。来るって言ってたの忘れてた」

「いや、僕こそごめん。あの…。とにかく、ごめん」

完全に目が泳いでしまう。
そんな自分を見て翔が苦笑したのが雰囲気でわかった。

「僕帰るから続きをどうぞ…」

「はは。どうぞって言われても」

「…ごめん…」

がっくりと頭を垂れる。けれども翔はけらけらと笑うばかりだ。
その内甲斐田君も出てきて、申し訳なさそうに眉を寄せていた。

「えらいもん見せてすんません」

「い、いえ!僕が勝手に入ったのが悪いんです。こちらこそ、申し訳ない…」

どうしていいのか、どこを見ていいのかもわからずに一人で右往左往する。
甲斐田君と翔は一言、二言話して、甲斐田君は去ってしまった。

「帰していいの?僕が帰るから。ほら、これを置きに来ただけだし」

「いいよ」

「でも…」

「いいから。座ってよ」

促され渋々ソファに座った。
今度甲斐田君に会う機会があるかどうかはわからないが、もし会えたら本気で謝ろう。
どこまで進んでいたのかわからないが、中断させるのがどれほど辛いかは、自分も男なのでなんとなく想像できる。
先程の情景を思い出してしまい、耳がじんわりと熱くなる。

「はい」

「…ありがと」

温かいカフェラテが入ったマグカップ差し出され、ぎこちなく礼を言いながら受け取る。
息を吹きかけている間もなんとなく気まずくて視線が定まらない。
なんだか翔を真っ直ぐに見れない。
気持ちが悪いとか、汚らわしいとか、そんな負の感情はないが自分が知らない翔の姿を見てしまい気恥ずかしい。
できれば一生見ずに終わりたかったが、それは勝手に入った自分が悪い。
あの時聞こえたのは悲鳴ではなく、嬌声だったのだ。
恋愛経験がないものだから察することもできない。高校生にもなって情けない。

「なんか話してよ」

「な、なんかって…」

どもってしまう。翔は気にした様子はなくて、自分以外には大した問題ではないのかもしれないと思った。
だとしたらこんなに大童になっている方が恥ずかしいのではないだろうか。
気合いを入れてきっと翔を見詰めた。

「はは。なにその顔」

「いや、気合いを入れないと目が泳ぐんだよ」

「かーわいいな。雪兎は」

揶揄されてますます情けなくなる。
高校三年にもなれば、彼女とそういう経験をしていて当然なのだろうか。
自分が初心すぎるのだろうか。基準がわからないが、確かにこの歳の男の反応ではないかもしれない。

「あの…。本当にごめん。悲鳴かと思って慌てて入ったんだ」

「ああ、そうなんだ。焦ってたからこっちもびっくりしたよ」

「すいません…」

「いやいや。すっかり忘れてて。こっちこそ変なところ見せてごめん」

「甲斐田君にもちゃんと謝っといてね…?」

「平気だよ」

翔は軽く笑うが、とても平気ではないだろう。
翔も男なのだから途中でやめる辛さをわかっていると思う。
でも、でも…。と何度も言えば、彼はざっくばらんに言った。

「またいつでもできるし」

その言葉にまた顔に熱が集まる。
そこであることに気付いた。いままでそういったことは男女間だけで成立するものと思っていたが、男同士でもできるのだろうか。
浅倉先生はキス以上をしないので、それが最終形態なのかと思っていた。

「男同士ってできるの?」

唐突な質問に翔は目を丸くした。

「あ、ごめん。失礼なこと聞いて」

考えなしに言葉にしてしまう悪い癖だ。
こういうことは、人に話すものではないだろう。

「できるよ。男同士でも、女同士でも、勿論男女でも」

「…そう、なんだ…」

自分で聞いたくせに自分で照れてちゃ世話ない。

「雪兎は浅倉先生としないの?」

問われて、ぶんぶんと首を左右に振った。

「どうして?」

「どうして…。どうしてだろう。わからないけど。そういうものだと思ってたから、尚更びっくりしたっていうか…」

翔はなにか考えるように宙を見て、そっかと頷いた。

「僕が変なのかな。普通するものなのかな」

「いやいや。そんなことない。人それぞれだよ。これが普通とか、普通じゃないとか、そういうのはないと思う。第一男同士って時点で普通ではないしね」

「なるほど。確かに」

僕たちは"普通"ではない。重々承知のはずだったが、世間と離れて生活しているうちに麻痺していたようだ。
街に出たり、社会に出れば自分が異質だと身を持ってわかるはずだが、浅倉先生と出掛けることはほぼないし、いつでも二人だけの空間にいたので失念していた。
自分たちは後ろ指を指されるような存在だ。
ただ、男同士というのならばまだしも、教師と生徒だ。
誰が聞いてもおかしい、間違っていると言うだろう。
間違ったままでいいと思っていたが、それがどれだけ先生の負担になっているかは想像できない。
重苦しい荷物をすべて背負わせて、自分は身軽に歩いているようなもので、その上彼に不満を覚えているのだから仕様がない。
甘くないカフェラテを一口飲み込んで瞳を伏せた。


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