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土曜日は部屋に篭って勉強をした。
何かをしていないと柴田のことばかり考えてしまう。
そんな自分を払拭するために、なにかに憑りつかれたように机に向かった。
ふと時計を見ると夕方四時を過ぎていた。
窓の外も綺麗な夕暮れで、部屋の中もオレンジ色に染められている。
コーヒーを飲み、天井に向かって伸びをした。凝り固まった身体が悲鳴を上げている。
今日の夕飯を確保するためにコンビニへ行かなければいけないが、どうも面倒だ。
コーヒーばかりを飲んだせいで空腹も感じられない。
また彼に怒られてしまうだろうかと考え、苦笑が浮かぶ。
机上に置いていた携帯が鳴った。
長い振動に、着信なのだと判断して開く。
ディスプレイには兄の名前が表示されており、急いで電話に出た。
『茜ー?久しぶり。元気?』
「ああ、元気だよ。兄さんは?」
『こっちは相変わらず。大学が忙しくて死にそうだよ』
「そっか。会長は?」
『氷室君も元気だよ。大学も行ってるし、アルバイトもしてるよ』
「アルバイト?会長が?」
金銭的には困っていないはずの会長がと思うと、信じられない。
アルバイトをする時間があるなら、その分兄といたいと望むような人だ。
『お父さんに言われたみたいだよ。いい経験になるって』
「なるほど…」
氷室家はどうやら絶対君主制らしい。うちと同じだ。
けれども、うちと違い、会長の父は強制することはせず、アドバイスをして判断は本人に任せているようだ。
それでも、木内に比べると会長は大きな期待を背負う分、厳しくされていると言っていたけれど。
『でさ、明日一緒に夕飯食べない?今度は僕がそっちに行くよ』
「いいけど、兄さん忙しいんだろ?僕が行くよ」
『大丈夫だよ。茜も疲れてるだろ?有馬君に手を焼いているんじゃないか?』
「ああ、まあ…」
言葉を濁すと電話の向こうで兄が笑った。
会長と兄にはお見通しらしい。
『じゃあ明日。時間は後でメールする』
「わかった」
電話を切り、ふっと息をつく。
月に一度か二度、兄に会うのが習慣になっている。
以前ならば長期休みに自分が実家に帰らない限りは会わなかったが、状況が変わって兄なりに心配しているらしい。
ふと、藍はどいしているだろうと考えて、メールを開いたがやめておいた。
連絡をしてと藍は言ったが、すぐに元通りに戻れるほどの溝ではなかった。
藍から連絡が来れば返す程度で丁度いいのだろう。
翌日も約束の時間まで部屋の中で過ごした。
趣味はないので、文庫本を読んだり、勉強をしたり。我ながらつまらない人間だと思う。
柴田からは金曜日以来連絡がないので、彼がどうしているかは知らない。
大人しく部屋にいるような性格ではないので、誰かと何処かへ出掛けているのだろう。
こちらからも特に連絡はしなかった。
時間の十分前に駅の改札前に立った。
学園付近はなにもないので、近場の繁華街の駅だ。
壁に背中を預けて腕組みして改札を眺める。
休日ということもあり、駅構内はたくさんの人が行き来している。
暫く待つと、兄の姿を見つけた。そしてその隣にいた人物に目を見開いた。
こちらに駆け寄る姿を、何度も瞬きをしながら見詰める。
「お兄ちゃん!」
飛ぶようにしてこちらに駆け、片腕にぎゅっと腕を絡ませたのは藍だ。
「藍?」
「久しぶり。元気だった?少し痩せたみたい」
この妹は本物だろうか。未だ信じられない気持ちで言葉が出ない。
にこにこと微笑む姿は藍なのだけれど、何故ここにいるのか。
そのうち追いついた兄が事情を話してくれた。
「昨日藍は僕のマンションに泊まったんだ。茜と夕飯を食べるって言ったら藍も行きたいというから連れてきた」
「先に言ってくれ。驚いたじゃないか」
「驚かせたかったのよ」
首を傾げる姿は相変わらず可愛らしい。
この笑顔を見ると、まあいいかと思ってしまう。藍はずるい。
「私お腹減った。行こう?」
僕と兄の間に立ち、それぞれの片腕に自分の腕を絡ませて藍は歩き出した。
事情はわかったが、突然の藍の登場に動揺が隠せない。
電話以来、藍の声を聞くのも初めてだし、こうして顔を合わせるのも初めてだ。
一応仲直りはしたけれど、気まずさが残っている。
けれど藍はそんな様子もなく、以前のように振る舞う。
いや、以前よりも少し甘えん坊が増したかもしれない。兄も僕も突然傍を離れたせいだろう。
兄と僕の腕をしっかりと掴みながら、藍は物珍しそうに辺りを見渡した。
「ここら辺来たことないからおもしろいなー」
「僕も久しぶりだな」
藍と兄はごく自然な会話が成り立っているが、僕はそれに入っていけない。
元々、三人でいても二人は次々に言葉を交わして、自分は聞き役が多かったけれど。
「お兄ちゃんはいつも何処でご飯食べるの?」
「僕はあまり外食しないからわからないんだ…」
急に話しを振られてしどろもどろに話した。
「そっか。そうだね。お兄ちゃんあまり外食好きじゃなかったもんね」
