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ともあれ、今は以前のように仲の良い兄妹に戻れたのでいいけれど。
辛かった日々を思い出し、胸が苦しくなった。すぐに打ち消して結果良ければすべて良し、と言い聞かせる。

「私が高杉君の立場ならちょっと心配かなって思って…。余計なこと聞いてごめんね」

「心配とは…?」

「うーん。柴田君ってモテるし、遊び慣れた雰囲気があるって言うか…。だから、お兄さん的には心配かなって思ったの」

何故、わざわざ柴田のマイナスイメージを語るのだろう。
中学の頃知り合いだったと聞いたので、そのイメージが今も消えないにしても、兄である僕に言う必要はない。
そんなことを言われれば、以前の僕なら妹を心配して胸が苦しくなっただろう。
他意はないのかもしれないが、普通そんなところまで突っ込んでくるだろうか。
ただの子どもの恋愛なのに。彼女になんの関係があるというのだ。

「妹とは真面目に付き合っていると思いますから」

思いの外口調が強くなってしまった。
真面目に恋愛している。自分と。
そうであってほしいという願いがこもったのかもしれない。
胸に渦巻く不安は言葉で否定したところで消えてくれない。
でも否定しないともっと惨めになる。
信じる。信じたいと何度も思ったのにどうして突っ切れないのだろう。

「…そう。そうなんだ。皇矢君、変わったのね」

藤崎先生が口元だけで笑った。
慣れ親しんだ空気に胸がざわつく。
胃は気持ち悪いし、胸はざわざわとうるさいし、どうしようもない。
先生にはなにも答えず、仕事だけに集中した。

はっと時計を見ると六時半だ。
あれからずっと無言で仕事をしていた。
冷静になって考えると、先生に対して良くない態度をとったのかもしれない。
かといって、笑顔で流せるほど大人でもなかった。
パソコンを閉じて鞄を握った。

「今日はこれで失礼します」

藤崎先生にきっちりと頭を下げるが、罪悪感から視線を合わせられない。

「うん。お疲れ様です」

先生は何も気にした様子もなく、いつも通りの声色で労う。
もう一度軽く会釈をして、生徒会室を出た。
先生の気配が遠くなった瞬間、身体から力が抜けていく。それと同時にまた胃がきりきりと痛み出した。先程よりも酷くなっている。
服の上からそっと手を添え、うんざりした。
気分もぐちゃぐちゃ、身体も限界。
なんだこれは。どんな罰だ。僕がなにかしただろうか。
世間に対する八つ当たりを散々して、けれど結局悪いのは誰でもないと冷静になる。
柴田も、先生も、誰も悪くない。
恋愛は複雑で、けれどわざわざ複雑にしているのは自分だ。
少し前屈みになるようにして寮の廊下を歩いた。この体勢だといくらか胃の痛みが和らぐ。

「高杉君!」

聞えた声にぱっと顔を上げた。椎名だった。

「今帰り?僕これから学食へ行こうと思ったんだけど――」

そこで椎名は言葉を切り、笑顔を消した。

「…椎名?」

ずんずんとこちらに大股で近付き、がっちりと腕を掴まれた。
細いと思っていたが、意外に力強い。

「高杉君どこか具合悪いね?」

「え…。なんで…」

「顔を見ればわかるよ!早く部屋に行こう」

腕を掴まれたまま、椎名は僕の歩調に合わせるようにしてくれた。
鍵を開けて部屋に入るとすぐにベッドで眠るように言われる。
痛む胃を堪えながら着替えをし、もぞもぞとベッドに入った。
椎名は布団を掴んできっちり肩まで掛けてくれる。

「どこが辛い?」

「…胃が…」

「胃ね。薬はある?」

少し考えて首を横に振った。
頭痛薬はあったような気がするが、胃薬はない。

「僕病院の胃薬持ってるんだ。一応、須藤君に飲ませていいか聞いて来るから」

少し待っててねと笑った椎名のパーカーを掴んだ。

「…椎名、学食に行こうと思ってたんだろう。僕のことはいいから…」

そこまで言うとやんわりと頬を抓られた。

「病人が何言ってんの。それに、この前高杉君僕のこと保健室連れて行ってくれたじゃん。これでお相子だね」

だから素直に寝てろと言われ、黙って頷いた。
自分に気を遣わせないように言ってくれたのだ。椎名の優しさに痛かった胃がじんわりと熱くなった気がした。
体調が悪いときに人の優しさに触れると、無性に泣きたくなる。
今までその世話は柴田がしてくれた。何度感謝したか。
思い出すと、自分は随分柴田に助けられていたとわかる。
体調面も、精神面も。
彼が少し離れただけでどちらもぼろぼろだ。
これでは別れが来たときどうなってしまうのか。不甲斐ない自分が憎らしい。
暫くすると薬と水を持った椎名が戻って来た。

「須藤君が問題ないって。高杉君の心配してたよ。有馬君のせいで無理してるんじゃないかって」

椎名は茶化すように笑い、自分もそれに笑みで応えた。
薬を飲み、再びベッドに入る。

「椎名、悪いな」

「…高杉君は人に頼るのに慣れてないね。僕が言えた義理じゃないけど、もっと頼って大丈夫なんだよ。病気のときは特に」

ベッド端に腰かけ、足を組んで椎名は苦笑した。
胃の辺りを布団の上からさすられ、なんだか懐かしいと思った。
幼い頃風邪をひくと、母がこんな風に一緒にいてくれた。遠い昔すぎて思い出すのも一苦労だけど。

