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他愛もない話しをしていると、漸く柴田がやって来た。
遅い、と文句を言いたいところだが、藍とゆっくり話せて嬉しかったし、約束もしていなかったので怒れない。
「すげえ騒ぎになってたぞ」
柴田はこちらに来るなり面倒そうに顔を顰めた。
「女、女ってクラス中うるせえと思ったらお前かよ」
「すいませんね。見慣れた私で」
「いえ、別に」
「皇矢を待ってたのよ」
「俺?茜じゃなくて?」
「そ、ちょっと付き合ってよ」
藍は柴田の腕に自分の腕を絡ませて微笑んだ。
顔は優しいが、有無を言わせぬ迫力がある。
妹はこんな顔もできるのか、と呑気に考えた。
柴田と藍の関係は不思議なもので、この前まで一途に想って、次に憎んで、今では友人らしい。
そんな形もあるのだなあとぼんやり考える。
自分だったら別れた恋人と友達にはなれそうもない。女性は強い生き物だ。
「えー…」
「わざわざ来たんだから」
「それはお前が勝手に…」
「いいじゃない。ね!」
「…わかったよ。茜は?」
ふいに視線が絡まり、慌てて逸らした。
なんとなく気まずい。まだ柴田を真っ直ぐ見れるほど気持ちの整理がついていない。
「僕は生徒会があるから…」
「そうか」
「少し話したら帰るから、お兄ちゃん心配しないでね」
「ああ。柴田、ちゃんと駅まで送れよ」
「へいへーい。あー、面倒くせえ」
「うわ、元カノだからってその扱い。酷いわー」
藍は絡ませていた柴田の腕を抓り、痛い、酷い、と応酬しながら去って行った。
またすぐ会おうねと笑う藍に手を振る。
「さて…」
遅れてしまったが生徒会室へ行かなければいけない。
また今日も藤崎先生に会うのかと思うと、胃がちくちくと痛んだ。
どんな顔をして会えばいいのかわからないのは柴田だけでなく、藤崎先生に対してもだ。
あちらはなんとも思ってないだろうが、こちらは微妙な気詰まりを感じている。
それでも平静を装わなければいけない。
人生とはこんなに生き難いのかと長く息を吐いた。
一先ず鞄を取りに教室に戻る。
何度かめの溜息を吐きながら扉を開けると、片桐に胸倉を掴まれた。
「お前!見てたぞ!なんだあの子は!お前の彼女か?それとも柴田か?いや、高杉に彼女なんているわけがない!じゃあ柴田か!」
失礼な質問と、失礼な見解だ。間違っていないので言い返せないが。
片桐の腕を弾いて乱れた制服を正す。
眉間に皺を寄せて顔を上げると、クラス全員が食い入るようにこちらを見ていた。
「な、なんだよ…」
「誰!あの美少女は誰なんだ!」
矢継ぎ早に質問を浴びて、少し待てと両手で抗議するが聞いてもらえない。
「ふざけんなよ高杉のくせにー!あー!俺も彼女ほしいー!」
「てか、なんで高杉?この堅物のどこがいいの?堅物だからいいの?じゃあ俺も真面目になるわ!」
「高杉合コンしよう!あの子も入れて合コンしよう!」
わらわらとあちらこちらから呻き声やらお誘いやら。
こちらは体力を削られたというのに、今度はクラスメイトの相手か。
「ちょ、ちょっと押すな!」
「でも柴田とどっか行ったし、やっぱ柴田のじゃね?」
「なんでもいいよ!あんな子と俺も話したい!」
「神様仏様高杉様!」
「うるさい!あれは僕の妹だ!」
言った瞬間、教室はしんと静まり返り、皆動きを止めた。
今がチャンスだと思い鞄をぎゅっと掴むと同時に、再び教室が騒がしくなった。
「妹ー!?似てねえー!」
「あんな妹いるならもっと早く言えよ!」
「くっそ羨ましい!あんな子が家にいるとかお前…!」
埒が明かないのでじりじりと後退して走った。
「あ!高杉が逃げた!」
「追えー!」
怖ろしい声が聞こえ、全速力で生徒会室を目指す。
