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雲間から太陽の光りが差し、蒸された空気は一気に熱を帯びる。久方ぶりの雨上がりだった。
グラウンドは使いものにならないと騒ぐ声が聞こえる。
空は泣くのをやめたけれど、自分はまだやめられない。
今時珍しいと言われるガラケーを開けたり閉じたりしながらぱちん、ぱちんと一定の音を聞く。
メールの返信を考え出してもう一時間くらい経っただろうか。
先生は離したくないし、でも彼を世間から守りたい。
どちらもほしいなんて世の中では通用しない。どちらかしか選べず、人生はそうやっていくつもの選択を強いられる。
自分が幸福になれると思う方を選んだはずなのに泣いたり、悔やんだり、悩んだり。
天秤にかけてみても自分にはよくわからない。
だから携帯を開き、旅行の件、やっぱり考えさせてくださいと送った。
折角誕生日を祝おうと言ってくれたのに。少しの間の逃避行に胸が躍ったのに。
子どもらしく、なにも考えず彼の言う通りにすればいいのだろうか。そんなの人形と同じだ。
考えたところで答えが出るわけじゃないのに、どうして止められないのだろう。
身体から力が抜け、机に突っ伏した。首だけ動かして無意味に窓の外に視線をやる。
遠くから廊下を駆ける音が聞こえたが、起き上がるのも億劫でそのままでいた。
足音は教室の前でぴたりと止まり、次にはうわ、と言う片桐君の声が聞こえた。のろのろと顔を上げると彼がこちらに駆け寄って大丈夫かと肩を掴んだ。

「…なにが?」

「具合、悪いんじゃ…」

「違う違う。ちょっとぼんやりしてただけ。片桐君は?」

「携帯忘れて戻ってきた」

「そっか」

慣れた社交辞令の笑顔を張り付けると片桐君は安堵したように力を抜いた。
彼は机の奥から携帯を取りだし、しっかりとポケットに突っ込むともう一度こちらに戻ってきた。
前の席の椅子を引っ張り、腰かけて頬杖をついて彼も外を眺めた。

「久しぶりに晴れたもんな」

「だねえ」

二人でなんとなしに空を眺めていると、彼はそういえば、と口を開いた。

「俺、椎名のおかげで悩みが解決されたんだ」

「…僕のおかげ?」

「素晴らしいアドバイスをありがとうございました先生」

わざとらしく頭を下げられ、くすくす笑いながらやめてよと言う。

「そんな大層なことした覚えはないけど、でも片桐君の力になれたならよかったよ」

「うん。椎名にはちゃんと礼言いたいと思ってた」

「義理堅いね」

「それくらいしか取柄ねえからな」

「そんなことないよ」

自分の美点は気付かないものだろうが、彼は素晴らしいものをたくさん持っていると思う。例えば自分なんかにも気軽に話し掛けてくれるし、誰とでも分け隔てなく接する。
自分にないものばかりなので憧れるのかもしれない。