「僕、きっと看病は上手くできると思うんだ。まあ、やったことないけど」

「なんだ、それ」

ぷっと吹き出すと椎名も微笑む。

「ゆっくりと寝なよ。ここにいるから」

それが魔法の言葉のように胸にじんわりと滲み込んで波紋を広げていく。
頼り甲斐のある癒し系だ。
ゆっくりと瞼を閉じても、椎名がそこにいると気配でわかる。
ゆっくりと、ゆっくりと身体を擦ってくれる手がとても心地よかった。



ぼんやりと瞳を開けた。
視界がぽやぽやするので、何度か瞬きをした。
椎名の姿はなく、僅かに開けられた扉からはリビングの光りが漏れている。
ゆっくりと上半身を起こし、ベッドヘッドに背中を預けた。
ぼんやりと宙を見ていると、遠慮がちに扉が開き椎名が入って来た。

「あ、起きてたんだ。丁度よかった。ホットミルク作ったんだ。胃が痛いときはホットミルクがいいんだって。持って来るから待っててね」

ぱたぱたとリビングに駆け、マグカップを手にして戻って来た。

「悪いな」

受け取りながら言う。

「もう少し身体にいいもの作ろうと思ったんだけど、僕全然料理できないこと思い出して。失敗して火事にでもなったら悪いからやめたんだ」

大袈裟な、と思ったが、椎名ならやりかねないと思い直す。
ホットミルクは空っぽだった胃を温め、守ってくれるように感じた。

「痛みどう?薬効いた?」

「ああ。だいぶよくなった。今何時だ?」

「えっと…。十時」

腕時計を見て、何事もなく椎名は言うが、自分の方は驚いた。
三時間ほど眠っていたらしい。その間椎名はずっとここにいたのだろうか。

「椎名。夕飯は食べたのか?僕が寝てる間にちゃんと学食行ったか?」

苦笑しながら大丈夫だよと返され、だめだと言った。

「僕よりもお前の方がちゃんと体調管理しないと…」

「はは。病人に言われちゃった」

「笑いごとではないぞ。まったく…」

「平気だよ。薬さえちゃんと飲めば。だから、病人は病人らしく、人の好意に甘えなきゃだめだよ?高杉君も僕にそう言ったじゃないか」

「そうだったな。でも、もう大丈夫だから」

「…でも…」

椎名は病気で入退院を繰り返していた。寝込むとどんなに心細いかも知っている。
こちらの気持ちがわかる分、椎名自身も苦しんでしまうのだ。
しかし、自分のせいで今度は椎名が体調を崩したらと思うと怖い。
自分ならば数時間眠っていれば回復できる。
でも椎名は違う。少しでも体調を崩せば、なし崩し的に別の病気まで引っ張ってしまいそうだ。

「…高杉君が悪く感じるなら帰るよ。あ、でも洗い物はさせてね?それくらいなら大丈夫だと思うんだ。万が一カップを割ったら弁償するから」

本気で言うので笑ってしまった。
そんなこと気にしなくていいと言い、好意に甘えることにした。
簡易キッチンの方から水が流れる音と、がしゃがしゃと食器が擦れる、少し乱暴な音がする。
不器用なくせに一生懸命だから憎めない。風貌はたいそう大人びているのに、あの性格だ。
椎名にはらはらと気を揉んでいると、机の上で携帯が鳴った。
手を思い切り伸ばしてそれを掴む。
携帯を開くと柴田からのメールだった。
藍は駅までちゃんと送り届けたから、と。
今日も部屋には来てくれないらしい。以前なら部屋まで来て話してくれたのに。
無性に寂しくなる。椎名はそこにいてくれるし、あんなにも心配をしてくれる。
とてもありがたいし、嬉しいと思う。
なのに柴田がいないとだめみたいだ。
顔を見て笑ってほしい。大丈夫だと言ってほしい。
自分たちはなにも変わっていないし、これからも変わらない。
ちゃんと僕のことを好きだと。
折角おさまった不安がぶり返して好き勝手に暴れる。

「高杉くーん」

椎名はひょっこりと寝室に顔をだし、洗い物が終わったと告げた。

「ああ、悪いな。助かる…」

「…高杉君、もしかしてまた胃痛くなってきた?」

「え?いや、大丈夫だ」

慌てて言うが、椎名は怪訝そうな表情でこちらを覗き込んだ。
すっと顔を逸らす。自分はどんなひどい表情をしていたのだろう。

「…なにかあった?」

ベッド端に座り、優しく問いかけてくれた。正直、優しくなどしないでほしい。
体調が崩れたせいか、いつもよりも精神が不安定で、つまらないことで泣きそうになる。
まさか、椎名に柴田のことを相談するわけにはいかない。
眉間に皺を寄せ、俯きながら平気だと言うのが精一杯だった。

「そう。じゃあもう少し眠った方がいいよ。ほら、横にになって」

眠るように促され、再び布団に包まった。

「…大丈夫だからね。すぐによくなるよ」

それは体調のことだろうか、精神的なことだろうか。
椎名はすべてをひっくるめて大丈夫という言葉に纏めた気がした。

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