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高速を降りてから三時間が経過しただろうか。
先生は頑なに行先を言わないけれど、標識やようこそと大きく書かれた看板で今何処にいるのかは把握できた。
頭の中に日本地図を思い浮かべ、随分遠くまできたものだと思う。
中学の地理の授業を思い出し、どんな県だったか思い出そうとしたけれどあまり記憶にない。

「…どうしてここなんですか?」

「うちの生徒が一人もいないから」

なるほど、と頷いた。
東城は日本全国色んな県から生徒が来ているので、お盆休暇となると何処に行っても出くわす可能性がある。
日本でも、海外でも、出逢う確率はゼロではないが極めて低いだろう。

「海だ…」

山の端を走る車の窓から青々とした海が見えた。
水面が太陽を反射しきらきら光っている。海猫が大群で飛び、漁港で漁師さんからおこぼれをもらっている。

「珍しだろ?」

「はい。とても。なんというか、関東の海とはまた違った感じがしますね。繋がっているのに」

「繋がってても場所によって様々だよ。南の方はもっと透き通って綺麗だろうしな」

「…いつか見てみたなあ」

窓を半分開け、潮風を浴びながら小さく呟いた。
先生に届いているのかいないのかわからないが、彼は何も言わない。
そのいつかの中に自分は含まれていないとわかっているからだろう。
車が停車したのは一軒の民宿の駐車場だった。
目の前の道路を挟んで海があり、そちらからは小さな子供の笑い声やサーフィンを楽しむ人の小さな影が見える。

「本当は子供じゃ行けないような温泉宿でもとろうと思ってたのに、誰かさんが行きませんとか、別れるなんて言うから普通の民宿しかとれなかった」

「す、すいません…」

身体を小さくして俯いた。冗談だよと頭を軽く叩かれ、車内から降りる。
一度伸びをして荷物を持って民宿の扉を開けると、女将さんらしき若い女性がぱたぱたとやって来た。

「浅倉です」

「ようこそいらっしゃいました。どうぞ」

スリッパを並べられ、ありがとうございますと小さく頭を下げると、じっと瞳を見詰められた。
ああ、この見た目が珍しいのか。コンビニまで車で二十分という田舎のこれまた小さな町ではこんな見てくれは東京より目立つのだろう。
女性はすぐに笑顔を見せ、どうぞと部屋に案内した。
民宿は家族で経営しているらしく、奥の方でとたとた走る子供に向かって女性がコラ、と一喝した。自分の子供なのだろう。
なんだかアットホームでいいなと思う。親戚の家に遊びに来たような。
田舎というものが自分にはないので、長期休みに祖父母の家に遊びに行くというのにひっそり憧れていたものだ。
扉を開けると六畳ほどの続き間だった。
腰高窓からは海が見える。
荷物を端に置き、窓を開け潮風の匂いを嗅いだ。

「お連れ様は海が珍しい国出身で?」

「あー…まあ、珍しいみたいです」

お茶の準備をする女性に向かい、先生が苦笑しながら答えた。

「そうですか。ここは小さな海岸ですがサーファーの間では有名なんですよ。波が高くて丁度いいらしいです。砂浜もさらさらしてますから散歩もいいかもしれません。海水浴は勧めませんが…」

「何故?」

「お盆の時期に海に入ると脚を引っ張られ連れて行かれるなんて迷信が昔からあります。まあ、実際はクラゲ被害を防ぐためでしょうが」

「なるほど。残念ですけど散歩に留めておきますよ」

女将さんは温かいお茶をテーブルに乗せながら、紅茶やコーヒーもあるけど、とこちらをちらりと見た。

「緑茶でかまいませんよ」

「そうですか。それでは、失礼致します」

終始笑顔で愛想のいい女性が去り、先生がふっと笑いながら湯呑を口に寄せた。

「お前は本当に日本人に見られねえな」

「もう諦めてます」

「でもこういう時はちょっと便利だな」

「便利?」

「根ほり葉ほり聞かれないし、男二人でも外国の方を観光に連れて歩いているのね、って勝手に勘違いしてくれる」

「なるほど。初めてこの見た目で得しました」

自分もお茶を啜り、ぐうと鳴った腹を擦った。

「茶飲んだら飯食いに行こう。海が近いから魚介類の宝庫らしいぞ」

「楽しみです。新鮮なお刺身とか食べたことないから」

テーブルの端に置かれた町のパンフレットを開きながら唸る先生の横顔を盗み見た。
食べ物や、海が楽しいのも本音だが、こんな昼間から二人で外を自由に歩けるのが一番嬉しかった。
朝食兼昼食は美味しいと評判の近所の定食屋にした。
海鮮丼を注文すると、綺麗で身の厚い雲丹がこれでもかと白米にのっており、二人揃って目を丸くした。

