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言葉少なめに寮に戻り、そのまま茜の部屋へついて行った。
扉を閉めた瞬間背後から柔らかく抱きしめると、茜は腕に手を添えるようにしながら項垂れた。
「悪かった」
「……いや、僕のほうが悪かった」
「じゃあどっちも悪かったってことで仲直りしよう」
「喧嘩してたか?」
「空気がぎすぎすしてた」
「そうだな。昔の柴田みたいで懐かしかった」
それは言わないでくれ。
過去を掘り返されると当時の自分を殺しに行きたくなる。
どうしてあんな態度がとれたのか、どうしてもっと大事にしなかったのか。
行き止まりまで茜を追い詰め死ぬほど後悔した。
これからは優しく、幸福だけで彼を飾りたいと思ったのに実行できない自分が情けない。
「…嫌いになった?」
「こんなつまらないことでなるわけないだろ」
ふっと笑った顔が珍しく、すりっと頬擦りした。
大事なものはわかりやすく大事にしないと。大袈裟なくらいでいい。どうせ半分も伝わりはしないのだから。
「…泊まっていくか?」
「茜がいいなら」
「断る理由がないな」
茜はするりと腕から抜け出し、ネクタイを緩めソファに放り投げた。
「待て。お前風呂入る気だろ」
「いけないか?」
「その前に飯。今日こそは学食連れて行くからな」
「僕だって毎日コンビニ飯じゃないぞ」
「そんな細い腕でなに言ってんだか。ちょっと力入れたらぽっきりいくぞ」
「そりゃあ、お前に比べればそうかもしれないが…」
「うるさい」
強引に茜の腕を引き、寮母にサービスしてやってよと言うと白米を大盛りにしてくれた。
こんなに食べられないと顔を顰める茜に笑い、がんばれと励ましながら食べさせた。
部屋に戻るとぽっこりしたお腹をさすりながらソファに横臥し、吐きそうだと眉間に皺を寄せる顔をにやけながら眺めた。
次第にうとうとし始めたので、膝枕をして髪を撫でる。
眼鏡をはずしてやりテレビを眺めて時間を潰していると三十分ほどで目を覚まし、とろんと重そうな瞼を必死に押し上げながらこちらに視線を寄越した。
「もう少し寝れば?まだ三十分しか経ってない」
「……いい。起きる」
「風呂は明日の朝にすればいい」
「嫌だ。今日はお前とすると決めて……」
そこまで言うと目をぱっちり開け、逃げるようにソファから下りようとする腕を掴んだ。
「なにをするって決めてたの」
「お、お前のそういうところは好きじゃない!」
「またまた。つまらないことで嫌いにならないんだろ?」
「うるさい!もう帰れ!」
「折角茜からお誘いされたのに?年に何回もないのに帰ったら勿体ないだろ」
「あー!」
茜は真っ赤な顔を手で覆うように隠し、死にたいと呟いた。
「一緒に風呂入る?」
「入らない!」
どんどん足音を立てながらバスルームに消えた背中に笑い、かわいいからって無茶してぼろぼろにしないよう気を付けようと言い聞かせた。
言い聞かせただけで実際にはいつもより必死にこちらを求める茜に煽りに煽られ終わってみれば結局ぐったりさせてしまった。
水を飲ませ、シャワーを浴びさせ、パジャマに着替えさせて布団の中に入れる。
肘をついて覗き込むようにしながらぽんぽんと胸の辺りを叩いた。
茜は疲労が色濃い目元を必死に押し上げながら口を開いた。
「……生徒会の役目も終わったし、これからはもっと時間できるから」
「受験生なのに?」
「一日中勉強するわけじゃない。今の成績で行ける大学だってある」
「あまり遠くに行かないでくれよ」
「さあ、どうだろうな。国立に絞るから選択肢は多くない。遠距離になったら嫌か」
「まあ、寂しいと思うんだろうな。だからって別れる気はないけど」
「僕もだ」
ころんとこちらに向きを変え、胸に顔を埋める茜を上から眺めた。
どうして今日はこんなに素直なのだろう。嬉しいよりもぎょっとしてしまい上手に言葉が出てこない。
ふん、と冷めた目で鼻で嗤わないなんて。
「……三上君の妹、ちゃんと断れよ」
「当たり前」
「どうだか。お前は身内にはとことん甘いから断りきれないんじゃないかと…」
「こういうのはすっぱりしないとあとが面倒だ。ちゃんと上手くやる」
「…お前は綺麗に振るというのに慣れてないからな」
痛いところを突かれて言葉を詰まらせた。
あ、そ。じゃあもういいや。
そんな風に去ったことは多々あれど、真正面からの告白に誠心誠意お断りするという経験は少ない。
胸が痛まぬわけではないが、振り、振られはなにも珍しいことじゃない。
沙希にとってもいい経験。世の中思い通りに心が通じることのほうが少ないのだ。
「……こんなことでいちいち躓いてられないな」
茜は眉を下げ、諦めたような声色で言った。
「今までもこれからもお前はたくさんの女性に好意を寄せられる。毎回動揺してたらきりがない」
「動揺したの」
「当然だ。僕は男だしこんな性格だし見た目も中身もかわいさの欠片もない。藍を見ていると自分もあんな風になれたらと思う」
「わかってねえなあ」
「なにがだ」
かわいくないところがかわいいのに。
正しくあろうと毅然と前を向き、周りにも自分にも不器用。
ほっと肩の力を抜ける場所が必要で、今少しずつ自分に凭れる練習をしている最中。
いつも吊り上がった目が自分の前では緩められ、飾らず小さく笑ってくれる。
そんな人間かわいくないわけがない。
不安そうに瞳を揺らす目元を指の背で撫でた。
いつもぎゅうぎゅうに寄っている眉間にキスをし、後頭部を包むようにする。
「なにがわかってないんだ!」
「言ったところで理解してくれないから言わない」
「い、言わないとわからないと言ったのは柴田だろ」
「そうだっけ?」
「適当な奴だ」
「今に始まったことじゃねえだろ」
「まったく」
溜め息を吐き、ご機嫌斜めに口を尖らせる姿が愛おしい。
俺だってわからない。茜が正反対の自分のどこに惹かれたのか。
説明されてもきっと一生わからなくて、こんな男に引っかかるなんてかわいそうにとしか思えない。
お互い様。似た者同士で手打ちだ。
「夏休み、うち来るだろ?」
「いや、残って補講に出る」
「うわ、真面目」
「受験生だからな」
「でもお盆期間はさすがに休みだし来るよな?響子も待ってる」
「……ご迷惑で、なければ…」
「迷惑なわけない。どうせみんなじいちゃん家行くだろうし。俺は一足先に行って、お盆は茜と二人で過ごす。こっから先茜は忙しくなるだろうし半年分充電させろ」
「そこまで根詰めないから安心しろ」
「茜は絶対根詰めるんだよ」
「……そう言われると自信がなくなるな。でも柴田が無理に休ませてくれるだろ?」
「まあ」
「なら問題ない。僕のブレーキもアクセルもお前が握ってるんだから」
「大変なじゃじゃ馬で苦労しております」
「悪かったな!」
「冗談。ほら、もう寝るぞ。疲れただろ」
背中に回した手に力を込める。
茜は不満げにこちらを見上げたあと胸に額をすり寄せるようにし瞳を閉じた。
すうっと浅い呼吸を続ける茜を抱え、不完全でちぐはぐな自分たちの隙間を埋めるようにぴたりと寄り添った。
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