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部屋の前で別れ、自室に入った瞬間深い溜め息を吐いた。
ソファにつき、携帯を取りだし改めてニュースを読んだ。コメント欄には件の教師を批判する言葉が並んでいる。理路整然とした正論や、口汚いものまで。
一つ一つ読んで前髪をくしゃりとした。
自分と先生の関係は誰にも知られてはいけない秘密だとわかっている。わかってはいたが、実際世間からの風当たりはこんなにもきついのだと認識した。
自分たちに向けられた言葉ではないのに苦しくなる。
今まで気安く先生のマンションを訪ねたり、連絡を重ねたが、そのたびに先生は冷や冷やしていたのかも。
社会を知らない子どもの無鉄砲さに辟易としていたとしたら。
彼の社会的立場を慮っているつもりでいたが、そんなものでは全然足りず、もっともっと慎重になるべきだった。
万が一のとき泥を被るのは自分ではなく先生だ。
コメント欄にあるように、一方的に大人だけが悪いと糾弾され、子どもは正常な判断ができない未熟者だから仕方がないと守られる。
違うのに。自分が進んで先生に恋をし、しつこく迫っただけなのに。
自分は先生にとってとんでもない足枷だ。せめて卒業するまで告白するのを我慢すればよかった。待てばすべてが解決かと言われるとそうではないし、タイミングがずれていたら成就しないような奇跡的な関係だけれど、それでも自分の我儘を一方的につきつけて先生を追い込むような真似をするよりはよっぽどよかった。
携帯を放り投げてソファの肘置きに首を乗せる。
無意味に天井を見つめ、小さな脳みそで一生懸命考えた。正解なんてないけれど、どうするのが先生にとって最適なのか。
暫くぼんやり考え、窓を打つ雨音で我に返った。
時計を見て慌てて部屋を飛び出す。もうすぐ学食が閉まる。
滑り込むように入り、まだ大丈夫かと聞くとおばちゃんは快く頷いてくれた。遅くなったことを謝り、トレイを持って室内を見渡す。
端の方でぽつんと食事を摂る高杉君の姿を見つけ、そちらへ近付いた。

「高杉君、ここいい?」

目の前の席にトレイを置きながら言うと、彼は勿論と頷く。

「椎名がこの時間にいるの珍しいな」

「うん。高杉君はいつも遅いの?」

「いつもではないけど…」

「カップ麺で済ませたらだめだよ。僕が言えた義理じゃないけど」

「善処する」

生真面目な答えにくすりと笑う。
誰かと話していると楽だ。会話に集中していれば余計なことを考えずに済む。
つやつやの白米を口に運びながら他愛ない会話を交わし、食事を終えて一人の部屋へ戻るとまたずっしりと頭が重くなる。
現実から目を背けるように熱いシャワーを浴び、ベッドの中に潜り込んだ。
今更怖くなるなど、自分が確かに覚えたはずの覚悟はちっぽけなものだったと痛感する。
世界中の人に後ろ指を指されている気がしてぎゅっと瞳を閉じた。
先生はわかっていた。この重苦しい痛みにじっと耐えながら自分に笑いかけてくれた。
僕は失うものはない。家族とも疎遠で、友人らしい人もおらず、万が一退学処分になっても然程困らない。
でも先生は違う。
もし知られたら自分のせいで彼の人生が終わる。誰かの人生を背負う重みに耐えられそうもない。自分の浅慮を悔いて唇を噛み締めた。


"旅行、どこに行きたいか考えておけよ"

先生からきたメールには何も答えられなかった。
英語の授業も俯いたままで、とても顔を見られない。そんな状態が一週間ほど続いている。

「次なんだっけー?」

「英語ー」

「うわー…」

授業間の短い休み時間に談笑するクラスメイトの声が聞こえる。
憂鬱だな。重苦しさを呑み込んで教科書や辞書を机上に並べた。いっそ保健室でも行こうかとずるい考えが浮かんだが、授業もきちんと受けられない不真面目な子だと思われたくない。
先生との関係に悩みながらも好かれようとする浅ましい自分に嫌気がさす。
チャイムが鳴ったと同時に先生が教室に入り、慌てて俯いた。

「席座れー」

だらけた口調はいつも通りで、メールの返事をしないくらいなんてことないのかも、意識しているのは自分だけかも、なら悩むこと自体が無意味なのでは。そんなことをぐるぐると考える。
ぎゅっとペンを握り教科書に視線を固定させた。
先生の声、気配、後ろ姿、前はとても好きだった。偉いと誉められたくてどの授業より一生懸命になった。なのに。
授業終了のチャイムが鳴ると安堵して肩から力が抜けた。

「今日の日直誰」

「椎名ー」

「…じゃあ椎名、ノート集めて準備室まで持って来い」

「は、はい」

一瞬視線が絡まり、すぐに逸らした。
どうしてこんな日に限って日直なのだろう。順番だから誰のせいでもないけれど、神様はこんな意地悪をしてなにが楽しいのかと呪いたくなる。
クラスメイトが次々と机の上にノートを置いて行く。人数分あるのを確認して持ち上げた。

「手伝うか?」

高杉君に言われ、いくら非力でもこれくらい持てるよと笑った。
ああ、足が重い。いつもは職員室なのに、どうして今日は準備室なのだろう。なんにせよ、次の授業があるからさっと行ってぱっと帰ろう。溜め息を吐きたいのをぐっと堪える。
準備室の前で一呼吸置き、両手が塞がっているので体当たりするようにノックをした。
応えがあったので、行儀悪く足を使って扉を開けた。

「失礼します」

先生は窓に背中を預けるようにしてこちらを真っ直ぐ見据えた。
詰問するような瞳に悪寒がし、ノートを机上に置いて小さく頭を下げた。

「椎名」

呼ばれ身体が強張る。

「はい」

「お前さ――」

先生の言葉を遮るようにチャイムが鳴ったので、もう一度頭を下げて踵を返す。扉まで一歩踏み出そうとしたが後背から腕を引かれた。
振り向かずにいると先生が言葉を呑んだ気配があった。

「…次の授業があるので…」

小さく言うと腕が離れ、大股で扉まで歩いて廊下に出た。
ごめんなさい。心の中で何度も謝罪する。
多分、自分が悪いのだと思う。一人で考えたってしょうがないことで延々と悩んで馬鹿みたいだ。
でもこの悩みを吐露したら先生が何て言うかもわかっている。
すべて背負って先生一人で解決しようとするだろう。そしてまた自分はお荷物な存在になるのだ。
肩を並べて歩くとはこんなにも難しいことなのか。
歳の差とか、立場の違いとか、たくさんの弊害が自分を弱いなにかに変えていく。
自分だって好きな人を守れる男になりたいと思う。
幸せを願い、そのために自分がなすべきことをする。口で言うのは簡単だが、相手の幸せを探し出すのが難しい。
先生は別れた方が幸せだろうか。それとも…。
次の授業には遅刻して、遅いと叱られてしまった。



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