「これで二千円…東京なら一万だな」

「ですね…すごい…僕ここに住みたいです」

「はは、言えてる」

甘い雲丹を頬張り、満腹になった腹を擦ると、店内にいた小さな女の子が足元からこちらを見上げた。
にこっと笑うと呆けたようにまじまじと眺められる。

「あ、こら!すいません…」

母親が急いでこちらにやってきたので、いいえ、と微笑む。

「目、目」

母親に抱え上げられた女の子に指差され、ああ、色が珍しいのだなと納得した。
顔を近付け、珍しい?と微笑むと、気恥ずかしそうに頷いた。とても可愛らしい。
女の子は母親の耳元でなにかこそこそと話し、肩に顔を埋めるようにした。

「本当にすいません。絵本で見る王子様みたいだって…」

この発言に浅倉先生がくっと笑い、そんな大層なものに見えているのかとこちらも気恥ずかしくなる。
母親がぺこりと頭を下げ、こちらに背を向けると女の子が肩越しに小さく手を振ったので、こちらもひらりと手を振り返した。

「あの子、今日は興奮して眠れないな。なんてったって定食屋で王子様に会ったんだから」

「からかわないでください。王子様なんて柄じゃないのに」

「いやー、白タイツにかぼちゃパンツもお前なら似合うよ」

「似合いません!王子キャラは翔に任せてるんで」

「はは、どっちもどっちだ」

店を出た後は浜辺を散歩し、民宿に戻って畳の上に大の字になって少しだけ昼寝をした。
夕飯も魚介類中心だったが、煮物や炒め物の家庭料理の味にほっこりした。
畏まった温泉旅館よりも気の抜けるこういう場所の方が自分には合っている。
順番に風呂に入り、窓枠に座り外を眺める先生の肩に後ろから触れた。

「…お、ちゃんと髪乾かしてる」

「はい。怒られるので」

「偉い偉い。夏風邪は長引くからな」

隣の部屋に敷かれた二組のお布団を眺め、ぎょっと目を見開いた。

「どうして毛布が…?夏なのに」

「窓開けて寝ると毛布が必要なくらい寒いんだと」

「へえ。すごいですね。確かに昼間でも冷房いらないし、なんだか新鮮です」

「東京以外に来たの初めてか?」

「はい。以前先生に連れられて海行った時くらいで東北は初めてです。先生は?」

「他の県なら行ったことあるな。もう少し関東に近い方」

「そうですか。見るもの全部新鮮です。夜が暗いとか、遮るものがないとか、星が綺麗とか、虫の音しか聞えないくらい静かとか…」

「寮の周りも似たようなもんだろ」

「全然違いますよ。先生はわかってないなあ」

「へいへい。情緒が欠落しててすいません」

先生はそろそろ寝ようかと立ち上がり、電気を消した。
まだ眠るには早いけれど夜通し運転したので疲れているだろう。
障子と窓を少し開け、布団に潜り空を眺めた。

「あー…眠い」

「寝てください」

「寝かしつけて」

隣を眺め随分甘えただなと口角が上がる。
腕を伸ばし、背中を一定の速度でとんとんと叩く。
先生はいつだって大人で、毅然と前を向き、一回り以上離れた自分に寄りかかることは決してなくて。
だけど昨日から少しだけ、肩に入れた力を抜いているような気がする。
雪兎の前では格好つけたかったと別れ話しをした時に言っていた。
これが彼の全てだなんて驕らないが、今は先生ではなくただ一人の男として自分と向き合ってくれているのだろうかと思う。

「…先生」

「んー…?」

「…ありがとうございます」

「…なにが」

「今日すごく楽しかった。初めて見るものや、食べるもの、どれもとても楽しかったです」

「それはよかった。明日も楽しいことしよう」

「明日も泊まるんですか?」

「ぎりぎりまで居たかったけど、二泊三日が限界だった」

「…嬉しいです。一泊だけだと思ってたから」

「お前と旅行なんて二度とないのに一泊じゃあんまりだろ」

「……そうですね」

開け放った窓から細い潮風が室内に流れ込む。
少し重い空気は肌に触れるとひんやり弾け、先生の体温を余計に感じさせた。


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