廊下は走らないように。自分が張ったポスターが見えるが、今は無理だ。
今日で半年分は走った。生徒会室に入って安堵しながら思った。
クラスメイトもここまで追い駆けては来ないだろう。
身体を折り曲げて、膝に手をついて荒い呼吸を繰り返す。
「だ、大丈夫…?」
藤崎先生の声がし、慌てて姿勢を正す。
「お水持ってこようか?」
「い、いえ。先生にっ、そんなことは、させられません…」
どうにか話したが、ちゃんと言葉になっていたかはわからない。
先生は笑いながら席を立ち、水が入ったコップを渡してくれた。
「す、すいま、せん…」
「いえいえ」
息を整えて水を一気に飲み干した。
先程走ったときよりも疲労感がずっしりときた。
これは本気で体力をつけなければだめだ。時間があるときにジョギングをしよう。
漸く落ち着き、コップをシンクを戻して改めて先生に礼を言った。
「ありがとうございました」
「大丈夫よ、あれくらい。高杉君が走って来るなんて珍しいね」
「…すいません」
「別に責めてるわけじゃないのよ?余程のことがあったのかなって思って」
「…はあ。まあ…」
余程のこと、と言うには大袈裟すぎるが、クラスメイトに囲まれたら逃げられない。
馬鹿力の片桐だけでも手に余るというのに。
曖昧に返事をすると、藤崎先生がぼんやりとこちらを見ている。
まさか、いらぬ心配をさせているのかもしれない。いじめられている、とか。
有馬との関係でも言われた。仕事を全部押し付けられていないか、と。
「…先生?」
「…あ、ごめんごめん」
焦ったように仕事に戻った藤崎先生を見て、自分もファイルを棚から取り出しパソコンを立ち上げた。
沢山走ったものだから、若干胃が気持ち悪い。
そうでなくとも最近あまり食欲がないし、以前に増して食べなくなった。ちゃんと食べろと煩く言ってくれる柴田の存在も遠い。
多少休んでいればきっと治る。
体調を気にしている暇はないし、ぼんやりしていると良くないことを考える。
「…あの、さっき校門のところにいたのって…」
「…ああ、僕の妹です」
「…妹…」
ぼつりと呟き、藤崎先生の顔から表情がすっと消えた。
昨晩、あの場に自分もいたことを先生は知らない。
柴田の彼女だと思っていた女の子が僕の妹。頭の中で整理しているのかもしれない。
「そうなんだ。生徒がすごく騒いでいたから…。妹さん、とっても可愛いのね」
「…そうでしょうか」
何度言われてもいまいちピンとこない。
十六年間あの顔を見てきたので、今更美少女だと言われても、藍は藍だ。
「あの…。柴田君といなくなったみたいだけど…」
「…ああ。そうですね」
曖昧に返事した。
「その、柴田君と妹さんは付き合ってるの…?」
「…まあ、そうみたいですね」
嘘をつくのには慣れておらず、手元の資料を見ながら言った。
昨晩藍がそう言ったはずで、わざわざ自分に確認するように聞く意味がわからない。
元、彼女ではあるが、藍がその方が都合がいいと言ったので訂正もしない。
「…そう。そうなんだ。あんな可愛い子なんて幸せ者ね!お兄さん的には心配じゃない?」
やたら明るい声に違和感を感じた。
元々明るく、朗らかな人だが、無理をしているように思えた。
「いえ、別に。妹も子どもじゃないんで」
なんて口では言うが、実際死ぬほど心配した。
平静を装って恰好つけるが、柴田は藍がいても散々浮気をしていたし、何度歯軋りしたことか。
今となっては時効なので責めないけれど。
「そうだよね。兄妹だとお互いの恋愛に干渉したりしないか」
「…どうでしょうね」
干渉どころの騒ぎではない。こちらは三角関係の泥沼だったのだ。
だから、普通の兄妹がどういうスタンスなのかわからない。
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