外食が嫌いなわけではなく、食に興味がないだけだが、訂正はせずに曖昧に頷いた。
「もうファミレスでよくない?」
埒が明かないと判断した兄が言った。
「うん。私はそれでいい。話せるならどこでもいいし。お兄ちゃんは?」
「ああ、僕もいいけど…。でもファミレスでいいのか?せっかくここまで来てくれたのに」
「いいのよ。ご飯が目的じゃなくて、お兄ちゃんに会うのが目的なんだから」
「…そう、か…。申し訳ないな…。次は女の子が好きそうなお店を調べておくから…」
「うん!期待してる!」
駅に程近い繁華街の外れにあるファミレスに向かった。
本当にいいのだろうか。気を遣わせているかもしれないと思ったが、藍の表情は曇っていない。
兄も僕も勘当された身で、懐に余裕がわるわけでもないので、外食ですら贅沢かもしれないけど。
店内に入り、案内された場所に座る。
兄と藍が隣同士で、自分は藍の向かい側に座った。
メニューを広げてみたが、今日一日何も食べていないというのにそれでも食欲は湧かない。
兄が魚の定食を選んだので、自分もそれに便乗した。
藍は散々迷ってトマトのパスタに決めたらしい。後でデザートも食べるとぶつぶつと言いながら。
そんなところが女の子らしくて、普段女性と接しないからとても新鮮に感じる。
店員に注文を終え、運ばれたお冷を一口飲んだ。
視線を感じて顔を上げると、兄が頬杖をつきながら微笑んでいる。
「茜また痩せたね?」
「…そんなに変わっていないと思うけど…」
「勉強や生徒会のことはいいから、まずは自分をきちんと大事にしないと。母さんも心配してたよ。茜はいつも無理をするって」
周りの人に同じような言葉をかけられるので、それだけ自分は無理をしているように見えるのだろうか。
唯一有馬だけだ。更に僕を苦しめようとするのは。
「お兄ちゃんそれ以上細くなったら倒れるよー。もしかして私より細いんじゃない?あ、それはちょっと悔しいな」
「まさか。そんなわけないだろ。それに藍だって痩せたように見えるぞ」
説教に似た気持ちで言ったのだが、当の本人は僕の言葉に、本当?と嬉しそうにしている。
細くなる必要などないのに。むしろもう少しふくよかな方が女性らしくて魅力も出ると思う。
女の子には難しい事情があるだろうから軽々しく口は出さないが。
「昨日兄さんのところ行ったんだろ?どうだった?」
「すごかった!まさかあんなところに住んでると思わなかった!でもね、折角素敵なお部屋なのに、汚いのよ。葵お兄ちゃんったら相変わらず掃除できないの」
呆れたような藍の言葉に、兄が苦笑した。
「いやー、難しいよね、掃除って。頑張ろうと思うんだけど、掃除すると余計酷くなるから、掃除するなって氷室君にも怒られたよ」
ははは、と笑っているが、それは笑いごとなのだろうか。
人には向き、不向きがあるが、兄の生活力のなさは一級品だ。
氷室会長と一緒に住んでくれてよかった。一人暮らしなどさせた日にはゴミ屋敷になること確定だ。
「氷室さんが優しい人でよかったわよね」
「あはは」
「氷室会長にも会ったのか?」
「うん。一緒に夕飯食べたり、お話しもたくさんしたよ。ちゃんと謝ることもできたし、葵お兄ちゃんを宜しくお願いしますって言えたし」
「…そうか」
「すごく素敵な人だった。優しくて、大人っぽくて、カッコよくて…。頭もいいし、背も高いし、家柄もいいなんて完璧すぎない?」
「そうだな」
「でも、それが嫌味にならないのよね、氷室さんって。鼻にかけないし。あーあ、あんな素敵な人が女に興味ないなんて勿体無い」
「はは。女の子は好きだと思うよ」
「そうなの?じゃあお兄ちゃんと別れたら私を彼女にしてくれないかしら」
「きっとしてくれるよ。氷室君はね、藍の顔がすごく好みのはず」
冗談で言い合っているのだとわかるが、あんなことがあった後では際どい会話だ。
ぽかんと聞くしかできないが、兄たちは過去を完全に水に流した雰囲気だ。
自分もいつまでも拘らない方がいいのだろうか。
一番辛い想いをしたはずの藍が、こうしてなかったことにしようと努力している。
被害者でいていいはずなのに、兄と僕に気を遣って。
優しい子だし、強い子だ。自分よりもはるかに。
早く藍の努力に応えられるようにしたい。
「お兄ちゃんは?どうしてた?皇矢と一緒にいたの?」
「…いや、僕は…。その、勉強してた。生徒会ばかりで全然できてなかったから」
「茜は相変わらず真面目だなあ」
兄は笑ったが、藍は一瞬怪訝な瞳をしていた。すぐに笑顔で相槌を打ってくれたけど。
柴田との話しは禁句のような気がして。
藍は気にしていと示すために彼の話しを振ってくれたのだろうが。
上手くいっていないわけではないが、気になることもあるし、楽しく談笑できる内容がない。
そのうち、運ばれてきた夕食を食べながら世間話をして、藍は苦しいと言いながらもデザートもしっかり食べた。
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