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藍との約束の日、三上も一応不肖の妹の問題なので、と同席を希望した。
正直ほっとした。
誰かが間に入ってくれないとまたつまらない口論になりそうで。
自分が茜の言う通りにすると言った手前、今更反故にする気はないが完全に納得したわけではない。そのもやもやをつい茜にぶつけてしまいそうでぎくしゃくした空気のままだ。
日がな何度も溜め息をつき、そのたび潤に辛気臭いと嫌な顔をされる。
その繰り返しでいよいよ疲れてきた。
三上はあとで合流するというので先に茜と約束のカラオケボックスの一室に入った。
ファミレスで話す内容でもないし、個室のほうが茜も気兼ねなく話せるだろうと言ったのは三上だった。
ソファに座り脱力するように息を吐いた。

「随分疲れているようだな」

眼鏡をくいっと指先で押し上げた茜が好戦的な視線を寄越した。
茜も疲労が限界なのかもしれない。最近やたら苛々した様子だし、重箱の隅をつつくような絡み方をしてくる。

「まあ……」

「少しは勉強もしろよ。お前また赤点とっただろ」

「わかってる」

「本当にわかってるか?僕が教えてやる時間はないぞ」

「頼んでねえよ」

つっけんどんな言い方になったと後悔したのは茜がしょんぼり肩を落としたからだ。
余裕があるときならさりげなくフォローを入れるが今は無理だ。そんな顔するくらいなら最初からつっかかってくんなよと厳しい眼差しを向けてしまう。

「うわ、なにこの空気」

三上が部屋に入るなりうんざりした顔を隠しもせず言った。

「喧嘩でもしてんの?あ、いつもか」

いつもの軽口にも応える気力がなく、二人とも黙ると勘弁してくれとぼやかれた。

「ちょっと俺この空気耐えられないわ。先輩の妹迎えに行って来るからその間に仲直りしろよ」

と言われたものの、別に喧嘩をしているわけではないし、どちらが悪いわけでもない。
ただタイミングが悪いというか、互いに思いやる余裕がないというか。
茜はそわそわと居心地悪そうに脚を組み直したり指先をいじったり、合間にちらりとこちらを窺っていたが助け舟は出さなかった。
男の矜持、年上としてのプライド、そういうものを背負ったまま下ろそうとしない彼は素直に甘えたり謝罪したりできない。
だからいつも先回りしてきた。甘えるふりして甘やかし、外側から茜の心を解していた。
そうやって過保護にした結果がこれならばつきあい方を考え直さなければいけない。
獅子は我が子を千尋の谷に落とすというやつだ。

「……あの、柴田…」

重苦しい無言に耐えきれなかったのか、小さく呟いた瞬間藍が入ってきた。

「お兄ちゃん!」

久しぶりと笑いながら茜の隣を陣取り、ぎゅうっと腕に抱きつくようにした。
藍は兄二人が勘当されてからますます甘えたになった。
兄弟なのに父親の目を盗むようにしか会えない状況はかなり堪えると思う。
家の中でいい子を演じるストレスも相当だろうし、藍一人に大きな荷物を背負わせる結果になって申し訳ないと思っている。

「おい、俺を無視すんな」

「あ、皇矢も久しぶりー」

つんと顎を反らしながら言われ、つきあってた頃は随分かわいかったのに落差に毎度驚愕する。何重にも猫を被っていたのだろう。女は恐ろしい。

「仲直りしたか」

肘で三上につつかれ別に喧嘩してませんけど、とすっとぼけた。

「喧嘩してるの?沙希ちゃんのことで?どうせ皇矢が悪いんだろうけど一応話し聞こうか?」

「どうせ俺が悪いー?」

「だって今までお兄ちゃんが悪かったことなんてないもん」

この野郎。兄贔屓もたいがいにしてほしい。

「今回ばかりは俺も悪くない」

「お前、まだそんなことを言ってるのか。納得したんじゃなかったのか」

「茜がなにも言わないのにできるわけねえだろ。こうするしかなかっただけだ」

「なっ、こうするしかなかっただと…?」

「俺が折れるしかねえって言ってんだよ。いつだってそうだろ」

「随分恩着せがましい言い方をするじゃないか」

「別に」

「ちょっとストップ!」

藍が両手で制するようにし、二人同時に言葉を呑み込んだ。
顔を合わせるとこうなると思ってたんだ。
藍の手前穏便に済ませようと思ったのに、機嫌に左右される自分が情けない。

「一応私も当事者になる予定だから最初から話して」

茜に視線で促すと、ぽつり、ぽつりと経緯を話した。間に感情を込めず、事実だけを。
途中、三上が注文したポテトやら飲み物やらが運ばれて来て、お前空気読めよと脚を蹴った。