「だから、椎名が辛いときは俺も話しぐらい聞くから。的確なアドバイスとかは期待しないでくれ」

「それ自分で言うんだ」

「だって俺馬鹿だもん。でも、話すだけで楽になることがあるって知ったから。溜め込んでるとこんがらがってわけわかんなくなるけど、言葉にすると整理できるっていうか…」

「…うん。そうだね。ありがとう」

片桐君の髪をさらりと撫でながら言うと、彼は少し目を大きくした後気恥ずかしそうにした。

「そういうところ、本当に翔と似てるな」

「そういうところ?」

「スキンシップが手慣れてるというか…」

「あ、ごめん」

慌てて手を引いた。

「いや、いいんだけど、さすがだなあと思うだけ。愛情表現が豊富」

「無意識でやっちゃうこともあるから気を付けないと。でも、翔も僕もすごく好きな人にしかやらないよ。下手したらセクハラになっちゃうし」

「じゃあ椎名は俺のことすごく好きなんだ」

にやにやと笑われながら言われ、否定するのも失礼な気がして、もごもごと口籠りながら俯いた。

「はは、かわいい奴め!」

髪をぐしゃぐしゃにされたが、乱暴な手つきが嬉しかった。
誰に対してもゼロ距離で関係を縮められる片桐君だからこそ通用するのだ。
細い髪はすぐに絡まり毛玉のようになって解すのに苦労したが、片桐君は笑うばかりで悪びれもしない。でもそんなところにも救われるのだ。
彼が笑うだけでぱっと空気が明るくなって、暗いと評される自分も穏やかに笑っていられる。
その内、最終下校時刻の校内放送が流れ、二人で寮に戻った。
鞄を放り投げ、途中の自販機で買った温かいお茶を飲む。
ネクタイを緩めて息を吐き出しながらソファの背凭れに深く体重をかけた。
一人になるとどうしてもだめだ。自分の心が弱い証拠だと思う。
携帯を開いたが先生からの返事はない。きっと呆れているのだろう。折角気を遣ってやったのにと怒ったかもしれない。
着替えて夕食を食べに行こう。部活動を終えた生徒と時間が被ると混雑するから少し早めに…。
気持ちとは裏腹に身体は重く、だらしないけど制服のままごろんとソファに横臥した。
また振り出した雨の音を聞きながらぼんやりとすると、ノックの音が響いた。
この部屋を訪ねてくるのは翔か、稀に高杉君。横臥したまま鍵開いてるからどうぞと叫んだ。
蝶番が鈍く響き、ぱたりと扉が閉まった。首だけ動かしてそちらを見ると浅倉先生が立っていた。
驚愕し、慌てて身体を起こす。

「な、え、なんで…」

先生はなにも答えず扉の鍵を閉めこちらに近付いた。
傍に立った先生を見上げ、もしかして幻覚を見ているのではないかと不安になる。

「悪かったな急に」

喋った。ということは本物だろうか。
いくら東城の教師でも気安く生徒の部屋に入るのは禁止されているはずだ。
たまに見回りや問題が発生したなどの理由で寮内に先生がいることもあるけれど。

「…なんでここに」

「こうでもしないと捕まんないから」

「でも…」

「前みたいに忍び込んだわけじゃない。忘れ物を届けるって断った」

「忘れ物?」

聞くとピルケースをぽんと放り投げられた。
あ、と小さく声をだし、机の中に放り投げたまま鞄に入れるのを忘れていたことを思い出す。

「…わざわざすみません。ありがとうございます…」

ピルケースをぎゅっと掴んで頭を下げた。
用事は終わったし、すぐ戻るのかと思ったが、先生はこちらを見下ろしたまま動かない。
居心地の悪い雰囲気に身体を小さくした。
薄々感じていたが、やはり先生は怒っている。
そりゃそうだ。自分の行動を振り返れば思い当たる節しかない。逆の立場でも怒ったと思う。
先生はソファに腰を下ろし、身体ごとこちらに向き合った。

「どういうことだ」

いつも穏やかで気の抜けたような声色は硬く、心臓がぎゅっと握られたようになった。

「俺がなにを言いたいかわかってるだろ」

「…はい」

「あまり長居はできない。さっさと話してくれるとありがたいんだけど」

冷ややかな視線に背筋が凍った。
先生だって怒る。当たり前だ。
こんなに真正面から負の感情をぶつけられたことがなかったので、先生は大人だから大丈夫の一言で片付けようとしていた。

「…すいません」

「謝ってほしいわけじゃなくて、理由を知りたいだけなんだけど。最近のお前変だぞ。俺なんかしたか?」

「いえ」

「じゃあなんだ」

急かすようにされ、開けた口を閉じた。

「…言えません」

膝の上に置いていた拳に力を込める。
先生は小さく溜め息を吐き、蟀谷を押さえるようにしながら肘をついた。

「…言ってくれなきゃわかんねえんだけどな」

諦めるようにぽつりと呟かれた言葉に申し訳なさが押し寄せる。
好きという感情は素晴らしく、貴く、人生を彩ると誰が言ったのだろう。
自分の場合は好きなせいで先生の人生を崖っぷちに押しやっている。
そんなこと気にするなだとか、お前は心配しなくていいとか、守られるたび不安になる。

「椎名」

呼ばれて顔を上げた。先生の瞳は細められ、落胆の色を宿している。

「俺にだって限界はあるんだぞ」

胸に突き刺さるような言葉を残し、先生はソファを立った。
追い駆けて謝らなければ。だけど身体が動かない。自失している間に扉が閉まる音がして、先生の気配が完全に去った。
どうしてもっと上手にできないのだろう。
なにをするにもそうだ。不器用で、間違った方法ばかり覚えるからタイミングを外したり、答えがすり替わったりする。
勉強みたいに答えが最初からあるなら楽なのに。
ソファの背凭れに首を乗せ天井を仰いだ。
いつもなら悩み始めた段階でもういいやと手放してきた。どうせ自分の身体はこんなだし、死んだら無意味なのだからと。
先生のこともそうやって簡単に諦められたらいいのに。
死ぬからいいや、ではなく、死ぬからこそ一緒にいたいと願ってしまったのが一つ目の間違い。
気持ちを告げたのが二つ目の間違い。
受け入れてもらえたのが三つ目の間違い。
嬉しくてなにも考えず縋ったのが四つ目の間違い。
あとは、あとは…。思い返すと間違いだらけで苦笑が浮かんだ。

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