鳴かぬ蛍が身を焦がす




茜と一週間口をきいていない。
机に上半身をべったりつけ、だらんと腕を放り出しながら溜め息を吐いた。
小競り合いやちょっとした口喧嘩は日常茶飯事で、そのたび納得できずとも自分が謝ってきた。そうしないと頑固で堅物の茜は臍を曲げたまま意固地になる。
だけど今回ばかりは絶対に謝らないと決めている。
互いの考え方に大きな差があることはつきあう前からわかっていた。
真面目で融通の利かない茜と、適当で臨機応変な自分。
時間をかけて擦り合わせていく必要があり、一朝一夕では解決しない問題ということも。
こちらが折れる回数のほうが多く、惚れた弱味と言い聞かせてきた。
それでも今回は絶対曲げられない。
自分は信念とか、信条とか、そういう一本芯が通った男ではない。ふにゃふにゃ軟派だと言われるし、広く浅く適度に対応する人間で。それにも許容範囲というものがあり、それを超えたら譲れないと殻にこもりたくなる。
前の席に座っている三上にちらりと視線を移し、もう一度溜め息を吐いた。
問題の始まりはこいつの妹だ。
彼の妹である双子の一方からやたら懐かれ始めたのは一年の最初の頃。茜と藍と泥沼の三角関係を繰り広げていた時期。
一歳しか違わずとも友人の妹と思うと自分の弟と同じ感覚で接したし、神に誓って異性としてみたことも、思わせぶりな態度をとったこともない。
他人からの好意には敏感だが、同い年の男よりちょっと大人っぽい兄の友人程度のものだと思っていた。
それが沙希が高校生になってから雲行きが変わってきた。
頻繁にくるラインには学校でのちょっとした悩みとか、双子の姉妹のかわらいしい愚痴とか、それとたまに一緒に遊びに行きたいというお誘い。
沙希のお兄ちゃんが許可したらな、と冗談交じりで返していたがそれもそろそろ限界だ。
男として見られているのでは、と勘繰った瞬間から今まで気にも留めなかった言葉や態度の本当の意味に気付き頭を抱えた。
鈍感なほうとは思っていなかったが、沙希からすれば超がつく鈍感だったに違いない。
異性として見てなかったからすぐに気付かなかったのだ。
話したいことがあるからどうしても会いたいと言われ、これはきっと告白されるのだろうと溜め息を吐いた。
三上にはしっかり現実を見せ、すっぱり振って妹の目を覚まさせろと言われた。万が一手を出したら殺すとも。
重度なシスコンに呆れながら、一応茜にも報告した。
隠し事をすると単純な問題が複雑になると美香の件で学習したから。
どうするつもりだと聞かれ、もちろん正直に話して断ると言った。
そしたら茜のやつ

「正直ってどこまでだ。僕のことも話すつもりか。それはやめろ。藍に恋人役でも頼めばいい」

なんて言いやがった。
かっとなるのはよくない癖と思いつつ、馬鹿言うなと声を荒げた。
藍は気にせずいいよー、なんて言うだろう。でもそれとこれは話しが別だ。
必要に迫られれば関係を話しても構わないと言ったくせに。
今こそ必要に迫られた事態だ。
そんなに俺との関係が恥ずかしいのか。
捲し立てるとそうじゃないと溜め息を吐かれ、うんざりした態度に更にむかつき、言いたいことがあるならはっきり言えと催促したがそれ以上口を開かなくなった。
互いに頭を冷やす時間が必要と判断し、そのまま部屋から出て今に至る。

「あー……」

ぼやくように覇気のない声を出すと、三上が口元だけで笑った。

「なに笑ってんだよ。お前の妹のせいで拗れてんのに」

「お前らはいつも拗れてんだろ。妹のせいにすんな」

言い返せずに喉でぐうっと唸った。
三上が言う通り穏やかで優しい時間を過ごすより喧嘩や擦れ違ってる時間のほうが多い気がする。
夏休み前に生徒会選挙があるらしく、茜はそれの準備や進路のことで頭も身体もフル稼働で自分を構う暇も余裕もない。
そんなところに追い打ちでこの喧嘩だ。そりゃうんざりもすると思うが、折れる気はなかった。

「……なあ、沙希に普通につきあう気はないって断ったら納得する?」

「しないだろうな。その気になってくれるまでがんばるとか言い出すぞ」

「すげえな。沙希の根性お前も少し分けてもらえよ。やっぱ上がしっかりしてないから下がきちんと育ったんだな」

「その理屈で言うと皇矢の弟も随分しっかり者になりそうだな」

「むかつく」

三上に八つ当たりしてもなにも解決しないのだけど、もう少し沙希の兄として気を揉んでくれてもいいのではないかと思う。
こう、さりげなく諦めるようにフォロー入れてくれるとか。
そういう気遣いを三上に期待するだけ無駄とわかっているが、一刀両断で解決してくれたらいいのにと思う。