「修羅場みたいな空気ほんと勘弁。俺は参加しないから適当にどうぞ」

「じゃあなんでついてきたんだよ」

「参加すれば兄の責任とったことになるかなと」

「責任とる気ゼロじゃねえか」

元々三上にはなんの責任もないのだけど。
ひょいとポテトをつまみ咀嚼した。勝手に食うなと手を叩かれ、叩き返しを繰り返すと藍に呼ばれそちらを振り返った。

「ねえ、ちゃんと話したほうがいいんじゃない?私が彼女役するのは別に構わないけど、皇矢が納得してないなら……」

「な?俺悪くねえだろ?」

「うーん、どっちも悪くないと思うけど……」

藍は悩むように小首を傾げうんうん唸った。

「…お兄ちゃんの意見も皇矢の意見もどっちもわかるけど、どっちかというと皇矢に賛成かな」

「藍まで…」

「私が沙希ちゃんなら正直に言ってほしいと思う。そりゃ、受け入れるまで時間はかかるかもしれないし、もしかしたら一生受け入れないかもしれないけど、皇矢を本気で好きなら嘘つかれたら悲しいもの」

過去をちくちく攻撃されている気になり、茜と二人同時に肩を落とした。

「あ、嫌味じゃないよ?感じ方は人それぞれだしなにが正解かはわからないけど。お兄ちゃんは?どうして嘘をつけなんて言ったの?」

藍が覗き込むようにすると茜は顎を引き、逡巡するように視線をうろうろさせた。
自分が聞けばそんなこともわからないのかと眉間に皺を寄せるが、相手が妹だと強くでられないらしい。

「お兄ちゃん、正直に」

諭され、一度溜め息を吐いた後茜はぽつぽつ話し始めた。

「……三上君に迷惑がかかると思った」

「え、俺すか?」

急にお鉢が回ってきた三上はストローから口を放しぽかんとした。

「藍が言うように感じ方は人それぞれだ。しかし誰にでも理解される関係じゃない。口外して増えるのはリスクばかりだ。万が一三上君の妹さんがひどく拒絶したら怒りの矛先が三上君に向かうかもしれない。僕たちのせいで妹さんから辛く当たられたらかわいそうだし、それなら嘘をついても穏便に済ませたほうがいいと……」

ぱちぱちと瞬きを繰り返した。
そんな風に考えていたなんて知らなかった。いや、茜が言わなかったのだから知らなくて当然だが、そういう理由なら最初から素直に言ってくれればいいのに。
そうしたら俺だって頑なな態度を改め妥協点を探した。
妹から拒絶された茜だからこそ、三上を想ったのだろう。
そんなこともわからないのか、同じことを繰り返すつもりか、広い視野を持て。茜に言われた言葉を思い出す。

「それに、柴田が三上君と友人を続けたからといって頻繁に妹さんに会うわけでもないだろう。妹さんも藍を見て諦めるならそれで解決すると思って……僕は色恋に疎いからこんな方法しか思いつかなかった。でもこれが一番誰も傷つかないと思ったんだ…」

膝に腕をつき頭を支えた。
悪かった。俺が悪かった。
正直茜の提案が最善だとは思わない。
誰かにはいい策かもしれないし、また別の誰かには悪手になるかもしれない。
答えがない問題だからこそ頭を悩ませるのだが、茜がそこまで考えていたなら呑むべきだ。
今すぐ抱きしめたいが三上と藍の前でそんなことをした日には茜の頭から角が生える。
すっと右手を挙げ、わかったと頷いた。

「納得した。最初からちゃんとそうやって説明してくれれば俺だって……」

「わ、悪かったな!お前が怒鳴るから…!」

「何度も理由を言えって言ってんのに黙ってばっかだったからだろ!」

「またそうやって怒鳴る!」

「短気なんだよ!」

「もう喧嘩はいいから!」

藍がぱんぱんと手を叩き、渋々口を引き結ぶ。

「お兄ちゃんの気持ちもわかったし、皇矢も納得したみたいだし一件落着でいいけど、彼女のふりするのは最終手段にとっておこう。まずは普通につきあってる人がいるって断って、それでも引かなければ私が出ていくから」

藍が言った瞬間、三人同時にあんぐりと口を開けた。
そうだよ。何でそうしなかったのだろう。
単純なことも失念する阿保が三人。これだから男はだめだ。結果ばかりに飛びつき、間の段階をすっ飛ばしてしまう。
注文した品を食べ終えた三上は話がまとまったなら帰ると退席し、茜も有馬先輩からの着信に廊下に出た。