「茜には言うなって止められるし、曖昧に誤魔化すと沙希が諦めないし、どうしたらいいんだよ」

「高杉先輩が言うように妹に彼女役してもらえば。あれが彼女ですって言ったら大抵の女は諦めるだろ。顔だけは一級品だしな」

「な、かわいいよな」

「高杉先輩と血の繋がった兄弟なんて信じたくないくらには」

「失礼だな。茜もかわいいわ」

「目が腐ってる」

はん、と鼻で嗤われ、三上のこの顔は何度見てもむかつくなと思う。

「あー、面倒くさ……」

「モテる男は辛いなあ」

揶揄する口調にだからお前の妹のせいで、と怒鳴りたいのを堪えた。
以前はモテるのは武器と思っていた。
不特定多数と関係を持ったほうが飽きないし楽でいい。
恋愛の楽しいとこだけをすくい、面倒に発展した瞬間じゃあもういいやと切ってきた。
それが特定の誰かを見つけた瞬間、色を含んだ目で見られるのが煩わしくなった。
とにかく面倒で、ならば近付かなければいいと健全な生活に戻った。
男子高なので学校で色恋に悩む心配はないし、遊びに行くときも三上や潤、男の友人に限る。
合コンには人数合わせでも行かない、夜遊びもしない、知らない番号からの電話には出ない。
そうやって遠ざけてきたのにまさか友人の妹が刺客になるとは。

「こんな男のどこがいいんだろな。俺が女なら皇矢なんて絶対やだね」

「気が合うな。俺も三上が女だったら頼まれてもつきあわねえな」

「誰が頼むかよ」

「とかなんとか言ってー。そういう奴に限って俺みたいなのに弱いって相場が決まってんだよ」

「どんな相場だ」

「真琴とかも俺みたいなだめな男にひっかかるタイプだしなー」

「そうだな。お前がモテるのわかるって言ってたし」

「拗ねんなよー。俺にやきもち妬いてもいいけど真琴にはきつく当たるなよ?」

揶揄するつもりで言ったが、三上にきつく睥睨された。
これは前科ありとみた。
かわいいところがあるじゃないか。すかしてるくせに自分に妬くなんて。
真琴はわかりやすく三上しか見えていないというのに。
頼むから少し他を見てくれと頭を下げたくなるくらい、病的なまでに三上にご執心だ。
こんな奴のどこがいいのか真琴に聞いてみたが、そうすると五時間は語り続けそうなので避けている。
とにかく、今の問題は三上妹なわけで。
そのためにはもう一度茜と話す必要があると思う。
気が進まないが逃げてもいられない。沙希との約束は目の前だ。
そろそろ帰れよー、と見回りの教師に言われ席を立った。
一度自室に戻り、夕飯をとってから茜の部屋を訪ねた。
扉を叩くと疲れた顔の茜が顔を出し、こちらを認識した瞬間眉間の皺を深くした。
話す前から喧嘩腰で来られると心がささくれ立つが、大人の対応を心掛けやんわり微笑んだ。

「飯食った?」

「ああ、適当に済ませた」

ソファに座るとテーブルの上におにぎりの包みやインスタントの味噌汁のカップが並んでいた。

「学食行けよ」

「面倒だ」

「また細くなっただろ。鉛筆みたいだぞ」

「暑くなると食欲がなくなるんだ」

お前は一年中食欲ねえだろ。
呆れた視線を向けると、茜はむっと顔を顰めた。
隣に着きながら小さく息を吐き、それで?と促しながら目頭を片手でつまむ。
随分お疲れのご様子で。
放っておけばこんな調子で寝食をおろそかにするし、構えば僕は疲れていると主張するし、じゃあどうしたらいいんだと自分の立場がぐらつきそうになる。
俺たちつきあってるよな?俺のこと好きなんだよな?
確認しないと自分の勘違いな気がするくらいには塩対応。
素直な性格ではないし、きっと心の中では想っている。
そうやって誤魔化し、誤魔化し、茜の気持ちを都合のいいように解釈するポジティブさにも限界はある。
特にこうして喧嘩別れしても一切彼が動揺しないときなんかは。
自分が面倒だと切り捨てた女が言った言葉をなぞりたくなる。そんな真似できやしないけど。