「皇矢」

「ん?」

「お兄ちゃん、ひどい態度とったんじゃない?」

「なんで。藍がそんなこと言うの珍しい」

「皇矢もイライラしてるから。皇矢は無駄に怒鳴ったりする人じゃないもの」

「…まあ、でも俺も悪かったよ」

「…お兄ちゃん、進路のこととかで悩んでたみたいなの。ママに大学行かないで働くって言いだしたりして。色々重なって態度が悪くなったのかもしれない。だから許せって言ってるわけじゃないの。ただ、皇矢ならお兄ちゃんの性格知ってるでしょ?あんな風だけど特別強いわけじゃなくて、ストレスがすぐ胃にきて、考えすぎて甘えられなくて…」

小さな爪をいじりながら俯きがちに言う藍にふっと笑った。
似たもの兄弟め。
そういうところ藍と茜はそっくりだ。誰彼構わず甘えられず、特別心を開いた人にしか凭れられない。
茜の場合、恋人にすら甘える方法がわからずなんでも一人で解決しようとする。
そんなの誰だって無理なのに、自分は強くあらねばと律しすぎて不自由にしている。

「うちはパパがああいう人だからお兄ちゃん二人は昔から厳しく躾けられたの。すぐに性格が変わるものでもないと思う。でもお兄ちゃんが甘えられるのは皇矢しかいないと思うの。だから面倒で扱いにくい兄ですがよろしくお願いします」

小さく頭を下げられ、藍の頭をぽんと撫でた。

「わかってる」

藍は心底安堵したように笑い、照れ隠しのようにそれにしてもモテるってのも大変ねと三上と同じことを言った。

「もし浮気したら私が制裁加えますからね」

「そんなことしてみろ。茜に玉潰される」

「もー、下品なこと言わないでよ」

ふんと顔をそむけた藍の髪に手を伸ばし、長い栗色の髪を引っ張った。

「ぎゃー!やめてよイタむ!」

「引っ張ったくらいで?大変だな」

「ロングは日々手入れが大変なんだから。女の子のかわいいは努力のたまものよ」

「藍はなにもしなくてもかわいいよ」

「そういうこと言うから勘違いさせるんじゃないの?」

「かわいいって言っただけで勘違いするか?」

顔を顰めるとそういうところがだめだときっぱり言われた。

「じゃあ藍はかわいいって言われたら全員好きになんの?」

「そうじゃないけど……。なんだか沙希ちゃんに同情してきた。沙希ちゃんと皇矢被害者の会でも作ろうかな」

「人聞き悪い。思ったこと言っただけだろ。それに口説くならもっとちゃんとする」

「これだから皇矢は。お兄ちゃんも苦労するわ」

なんで、どこが悪い。ちゃんと教えろ。にじり寄るようにしたが藍はつんと顔を反らしてやれやれと首を振るだけだった。
異性として見てないからこそするりと口に出ただけだろ。
女の考えてることはまったくわからん。
とはいえ、同性の茜の考えもわからないけど。
たらたらと文句を言われるのが鬱陶しく、藍の髪をぎゅうぎゅうに引っ張った。

「やめてよー!小学生みたいなことしてー!皇矢意外と子どもっぽいんだから!」

「当たり前だろまだ十七だぞ」

「つきあってたときはもっと大人っぽかった!騙された!」

「騙されるほうが悪い」

「なにをやってるんだお前たちは」

呆れた声色で茜が扉を開け、ぱっと髪から手を放した。
妹をいじめると鬼の形相で怒られる。三上も大概だが茜も立派なシスコンだ。
自分は弟しかいないのでわからないが、世の中の妹を持つお兄ちゃんはみんなこんな風なのだろうか。難儀だ。
藍の門限があるのでそろそろ帰ろうと駅まで彼女を送った。
藍が今度はゆっくりご飯食べようねと笑うと、茜は彼女の頭を愛おしそうに撫で、くれぐれも身体には気を付けてと言い添えた。
藍が背を向けた瞬間ふんわり翻る長く綺麗な髪を見ながら、つきあっていた頃は気にも留めなかった彼女の努力を今更知るなんてなんだかおかしいと思った。
他にもかわいいを維持する努力をしていたのかもしれない。
見ようとも知ろうともしなかった。
傷つけたこと、ひどい振り方をしたこと、大事な兄を奪ってしまったこと、それでもああして自分に笑ってくれること。
様々な想いが巡り、藍には一生頭が上がらないと思った。
いい女は幸せになるべきだ。
方法は恋愛なんかじゃなくていい。とにかく藍が楽しい、幸せと感じる瞬間が増えたらいい。
隣の茜も同じことを考えているだろう。
藍を見る目はとても優しく、それから多少の罪悪感が滲んでいる。

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