「…この前、答えでなかったからもう一回話そう」

「考えは変わったか」

高圧的な態度に眉が寄る。なぜこちらが変える前提なんだ。

「変わんねえな」

「なら話しても意味はない。僕も変わってないからな」

「無理に変えろとは言わねえけど少しは考えたか?自分の意見が絶対正しいとか思ってないよな」

「思ってる」

「お前っ……」

続く言葉を呑み込み、代わりに溜め息を吐いた。
茜は正しさを愛している。
清廉潔白、正しさこそ正義でそれ以外を排除する様は暴君に近い。
決められたルールをきっちり守り少しでもはみ出すと容赦しない。
だから同級生からも後輩からも煙たがられるのに、僕は間違ってないと意に介さず態度を柔和にする努力もしない。
それも一つの生き方とは思うが、正しさだけでは世界は回らない。
少しは彼の頭も柔らかくなったと思ったのに根本的な性格が矯正されるにはまだ時間が足りないらしい。

「柴田はどうだ。変えようと思ったか」

「……思ってない」

「ならお互い様じゃないか。僕だけが責められる謂れはない」

「…一回嘘をついたら取り返しがつかない。関係ない女ならいい。でも三上の妹だ。三上とはこれからも友達だしそうなると妹と顔を合わせる機会もある。そのたびに嘘をつき続けろってのか」

「そうだ。死んでも嘘をつき続けろ」

「なんでそこまで……。お前もそうやって生きんの?俺のことを恥ずかしいことって隠し続けんの」

「そういう意味で言ってるわけじゃない」

「じゃあどういう意味だよ」

問うと、この前と同じように小さく溜め息を吐かれた。

「少しは周りのことも考えろ。柴田は思慮が浅すぎる。激情型も結構だが一旦冷静に物事の全体を把握しろ」

「は、お説教かよ」

「お前が同じことばかり繰り返すからだ。なにも学んでないじゃないか」

「俺がなにを学んでないってんだよ」

「それすらわからないのか。話しにならない」

茜はソファを立ち、苛立ちをおさめるように水を飲むと大袈裟な音を立ててコップをシンクに置いた。

「帰ってくれ」

「また途中で放り出すのか」

「これ以上話しても喧嘩になるだけだ」

「それじゃあなにも変わんねえだろ!」

「話したところで変わらない!一週間もあればまともな答えを出すかと思えば子どものようなことを言って…!」

「じゃあガキにもわかるように一から十まで説明しろよ!」

立ち上りながら言うと茜は一度開けた口を閉じ、悔しそうに歯噛みした。
俺のなにがいけない。
なにをわかってないってんだ。
説明してくれればいいのに茜は言葉を尽くそうとしない。
いつまでも黙ったまま、うんともすんとも言わない置物状態の彼にこれ以上は無駄と判断し、溜め息を吐きながら額に手を添えた。

「……もういい。わかった。茜の言う通りにする。それでいいだろ」

スマホをとりだし藍の連絡先を開く。
ちらっと視線を上げると茜は俯いたまま拳をぎゅっと握っていた。
そんなに鬱憤が溜まっているならきちんと口にしてほしい。
言葉を上手に操れる奴じゃないとわかっている。それでも伝えようとしてくれないと、さすがに何から何まで察せられるわけじゃない。

「なんか言いたいことありそうな顔してんな」

「ない」

「あ、そ」

手に持っていたスマホから高い声が聞こえ耳元に寄せた。

「藍、俺だけど」

事情を掻い摘んで話すと、お兄ちゃんがそうしろって言うならいいけど、と前置きした上でなに奢ってもらおうかなーと上機嫌で笑った。
お兄ちゃんに代わってと言われ茜に携帯を差し出す。
なんだかとても疲れた。
ソファに深く腰かけ肘置きに腕をつき頭を支えた。
絶対に折れないと決めたけど、自分が折れなければ事態は平行線のままどん詰まりになってしまう。
結局こうなんのかよとうんざりし、投げやりな気持ちを抱えた。

「藍が一度会って話そう、だそうだ」

通話を終了させたスマホを返しながら言われ、ああそう、と興味なさげな返事をした。

「……柴田」

弱々しく呼ばれ顔を上げたが茜は視線を右に、左に動かすだけで口を噤んだ。

「……なに」

「…なんでも、ない」

そうやって諦める。
いつものように毅然とずけずけ言ってくれたほうがまだましだ。
努力を放棄されると関係を維持するためがんばろうとしている自分が馬鹿馬鹿しくなる。
なんだか心も身体もずっしり重い。
このまま眠ってしまいたいが、この場にとどまるわけにもいかない。
鉛をつけられたような身体を引きずって立ち上がった。

「…じゃあ俺帰るわ。食わなくてもいいからちゃんと寝ろよ」

「…ああ」

見送りのため扉の前で俯く茜の肩をぽんと叩き扉を閉めた。
なんでこうなるかなあ。
天を仰ぎたくなり代わりに短い髪の毛に指をさしこんでぐしゃぐしゃに掻き回した。

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